犯人の身体で一年間
第四章 会員番号0001
第四章 会員番号0001
『MEMBER 0001』
湊はその表示を何度見ても理解できなかった。
沙耶。
五年前に死んだはずの少女。
それなのに数分前まで電話で話していた。
声を聞いた瞬間に涙が出た理由も分からない。
顔さえまともに思い出せないのに、あの声だけはずっと昔から知っていたような気がした。
ホテルの廊下にはまだ水城の身体をした男がいる。
「沙耶は死んだ」
ドアの向こうからもう一度声がした。
「五年前にな」
「だったら今の電話は何なんだよ」
「知らない」
「会員番号0001」
沈黙。
「知ってるんだろ」
「……」
「答えろよ」
しばらくして男は小さく息を吐いた。
「交換屋がいつできたと思う」
「知らない」
「俺も正確には知らない。ただ少なくとも十五年以上前から存在してる」
「そんな前から?」
「ああ」
「沙耶は最初の会員なんだろ」
「違う」
湊の指が止まる。
「0001なのに?」
「会員番号は登録された人間の順番じゃない」
「じゃあ何の番号だよ」
「保存された記憶の番号だ」
湊はスマートフォンを見る。
MEMBER 0001。
「つまり……」
「沙耶は最初に保存された」
男の声が低くなる。
「人間だ」
保存。
第三章で聞いた言葉が再び頭へ戻ってくる。
交換屋は人間を交換する場所ではない。
記憶を保存し、別の身体へ上書きする場所。
「じゃあ沙耶は」
「身体は死んだ」
「でも記憶は残ってる?」
「可能性はある」
「だったら生きてるじゃないか」
「それを生きていると言えるならな」
湊は答えられなかった。
身体が違っても記憶が同じなら、その人間は同じ人間なのか。
今の自分自身が、その問いから逃げられない。
「一つ聞く」
男が言った。
「Sは自分を沙耶だと言ったのか」
「いや」
「なら決めつけるな」
「でも番号が」
「番号なんて盗める」
「記憶も?」
「盗める」
「……」
「交換屋ではな」
湊はドアノブを握ったまま動かなかった。
何一つ確かなものがない。
顔。
身体。
名前。
記憶。
そして会員番号さえ。
「お前は誰なんだ」
「今それを説明しても信用しないだろ」
「当たり前だ」
「なら聞く意味がない」
「でも一年前に会った」
「ああ」
「俺はお前を知ってる?」
「知ってた」
「何者として」
男は少し黙った。
「交換屋の管理人」
湊は眉を寄せた。
「店員?」
「違う」
「じゃあ」
「店にいた女を覚えてるか」
昨日。
あの店。
静かな店内。
そして自分へ交換を勧めた店員。
「あの人が管理人じゃないのか」
「受付だ」
「受付?」
「あそこにいる人間は店を管理していない。決められた説明をして、希望者を登録して、交換を実行するだけだ」
「じゃあ誰が管理してる」
「分からない」
「お前、管理人って言っただろ」
「そう呼ばれていただけだ」
「何だよそれ」
「俺の仕事は」
男は静かに続ける。
「戻れなくなった人間を処理することだった」
湊の手が止まった。
「処理?」
「ああ」
「どういう意味」
「交換には失敗がある」
「……」
「元の身体へ戻れない」
「そんなことあるのか」
「ある」
「その場合どうなる」
男はすぐには答えなかった。
「新しい身体を与える」
「誰の」
「空いている身体」
「空いてるって何だよ」
「中身がなくなった身体だ」
湊は言葉を失った。
「そんなものが」
「交換を続ければ出てくる」
「どうして」
「戻る前に身体が死ぬこともある。記憶の転送に失敗することもある。戻ることを拒否する人間もいる」
「……」
「そうやって身体だけが残る」
湊は自分の手を見る。
黒瀬直人の手。
「この身体も?」
「黒瀬の身体にはまだ黒瀬が紐づいている」
「俺の身体にいるから?」
「ああ」
「だったら一年後に戻れるんだよな」
男が黙った。
「おい」
「契約上はな」
「何だよ、その言い方」
「交換屋で一年を選んだんだろ」
「選んだんじゃない。そういう条件だった」
「同じことだ」
「違う」
湊はドアへ近づく。
「一年経てば戻れるんだよな」
「相沢湊」
初めて男の声から笑いが消えた。
「何」
「一年後」
少し間を置いて。
「君の身体が残っていればな」
湊は動けなかった。
◇
「どういう意味だよ」
「そのままだ」
「黒瀬が俺の身体にいる」
「ああ」
「だったら残るだろ」
「どうしてそう言い切れる」
「……」
「黒瀬が一年間、君の身体を守る保証は?」
湊は答えられない。
「事故」
「……」
「病気」
「……」
「それ以外にも身体を失う理由はいくらでもある」
「黒瀬がまた交換する可能性も?」
「ある」
「でも契約中だ」
「交換屋の契約を律儀に守る男だと思うか」
思わない。
むしろ黒瀬自身が交換屋の古い会員なら、抜け道を知っている可能性が高い。
「じゃあ俺は」
「一年間」
男。
「自分の身体を守れない」
その言葉は、今まで聞いたどんな説明より恐ろしかった。
一年間戻れない。
それだけだと思っていた。
時間さえ過ぎれば元へ戻れる。
だから耐えればいい。
けれど違う。
一年後に戻る場所そのものがなくなる可能性がある。
「黒瀬を探す」
「やめておけ」
「俺の身体だぞ」
「だからだ」
「何が」
「今の君が黒瀬へ近づけば警察にも近づく」
「……」
「忘れたのか」
事件。
相沢家。
黒瀬直人の身体が現場付近にいた。
そして今、自分はその身体で生活している。
「警察は黒瀬を疑ってる?」
「疑っているどころじゃない」
「何」
「今日の午後」
男は淡々と言った。
「黒瀬直人に逮捕状が出た」
湊の背中に冷たいものが走った。
「……俺に?」
「身体にな」
意味は分かる。
それでも気持ちは追いつかない。
「俺はやってない」
「警察には関係ない」
「証明できる」
「どうやって」
「俺は相沢湊だって」
「もっと悪くなるぞ」
「なんで」
「家族を失った青年が、事件直後に容疑者の身体へ入りました」
「……」
「誰が信じる」
湊は黙った。
「しかも交換屋の存在を説明する必要がある」
「説明すれば」
「警察の中にも会員がいる」
「……」
「誰が敵か分からない」
湊はドアから手を離した。
逃げるしかない。
少なくとも今は。
◇
「一つだけ答えて」
「何だ」
「家族を殺したのは本当に相沢湊なのか」
男は黙った。
「さっきそう言ったよな」
「言った」
「どの湊だよ」
「それが分からない」
「三人いるって」
「現存している記憶個体が三人というだけだ」
「その言い方やめろ」
「事実だ」
「人間だろ」
「それを決めるのは俺じゃない」
湊は歯を食いしばった。
「一人は俺」
「ああ」
「もう一人は今俺の身体にいる黒瀬?」
「違う」
「え?」
「黒瀬は黒瀬だ」
「じゃあ三人の湊って」
「同じ記憶データを基に作られた三人」
「どこにいる」
「一人は君」
「あと二人」
「一人は分からない」
「もう一人は?」
沈黙。
「知ってるんだな」
「ああ」
「誰」
「会ったことがある」
「俺が?」
「毎日」
湊の眉が動く。
「毎日?」
「少なくとも昨日までは」
「誰だよ」
「今ここで言っても君は信じない」
「言え!」
男は少しだけ間を置いた。
「相沢修一」
湊の思考が止まった。
「……父さん?」
「の身体にいた人間だ」
「待って」
「五年前から君の父親ではなかった」
「それは聞いた」
「中にいたのは」
男。
「相沢湊の複製記憶だ」
湊は壁へ背中を預けた。
「父さんが……俺?」
「そうだ」
「そんな」
「だから君の父親は君を異常なほど理解していた」
記憶。
進路。
友人。
好きなもの。
嫌いなもの。
自分でも忘れている幼い頃の話。
父はいつも知っていた。
「でも年齢が」
「身体の年齢は関係ない」
「じゃあ五年前」
「君の父親の身体に、相沢湊の記憶が入った」
「十二歳の俺の?」
「ああ」
「十二歳の俺が父さんとして五年間生きた?」
「正確には違う」
「何が」
「保存されていた湊の記憶は、十二歳の君と完全には同じじゃない」
「どういう意味」
「記憶には」
男は静かに言った。
「君が経験していないものまで含まれていた」
湊は何も言えなかった。
◇
頭の奥で、何かが繋がりかける。
五年前。
自分が二人いた。
交換屋。
父。
沙耶。
そして二十四の相沢湊。
「俺の元になった記憶は誰のものなんだ」
「それを知るために一年前の君は交換屋を調べていた」
「答えは見つかった?」
「見つけた」
「何だった」
「だから記憶を消した」
「答えて」
「俺から聞くべきじゃない」
「ふざけんなよ!」
湊はドアを叩いた。
「俺の人生だぞ!」
「そう思っているから言えない」
「何だよそれ!」
「一年前の君に頼まれた」
湊は止まった。
「何を」
「もしまた交換屋へ来ても」
男。
「真実を俺の口から教えないでくれと」
「俺が?」
「ああ」
「なんで」
「自分で思い出さなければ意味がないと言っていた」
また。
一年前の自分。
全部知っていた自分。
今の自分より遥かに先へ進んでいた。
それなのに自ら記憶を消した。
「一年前の俺は」
「何だ」
「何を怖がってた」
男はしばらく答えなかった。
「自分だよ」
「……」
「相沢湊が何者なのか知ることより」
一拍。
「自分が何をしたのか思い出すことを怖がっていた」
◇
午後八時二十七分。
男は帰った。
正確には姿を消した。
湊がもう一度ドアスコープを覗いた時には、廊下には誰もいなかった。
追う気にはなれなかった。
ホテルを変える。
それが先だった。
逮捕状が出ているなら、黒瀬の名前で取ったこの部屋も長くはいられない。
荷物をまとめる。
ノート。
スマートフォン。
財布。
会員証のコピー。
そして部屋を出ようとした時だった。
スマートフォンが震えた。
S。
『まだホテル?』
湊は立ち止まる。
『なんで分かる』
『説明してる時間ない』
『今から出る』
『正面はダメ』
『警察がいる』
湊はカーテンの隙間から下を見る。
ホテル前。
パトカーはない。
普通の車。
数台。
『見えない』
『私服』
『どこから出ればいい』
『非常階段』
湊は返信しかけて止める。
『信用していいのか』
既読。
少し間。
『ダメ』
意外な答え。
『私も信用しないで』
続けて。
『でも今だけは非常階段を使って』
『理由は』
『正面にいる刑事の中に』
一拍。
『あなたのお母さんがいる』
湊の指が止まった。
「……は?」
『母さんは死んだ』
『身体は』
湊の呼吸が浅くなる。
『どういうこと』
『あなたはまだ分かってない』
『交換屋では』
次。
『死んだ人の身体も使える』
「……」
『条件は』
『脳が完全に機能を失う前に記憶を書き込むこと』
湊は画面を見つめた。
『そんなの』
『だから逃げて』
『待て』
『母さんの身体に誰がいる』
既読。
返事がない。
『沙耶?』
既読。
『お前なのか』
数秒。
『違う』
『じゃあ誰』
返事。
『たぶん』
一拍。
『あなた』
◇
湊は非常階段へ向かった。
頭がおかしくなりそうだった。
父の身体にも自分。
母の身体にも自分。
自分自身も自分。
そして他にもいる。
相沢湊。
その名前がもう自分のものに思えない。
七階。
六階。
五階。
足音を殺して降りる。
四階。
その時。
下から音。
カツ。
カツ。
誰か上がってくる。
湊は止まった。
逃げる?
上へ戻る?
非常階段の扉。
五階。
開ける。
鍵。
開かない。
「嘘だろ」
足音。
近づく。
カツ。
カツ。
三階。
四階。
湊は階段を上がろうとする。
「湊」
声。
足が止まった。
聞き間違えるはずがない。
「……母さん?」
階段の下。
ゆっくり人影が現れる。
女性。
相沢恵美。
昨日亡くなった母。
同じ顔。
同じ髪。
いつも着ていたベージュのコート。
湊は手すりを握った。
「母さん……」
女性は階段の途中で止まる。
「その名前で呼ばないで」
湊の顔から表情が消える。
「誰」
「分からない?」
「母さんじゃない」
「そう」
「誰だよ」
女性は少し悲しそうに笑った。
「五年前も」
一段上がる。
「一年前も」
さらに一段。
「あなたは同じ顔をした」
湊は後ずさる。
「誰なんだよ」
女性は答えない。
「沙耶?」
反応。
ほんの少し。
「……」
「沙耶なのか」
「その名前」
女性。
「思い出したんだ」
湊の胸が強く鳴る。
「S?」
女性は首を横に振る。
「違う」
「じゃあ」
「Sは私じゃない」
「でも沙耶を知ってる」
「知ってる」
「誰なんだ」
女性は湊を見る。
「私は」
一拍。
「相沢恵美」
「嘘だ」
「そうね」
「母さんは死んだ」
「ええ」
「じゃあ中にいるのは」
女性は静かに言った。
「相沢恵美」
湊は混乱する。
「意味分かんない」
「身体も母さん」
「ええ」
「記憶も?」
「相沢恵美」
「じゃあ母さんじゃん」
「違う」
「何が!」
「私は」
母の顔。
母の声。
母の記憶を持った人間。
その口から。
「あなたを産んでいない」
湊は言葉を失った。
◇
「どういう意味」
「記憶を持っているだけ」
「何を」
「あなたのお母さんの」
「だったら」
「記憶は同じでも」
女性は自分の胸へ手を置く。
「私は昨日作られた」
湊は何も言えない。
「事件の直後」
「……」
「身体が完全に死ぬ前に」
「誰が」
「交換屋」
「なんで」
「保存されていた恵美の記憶を戻した」
「母さんの記憶が保存されてた?」
「そう」
「いつ」
「五年前」
また五年前。
「父さんの時?」
「全部始まった日」
「何があった」
「まだ思い出せない?」
「分からない!」
「沙耶は?」
「名前だけ」
「顔は?」
「写真で見た」
「それだけ?」
「それだけだよ!」
女性は目を伏せた。
「そう」
少し寂しそうだった。
その表情まで母と同じ。
「なら」
女性。
「まだ会わせられない」
「誰に」
「最初の湊」
湊の心臓が跳ねた。
「最初?」
「二十四人作られたって聞いたでしょう」
「……」
「あなたは二十四番目じゃない」
「え?」
「会員番号0418は身体の登録番号」
「じゃあ」
「記憶の個体番号は別」
「俺は何番」
女性は答えない。
「何番なんだよ」
「二十三」
湊は息を止めた。
「じゃあ二十四番目は」
「昨日」
「……」
「あなたの家族を殺した」
階段が静まり返る。
「犯人?」
「そう」
「どこにいる」
「分からない」
「嘘だ」
「本当に」
「母さんの記憶があるなら」
「事件の記憶はない」
「なんで」
「保存されたのが事件前だから」
「いつまで」
「昨日の午後六時」
「事件は?」
「午後十時過ぎ」
四時間。
その間の母を、この女性は知らない。
「じゃあ最後の四時間に」
「何かあった」
「……」
「それを知っている恵美はもういない」
湊は拳を握った。
「二十四番目の俺を探す」
「やめなさい」
「家族を殺したんだろ」
「そう聞いている」
「だったら」
「でも」
女性は湊を見る。
「二十四番目は」
一拍。
「自分が犯人だと思っていない」
「……」
「むしろ」
母の顔をした女性は言った。
「あなたが家族を殺したと思っている」
湊は動けなかった。
◇
「俺が?」
「そう」
「俺は大学にいた」
「証明できる?」
「友達が」
「その友達が見ていたのは身体」
「……」
「中身まで確認した?」
できるはずがない。
「俺は覚えてる」
「記憶」
「……」
「交換屋では一番信用できないもの」
女性は静かに言った。
「二十四番目にも同じ記憶がある」
「何」
「昨日の午後十時」
「……」
「自分は大学にいたと思っている」
「じゃあ誰が」
「だから」
女性。
「分からないの」
「でも家族は」
「死んだ」
「黒瀬の身体が現場にいた」
「いた」
「俺の複製も?」
「いた」
「俺自身は?」
「いた」
湊は呼吸を止めた。
「……何?」
「防犯カメラ」
「嘘だ」
「三人映っている」
「誰」
「黒瀬直人」
一人。
「相沢湊」
二人。
「そして」
女性は続ける。
「もう一人の相沢湊」
三人。
同じ身体が二人いる?
「ありえない」
「身体は違う」
「じゃあ」
「顔だけ同じ」
「どうやって」
「五年前」
女性。
「交換屋はあなたの身体を複製した」
湊は笑った。
笑うしかなかった。
「もう何でもありじゃん」
「そう思う?」
「人の記憶移して、死んだ人戻して、今度は身体まで作った?」
「違う」
「何が違うんだよ」
「身体を作ったんじゃない」
「じゃあ」
「顔を変えた」
女性。
「別人の身体を」
「……」
「あなたと同じ顔に」
湊は額を押さえた。
だから。
見た目さえ信用できない。
「二十四番目は」
「あなたと同じ顔」
「年齢も?」
「ほぼ同じ」
「どこにいる」
「分からない」
「そいつを見つければ」
「事件の真相に近づく」
「だったら探す」
「でも先に」
「何」
女性は湊へ一歩近づく。
「沙耶を探して」
「なんで」
「二十四番目を作ったのは」
少し間。
「沙耶だから」
湊の表情が変わった。
◇
その瞬間。
非常階段の上。
扉が開いた。
「警察だ!」
声。
女性が振り返る。
「来た」
「逃げるぞ」
「私は無理」
「何言って」
「この身体は死亡確認されてる」
「だからって」
「見つかった方が問題になる」
「じゃあ」
「下へ行って」
「母さん」
「その呼び方」
女性は一瞬だけ笑った。
「嫌いじゃない」
湊の胸が痛くなる。
偽物。
そう言われても。
声。
表情。
目。
全部母だった。
「また会える?」
「分からない」
「連絡は」
「できない」
「じゃあ」
足音。
上から近づく。
「行って!」
「でも」
「湊!」
その呼び方。
母。
湊は歯を食いしばり階段を駆け下りた。
三階。
二階。
一階。
非常口。
外。
冷たい夜。
走る。
振り返らない。
後ろから声。
「止まれ!」
走る。
細い路地。
曲がる。
さらに走る。
どこへ行けばいい。
分からない。
それでも走った。
◇
午後九時四十六分。
湊は駅から離れた小さな公園にいた。
息を整える。
スマートフォン。
Sへ送る。
『沙耶を探せって言われた』
既読。
『誰に』
『母さん』
返事が止まる。
『正確には母さんの記憶を入れられた人』
既読。
『その人が』
『二十四番目の俺を作ったのは沙耶だって』
長い沈黙。
『S』
『お前が沙耶なら答えて』
既読。
『俺の家族を殺したのか』
一分。
二分。
三分。
返事なし。
『答えろ』
既読。
ようやく。
『違う』
『じゃあ二十四番目を作った?』
既読。
『作った』
湊の指が止まる。
『なんで』
『必要だったから』
『何に』
返事。
『あなたを殺すため』
湊は息を止めた。
『俺を?』
『そう』
『じゃあ敵じゃん』
『違う』
『何が違うんだよ』
既読。
『二十四番目に殺してほしかったのは』
一拍。
『今のあなたじゃない』
次。
『五年前の相沢湊』
意味が分からない。
『五年前の俺は十二歳だ』
『違う』
『何が』
返事。
『あなたはまだ』
『自分が五年前に生まれたと思ってる』
湊は画面を見る。
『俺は二十歳だ』
『身体はね』
その言葉。
何度も聞いた。
『じゃあ記憶は』
既読。
『あなたの記憶が作られたのは』
次。
『五年前』
「……」
湊はベンチへ座った。
『それ以前の記憶は』
『全部』
一拍。
『誰かのもの』
湊は目を閉じる。
幼稚園。
小学校。
誕生日。
父。
母。
美咲。
夏休み。
運動会。
全部。
誰かの記憶。
『誰の』
返事が来ない。
『誰の記憶なんだ』
既読。
『会員番号』
『0000』
湊の眉が動く。
『0001が沙耶だろ』
『そう』
『0000って誰』
しばらくして。
『交換屋を作った人』
湊の指が震える。
『名前は』
既読。
返事。
『相沢湊』
世界が静かになった。
「……俺?」
『違う』
『あなたじゃない』
『最初の相沢湊』
湊は画面を見つめる。
『そいつはどこにいる』
既読。
『五年前に死んだ』
また。
死んだ人間。
『じゃあ俺は』
『その人の記憶を複製して作られた』
『そう』
『父さんの身体にいた俺も』
『そう』
『二十四番目も』
『そう』
『じゃあ俺たちは』
湊は打つ手を止めた。
人間?
コピー?
記憶?
何と呼べばいい。
Sから先にメッセージ。
『あなたたちは全員』
一拍。
『相沢湊』
次。
『でも』
『最初の相沢湊ではない』
湊はスマートフォンを握った。
『最初の俺は何をした』
返事。
『交換屋を作った』
『なんで』
『死にたくなかったから』
湊は目を閉じる。
『病気?』
『違う』
『じゃあ』
『殺されることを知ってた』
『誰に』
長い沈黙。
そして。
『私に』
湊の呼吸が止まる。
『沙耶が?』
『そう』
『なんで』
『それを知るには』
次。
『会員番号0001の記憶を見るしかない』
『どうやって』
返事。
『交換屋へ戻って』
湊は画面を見る。
あの店。
すべてが始まった場所。
『今警察に追われてる』
『知ってる』
『店まで行けない』
『行ける』
『どうやって』
S。
『店は場所じゃない』
湊は眉をひそめる。
『どういう意味』
『交換屋は』
次。
『会員が必要とした場所に現れる』
「……」
最初の日。
家族を失ったあと。
ふらふら歩いて。
気づけば知らない店があった。
今まで見たことがない店。
あの日だけ存在していたような場所。
『じゃあどうすれば』
『歩いて』
『どこを』
『どこでもいい』
『そして』
一拍。
『本当に元の身体へ戻りたいと思って』
湊は画面を見つめた。
『一年戻れない』
『通常なら』
『通常?』
『あなたは特別会員』
『なんで』
『0000の複製だから』
湊の心臓が速くなる。
『戻れるのか』
既読。
『条件がある』
『何』
返事。
『今の身体を』
少し間。
『次の会員に渡すこと』
湊は自分の手を見る。
黒瀬直人。
『それって』
『あなたが元へ戻れば』
次。
『誰かが黒瀬直人になる』
湊は理解する。
一年間という契約。
戻れないのではない。
次の人間が来るまで。
この身体を手放せない。
『誰でもいいのか』
『会員なら』
湊は嫌な予感がした。
『もし誰も希望しなかったら』
『一年』
最初の条件。
やっと意味が分かった。
一年後。
強制的に交換される。
それまでは次の人間が現れれば早く戻れる。
『じゃあ俺が元に戻ったら』
『黒瀬は?』
返事がない。
『俺の身体にいる黒瀬はどうなる』
既読。
『押し出される』
『どこへ』
長い沈黙。
『空いている身体』
湊の胸がざわつく。
『なかったら』
既読。
『消える』
「……」
元に戻る。
そのためには。
黒瀬直人を消す可能性がある。
家族を殺した犯人かもしれない男。
でも。
犯人ではないかもしれない。
湊は顔を上げた。
公園の向こう。
住宅街。
街灯。
その先。
さっきまでなかったはずの細い路地。
暗い道。
奥。
一軒の店。
小さな看板。
『交換屋』
「……嘘だろ」
スマートフォン。
S。
『見つけたね』
湊は立ち上がる。
ゆっくり歩く。
店。
近づく。
ドア。
前回と同じ。
ベル。
カラン。
中へ。
「いらっしゃいませ」
店員。
同じ女性。
何事もなかったようにカウンターにいる。
「お待ちしていました」
「俺を知ってる?」
「もちろんです」
「一年前も?」
「はい」
「五年前も?」
女性は笑う。
「はい」
「俺は誰なんですか」
「その質問にこちらから答えることは禁止されています」
「じゃあ0001」
店員の笑顔が消える。
「沙耶の記憶を見せて」
「できません」
「特別会員ならできるって聞いた」
「誰から」
「S」
店員は黙った。
「会員番号0001」
「……」
「保存されてるんだろ」
長い沈黙。
やがて店員はカウンターの下から一枚のカードを取り出した。
真っ白。
中央。
『0001』
「見ることは可能です」
「じゃあ」
「ただし条件があります」
「また条件?」
「記憶を見るということは」
店員。
「一時的にその人になるということです」
「……」
「沙耶の記憶を見ている間」
「俺は?」
「眠ります」
「どれくらい」
「こちらでは分かりません」
「戻れる?」
「通常は」
「通常はって」
「記憶側が身体を返さない場合があります」
湊はカードを見る。
「沙耶が俺の身体を奪うかもしれない?」
「黒瀬直人様の身体です」
「今は俺だ」
「そうですね」
「もし返さなかったら」
「あなたは0001の保存領域に残ります」
湊は笑った。
「つまり俺がデータになる?」
「簡単に言えば」
「最悪だな」
「おやめになりますか」
湊は黙った。
家族。
父。
母。
美咲。
黒瀬。
水城。
S。
五年前。
二十四人の自分。
そして。
すべての始まり。
会員番号0000。
最初の相沢湊。
「やります」
「よろしいのですか」
「ここまで来て帰れない」
「分かりました」
店員がカードを差し出す。
「最後に一つ」
「何」
「0001の記憶の中では」
「……」
「自分が相沢湊だということを忘れないでください」
「どういう意味」
「他人の記憶を長時間体験すると」
店員。
「自分と他人の境界がなくなります」
「……」
「戻りたいと思った時」
「はい」
「自分の名前を三回言ってください」
「相沢湊」
「今ではありません」
「分かってます」
「そして」
店員は湊を見つめる。
「もし記憶の中に」
一拍。
「あなた自身が現れても」
「……」
「話しかけないでください」
「なんで」
女性は答えない。
「何が起きる」
「分かりません」
「そんな説明ある?」
「前例が一件しかありませんので」
「誰」
店員。
「一年前のあなたです」
湊は動けなくなる。
「俺は一年前」
「0001の記憶を見ています」
「……」
「そして」
女性。
「そこで自分自身と会話しました」
「それで?」
「戻ったあと」
一拍。
「記憶を消すことを希望されました」
全部。
ここにつながる。
一年前。
自分は沙耶の記憶を見た。
そこで何かを知った。
そして。
自分から忘れた。
「俺は何を見た」
「それを」
店員は0001のカードを湊へ差し出す。
「これから確認するのでは?」
湊はカードを受け取った。
冷たい。
「準備は?」
「できてます」
「では」
店員がカウンターの奥にある扉を開く。
白い部屋。
椅子。
一脚。
湊は座る。
店員がカードを機械へ入れる。
『MEMBER 0001』
画面。
『記憶接続』
数字。
1%。
5%。
12%。
「一年前の俺もここに?」
「はい」
「最後に一つだけ」
「何でしょう」
「一年前の俺」
「……」
「記憶を見る前と後で変わってた?」
店員は少し考えた。
「はい」
「どんなふうに」
「入る前は」
数字。
31%。
「家族を助けたいとおっしゃっていました」
47%。
「出たあとは?」
店員。
「家族を」
63%。
一拍。
「自分から守らなければならないと」
湊の呼吸が止まる。
78%。
「俺から?」
「はい」
91%。
「待って」
『接続完了』
「ちょっと待て!」
視界が白くなる。
音が消える。
身体の感覚。
遠くなる。
そして。
◇
目を開ける。
知らない天井。
子供の手。
小さい。
湊は起き上がる。
「ここ……」
声。
違う。
少女の声。
鏡。
そこに映っている。
十二歳くらいの女の子。
沙耶。
これは記憶。
五年前。
いや。
もっと前。
部屋の外。
誰かの声。
『沙耶』
少女の身体が反応する。
『起きてる?』
ドア。
開く。
一人の少年。
十二歳くらい。
見覚えのある顔。
相沢湊。
しかし。
湊はすぐに気づいた。
写真で見た自分とは少し違う。
目。
声。
表情。
そして何より。
少年は十二歳ではない。
その目だけが。
大人だった。
「……0000」
湊は思わず呟いた。
少年が止まる。
本来。
記憶の中の人物はこちらを認識しないはず。
なのに。
少年。
こちらを見る。
「今」
湊の背中が冷たくなる。
「何て言った?」
店員の言葉。
『もし記憶の中にあなた自身が現れても』
『話しかけないでください』
湊は黙る。
少年が近づく。
「沙耶?」
違う。
これは記憶。
反応してはいけない。
しかし少年は。
湊の目を真っ直ぐ見る。
「お前」
一歩。
「沙耶じゃないな」
湊は動けない。
「誰だ」
少年。
最初の相沢湊。
会員番号0000。
五年前に死んだはずの人間。
その少年が。
記憶の中から。
現在の湊を見ている。
「……まさか」
少年は笑った。
「成功したのか」
湊の心臓が跳ねる。
「何が」
言ってしまった。
少年の笑みが深くなる。
「やっと来た」
「……」
「二十三番目」
湊は息を止めた。
「なんで」
少年が知っている。
自分が。
二十三番目だと。
「待ってたよ」
少年。
0000。
最初の相沢湊。
そして。
「五年前から」
記憶の中の少年が。
現在の湊へ向かって手を伸ばした。
「今度こそ」
一拍。
「身体を返してもらう」
第四章 会員番号0001 完
――第五章「最初の相沢湊」へ続く。