犯人の身体で一年間

第五章 最初の相沢湊


第五章 最初の相沢湊


「身体を返してもらう」

 その言葉を聞いた瞬間、湊は息の仕方を忘れた。

 目の前にいるのは十二歳ほどの少年で、顔は幼い頃の自分とほとんど同じなのに、その目だけは子供のものではなかった。

 静かで、冷たく、それでいて長い時間を待ち続けてきた人間の目をしている。

「返すって……」

 湊はようやく声を出した。

「何を」

 少年は少し笑った。

「聞こえなかった?」

「この身体は黒瀬のものだ」

「今はね」

「だったらお前の身体じゃない」

「そういう意味じゃないよ」

 少年はゆっくり近づいてくる。

 ここは沙耶の記憶の中。

 現実ではない。

 分かっている。

 それでも足音が聞こえるたび、湊は後ろへ下がった。

「君が使ってる身体なんてどうでもいい」

「じゃあ何を返せって」

「相沢湊」

「……」

「その名前」

 少年は自分の胸を指した。

「その記憶」

 そして最後に。

「その人生」

 湊の表情が固まった。

「全部」

 一拍。

「元々は俺のものだから」


◇


「ふざけんな」

 自然に言葉が出た。

「俺は俺だ」

「そう思うよね」

「思うんじゃない」

「じゃあ証明して」

 第四章で聞いた言葉と似ていた。

 身体。

 名前。

 記憶。

 家族。

 何を使えば、自分が自分だと証明できるのか。

「俺には家族がいる」

「俺にもいた」

「父さんと母さんと美咲」

「知ってる」

「お前の家族じゃない」

「本当に?」

「……」

「君が覚えているお父さんとの思い出」

 少年。

「小学四年生の夏、海へ行った」

 湊の指が止まる。

「帰りに車が故障して、三時間くらい海沿いの駐車場で待った」

「なんで」

「その時お父さんが買ってくれたアイスを、君は落とした」

「……」

「泣いてたら美咲が半分くれた」

「やめろ」

「小学六年生」

「やめろ」

「運動会の前日に熱を出した」

「やめろって」

「それでも走りたいって泣いて、当日の朝までお母さんと喧嘩した」

「黙れ!」

 声が部屋に響いた。

 少年は黙った。

 全部覚えている。

 湊自身の記憶として。

「なんで知ってる」

「だから言っただろ」

 少年は笑わない。

「それは俺の記憶だ」

「違う」

「君の頭に入っているだけ」

「違う!」

「なら」

 少年。

「君自身の最初の記憶は?」

「……」

「コピーされたものじゃない」

 一歩近づく。

「君が生まれてから初めて経験した、君だけの記憶」

 湊は答えようとした。

 幼稚園。

 違う。

 小学校。

 違う。

 家族旅行。

 違う。

 全部0000の記憶かもしれない。

「五年前」

 少年が言った。

「そこからだよ」

「何が」

「君の人生」

 湊は顔を上げる。

「五年前の九月二十七日」

「……」

「午後四時十一分」

「何があった」

「君が生まれた」

「俺は十五歳だった」

「身体はね」

 またその言葉。

 身体は。

「その日の午後四時十一分より前にある記憶は全部」

 少年は自分の頭を指す。

「俺のものだ」


◇


 湊は何も言えなかった。

 認めたくない。

 けれど第四章でSから聞いた話とも一致する。

 現在の自分の記憶が作られたのは五年前。

 それ以前は誰かの記憶。

 そして0000。

 最初の相沢湊。

「じゃあ五年前に」

「俺の記憶を複製した」

「誰が」

「交換屋」

「お前が作った店だろ」

「正確には違う」

「何が」

「交換屋を作ったのは俺一人じゃない」

「誰と」

 少年は答えない。

「沙耶?」

 表情がわずかに変わった。

「やっぱり」

「……」

「沙耶と作ったんだな」

「最初は店じゃなかった」

「じゃあ何だった」

 少年は少しだけ視線を落とした。

「助けたかった」

「誰を」

「沙耶を」

 湊は黙る。

「沙耶は病気だった」

「……」

「長く生きられないと言われてた」

「だから記憶を保存した?」

「最初はそれだけだった」

 少年は窓へ視線を向ける。

 記憶の中の夕方。

 カーテンの隙間から橙色の光が差している。

「忘れたくなかった」

「沙耶を?」

「ああ」

「死んでも?」

「死ぬから」

 少年は小さく笑った。

「残したかった」

 その笑いには、さっきまでの冷たさがなかった。

「声も」

「……」

「考え方も」

「……」

「好きだったものも、嫌いだったものも、俺にしか見せなかった顔も」

 湊は何も言わない。

「全部」

 少年。

「消えるのが怖かった」

「それが交換屋の始まり?」

「記憶保存装置の始まり」

「そんなもの十二歳の子供が作れるわけない」

「そうだね」

「じゃあ誰が」

「大人がいた」

「誰」

 少年は答えない。

「そこだけ言わないんだな」

「まだ早い」

「またそれかよ」

「君は一年前も同じことを言った」

 湊の表情が変わる。

「一年前の俺と会った?」

「ここでね」

「何を話した」

「今とほとんど同じ」

「だったら最後まで教えろよ」

「教えた」

「……」

「一年前は」

 少年。

「全部教えた」

 湊は息を止めた。

「それで俺は記憶を消した?」

「ああ」

「なんで」

「耐えられなかったから」

「何に」

 少年は湊を見る。

「自分が家族を作った理由に」


◇


「家族を作った?」

「言葉通りだよ」

「意味が分からない」

「相沢修一」

 父。

「相沢恵美」

 母。

「相沢美咲」

 妹。

「三人とも」

 少年。

「最初から君の家族だったわけじゃない」

「何言って」

「記憶を入れた」

「誰の」

「俺の」

「……」

「正確には俺が持っていた家族の記憶」

 湊は眉を寄せる。

「待てよ」

「何」

「父さんたちにも過去がある」

「ある」

「親戚も」

「いる」

「仕事も学校も戸籍も全部」

「ある」

「だったら」

「記録は作れる」

 少年は淡々と言った。

「交換屋が人間の記憶を書き換えられるなら、周囲の人間へ家族が昔からいたという記憶を持たせることもできる」

「そんな」

「写真も作れる」

「……」

「記録も」

「……」

「戸籍も」

「やめろ」

「でも」

 少年は湊を見る。

「一つだけ作れない」

「何」

「時間」

 湊は黙る。

「本当に一緒に過ごした時間だけは作れない」

「俺にはある」

「記憶としてはね」

「違う」

「どう違う」

「俺は父さんと」

 言葉が止まる。

 記憶。

 思い出。

 感情。

 全部ある。

 でも。

 それが本当に自分が経験したものなのか証明できない。

「家族は偽物だったって言いたいのか」

「違う」

「じゃあ何だよ」

「家族になったんだ」

 少年の声は静かだった。

「最初が偽物でも」

「……」

「五年間一緒に生きた」

「……」

「君を心配して、怒って、笑って」

「……」

「それは本物だった」

 湊は顔を伏せた。

 その言葉だけは。

 否定したくなかった。


◇


「美咲も?」

「何」

「妹も誰かの記憶を入れられた人間?」

 少年が黙る。

「答えろよ」

「美咲は違う」

「じゃあ」

「彼女だけは」

 一拍。

「最初から存在していた」

「どういうこと」

「美咲は交換屋とは関係ない」

「だったらなんで家族になった」

「選ばれた」

「誰に」

「君に」

 湊は眉を寄せる。

「俺?」

「五年前の君が選んだ」

「覚えてない」

「消されてるから」

「何を基準に」

「分からない」

「お前は全部知ってるんじゃないのか」

「俺にも知らないことはある」

「美咲は」

 湊は言葉を詰まらせる。

 昨日。

 家。

 家族。

 そして事件。

「本当に死んだのか」

 少年は答えない。

「おい」

「その質問は」

「何」

「沙耶の記憶で確認した方がいい」

「今見てるだろ」

「まだ入口だよ」

 湊は周囲を見る。

 子供部屋。

 五年前よりさらに昔の記憶。

「どうすれば先へ行ける」

「俺から離れればいい」

「何」

「本来、この記憶に俺と会話する場面はない」

「じゃあ」

「君が俺へ話しかけたせいで止まってる」

 店員の忠告。

 話しかけないでください。

「最初から知ってたのか」

「一年前も同じだった」

「俺はどうした」

「俺と話した」

「それから」

「俺についてきた」

「どこへ」

 少年は部屋のドアを見る。

「交換屋が生まれた日」

 湊は息を呑んだ。


◇


 ドアが開く。

 廊下ではない。

 白い部屋。

 壁。

 天井。

 床。

 すべて白。

 中央に椅子が二脚。

 一脚には少女が座っている。

 沙耶。

 十二歳くらい。

 目を閉じている。

 頭には複数の電極。

「これ」

「最初の保存」

 少年。

「沙耶の記憶?」

「ああ」

 白衣の大人たちがいる。

 顔は見えない。

 記憶だからなのか。

 意図的に隠されているのか。

 一人。

 二人。

 三人。

 そして奥。

 一人だけ椅子に座る男。

「誰」

「見ない方がいい」

「なんで」

「一年前もそこで失敗した」

「何を」

 湊は男へ近づく。

 顔。

 見えない。

 さらに。

 一歩。

 すると突然。

 頭の奥へ鋭い痛みが走った。

「っ!」

 視界が歪む。

 男の顔。

 一瞬だけ見える。

「……え?」

 知っている。

 どこかで。

「誰だ」

 もう一度見ようとする。

 少年が湊の肩を掴んだ。

「やめろ」

「離せ」

「そこはまだ見るな」

「知ってる顔だった」

「だからだ」

「誰なんだよ!」

 少年は答えない。

 その時。

 沙耶が目を開けた。

「湊」

 少年が振り返る。

「沙耶?」

「怖い」

 声。

 震えている。

 少年はすぐそばへ行く。

「大丈夫」

「本当に戻れる?」

「戻れる」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃない」

「もし戻れなかったら」

 少年は沙耶の手を握る。

「俺が迎えに行く」

「どこに」

「どこでも」

「死んでも?」

「うん」

「忘れても?」

「忘れない」

 沙耶は泣きながら笑う。

「約束?」

「約束」

 湊は二人を見ていた。

 子供同士。

 ただ大切な人を失いたくなかった。

 それだけだった。

 少なくとも。

 この時までは。


◇


 機械が動く。

 画面。

『MEMORY SAVE』

 1%。

 12%。

 23%。

 沙耶の表情が苦しそうになる。

「沙耶?」

 少年が立ち上がる。

 白衣の一人が止める。

『動かないで』

『でも』

『正常です』

『苦しそうだ』

『正常です』

 48%。

「湊」

 沙耶。

「何」

「手」

「握ってる」

「離さないで」

「離さない」

 62%。

 警告音。

 ピッ。

 ピッ。

 白衣の人間たちが動く。

『数値低下』

『処理を中断』

『できません』

『なぜ』

『記憶領域が分離しています』

『何だそれ』

『二つあります』

 少年が顔を上げる。

『二つ?』

『この子の中に』

 一拍。

『別人の記憶があります』

 湊の背中が冷たくなる。

 沙耶の中に。

 別人?

『誰の』

 白衣の男が画面を見る。

 そして。

 空気が変わった。

『……ありえない』

『何』

『この記憶』

『何なんだよ!』

 男は少年を見る。

『君のものだ』

 湊の呼吸が止まる。

 沙耶の中に。

 相沢湊の記憶。

「どういうこと」

 現在の湊が呟く。

 隣にいる0000は答えない。

「お前の記憶がなんで沙耶の中にある」

「……」

「これが始まり?」

「違う」

「じゃあ」

「もっと前から始まってた」

 0000の顔から表情が消えていた。


◇


 記憶が飛ぶ。

 暗転。

 次。

 病院。

 沙耶。

 ベッド。

 少年。

 0000。

 窓の外は雨。

「成功したの?」

 沙耶が聞く。

「保存はできた」

「じゃあ」

「でも変なものがあった」

「何」

「俺の記憶」

 沙耶は黙る。

「知ってる?」

「……」

「沙耶」

「ごめん」

「何が」

 少女の目から涙が落ちる。

「私」

「何」

「前にもやった」

「何を」

「交換」

 少年は動けない。

「誰と」

「湊」

「……俺?」

「違う」

 沙耶。

「もう一人の湊」

 湊の背中に寒気が走った。

 0000より前。

 相沢湊がいた?

「いつ」

 少年の声が震える。

「三年前」

「俺たち九歳だぞ」

「うん」

「そんな店ない」

「店じゃない」

「じゃあ何」

「病院」

 沙耶は天井を見る。

「ここ」

 湊は周囲を見た。

 病室。

 普通の病院に見える。

「誰がやった」

 少年。

 沙耶は答えようとする。

 しかし。

 音声。

 消える。

「聞こえない」

 湊が言う。

 0000は目を閉じる。

「削除されてる」

「誰に」

「俺だよ」

「お前が?」

「一年前」

「……」

「君がここまで来た時」

 0000は現在の湊を見る。

「この部分を消した」

「なんで」

「知られたくなかった」

「誰を守ってる」

「……」

「沙耶?」

 答えない。

「自分?」

 答えない。

「家族?」

 0000はゆっくり目を開けた。

「違う」

「じゃあ誰」

 その瞬間。

 病室のドアが開く。

 一人の少年が入ってくる。

 九歳くらい。

 湊は息を止めた。

 相沢湊。

 でも。

 0000ではない。

「……誰」

 少年は沙耶を見る。

 そして。

 九歳の0000を見る。

 同じ顔。

 二人。

「この時点で」

 現在の湊。

「もう二人いた?」

「ああ」

「じゃあお前が最初じゃないじゃん」

 0000は答えない。

「会員番号0000」

「……」

「最初の相沢湊」

「そう呼ばれてるだけだ」

「じゃあ」

 湊の声が震える。

「本当の最初は誰なんだよ」

 0000は。

 初めて。

 怯えた顔をした。


◇


 記憶。

 さらに飛ぶ。

 ノイズ。

 声。

 映像。

 幼い沙耶。

 泣いている。

『違う』

 誰かの声。

『こっちじゃない』

 次。

 少年。

 二人。

『どっちが湊なの』

 沙耶。

『分からない』

 次。

 白衣。

 機械。

 記録。

『記憶保持個体 2』

 次。

『一方を削除してください』

 湊は画面を見る。

「削除?」

 次。

 音。

『保存できる記憶は一つだけです』

 次。

『どちらを残しますか』

 沙耶。

 泣いている。

『選べない』

 そして。

 知らない大人の声。

『なら二人とも残しましょう』

 映像が止まる。

「誰」

 湊。

 0000は黙る。

「今の声誰だ」

「……」

「交換屋を作った大人?」

 返事なし。

「お前知ってるだろ」

「知ってる」

「誰」

「君も知ってる」

「誰だよ」

「今も」

 0000。

「君の近くにいる」

 湊の表情が変わる。

「誰」

「それを俺から聞けば」

「……」

「また同じことになる」

「一年前みたいに?」

「ああ」

「記憶を消す?」

「それだけじゃない」

「何した」

 0000は湊を見る。

「君は一年前」

 一拍。

「俺を殺そうとした」

「記憶の中のお前を?」

「違う」

「じゃあ」

「現実の俺を」

 湊は動けない。

「お前は五年前に死んだんじゃ」

「身体はね」

「……」

「記憶は残ってる」

「どこに」

「分からない?」

 嫌な予感。

 身体。

 空いている身体。

 保存された記憶。

 交換。

「誰の身体にいる」

 0000は答えない。

「今どこにいるんだよ」

「君は」

 0000。

「もう会ってる」

「誰だ」

「何度も」

「誰!」

 0000は静かに答えた。

「黒瀬直人」

 湊の思考が止まった。


◇


「……は?」

「最初の相沢湊の記憶は」

 0000。

「黒瀬直人の中にもある」

「待て」

「だから」

「待てって!」

「君が今使っている身体」

 湊は自分を見る。

 記憶の中では沙耶。

 現実では黒瀬。

「その身体は」

 0000。

「俺が使っていた身体だ」

「じゃあ黒瀬は?」

「後から入った」

「いつ」

「五年前」

「じゃあ」

 頭が追いつかない。

「俺が交換した相手は黒瀬じゃ」

「黒瀬だよ」

「でもその前は」

「俺」

「じゃあお前は」

「身体を捨てた」

「なんで」

「逃げるため」

「誰から」

「沙耶」

 湊は黙った。

 Sのメッセージ。

『最初の相沢湊は殺されることを知っていた』

『誰に』

『私に』

「沙耶は」

 湊。

「お前を殺そうとしてた?」

「そうだよ」

「なんで」

「俺が」

 0000は目を伏せる。

「最初の沙耶を殺したから」

 静かだった。

 あまりにも静かで。

 一瞬意味を理解できなかった。

「……何」

「五年前」

「沙耶は病気で死んだんじゃ」

「違う」

「お前が?」

「ああ」

「なんで」

「頼まれた」

「誰に」

「沙耶本人」

 湊は言葉を失う。

「どういうこと」

「これ以上生きたくないと言った」

「……」

「自分の記憶がコピーされて」

「……」

「知らない身体で目を覚まして」

「……」

「死んでも終われない」

 0000は目を閉じる。

「怖いって」

 湊は何も言えない。

「だから終わらせてくれって頼まれた」

「それで」

「俺は約束した」

「……」

「でも終わらなかった」

「0001」

「ああ」

「記憶が残ってた」

「俺が残した」

「なんで」

「消せなかった」

 0000は苦しそうに笑った。

「大切だったから」

「それで沙耶は」

「何度も戻った」

「お前を」

「殺そうとした」

「どうして」

「自分を終わらせてくれなかったから」

 湊は俯いた。

 愛したから残した。

 残したから苦しませた。

 救いたかった。

 でも。

 その行為が沙耶を閉じ込めた。

「交換屋って」

「何」

「人を救うために作ったんじゃないな」

「……」

「死をなくすためでもない」

 0000は何も言わない。

「お前が」

 一拍。

「沙耶を手放せなかっただけだ」

 長い沈黙。

 そして。

「そうだよ」

 0000は初めて。

 子供のように泣いた。


◇


 視界。

 崩れる。

 壁。

 床。

 病院。

 すべて白くなる。

「何だ」

「時間切れ」

 0000。

「戻される」

「待て!」

「何」

「昨日の事件」

「……」

「俺の家族を殺したのは誰」

 0000は答えない。

「二十四番目?」

「違う」

「俺?」

「違う」

「黒瀬?」

「違う」

「じゃあ誰!」

 世界が崩れる。

 0000の身体も薄くなる。

「教えろ!」

「君は」

 0000。

「事件を一つ勘違いしてる」

「何を」

「昨日」

 ノイズ。

「君の家族は」

 声が途切れる。

「何!」

「殺されたんじゃない」

「……」

 湊の表情が止まる。

「何言って」

「正確には」

 0000。

「殺された人間と」

 一拍。

「交換された人間がいる」

「誰」

「……」

「誰なんだ!」

 0000は口を動かす。

 しかし音が聞こえない。

「聞こえない!」

 世界が白くなる。

「もう一回!」

 0000が叫ぶ。

 今度は聞こえた。

「美咲だ!」

 湊の心臓が止まりそうになる。

「美咲?」

「君の妹は」

 0000。

「死んでない!」

 世界が消えた。


◇


「――っ!」

 湊は椅子から飛び起きた。

 交換屋。

 白い部屋。

 呼吸ができない。

 身体。

 黒瀬。

 戻っている。

「美咲……」

 店員が立っている。

「接続終了しました」

「何分」

「四分ほどです」

「四分?」

 何時間もいたように感じた。

「0001は?」

「保存されています」

「Sは沙耶なのか」

「お答えできません」

「美咲は生きてる?」

 店員の表情がわずかに変わる。

「答えろ!」

「その情報は」

「知ってるんだな」

「……」

「妹はどこにいる!」

 店員は答えない。

 湊は椅子から立ち上がる。

「交換されたってどういう意味だ!」

「落ち着いてください」

「美咲の身体に誰がいる!」

 店員の目。

 一瞬。

 揺れた。

「……身体?」

 湊は気づく。

 質問が逆。

「待て」

 殺された人間と。

 交換された人間。

 美咲は死んでいない。

 なら。

「美咲の身体が生きてるんじゃない」

 店員は黙っている。

「美咲の記憶が」

 湊の声が震える。

「別の身体にいる?」

 沈黙。

 それが答えだった。


◇


「誰の身体」

「お答えできません」

「会員?」

「はい」

「いつ交換した」

「事件当日」

「自分で?」

 店員は答えない。

「美咲は交換屋を知ってた?」

「……」

「答えて」

「知っていました」

 湊の頭が真っ白になる。

「いつから」

「五年前」

「俺より前じゃん」

「はい」

「なんで」

「美咲様は」

 店員。

「あなたを監視するために家族になった方です」

 湊は動けなかった。

 0000は言った。

 美咲だけは最初から存在していた。

 五年前。

 自分が選んだ。

 でも。

 選ばれた理由までは知らなかった。

「誰に頼まれた」

「その質問への回答権限はありません」

「0000?」

「違います」

「沙耶?」

 店員は黙る。

「沙耶なんだな」

「回答できません」

 湊は顔を覆った。

 家族。

 誰一人。

 自分が知っていた人間ではない。

 それでも。

「美咲は」

「はい」

「俺のこと」

 言葉が詰まる。

「家族だと思ってた?」

 店員は少しだけ表情を和らげた。

「それは」

 一拍。

「記録を確認する必要がないと思います」

 湊は顔を上げる。

「どういう意味」

「五年間」

 店員。

「一度も任務中止を申請しなかった方が」

「……」

「事件の三日前」

 続ける。

「初めて申請されています」

「何を」

「監視任務の終了」

「理由は」

 店員が画面を見る。

「記録されています」

「読んで」

 女性は少し迷ったあと口を開く。

「対象を」

 一拍。

「家族として認識してしまったため」

 湊は目を閉じた。

 胸の奥が痛かった。

 偽物でも。

 始まりが嘘でも。

 五年間は消えない。

 妹だった。

 美咲は。

 確かに。

 自分の妹だった。


◇


「今どこにいる」

「分かりません」

「交換先は」

「ランダムです」

「会員番号は?」

「個人情報です」

「家族なんだ」

「現在の身体上では違います」

「そんなの関係ない!」

 店員は黙る。

 湊はカウンターへ両手をつく。

「お願いします」

 初めて。

 怒鳴らなかった。

「妹を探したい」

「……」

「生きてるなら」

 声が震える。

「それだけでいい」

 店員は湊を見つめる。

 長い沈黙。

「一つだけ方法があります」

「何」

「交換屋では」

 女性。

「会員同士へメッセージを送れます」

「じゃあ」

「ただし現在の会員番号が必要です」

「美咲の?」

「はい」

「分からない」

「交換履歴から追跡できます」

「やって」

「通常はできません」

「特別会員なら?」

 店員は黙る。

「俺0000の複製なんだろ」

「……」

「使える権限全部使って」

 店員は端末を操作する。

「相沢美咲」

 検索。

 画面。

『旧会員番号 0731』

「現在は?」

『交換済』

「追って」

 次。

『転送先照会』

 読み込み。

 10%。

 30%。

 58%。

 店員の手が止まる。

「どうした」

「……」

「何」

 画面。

 100%。

『CURRENT MEMBER』

 番号。

 湊は見る。

 そして。

 息を止めた。

『0418』

「……」

 知っている。

 自分の会員証。

 第四章。

 S。

 黒瀬。

 そして。

「0418って」

 湊はゆっくり自分の身体を見る。

「俺じゃないの?」

 店員は答えない。

「黒瀬の番号だろ?」

「……」

「じゃあ」

 湊の声が震える。

「美咲は」

 頭の中で。

 一つの可能性が形になる。

 黒瀬直人。

 今、自分が使っている身体。

 その身体に紐づく会員番号。

 0418。

「待って」

 湊は店員を見る。

「俺がこの身体に入る直前」

「はい」

「この身体にいたのは本当に黒瀬?」

 店員は黙る。

「答えて」

「契約上の登録名は」

 一拍。

「黒瀬直人様です」

「登録名じゃない」

「……」

「中にいた人間」

 店員の表情が変わる。

「誰だった」

 沈黙。

「まさか」

 湊は自分の手を見る。

 昨日から何度も見た手。

 犯人の身体。

 家族を殺した男。

 そう思っていた身体。

 でも。

 もし。

 その直前まで。

「美咲……?」

 その瞬間。

 頭の奥。

 何かが弾けた。


◇


 知らない記憶。

 いや。

 自分のものではない記憶。

 家。

 事件当日。

 午後九時五十八分。

 誰かが走っている。

 息。

 女性の声。

『お兄ちゃんを逃がさないと』

 美咲。

 視界。

 男の手。

 黒瀬直人の手。

 スマートフォン。

 メッセージ。

『交換完了』

 次。

 鏡。

 黒瀬の顔。

 その口が。

 震えながら。

「お兄ちゃん」

 と言った。

 湊は現実へ戻る。

「……」

 店員。

「どうされました?」

「今」

「はい」

「記憶が」

 自分のものではない。

 黒瀬のものでもない。

 美咲。

「この身体に」

 湊は胸を押さえる。

「美咲の記憶が残ってる」

 店員の顔色が変わった。

「それは」

「何」

「ありえません」

「でも見えた!」

「通常、交換後の記憶は残りません」

「じゃあ何で」

 店員が立ち上がる。

「身体ではありません」

「え?」

「記憶が残っているなら」

 女性。

「それは身体側ではなく」

 一拍。

「あなたの記憶領域へ混ざっています」

「俺の?」

「はい」

「なんで」

 店員は端末を見る。

 そして。

 表情を失った。

「……接続履歴」

「何」

「昨日」

 画面。

『22:14』

「事件の時間」

「あなた」

「俺?」

「交換屋へ来ています」

「俺は来てない」

「記録があります」

「誰が」

「相沢湊様」

「どの俺だよ」

 店員は画面を見つめる。

「分かりません」

「監視映像は」

「あります」

「見せて」

 店員が映像を開く。

 昨日。

 午後十時十四分。

 交換屋。

 ドア。

 開く。

 一人。

 入ってくる。

 湊は画面を見た。

「……」

 相沢湊。

 自分と同じ顔。

 服。

 違う。

 事件現場の防犯映像に映っていた。

 もう一人の湊。

「二十四番目?」

「おそらく」

 映像。

 その湊はカウンターへ来る。

 店員と話す。

 音声。

『交換をお願いします』

『相手の指定は?』

『はい』

『どなたですか』

 男が答える。

『相沢美咲』

 現在の湊の呼吸が止まる。

「待って」

 映像。

 店員。

『交換理由は』

 男。

 少し笑う。

『妹を助けるためです』

「……」

 湊は画面から目を離せない。

 次。

『期間は?』

 男。

『一年』

 その言葉。

 最初の日。

 自分が交わした契約と同じ。

『交換完了後は一年間、元の身体へ戻ることはできません』

『構いません』

 映像が乱れる。

 ノイズ。

 そして。

 最後。

 男がカメラを見る。

 まるで。

 今の湊がこの映像を見ることを知っているように。

 口を動かす。

『二十三番目』

 湊の身体が固まる。

 画面の男。

 二十四番目の相沢湊。

 昨日の自分。

 こちらへ話しかける。

『これを見てるってことは』

 一拍。

『0001まで辿り着いたんだな』

「……」

『だったら次は』

 男はポケットから一枚の写真を出す。

 家族写真。

 父。

 母。

 美咲。

 湊。

『事件現場をもう一度調べろ』

 写真を裏返す。

 そこには住所。

 自宅。

 そして。

『地下室』

 湊は眉を寄せる。

「地下室?」

 自宅にそんな場所はない。

 少なくとも。

 自分の記憶には。

 映像の二十四番目が続ける。

『警察より先に行け』

『そこに』

 一拍。

『昨日死んだ人間がいる』

 湊は息を止めた。

『そして』

 男は笑わない。

『絶対に』

『名前を呼ぶな』

 映像。

 終了。

 画面が黒くなる。


◇


 湊はしばらく動けなかった。

 昨日死んだ人間。

 父。

 母。

 美咲。

 それとも。

 別の誰か。

「自宅に地下室なんて」

「記録上はありません」

 店員。

「じゃあ」

「交換屋の設備が存在する可能性があります」

「家の下に?」

「五年前」

 女性。

「あなたの家は交換屋によって用意されています」

「……」

 また。

 五年前。

「全部そこから」

「はい」

「俺の人生も」

「……」

「家族も」

「……」

「家も」

「はい」

 湊は笑いそうになった。

 何一つ。

 自分のものではない。

 でも。

 それでも。

 家族と過ごした場所。

 帰らなければならない。

「行きます」

「危険です」

「分かってる」

「警察も監視しています」

「それでも」

「もし地下にいる人間が」

 店員が言葉を止める。

「何」

「いえ」

「言って」

「もし」

 女性。

「昨日亡くなった人間の記憶個体だった場合」

「……」

「名前を呼ばないでください」

「映像でも言ってた」

「名前は」

 一拍。

「記憶を起動する鍵になることがあります」

「呼んだら?」

「その身体に」

 店員。

「誰が入っているのか確定します」

「それの何が危険?」

「名前を間違えた場合」

 湊の背中が冷える。

「どうなる」

「その人は」

 女性。

「間違った名前の人間になります」


◇


 午後十一時十九分。

 交換屋を出る。

 雨が降っていた。

 湊は傘を持っていない。

 それでも歩いた。

 家へ。

 昨日。

 家族が襲われた場所。

 警察に追われている。

 犯人の身体。

 黒瀬直人。

 でも。

 その身体には美咲の記憶が残っている。

 自分は二十三番目の相沢湊。

 最初の相沢湊は0000。

 しかし。

 その0000さえ最初ではない。

 沙耶。

 0001。

 五年前。

 そして。

 二十四番目。

 誰が犯人なのか。

 もう単純な話ではない。

 犯人の身体へ入ったと思っていた。

 けれど。

 そもそも。

 犯人とは誰なのか。

 身体なのか。

 記憶なのか。

 名前なのか。

 その答えすら分からない。


◇


 午前零時三分。

 自宅近く。

 規制線はまだある。

 警察車両。

 明かり。

 湊は離れた路地から家を見る。

 裏へ回る。

 子供の頃。

 いや。

 自分のものだと思っていた記憶。

 庭の端。

 古い物置。

 その下。

 映像の二十四番目が言った。

 地下室。

「どこだよ」

 雨。

 地面。

 土。

 物置。

 湊は中へ入る。

 暗い。

 スマートフォンのライト。

 工具。

 段ボール。

 古い家具。

 何もない。

「地下……」

 床。

 見る。

 一枚だけ。

 板の色が違う。

 荷物をどかす。

 取っ手。

「……あった」

 心臓が鳴る。

 開ける。

 階段。

 地下へ。

 冷たい空気。

 ライト。

 一段。

 二段。

 下りる。

 扉。

 電子ロック。

 画面。

『MEMBER ID』

「会員証」

 0418。

 かざす。

 ピッ。

『認証』

 扉。

 開く。


◇


 白い部屋。

 交換屋と同じ。

 機械。

 ベッド。

 モニター。

 そして。

 一人。

 椅子に座っている。

 背中。

 女性。

 長い髪。

 湊は動けない。

 昨日死んだ人間。

 名前を呼ぶな。

 女性がゆっくり振り返る。

 湊の心臓が止まりそうになる。

「……」

 母。

 相沢恵美。

 でも。

 非常階段で会った母とは違う。

 服。

 事件当日のまま。

 血の跡。

 顔。

 青白い。

 しかし。

 目は開いている。

 女性が湊を見る。

「来たんだ」

 湊は名前を呼びそうになって止めた。

「誰」

 女性は笑う。

「賢くなったね」

「誰なんだ」

「名前を呼ばないんだ」

「呼ぶなって言われた」

「誰に」

「俺に」

 女性の眉が少し動く。

「二十四番目?」

「たぶん」

「そう」

「あなたは誰」

 女性は答えない。

「母さんじゃ」

 言いかけて止める。

 女性が笑った。

「危なかったね」

「……」

「今呼んでたら」

「どうなってた」

「私は相沢恵美になってた」

「今は違う?」

「違う」

「誰」

 女性はゆっくり立ち上がる。

 そして。

「あなたが」

 一歩。

「ずっと探してた人」

「誰だよ」

「五年前」

 一歩。

「あなたを作った」

 湊は動けない。

「二十四人の相沢湊を?」

「そう」

「沙耶?」

 女性は笑った。

「その名前も呼ばない方がいい」

 湊は口を閉じる。

「じゃあ何て呼べばいい」

「0001」

「……」

「今はそれでいい」

 湊の呼吸が浅くなる。

 目の前。

 母の身体。

 その中。

 会員番号0001。

「S?」

 女性。

 少し笑う。

「それも」

 一拍。

「私の一人」

「一人?」

「あなたたちだけじゃない」

 女性は自分の胸へ手を置く。

「複製されたのは」

 静かに。

「相沢湊だけじゃない」

 湊の表情が固まる。

「何人いる」

「私?」

「……」

「分からない」

「じゃあ」

「ただ」

 0001。

「昨日の夜」

 一歩。

「この家にいたのは」

 湊の心臓が鳴る。

「私が三人」

 さらに。

「あなたが三人」

「……」

「黒瀬が二人」

 そして。

「美咲が二人」

 湊は言葉を失った。

「そんな人数」

「いたよ」

「じゃあ事件は」

「事件?」

 女性は首を傾げる。

「何」

「あなた」

 一拍。

「まだ殺人事件だと思ってるの?」

 湊の背中が冷える。

「違うのか」

「昨日ここで行われたのは」

 0001。

 母の顔。

 母の声。

 それなのに。

 まったく別人の目で。

「交換実験」

 そう言った。

「誰が」

「0000」

「最初の湊?」

「違う」

「じゃあ誰なんだよ」

 0001は少し笑った。

「ようやく」

 そして。

 地下室の奥。

 一枚の扉を指差す。

「そこまで来たね」

「何がある」

「答え」

「……」

「本当の」

 一拍。

「会員番号0000」

 湊は扉を見る。

「さっき記憶の中で会った」

「あれは0000じゃない」

「何?」

「自分を0000だと思っている」

 女性。

「複製の一人」

 湊は動けない。

「じゃあ」

「本物は」

 0001。

「この奥にいる」

 扉。

 向こう。

 小さな音。

 コン。

 コン。

 誰かが。

 内側から叩いている。

「生きてる?」

「身体という意味なら」

 女性は答えた。

「ずっと」

「何歳」

「それを見れば」

 0001は少し悲しそうに笑った。

「たぶん全部分かる」

 湊は扉へ近づく。

 一歩。

 また一歩。

 取っ手。

 手をかける。

「最後に」

 0001。

「何」

「中へ入ったら」

「……」

「自分を相沢湊だと思わない方がいい」

 湊は振り返る。

「なんで」

 女性は答える。

「本物の相沢湊に」

 一拍。

「名前を取られるから」

 湊は扉を見る。

 向こう。

 また。

 コン。

 コン。

 そして。

 声。

「開けて」

 子供。

 いや。

 違う。

 老人にも聞こえる。

 男にも。

 女にも。

 何人もの声が重なっている。

「ずっと待ってた」

 湊の手が震える。

「二十三番目」

 扉の向こう。

 本物の0000。

 そして。

「今度こそ」

 一拍。

「終わらせよう」

 カチ。

 湊が触れていないのに。

 鍵が開いた。


第五章 最初の相沢湊 完

――第六章「会員番号0000」へ続く。
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