交際ゼロ日からの、契約結婚
「──まあ君の馬鹿」

 しばらくして、菜穂子から悪態を吐かれ真澄の身体がビクッと震える。

「でも、好き」
「っ……!!」

 信じられないといった顔になった真澄の顔を覗き込んだ菜穂子は、真澄の袖をガシッと掴んで上着の袖をまくった。

「大好きだよ、まあ君。まあ君は、私のこと好き?」

 今更そんなことを尋ねるなんて、ちょっと……いや、かなり腹が立つ。

 上着の袖がまくられ、シャツが露わになった真澄の袖口にはアンモライトのカフスが夕日を浴びて輝いている。

「好きなくせに、意地はっちゃって」

 何もかもお見通しと言いたげな菜穂子に、真澄は子供みたいにムスッとした顔になる。

 そんな真澄を見て、菜穂子はニンマリと笑った。

「だんまり決め込むのはいいけどさ、私まあ君が離婚届をまだ出してないの知ってるよ」
「なっ、なんでそれを!?」
「だって話足りなかったから、次の日に不受理届出しといたもん」

 ふふんっとドヤ顔を決める菜穂子は「そうすれば、まあ君から連絡来ると思ってさ」と付け加える。

 なりふり構っていられないほど自分を求めてくれていたのを知った真澄は、意地を張り続けるのが馬鹿らしくなった。

「ああ、好きだ。めちゃくちゃ好きだ!!これでいいか!?……っ……!」

 ヤケクソで愛の告白をしたら、菜穂子から小鳥がついばむような口づけを落とされた。

「私たち、両想いなんだね。すごく……嬉しい」

 照れ顔で囁かれ、真澄はもっと激しい口づけをしようと菜穂子の腰を抱く。しかし──

「あ、ちょっと待って」

 待てるか、馬鹿。寸止めされた真澄は、恨みがましい目で菜穂子を見る。

「菜穂ちゃん、それはないだろ?」
「うん……ごめん。でも、それより先にやることがあるから」

 今の真澄には、口づけより優先すべきことはない。

 そんな気持ちを顔に出せば、菜穂子は苦笑しながらトレンチコートを脱ぐと傍に置いてあった大きなカバンをガサゴソ探り出した。

 初めて目にする真っ白なニットワンピース姿の菜穂子はとても可愛いが、やろうとしていることがさっぱり読めない。

「菜穂ちゃん、何やって……!」

 呆れ顔になった真澄だが、すぐに目を見張った。

 菜穂子がカバンの中から取り出したのは、レース地の振り袖。それに袖を通した菜穂子は、白無垢姿の花嫁のようだ。

「智穂さんがね昨日通販で注文しといてくれたんだ。結婚のお祝いだって」
「は?結婚??」
「そう。今から式を挙げるから。まあ君もスーツ姿で良かった。智穂さんったら結婚式は女性が主役だから男性の衣装なんて何でもいいって言って着替えを用意させてくれなかったんだもん」

 菜穂子の軽い口調で言ったその言葉に、真澄の閉ざされていた記憶のふたが開く。それは真澄が失った記憶の欠片だった。

「ほら、立って。まあ君、行くよ」

 菜穂子に手を引かれて、参道を一歩一歩進むごとに、記憶が蘇る。

 そうだ、あの日──菜穂子がこの町を去る前日。こうして菜穂子に手を引かれ、この神社に来た。そして約束をした。20年後、菜穂子が25歳になったら結婚をしようと。

 今日がまさに、菜穂子の25回目の誕生日だ。

「神様ぁーーーー、私は今日で25歳になりました!!まあ君も29歳になってます!だから、結婚します!!まぁちょっとフライングしたけど、それは練習です!今日から本当の夫婦になりますので、見守っててくださぁーーーーーーい!!」

 本殿の前で両手を掲げて宣言する様は、10年前のあの夏と同じだった。

 でも9歳の真澄は破天荒な菜穂子の言動に度肝を抜かれるばかりだったが、今はその仕草一つ一つが愛しくてたまらない。

「よしっ!んじゃ、帰ろ。智穂さんケーキ作って待っててくれてるんだ」

 無邪気に笑いかける菜穂子と、在りし日の幼い菜穂子の笑顔が重なる。

「俺は、心配かけたから謝らないといけないな」
「んー……もしかしたらだけど、智穂さんからのお説教さ、免除されるかもよ?」
「どうして?」

 首を傾げた途端、菜穂子に腕を引かれ真澄は膝を折る。すぐに、とんでもないことを耳打ちされた。

「はぁ!?山南が智穂さんにプロポーズだと!?」

 夕焼雲まで届きそうな真澄の叫び声と、菜穂子の笑い声が重なる。

「あははっ、ビックリしたでしょ?智穂さん、真っ赤になっちゃったけど、ちゃんとOK出したよ。ねぇ、お祝いにうちらもケーキか花束を買ってこ」
「そうだな。どデカいやつを贈ろう」

 大きく頷いた真澄に、菜穂子が「それじゃあ、急ごう」と手を差し伸べる。

 その手を真澄は強く引いて、菜穂子を強く抱きしめた。

「菜穂ちゃん、今日からよろしく」
「こちらこそ。まぁ君、私を諦めないでいてくれてありがとう。今、すごく幸せ」
「俺もだ」

 感極まった真澄は、菜穂子を更に強く抱きしめて目を閉じる。

 互いの鼓動を感じる中、真澄はもう一つの音を確かに耳にした。

 ──カチ、チッ……チッ……チッ……

 それは止まっていた真澄の魂の時計が、再び動き出した音だった。



<おわり>
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