ことほぎの祈り
第一章、許嫁の幼馴染
許嫁なんて、決めないで欲しかった。
生まれた時から私の嫁ぐ家は決まっていて、そこに私の意思なんてこれっぽっちも考慮されていなかった。
『土御門家』
霊能関係の界隈でその名を知らない者はいないとされる、屈指の格式を誇る名家だ。歴史の教科書に出てくるような陰陽師の血を引く本物の名門。
一応、私の実家もそれなりに名は通っているらしいけれど、土御門家とは天と地ほどの差。
私———桜木琴葉には一切の霊力がなかった。
霊が見えるわけでも、退治できるわけでもない。それなのに、タチの悪い陰湿なモノばかりを無差別に吸い寄せてしまう『引き寄せ体質』。
おかげで子供の頃から、周囲に怪異や不審者を巻き込んでしまい、友達なんて一人もできたことがない。
大きくなれば、嫁がなくてはいけない。
望まない婚約。
だからこそ、土御門家と私の両親が話し合った結果、ひとつの妥協案が出された。
『卒業後の予行練習として、高校生になったら二人で暮らさせてみよう』
それを聞いた時、マジで実家の掛け軸を引き裂いて殴り込みに行こうか本気で考えた。
幼馴染であり、私の許嫁でもある土御門保名は土御門家の跡取り息子。
私の実家は代々土御門家に仕える身だったので、許嫁が全く知らない不気味な男ではなく、気心の知れた保名だったことだけが唯一の救いではある。
けれど、だからといって高校入学と同時に同居生活だなんて冗談じゃない!
どうしてこうなったんだろうと思うことが私の人生には何回かあった。
例えば、小学生になる前の幼少期。
公園で遊べば怪しいおじさんに声をかけられない日はなく、一人での外出は滅多に出来なかった。
遊ぶ時は保名と一緒。何故か保名が一緒の時は声をかけられることはなかった。不審者を引き寄せることで悪評だった私に友達が出来る訳もなく、一人ぼっちでめそめそ泣く私を保名が「琴葉ちゃん、飴ちゃんあげるから泣きやみ〜」と慰めてくれていたっけ。
例えば中学生の頃。
この頃には自分が霊などの引き寄せ体質であるということは何かと察して、対処出来るものは何かと気を付けていた。ここら辺は周りの協力も多く、特に保名から貰ったお守りは効果抜群。
そして、その年頃になれば避けて通れないのが甘酸っぱい恋愛沙汰。
ありがたいことに何度か男の子から告白されたりもしたのだが、悲劇的なことに私に告白してきた相手は翌日になると必ず二パターンに分かれた。
青ざめた顔で何かに怯えるように距離を置くか、正気を失ったように執着してストーカー化するか。
結果、『周囲を不幸にする女』なんていう不名誉すぎる噂を流され、私の周りにはまたしても保名しか残らなくなった。
「琴葉ちゃん、今日も振られたん?俺という男がありながら浮気はあかんなぁ〜」なんて軽口を叩く保名に、何度クッションを投げつけたか分からない。
友達ゼロの記録は、見事に更新され続けている。
✳✳✳
「いやー、ここ連れてきて良かったわ〜!」
「く、クリームマシマシ……」
私の目の前には山の如くそびえ立つ生クリームでほぼ見えなくなっているパンケーキが鎮座していた。
「保名が食べるの?」
「え、俺は食べんよ?琴葉ちゃんが食べんねんで」
「え?」
「え?」
思わず素で返してしまった。目の前に座っている保名は、心の底から不思議そうな顔でこちらを見つめている。
「いやいや、え?じゃなくて!さっきノリノリで頼んでたのに!?」
「でも、甘いもん好きやろ?小さい頃もいっつもパフェのホイップ横取りして……。ここパンケーキ美味い店らしいから、食べて損はないで。今日は俺の奢りや!」
「だからって限度があるでしょうが!これ、パフェのホイップ横取りの比じゃないからね!?」
目の前の生クリームのエベレストを指差し、私は頭を抱えた。
保名は相変わらず、犬が尻尾を振るような眩しい笑顔を浮かべている。
この男は昔からそうだ。私のことを気遣っているつもりで、明後日の方向にフルスロットルで暴走する。
「まぁまぁ、食わず嫌いは良くないで。せっかく三十分くらい並んだんやから」
「……じゃあ保名も手伝ってよ。ほら」
私はフォークで生クリームの壁を掘り返し、パンケーキを一切れ刺すと、はい、と保名の口元へ向けた。
「えっ、俺こういう歯が溶けそうなやつ苦手〜」
「自分で頼んだくせに!」
私はジト目で保名を睨みつけ、諦めて覚悟を決めた。フォークを自分の口へと運ぶ。
……あ、美味しい。
ふんわりとした温かい生地に、見た目ほど重くない軽やかで滑らかな生クリーム。一口噛み締めると、バニラの 上品な甘さが口いっぱいに広がった。
「どう、美味しい?」
「美味しい……!」
コクコクと頷く。
パンケーキに罪はない。目の前の男に罪はある。
今日は保名の強い希望で、SNSで話題の人気のパンケーキ屋に来ているのだが……正直、気になって仕方がない。
店内からの、特に女性客たちからの刺さるような鋭い視線が!
(分かってるよ、見た目だけはカッコ良いもんね!中学生のバレンタインの時、物凄くチョコを貰ってたから分かるよ)
整った鼻立ちに、柔らかく跳ねる茶髪。細身なのにスタイルが良く、和服を着せればそのまま絵になるような男だ。
今すぐ嫉妬の目で私を見ている女性客全員に「私は関係ない人です」「コイツを頼みます……!」と、頭を下げて説明したい。
「帰ったら荷解きせんとな〜、今やらんと後々メンドなるから」
「……保名」
「ん?」
「私、まだこの生活受け入れたって言ってないからね?」
「え、でももう荷物届いてるで?」
「そういう問題じゃないの!気持ちの問題」
「大丈夫やって。家事は分担するし、琴葉ちゃんが嫌なことは無理にせんでええから」
「分かった。帰りにさすまた買って良い?」
「あ〜ん、俺の信頼度ゼロや〜。俺、琴葉ちゃんの婚約者やで?」
保名は何でもないことのようにカラカラと笑うと、ウーロン茶を飲み干した。
「それに、俺は琴葉ちゃんと暮らせるのめちゃくちゃ楽しみにしてたんやで?結婚生活みたいでワクワクするやん」
「保名。これ以上喋ると蹴るよ」
「えー照れてんの〜?」
ゲシゲシ。
テーブルの下で、保名の足を軽く蹴る。
「あいた〜……っ!琴葉ちゃん、容赦なさすぎやろ〜」
保名は足を押さえながら大袈裟に顔をしかめてみせたが、その目はちっとも反省していない。むしろ、楽しそうに細められている。
「自業自得だよ。これでも手加減した方だもん」
私は残りのパンケーキにフォークを伸ばした。文句を言いながらも、口に運ぶ手は止まらない。甘いものは昔から私の数少ない癒やしだったから。
「ほんま、俺のお嫁さんは気が強いなぁ」
「保名だけだよ」
「え、それって『保名は特別な存在』的な意味……?」
「保名が私を過酷なメンタル修行に付き合わすような感じ、って意味だよ」
「なんや〜、そっちか〜」
ヘラヘラ笑う保名を見ていると、何だかどうでも良くなってくる。
「えー、俺のせいにせんといてよ。冷めんうちに最後のひと口お食べ」
促されるまま、残っていたパンケーキを口に運ぶ。
文句を散々言ったけれど、胸の奥に渦巻いていた重苦しい不安は、いつの間にかすっかり薄れていた。
「ごちそうさま。ありがとうね」
「おっ、素直でよろしい!ほな、お会計済ませて新居行きますか」
保名がすっと立ち上がり、スマートに伝票を持ってレジへ向かう。その背中は、いつの間にか昔よりずっと大きくなっていた。
✳✳✳
保名の案内で新居に着くと、そこは『高校生の二人暮らし』という言葉から想像するようなアパートではなく、綺麗な一軒家だった。
「えっ、ここ……!?」
目の前の立派な一軒家と、鍵をジャラジャラさせている保名を何度も見比べる。
「はい、到着〜!ここが今日から俺らの家やで」
保名が鍵を開けて玄関に入ると、すでに私の実家と土御門家から送られた段ボール箱が整然と並べられていた。
「これ、今日中に終わるのかな?明日にしようよ」
「大丈夫やって〜。琴葉ちゃんは自分の部屋の奴だけ持って上がって?重い奴は俺が運ぶから」
そう言って、保名は一番大きくて重そうな段ボールを軽々と抱え上げた。
細身に見えて、やっぱり鍛えられているんだなと感心してしまう。
(まぁ、朝五時から山道を四キロランニングする人だもんなぁ)
指定された二階の部屋に入り、自分の段ボールを一つずつ開けていく。(ちなみに部屋の場所は、じゃんけんで勝った私が日当たりの良い南側を選んだ)
昔買ったお気に入りの小説、実家から持ってきた抱き枕、学校の教科書。
殺風景だった部屋に自分の私物が並んでいくと、少しずつここが生活の拠点になるのだという実感が湧いてきた。
「琴葉ちゃーん、晩ご飯どうするー?引っ越しそば作る?」
荷解きをしていたはずの保名が、ひょこっと部屋に顔を出した。
「もう買い物行くの?」
「引っ越し初日に飯抜きは嫌やろ〜?」
「それはそう!」
生まれた時から私の嫁ぐ家は決まっていて、そこに私の意思なんてこれっぽっちも考慮されていなかった。
『土御門家』
霊能関係の界隈でその名を知らない者はいないとされる、屈指の格式を誇る名家だ。歴史の教科書に出てくるような陰陽師の血を引く本物の名門。
一応、私の実家もそれなりに名は通っているらしいけれど、土御門家とは天と地ほどの差。
私———桜木琴葉には一切の霊力がなかった。
霊が見えるわけでも、退治できるわけでもない。それなのに、タチの悪い陰湿なモノばかりを無差別に吸い寄せてしまう『引き寄せ体質』。
おかげで子供の頃から、周囲に怪異や不審者を巻き込んでしまい、友達なんて一人もできたことがない。
大きくなれば、嫁がなくてはいけない。
望まない婚約。
だからこそ、土御門家と私の両親が話し合った結果、ひとつの妥協案が出された。
『卒業後の予行練習として、高校生になったら二人で暮らさせてみよう』
それを聞いた時、マジで実家の掛け軸を引き裂いて殴り込みに行こうか本気で考えた。
幼馴染であり、私の許嫁でもある土御門保名は土御門家の跡取り息子。
私の実家は代々土御門家に仕える身だったので、許嫁が全く知らない不気味な男ではなく、気心の知れた保名だったことだけが唯一の救いではある。
けれど、だからといって高校入学と同時に同居生活だなんて冗談じゃない!
どうしてこうなったんだろうと思うことが私の人生には何回かあった。
例えば、小学生になる前の幼少期。
公園で遊べば怪しいおじさんに声をかけられない日はなく、一人での外出は滅多に出来なかった。
遊ぶ時は保名と一緒。何故か保名が一緒の時は声をかけられることはなかった。不審者を引き寄せることで悪評だった私に友達が出来る訳もなく、一人ぼっちでめそめそ泣く私を保名が「琴葉ちゃん、飴ちゃんあげるから泣きやみ〜」と慰めてくれていたっけ。
例えば中学生の頃。
この頃には自分が霊などの引き寄せ体質であるということは何かと察して、対処出来るものは何かと気を付けていた。ここら辺は周りの協力も多く、特に保名から貰ったお守りは効果抜群。
そして、その年頃になれば避けて通れないのが甘酸っぱい恋愛沙汰。
ありがたいことに何度か男の子から告白されたりもしたのだが、悲劇的なことに私に告白してきた相手は翌日になると必ず二パターンに分かれた。
青ざめた顔で何かに怯えるように距離を置くか、正気を失ったように執着してストーカー化するか。
結果、『周囲を不幸にする女』なんていう不名誉すぎる噂を流され、私の周りにはまたしても保名しか残らなくなった。
「琴葉ちゃん、今日も振られたん?俺という男がありながら浮気はあかんなぁ〜」なんて軽口を叩く保名に、何度クッションを投げつけたか分からない。
友達ゼロの記録は、見事に更新され続けている。
✳✳✳
「いやー、ここ連れてきて良かったわ〜!」
「く、クリームマシマシ……」
私の目の前には山の如くそびえ立つ生クリームでほぼ見えなくなっているパンケーキが鎮座していた。
「保名が食べるの?」
「え、俺は食べんよ?琴葉ちゃんが食べんねんで」
「え?」
「え?」
思わず素で返してしまった。目の前に座っている保名は、心の底から不思議そうな顔でこちらを見つめている。
「いやいや、え?じゃなくて!さっきノリノリで頼んでたのに!?」
「でも、甘いもん好きやろ?小さい頃もいっつもパフェのホイップ横取りして……。ここパンケーキ美味い店らしいから、食べて損はないで。今日は俺の奢りや!」
「だからって限度があるでしょうが!これ、パフェのホイップ横取りの比じゃないからね!?」
目の前の生クリームのエベレストを指差し、私は頭を抱えた。
保名は相変わらず、犬が尻尾を振るような眩しい笑顔を浮かべている。
この男は昔からそうだ。私のことを気遣っているつもりで、明後日の方向にフルスロットルで暴走する。
「まぁまぁ、食わず嫌いは良くないで。せっかく三十分くらい並んだんやから」
「……じゃあ保名も手伝ってよ。ほら」
私はフォークで生クリームの壁を掘り返し、パンケーキを一切れ刺すと、はい、と保名の口元へ向けた。
「えっ、俺こういう歯が溶けそうなやつ苦手〜」
「自分で頼んだくせに!」
私はジト目で保名を睨みつけ、諦めて覚悟を決めた。フォークを自分の口へと運ぶ。
……あ、美味しい。
ふんわりとした温かい生地に、見た目ほど重くない軽やかで滑らかな生クリーム。一口噛み締めると、バニラの 上品な甘さが口いっぱいに広がった。
「どう、美味しい?」
「美味しい……!」
コクコクと頷く。
パンケーキに罪はない。目の前の男に罪はある。
今日は保名の強い希望で、SNSで話題の人気のパンケーキ屋に来ているのだが……正直、気になって仕方がない。
店内からの、特に女性客たちからの刺さるような鋭い視線が!
(分かってるよ、見た目だけはカッコ良いもんね!中学生のバレンタインの時、物凄くチョコを貰ってたから分かるよ)
整った鼻立ちに、柔らかく跳ねる茶髪。細身なのにスタイルが良く、和服を着せればそのまま絵になるような男だ。
今すぐ嫉妬の目で私を見ている女性客全員に「私は関係ない人です」「コイツを頼みます……!」と、頭を下げて説明したい。
「帰ったら荷解きせんとな〜、今やらんと後々メンドなるから」
「……保名」
「ん?」
「私、まだこの生活受け入れたって言ってないからね?」
「え、でももう荷物届いてるで?」
「そういう問題じゃないの!気持ちの問題」
「大丈夫やって。家事は分担するし、琴葉ちゃんが嫌なことは無理にせんでええから」
「分かった。帰りにさすまた買って良い?」
「あ〜ん、俺の信頼度ゼロや〜。俺、琴葉ちゃんの婚約者やで?」
保名は何でもないことのようにカラカラと笑うと、ウーロン茶を飲み干した。
「それに、俺は琴葉ちゃんと暮らせるのめちゃくちゃ楽しみにしてたんやで?結婚生活みたいでワクワクするやん」
「保名。これ以上喋ると蹴るよ」
「えー照れてんの〜?」
ゲシゲシ。
テーブルの下で、保名の足を軽く蹴る。
「あいた〜……っ!琴葉ちゃん、容赦なさすぎやろ〜」
保名は足を押さえながら大袈裟に顔をしかめてみせたが、その目はちっとも反省していない。むしろ、楽しそうに細められている。
「自業自得だよ。これでも手加減した方だもん」
私は残りのパンケーキにフォークを伸ばした。文句を言いながらも、口に運ぶ手は止まらない。甘いものは昔から私の数少ない癒やしだったから。
「ほんま、俺のお嫁さんは気が強いなぁ」
「保名だけだよ」
「え、それって『保名は特別な存在』的な意味……?」
「保名が私を過酷なメンタル修行に付き合わすような感じ、って意味だよ」
「なんや〜、そっちか〜」
ヘラヘラ笑う保名を見ていると、何だかどうでも良くなってくる。
「えー、俺のせいにせんといてよ。冷めんうちに最後のひと口お食べ」
促されるまま、残っていたパンケーキを口に運ぶ。
文句を散々言ったけれど、胸の奥に渦巻いていた重苦しい不安は、いつの間にかすっかり薄れていた。
「ごちそうさま。ありがとうね」
「おっ、素直でよろしい!ほな、お会計済ませて新居行きますか」
保名がすっと立ち上がり、スマートに伝票を持ってレジへ向かう。その背中は、いつの間にか昔よりずっと大きくなっていた。
✳✳✳
保名の案内で新居に着くと、そこは『高校生の二人暮らし』という言葉から想像するようなアパートではなく、綺麗な一軒家だった。
「えっ、ここ……!?」
目の前の立派な一軒家と、鍵をジャラジャラさせている保名を何度も見比べる。
「はい、到着〜!ここが今日から俺らの家やで」
保名が鍵を開けて玄関に入ると、すでに私の実家と土御門家から送られた段ボール箱が整然と並べられていた。
「これ、今日中に終わるのかな?明日にしようよ」
「大丈夫やって〜。琴葉ちゃんは自分の部屋の奴だけ持って上がって?重い奴は俺が運ぶから」
そう言って、保名は一番大きくて重そうな段ボールを軽々と抱え上げた。
細身に見えて、やっぱり鍛えられているんだなと感心してしまう。
(まぁ、朝五時から山道を四キロランニングする人だもんなぁ)
指定された二階の部屋に入り、自分の段ボールを一つずつ開けていく。(ちなみに部屋の場所は、じゃんけんで勝った私が日当たりの良い南側を選んだ)
昔買ったお気に入りの小説、実家から持ってきた抱き枕、学校の教科書。
殺風景だった部屋に自分の私物が並んでいくと、少しずつここが生活の拠点になるのだという実感が湧いてきた。
「琴葉ちゃーん、晩ご飯どうするー?引っ越しそば作る?」
荷解きをしていたはずの保名が、ひょこっと部屋に顔を出した。
「もう買い物行くの?」
「引っ越し初日に飯抜きは嫌やろ〜?」
「それはそう!」
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