【番外編】元・訳あり男装剣士の初めての舞踏会
第一話「令嬢達のお茶会」
「それで? その後、どうなったの?」
「どうって……何もありませんわ」
「本当に?」
「本当です」
「でも、二人きりだったのでしょう?」
「まあ……!」
きゃあ、と。
華やかな声が、テーブルを囲んで弾けた。
「でしたら、何もなかったなんて――」
「本当に何もありませんってば!」
「では、手くらいは?」
「……それは」
「ほら!」
「まあ!」
「ちょっと、エレノア様まで笑わないでください!」
「だって。そこまで聞いてしまったら、笑うしかないでしょう?」
再び、楽しげな笑い声が上がる。
「…………」
その中で。
セレスティアは、静かに紅茶を口へ運んだ。
香りのよい茶葉だった。
ほのかな甘みのある焼き菓子も、美味しい。
窓から差し込む午後の日差しも穏やかで、庭に咲く花々が風に揺れている。
何ひとつ。
問題はない。
――ただ。
「それで、どちらから手を?」
「そんなことまで聞くの?」
「だって、気になるでしょう?」
「私は、お相手からだと思いますわ」
「私も」
「……そうですけれど」
「やっぱり!」
「もう……!」
「…………」
セレスティアは、もう一口。
紅茶を飲んだ。
――いつから、こんな話になったのだろう。
帝国との一件が終わり。
ベイルとの婚約が正式に認められてから。
セレスティアは、それまで身を寄せていた王宮の西離宮を離れ、結婚の日を迎えるまで、アーデン侯爵家の王都邸で暮らすことになった。
そして今日。
ベイルの妹のエレノアに誘われるまま参加したのが、この茶会だった。
集まっているのは、エレノアと親しい同年代の令嬢ばかり。
皆、気さくで。
セレスティアを遠巻きに眺めたり、帝国での出来事を詮索したりする者もいない。
それどころか、少し話しただけで。
「セレスティア様も、こちらへ」
と、ごく自然に輪の中へ迎え入れてくれた。
だから。
最初は、安心していたのだ。
――最初は。
「でも、手を繋いだだけなのでしょう?」
「だけって……!」
「婚約しているのですもの。そのくらい普通でしょう?」
「あなたは慣れすぎなのよ」
「まあ、失礼ね」
「だって、この前だって――」
「ちょっと! その話はしない約束でしょう!」
「何ですの?」
「聞きたいわ」
「私も」
「エレノア様まで!」
「もちろんですわ」
楽しそうに身を乗り出すエレノアに、相手の令嬢が頬を赤くする。
セレスティアは、そっとカップを置いた。
――皆、ずいぶん慣れている。
恋の話というものは。
こんなにも自然に、次から次へと話題が出てくるものなのだろうか。
セレスティアには、よく分からなかった。
私とて、伯爵令嬢として育った身だ。
礼儀作法も。
茶会での振る舞いも。
令嬢同士の会話の仕方も、ひと通り身につけている。
けれど。
社交界へ出るはずだった年頃に、私は故郷を離れた。
フェリスと名乗り。
男装して。
師であるシャオ・ウェンとともに、森の小屋で三年を過ごした。
剣を学び。
森の中や畑で採取した薬草で、薬を作り。
それを近くの街へ売りに行く。
そんな静かな日々の中に。
同年代の令嬢たちと菓子をつまみながら、恋の話に花を咲かせる――などという時間が入り込む余地は、当然ながらなかった。
「セレスティア様は?」
「――え?」
不意に名前を呼ばれ。
セレスティアは顔を上げた。
いつの間にか。
全員の視線が、自分へ向いている。
「……何が、でしょう?」
一瞬。
しん、とした。
「まあ」
一人が目を丸くする。
「もしかして、聞いていらっしゃらなかったの?」
「……申し訳ありません」
正直に答えると。
隣に座っていたエレノアが、くすりと笑った。
「セレスティア様。先ほどから、紅茶ばかり飲んでいらっしゃいますもの」
「……」
言われて。
セレスティアは手元のカップを見る。
確かに。
いつの間にか、ほとんどなくなっていた。
「おかわりをお持ちしましょうか?」
「……お願いします」
答えた途端。
また、くすくすと笑い声が上がった。
なぜ笑われたのか。
分からない。
セレスティアは僅かに眉を寄せた。
「もう。皆様、笑ってはいけませんよ」
そう言いながら。
エレノアも笑っている。
「エレノア様も笑っていらっしゃるではありませんか」
「あら、本当」
「……?」
ますます分からない。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
からかわれているというより。
どうやら皆、この場そのものを楽しんでいるらしい。
こういうものなのだろうか。
令嬢たちの茶会というものは。
「それで、何のお話でしたか?」
セレスティアが尋ねると。
「今度の舞踏会のことですわ」
一人の令嬢が答えた。
「舞踏会……」
「ええ。セレスティア様は、今回が初めてなのでしょう?」
「はい。舞踏の稽古は受けていますが、王宮の舞踏会へ出席するのは初めてです」
「まあ!」
「それは楽しみですわね」
「しかも、婚約者のベイル様とご一緒なのでしょう?」
「はい」
ベイルの名が出た途端。
なぜだか。
先ほどとは少し違う種類の笑みが、令嬢たちの間に広がった。
セレスティアは、それに気づいて首を傾げる。
「……?」
「ベイル様って、舞踏会ではあまり女性と踊られませんでしょう?」
「ええ。そもそも、夜会などでもあまり長くはいらっしゃいませんもの」
「ご挨拶だけ済ませて、いつの間にかお帰りになっていることもありますわよね」
「そうそう。せっかくいらしたと思ったのに、気づいたらもういらっしゃらなくて」
「お声をかければ、きちんと応えてくださるのですけれど……」
「そこから先がないのよね」
「分かりますわ」
「……兄様らしいですね」
エレノアが、妙に納得したように頷いた。
「兄様が社交の場を好まないのは、昔からですもの。必要なご挨拶だけ済ませたら大抵は、さっさと帰ってしまう方ですし」
「でも、どなたにも特別なご様子を見せませんでしたでしょう?」
「そうですね。けれど――」
そこでエレノアは、ちらりとセレスティアを見る。
「今まで、そういう方がいなかっただけではないでしょうか」
「まあ」
「……?」
――なぜ、そこで私を見るのだろう。
セレスティアが首を傾げると、令嬢たちの笑みがますます深くなった。
「でも、今回は違いますわね」
「ええ。セレスティア様がいらっしゃるもの」
「きっとお似合いですわ」
「ベイル様なら、周りには目もくれず、セレスティア様ばかり見ていそうですわね」
「まあ、それはありえそうですわ」
「それは否定できませんね」
エレノアまで、妙に納得した顔で頷いた。
「……そうでしょうか」
セレスティアには、よく分からない。
「だって、エレノア様から伺っていますもの」
「……何をですか?」
「セレスティア様がアーデン家でお暮しになるようになってから、ベイル様が随分変わられたって」
「まあ。変わったというほどではありませんよ」
エレノアはそう言ったものの、口元は笑っている。
「ただ――以前より、随分早く帰ってくるようになっただけです」
「それを変わったと言うのではなくて?」
「そう言われると、そうかもしれませんね」
「…………」
セレスティアは瞬きをした。
そんなことは、初めて聞いた。
「あと兄様、以前はお仕事から戻っても、食事を済ませればすぐお部屋へ戻ってしまうことが多かったんですが」
「最近は――」
「夕食の後も、なぜか家族の居間に残っているんですよね」
「…………」
「それも、セレスティア様がいらっしゃる時に限って」
「まあ!」
「分かりやすいですわね」
「でしょう?」
令嬢たちが、くすくすと笑う。
一体何が、分かりやすいのだろう?
――よく、わからない……。
「でも、好きな方と踊るのって、やっぱり特別ですわよね」
「ええ」
「素敵」
「ええ、本当に」
「きっと、忘れられない夜になりますわ」
「…………」
特別。
セレスティアは、僅かに首を傾げた。
舞踏なら、誰と踊っても同じではないのだろうか?
――忘れられない夜?
……どういうことだろう?
「そういえば――」
一人の令嬢が、ふと思い出したように言った。
「舞踏会のあと、お二人で庭へ出たりするのも素敵ですわよね」
「ああ……!」
「分かります」
「夜の庭って、どうしてあんなに特別に感じるのでしょう」
「二人きりになりますもの」
「それで――」
令嬢が声を潜める。
なぜか。
他の令嬢たちまで、少しだけ身を寄せた。
「そこで、口づけされたりして」
「まあ……!」
「ちょっと!」
「だって、あるでしょう?」
「ありますけれど!」
「…………」
セレスティアの指が、ぴたりと止まった。
口づけ。
その言葉だけが、妙にはっきりと耳に残る。
「どうって……何もありませんわ」
「本当に?」
「本当です」
「でも、二人きりだったのでしょう?」
「まあ……!」
きゃあ、と。
華やかな声が、テーブルを囲んで弾けた。
「でしたら、何もなかったなんて――」
「本当に何もありませんってば!」
「では、手くらいは?」
「……それは」
「ほら!」
「まあ!」
「ちょっと、エレノア様まで笑わないでください!」
「だって。そこまで聞いてしまったら、笑うしかないでしょう?」
再び、楽しげな笑い声が上がる。
「…………」
その中で。
セレスティアは、静かに紅茶を口へ運んだ。
香りのよい茶葉だった。
ほのかな甘みのある焼き菓子も、美味しい。
窓から差し込む午後の日差しも穏やかで、庭に咲く花々が風に揺れている。
何ひとつ。
問題はない。
――ただ。
「それで、どちらから手を?」
「そんなことまで聞くの?」
「だって、気になるでしょう?」
「私は、お相手からだと思いますわ」
「私も」
「……そうですけれど」
「やっぱり!」
「もう……!」
「…………」
セレスティアは、もう一口。
紅茶を飲んだ。
――いつから、こんな話になったのだろう。
帝国との一件が終わり。
ベイルとの婚約が正式に認められてから。
セレスティアは、それまで身を寄せていた王宮の西離宮を離れ、結婚の日を迎えるまで、アーデン侯爵家の王都邸で暮らすことになった。
そして今日。
ベイルの妹のエレノアに誘われるまま参加したのが、この茶会だった。
集まっているのは、エレノアと親しい同年代の令嬢ばかり。
皆、気さくで。
セレスティアを遠巻きに眺めたり、帝国での出来事を詮索したりする者もいない。
それどころか、少し話しただけで。
「セレスティア様も、こちらへ」
と、ごく自然に輪の中へ迎え入れてくれた。
だから。
最初は、安心していたのだ。
――最初は。
「でも、手を繋いだだけなのでしょう?」
「だけって……!」
「婚約しているのですもの。そのくらい普通でしょう?」
「あなたは慣れすぎなのよ」
「まあ、失礼ね」
「だって、この前だって――」
「ちょっと! その話はしない約束でしょう!」
「何ですの?」
「聞きたいわ」
「私も」
「エレノア様まで!」
「もちろんですわ」
楽しそうに身を乗り出すエレノアに、相手の令嬢が頬を赤くする。
セレスティアは、そっとカップを置いた。
――皆、ずいぶん慣れている。
恋の話というものは。
こんなにも自然に、次から次へと話題が出てくるものなのだろうか。
セレスティアには、よく分からなかった。
私とて、伯爵令嬢として育った身だ。
礼儀作法も。
茶会での振る舞いも。
令嬢同士の会話の仕方も、ひと通り身につけている。
けれど。
社交界へ出るはずだった年頃に、私は故郷を離れた。
フェリスと名乗り。
男装して。
師であるシャオ・ウェンとともに、森の小屋で三年を過ごした。
剣を学び。
森の中や畑で採取した薬草で、薬を作り。
それを近くの街へ売りに行く。
そんな静かな日々の中に。
同年代の令嬢たちと菓子をつまみながら、恋の話に花を咲かせる――などという時間が入り込む余地は、当然ながらなかった。
「セレスティア様は?」
「――え?」
不意に名前を呼ばれ。
セレスティアは顔を上げた。
いつの間にか。
全員の視線が、自分へ向いている。
「……何が、でしょう?」
一瞬。
しん、とした。
「まあ」
一人が目を丸くする。
「もしかして、聞いていらっしゃらなかったの?」
「……申し訳ありません」
正直に答えると。
隣に座っていたエレノアが、くすりと笑った。
「セレスティア様。先ほどから、紅茶ばかり飲んでいらっしゃいますもの」
「……」
言われて。
セレスティアは手元のカップを見る。
確かに。
いつの間にか、ほとんどなくなっていた。
「おかわりをお持ちしましょうか?」
「……お願いします」
答えた途端。
また、くすくすと笑い声が上がった。
なぜ笑われたのか。
分からない。
セレスティアは僅かに眉を寄せた。
「もう。皆様、笑ってはいけませんよ」
そう言いながら。
エレノアも笑っている。
「エレノア様も笑っていらっしゃるではありませんか」
「あら、本当」
「……?」
ますます分からない。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
からかわれているというより。
どうやら皆、この場そのものを楽しんでいるらしい。
こういうものなのだろうか。
令嬢たちの茶会というものは。
「それで、何のお話でしたか?」
セレスティアが尋ねると。
「今度の舞踏会のことですわ」
一人の令嬢が答えた。
「舞踏会……」
「ええ。セレスティア様は、今回が初めてなのでしょう?」
「はい。舞踏の稽古は受けていますが、王宮の舞踏会へ出席するのは初めてです」
「まあ!」
「それは楽しみですわね」
「しかも、婚約者のベイル様とご一緒なのでしょう?」
「はい」
ベイルの名が出た途端。
なぜだか。
先ほどとは少し違う種類の笑みが、令嬢たちの間に広がった。
セレスティアは、それに気づいて首を傾げる。
「……?」
「ベイル様って、舞踏会ではあまり女性と踊られませんでしょう?」
「ええ。そもそも、夜会などでもあまり長くはいらっしゃいませんもの」
「ご挨拶だけ済ませて、いつの間にかお帰りになっていることもありますわよね」
「そうそう。せっかくいらしたと思ったのに、気づいたらもういらっしゃらなくて」
「お声をかければ、きちんと応えてくださるのですけれど……」
「そこから先がないのよね」
「分かりますわ」
「……兄様らしいですね」
エレノアが、妙に納得したように頷いた。
「兄様が社交の場を好まないのは、昔からですもの。必要なご挨拶だけ済ませたら大抵は、さっさと帰ってしまう方ですし」
「でも、どなたにも特別なご様子を見せませんでしたでしょう?」
「そうですね。けれど――」
そこでエレノアは、ちらりとセレスティアを見る。
「今まで、そういう方がいなかっただけではないでしょうか」
「まあ」
「……?」
――なぜ、そこで私を見るのだろう。
セレスティアが首を傾げると、令嬢たちの笑みがますます深くなった。
「でも、今回は違いますわね」
「ええ。セレスティア様がいらっしゃるもの」
「きっとお似合いですわ」
「ベイル様なら、周りには目もくれず、セレスティア様ばかり見ていそうですわね」
「まあ、それはありえそうですわ」
「それは否定できませんね」
エレノアまで、妙に納得した顔で頷いた。
「……そうでしょうか」
セレスティアには、よく分からない。
「だって、エレノア様から伺っていますもの」
「……何をですか?」
「セレスティア様がアーデン家でお暮しになるようになってから、ベイル様が随分変わられたって」
「まあ。変わったというほどではありませんよ」
エレノアはそう言ったものの、口元は笑っている。
「ただ――以前より、随分早く帰ってくるようになっただけです」
「それを変わったと言うのではなくて?」
「そう言われると、そうかもしれませんね」
「…………」
セレスティアは瞬きをした。
そんなことは、初めて聞いた。
「あと兄様、以前はお仕事から戻っても、食事を済ませればすぐお部屋へ戻ってしまうことが多かったんですが」
「最近は――」
「夕食の後も、なぜか家族の居間に残っているんですよね」
「…………」
「それも、セレスティア様がいらっしゃる時に限って」
「まあ!」
「分かりやすいですわね」
「でしょう?」
令嬢たちが、くすくすと笑う。
一体何が、分かりやすいのだろう?
――よく、わからない……。
「でも、好きな方と踊るのって、やっぱり特別ですわよね」
「ええ」
「素敵」
「ええ、本当に」
「きっと、忘れられない夜になりますわ」
「…………」
特別。
セレスティアは、僅かに首を傾げた。
舞踏なら、誰と踊っても同じではないのだろうか?
――忘れられない夜?
……どういうことだろう?
「そういえば――」
一人の令嬢が、ふと思い出したように言った。
「舞踏会のあと、お二人で庭へ出たりするのも素敵ですわよね」
「ああ……!」
「分かります」
「夜の庭って、どうしてあんなに特別に感じるのでしょう」
「二人きりになりますもの」
「それで――」
令嬢が声を潜める。
なぜか。
他の令嬢たちまで、少しだけ身を寄せた。
「そこで、口づけされたりして」
「まあ……!」
「ちょっと!」
「だって、あるでしょう?」
「ありますけれど!」
「…………」
セレスティアの指が、ぴたりと止まった。
口づけ。
その言葉だけが、妙にはっきりと耳に残る。