ことほぎの祈り
『おや、よく眠っているじゃないか。無防備な小娘だねぇ。ふふ、喰ってやろうか』
耳元で、誰かの声がした。やけに艶っぽい女性の声だ。
(喰う?)
夢にしてはやたらと臨場感のある響き。けれどその内容は穏やかではなく、ふわふわとした心地の良い微睡みが引き潮のように遠ざかっていく。
『ねぇ、あんたの得意なまじないをかけておくれよ。人間の肉なんか百年ぶりなんだ。腹でも壊したら嫌だからね』
『そっとしておいておやり。だいたいあんた、若い男が専門だっただろう?』
傍らに複数の気配を感じた。一体、何の話をしているのだろう?
でも今は、瞼を開けることすら億劫だ。会話の内容は気になるものの、瞼の重みがそれを拒否する。
『それにほら、よく見てごらんよ。この子は―――』
耳元でそよぐ、甘ったるい吐息と囁き。
冷たい、冷たい指先が、すっと―――首筋を撫でた。
「うわぁぁっ!!」
氷のような感触に、眠気が吹っ飛んだ。
悲鳴を上げながら飛び起き、サイドテーブルへ手を伸ばしていた。そこが目覚まし時計の定位置だからだ。
カチリ、と硬いプラスチックの感触。
勢いよく叩き切ったアラーム音がピタリと止まり、心臓が鼓膜を破らんばかりの早鐘を打っていた。
(……夢……?)
冷や汗でパジャマが肌に張り付いている。
荒い息を整えながら周囲を見渡すと、そこは昨日引っ越してきたばかりの自室だった。
「琴葉ちゃん!大丈夫か!?」
勢いよくドアが開いた。
寝癖を豪快につけた保名が、息を切らして飛び込んでくる。その右手には、なぜか札ががっしりと握られていた。
「なんや、今の悲鳴?害虫か!?」
「あ……保名……」
あまりに必死な顔で部屋に突入してきた幼馴染の姿に、心臓の跳ね上がりが少しずつ落ち着いていく。
「……大丈夫だよ。変な夢見ただけ」
「なんや、夢かー」
保名は大げさに胸を撫でおろし、その場にへたり込んだ。
「何もなくて良かったわ」
「ごめん。起こしちゃった」
「全然ええよ〜!元々編集せなあかんから起きてたし」
そういえば、将来の夢は超人気インフルエンサーだったね……。
「二度寝する?俺は部屋で編集しとくわ〜」
「ううん、もう起きるよ。目が覚めちゃったし」
琴葉はサイドテーブルの目覚まし時計を見やった。針は午前六時を指している。
引っ越しの疲れが残っているとはいえ、あの気味の悪い夢の後に二度寝をする気にはとてもなれない。
(それに、今日は入学式だし……遅刻するわけにはいかない!)
「ほな、朝ご飯作るわ」
「え、保名が?」
「なんやその顔」
「だって昨日、荷解きしてる時に『料理は得意やで』って言ってたけど、どうせインスタントとかじゃないの?」
「失礼やなぁ。俺、ちゃんと料理できるで?」
「火事だけは起こさないでね」
「失礼やな〜!卵焼きくらいお手の物やし、味噌汁かてダシから取ったるわ!」
保名は不満げに鼻を鳴らすと、腰に手を当てて部屋から出て行った。
今日は四月九日。
(どうしよう。ついにこの日が来ちゃった……!)
お気に入りのカーディガンに合わせた新品の制服に着替える。スラックスとスカートが選べたけど、可愛かったからスカートにした。
鏡の前で何度もぐるぐる回ってみる。
襟は曲がってない?スカートは変じゃない?
何度目かも分からない確認をしてから、もう一度、全身を見渡した。
一階に降りると、さっきの宣伝通り保名がキッチンに立って朝ご飯を作っていた。
「おはよー、琴葉ちゃん。ちょうど出来たで」
「……」
私は思わず足を止めた。
テーブルの上には、白いご飯に味噌汁、卵焼き。 それから、焼き魚とほうれん草のおひたしまで並んでいる。
「す、凄い!インスタント味噌汁にお湯を注いで『料理できる』とか言い出すタイプだと思ってた」
「琴葉ちゃん、俺のことなんやと思ってんの!?」
「超人気インフルエンサーを夢見る、朝五時から山道を四キロ走る陰陽師」
次の瞬間、保名の手が胸元に伸びてきて
「リボン曲がってるで〜」
そのまま制服のリボンを軽く引っ張って、位置を直してくれた。
「う、嘘っ!ありがと〜」
わぁ、何されるのかと思ったらリボンを直してくれたんだ。
「高校生になっても変わらんなぁ〜」
私の頭をワシャワシャしながら嬉しそうに笑う保名。
✳✳✳
それから学校に登校し、体育館で入学式をして、それぞれの教室に向かう。
「ねぇねぇ、あの男の子かっこ良いよね〜」
「うんうん」
どこからともなく騒ぎだす女子達。
どうやら他クラスからも見に来ているらしく、保名の周りには人だかりができている。
入学早々こんなに話題になるなんて、すごい人気だよ。まぁ、確かにあのルックスなら無理もないけど……。
さっそく女の子達を敵にまわしてしまいそうだよ。
私は静かに席に座り、遠巻きにその様子を眺めていた。
すると、突然そんな私の元に男の子達が数人近寄り、声をかけてくる。
「やっほー、初めまして」
「ねぇねぇ、名前なんて言うの?」
「えっ……」
少しびっくりしたけれど、話しかけられてちょっと嬉しかった。
同じクラスだから、挨拶してくれたのかな?
何故か男の子ばっかりだけど、自分から声をかけるのは少し緊張するからありがたいかも。
「私は……桜木琴葉です」
私が自己紹介すると、身を乗り出してくる一人の男の子。
「琴葉ちゃんマジで可愛いよね。さっき教室に入ってきた時から気になってたんだー!あ、俺は三組の吉田颯太。良かったら連絡先教えてよ」
「俺も俺も!」
「俺にも教えて!」
吉田くんという人が連絡先を聞いてきた途端、他の男子達もスマホ片手に詰め寄ってくる。
「あ、えっと……」
私はその勢いに圧倒されながらも、スマホを取り出してメッセージアプリを開いた。
何だかさっそく連絡先を聞かれちゃったけど、同じクラスだし良いよね?みんなフレンドリーで良い子そうだし……と思ったら、急に後ろから手が伸びてきて、メッセージアプリを閉じられた。
「悪いけど、琴葉ちゃんには手ぇ出さんといてほしいわー」
その声に振り返ると、いつの間にか女子達の包囲網をくぐり抜けた保名で。
「え?」
吉田くん達も驚いている。
「お、お前、琴葉ちゃんの何なんだよ!」
「えー、気になる〜?」
保名の口元がニッと弧を描く。
「幼馴染兼ボディーガード兼インフルエンサーの、土御門保名やで。よろしく〜!」
親指を立ててドヤ顔を決める保名に、男子達の間に脱力したような空気が流れた。
「はぁ?」
「何言ってんだ、こいつ」
「あらら、俺の自己紹介上手くいかなかったわ〜」
「上手いこと行くか!自分でボディーガードとか言うてる時点で怪しさ満点だろ!」
男子達の代表のように吉田くんが呆れ顔でツッコむと、教室のあちこちからクスクスと笑い声が漏れ聞こえてくる。
(あれ、もしかしなくても……私達、注目されてる?)
「ってことで〜、琴葉ちゃんから離れてほしいな〜」
さらに笑顔のままポキポキと手を鳴らし始めたので、その威圧感から何かを感じ取ったらしい男子達は急にしっぽを巻いたように逃げ出した。
「琴葉ちゃーん、入学初日からナンパに引っ掛からんといてよ〜、俺ひやひやしたわ〜」
「……え、ナンパ!?」
嘘、今のナンパだったの?
ナンパってチャラ男が繁華街で『ねーねーおねーさん、今一人?俺とお茶でもしなーい?』って声を掛けてくるイメージがあったから、ちょっとビックリ。
耳元で、誰かの声がした。やけに艶っぽい女性の声だ。
(喰う?)
夢にしてはやたらと臨場感のある響き。けれどその内容は穏やかではなく、ふわふわとした心地の良い微睡みが引き潮のように遠ざかっていく。
『ねぇ、あんたの得意なまじないをかけておくれよ。人間の肉なんか百年ぶりなんだ。腹でも壊したら嫌だからね』
『そっとしておいておやり。だいたいあんた、若い男が専門だっただろう?』
傍らに複数の気配を感じた。一体、何の話をしているのだろう?
でも今は、瞼を開けることすら億劫だ。会話の内容は気になるものの、瞼の重みがそれを拒否する。
『それにほら、よく見てごらんよ。この子は―――』
耳元でそよぐ、甘ったるい吐息と囁き。
冷たい、冷たい指先が、すっと―――首筋を撫でた。
「うわぁぁっ!!」
氷のような感触に、眠気が吹っ飛んだ。
悲鳴を上げながら飛び起き、サイドテーブルへ手を伸ばしていた。そこが目覚まし時計の定位置だからだ。
カチリ、と硬いプラスチックの感触。
勢いよく叩き切ったアラーム音がピタリと止まり、心臓が鼓膜を破らんばかりの早鐘を打っていた。
(……夢……?)
冷や汗でパジャマが肌に張り付いている。
荒い息を整えながら周囲を見渡すと、そこは昨日引っ越してきたばかりの自室だった。
「琴葉ちゃん!大丈夫か!?」
勢いよくドアが開いた。
寝癖を豪快につけた保名が、息を切らして飛び込んでくる。その右手には、なぜか札ががっしりと握られていた。
「なんや、今の悲鳴?害虫か!?」
「あ……保名……」
あまりに必死な顔で部屋に突入してきた幼馴染の姿に、心臓の跳ね上がりが少しずつ落ち着いていく。
「……大丈夫だよ。変な夢見ただけ」
「なんや、夢かー」
保名は大げさに胸を撫でおろし、その場にへたり込んだ。
「何もなくて良かったわ」
「ごめん。起こしちゃった」
「全然ええよ〜!元々編集せなあかんから起きてたし」
そういえば、将来の夢は超人気インフルエンサーだったね……。
「二度寝する?俺は部屋で編集しとくわ〜」
「ううん、もう起きるよ。目が覚めちゃったし」
琴葉はサイドテーブルの目覚まし時計を見やった。針は午前六時を指している。
引っ越しの疲れが残っているとはいえ、あの気味の悪い夢の後に二度寝をする気にはとてもなれない。
(それに、今日は入学式だし……遅刻するわけにはいかない!)
「ほな、朝ご飯作るわ」
「え、保名が?」
「なんやその顔」
「だって昨日、荷解きしてる時に『料理は得意やで』って言ってたけど、どうせインスタントとかじゃないの?」
「失礼やなぁ。俺、ちゃんと料理できるで?」
「火事だけは起こさないでね」
「失礼やな〜!卵焼きくらいお手の物やし、味噌汁かてダシから取ったるわ!」
保名は不満げに鼻を鳴らすと、腰に手を当てて部屋から出て行った。
今日は四月九日。
(どうしよう。ついにこの日が来ちゃった……!)
お気に入りのカーディガンに合わせた新品の制服に着替える。スラックスとスカートが選べたけど、可愛かったからスカートにした。
鏡の前で何度もぐるぐる回ってみる。
襟は曲がってない?スカートは変じゃない?
何度目かも分からない確認をしてから、もう一度、全身を見渡した。
一階に降りると、さっきの宣伝通り保名がキッチンに立って朝ご飯を作っていた。
「おはよー、琴葉ちゃん。ちょうど出来たで」
「……」
私は思わず足を止めた。
テーブルの上には、白いご飯に味噌汁、卵焼き。 それから、焼き魚とほうれん草のおひたしまで並んでいる。
「す、凄い!インスタント味噌汁にお湯を注いで『料理できる』とか言い出すタイプだと思ってた」
「琴葉ちゃん、俺のことなんやと思ってんの!?」
「超人気インフルエンサーを夢見る、朝五時から山道を四キロ走る陰陽師」
次の瞬間、保名の手が胸元に伸びてきて
「リボン曲がってるで〜」
そのまま制服のリボンを軽く引っ張って、位置を直してくれた。
「う、嘘っ!ありがと〜」
わぁ、何されるのかと思ったらリボンを直してくれたんだ。
「高校生になっても変わらんなぁ〜」
私の頭をワシャワシャしながら嬉しそうに笑う保名。
✳✳✳
それから学校に登校し、体育館で入学式をして、それぞれの教室に向かう。
「ねぇねぇ、あの男の子かっこ良いよね〜」
「うんうん」
どこからともなく騒ぎだす女子達。
どうやら他クラスからも見に来ているらしく、保名の周りには人だかりができている。
入学早々こんなに話題になるなんて、すごい人気だよ。まぁ、確かにあのルックスなら無理もないけど……。
さっそく女の子達を敵にまわしてしまいそうだよ。
私は静かに席に座り、遠巻きにその様子を眺めていた。
すると、突然そんな私の元に男の子達が数人近寄り、声をかけてくる。
「やっほー、初めまして」
「ねぇねぇ、名前なんて言うの?」
「えっ……」
少しびっくりしたけれど、話しかけられてちょっと嬉しかった。
同じクラスだから、挨拶してくれたのかな?
何故か男の子ばっかりだけど、自分から声をかけるのは少し緊張するからありがたいかも。
「私は……桜木琴葉です」
私が自己紹介すると、身を乗り出してくる一人の男の子。
「琴葉ちゃんマジで可愛いよね。さっき教室に入ってきた時から気になってたんだー!あ、俺は三組の吉田颯太。良かったら連絡先教えてよ」
「俺も俺も!」
「俺にも教えて!」
吉田くんという人が連絡先を聞いてきた途端、他の男子達もスマホ片手に詰め寄ってくる。
「あ、えっと……」
私はその勢いに圧倒されながらも、スマホを取り出してメッセージアプリを開いた。
何だかさっそく連絡先を聞かれちゃったけど、同じクラスだし良いよね?みんなフレンドリーで良い子そうだし……と思ったら、急に後ろから手が伸びてきて、メッセージアプリを閉じられた。
「悪いけど、琴葉ちゃんには手ぇ出さんといてほしいわー」
その声に振り返ると、いつの間にか女子達の包囲網をくぐり抜けた保名で。
「え?」
吉田くん達も驚いている。
「お、お前、琴葉ちゃんの何なんだよ!」
「えー、気になる〜?」
保名の口元がニッと弧を描く。
「幼馴染兼ボディーガード兼インフルエンサーの、土御門保名やで。よろしく〜!」
親指を立ててドヤ顔を決める保名に、男子達の間に脱力したような空気が流れた。
「はぁ?」
「何言ってんだ、こいつ」
「あらら、俺の自己紹介上手くいかなかったわ〜」
「上手いこと行くか!自分でボディーガードとか言うてる時点で怪しさ満点だろ!」
男子達の代表のように吉田くんが呆れ顔でツッコむと、教室のあちこちからクスクスと笑い声が漏れ聞こえてくる。
(あれ、もしかしなくても……私達、注目されてる?)
「ってことで〜、琴葉ちゃんから離れてほしいな〜」
さらに笑顔のままポキポキと手を鳴らし始めたので、その威圧感から何かを感じ取ったらしい男子達は急にしっぽを巻いたように逃げ出した。
「琴葉ちゃーん、入学初日からナンパに引っ掛からんといてよ〜、俺ひやひやしたわ〜」
「……え、ナンパ!?」
嘘、今のナンパだったの?
ナンパってチャラ男が繁華街で『ねーねーおねーさん、今一人?俺とお茶でもしなーい?』って声を掛けてくるイメージがあったから、ちょっとビックリ。

