薫る雨の匂いに彩りを
 「ついてない……」

 外は、土砂降りの雨だった。

 神様が空の蛇口を壊してしまったかのように雨がコンクリートをさらに濃い色に染めていく。灰色の世界はより濃く塗り潰されていく。

 さっきまでいた生徒達はもうすでにみんな傘を開いて門の方へ流れていってしまった。

 いつも持っているはずの折りたたみ傘は今日に限って家に置いたままで、もう私には傘に入れてくれるような友達も居なくなってしまった。

 覚悟を決めて走り出そうとしたとき。

 「薫子(かおるこ)

 低く、通る声で名前を呼ばれた。振り返りたくない。振り返ってなんかやるものか。私は無視して一歩を踏み出した。

 「傘ないんだろ?俺のいれてやるから」

 肩に手を置かれた。見たくもないのに振り返らずにはいられなくて振り返ってしまう。後ろに立っていた憎らしいほどに整った顔立ちの男子はやはり繊月彩せんげついろだった。

 「───で」

 声が掠れた。息もできない。

 「ん?なんて言った?」

 離してよ。離して。

 「近寄らないで!!」

 肩の手の感触が気持ち悪くて、払いのけた。水たまりに映る分厚い雲に覆われたもう一つの雨空を踏み割って、私は走る。

 くるくるになった髪の毛が顔に貼り付いて気持ちが悪かった。雨が私の肌を、髪を、服を濡らしていく。だけど、私の頬を伝う雨粒だけはなぜか温かかった。

 雨が嫌いだ。髪の毛がくるくるになるから。

 色が嫌いだ。だって私には見えないから。

 繊月彩が、大嫌いだ。

 ◇◆◇

 「ねえ、薫子。あの人格好よくない?」

 高校二年生になった日。始業式が終わり騒がしい教室の中、小声で空和(そわ)が話しかけてきた。空和の指差す先にはすっと通った鼻筋と切れ長の目、さらりとした髪の男子。

 その男子を中心に何人かのクラスメイトが話しかけている。いかにも人の中心にいそうな、陽キャを体現したような人物だった。

 「色素薄い系可愛い~!目とかもめっちゃ綺麗な茶色だし!」

 空和が頬を手で包んできらきらとした目で言った。

 「うん。そうだね。かっこいい」

 私は適当に相槌を打ってしまう。だって、色素が薄いとか、目が茶色だとか。私にはそういうのがわからないから。

 私は先天的に色が見えない。産まれたときから、ずっと彩のない世界に私だけが取りのこされていた。

 空は青で夕焼けはオレンジ色で、私の髪は茶色で私の着ているセーラー服は深緑──そういうのは知識として知っているけれど青も、オレンジも、茶色も、緑も。

 私にとってはただのモノクロームの集合体でしかない。灰色の濃淡しか無い世界は異様に光だけが眩しく映ってしまう。

 「え~空和なら絶対いけるって。行ってこい!」

 「連絡先ゲットしておいで~」

 そう空和に向かって言うのは桜華(おうか)瑠璃(るり)

 私達は高校一年生のときに知り合った。空和と桜華と瑠璃は中学からの親友で、私は教室の隅でただ一人だけで縮こまっていた。 

 けれどそんな私を見た空和が仲間に入れてくれたのだ。今では桜華も瑠璃も、私といつも一緒にいてくれる友達だけど、空和は私にとってはもっと特別。

 「ねえ、薫子も一緒に行ってよぉ~」

 「いや、私なんかいても意味ないって。可愛い三人で行っておいでよ」

 空和も桜華も瑠璃も、目をひく華やかな美人だ。高めの身長、華奢な体、真っ直ぐな髪の毛にぱっちりとした二重まぶた、形の良い唇にはいつもツヤがのっている。

 対して私はくるくるの髪の毛に顔立ちだってぱっとしない。背は低くていつどこでも三人には見劣りしていた。

 薫子、なんて名前も嫌だ。みんな華やかで綺麗な名前なのに何で私だけこんなにおばあちゃんみたいなの。

 「いいの!薫子、いこ?」

 瑠璃が私の手を引っ張って立たせた。空和がちょこちょこと男子の方へ歩いて行くのを私達は一歩離れたところから見守る。

 「あ、あの!繊月くん!」
 「ん?あ、えーと。有本(ありもと)さん?であってる?」
 「うん。連絡先、交換してくれない?」

 おずおずとスマホを差し出した空和に繊月くんがにこやかに応答する。ほらね。色が見えなくたってわかるから。綺麗なお姫様の隣には王子様がいるんだ。

 私みたいなのはただの台詞一つもない引き立て役のBでしかない。世界は最初からそう決まってるんだ。

 「あ、お友達のほうも……」

 繊月くんがそう言いかけて、私と目が合った。

 吸い込まれそうなくらいに綺麗な目だった。

 「……薫子ちゃん?」

 彼はそう、私の名前を呼んでいた。
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