追放聖女の帰還
 ギョッとするサーシャとは対照的に、アズレイトはどこまでも冷静だ。

 しっ、と人差し指を唇に当てる姿は、さっきまでとはまるで別人。テラスでは脆く壊れそうだったのに。

「サーシャさま、恐れながら夜も更けておりますので、もう少し声を落としてください」
「……はい」

 窘める内容は至極まっとうだが、窘める相手がそうなった原因だと、サーシャは少々腑に落ちない。

 でも、素直に頷くことにする。だって、アズレイトの言っていることは間違っていないから。とはいえ文句の一つも言えない代わりに、軽く睨むくらいは許してもらえるだろう。

 そんな物言いたげな視線をがっつり受けたアズレイトは、くいっと器用に片方の眉を上げた。

「サーシャさま、わたくしの目には貴方様がなにやら不満そうに映っておりますが」
「ええ、その通りです」
「恐れながら、その理由を詳しくお聞かせいただけますでしょうか?」
「……人に聞く前に、一度はご自分で考えてみてください」

 わざわざ言葉にして伝えるのが面倒だったサーシャが突き放せば、アズレイトはムッとすることなく「確かに」と頷く。

 そして足を止めて、思考の樹海に入ってしまった。

(置いて行っていいかな?) 

 自分の部屋はすぐそこだし、アズレイトが答えに辿り着いたところで、これ以上会話を続ける気はないし。

 そんな理由から、サーシャがそっと歩き始めた途端、アズレイトはポンッと手を打った。

「なるほど。サーシャさま、わかりました」
「あ、そうですか」

 間の悪いタイミングで口を開いたアズレイトに、サーシャは雑な返事をして再び歩き始める。アズレイトも従順な犬のようにくっついてくる。

「あのぉー……どうして一緒に来るんですか?」

 扉を開けた途端、部屋に入る気満々のオーラを出すアズレイトに、サーシャは恐る恐る問いかけた。

 そうすればアズレイトは眩しい笑みを浮かべて、引くほど馬鹿馬鹿しい発言をした。

「お部屋までのエスコートがお気に召さなかったようですね。でもご安心ください、わたくしは貴方様が眠りに落ちるまでのエスコートをさせてただくつもりでした。しかしながら言葉足らずだったのは事実です。ご不快な思いをさせてしまい──」
「おやすみなさい」

 ──バタン。

 もうどこからツッコミを入れていいのかわからないアズレイトの発言に、サーシャは感情を殺して部屋の扉を閉めた。

 今夜は色々あって、眠れそうにない。だが、サーシャは部屋から一歩も外に出ないと固く誓った。

 ***

 一方廊下に一人残されたアズレイトは、ぐしゃぐしゃと後頭部をかく。

「くそ、これも駄目だったか」

 これまでの女性なら、こういう夜の誘い方をすれば10割の確率で朝まで一緒にいることができた。

 それなのに意中の女性は、自分に靡くどころか、冷たい態度しか取ってくれない。毎日毎日、黒星の連続だ。

 唯一の武器である顔も、サーシャの前ではまったく役に立たない。母であり、この国の女王であるエカテリーナが認めた容姿だというのに。

「世の男は、こんな気持ちを味わっていたなんて……」

 これまでアズレイトは、好きな女性に振り回される男を軽蔑していた。しかし今ならその気持ちがよくわかる。

『星はね、人に何かを伝えるために輝いてるわけじゃないんだよ』

 ふいにサーシャの言葉がよみがえる。

 どんな気持ちでそう言ったのかわからないが、あの時のサーシャの言葉はアズレイトの胸に深く突き刺さった。

(人はきっと、こういう瞬間に救われたと思うのだろう) 

 アズレイトは廊下の窓に移動して、夜空を見上げる。世界で一番美しいものをもらった自分は、もうサーシャへの想いを捨てられそうにない。

 もっと一緒にいたい。もっと触れたい。触れて欲しいし、求めて欲しい。

 心の奥深くに無遠慮に触れられたわずかな不快感と、それを上回る愛しい想いは、これまで一度も味わったことのない感情だ。

「……浄化の儀が終わったら、覚悟しといてくださいよ。サーシャ様」

 日に日に強くなっていく欲求を満たせるのは、彼女しかないのだから。

 あまりに想いが強すぎて、いつか何もかも放り出してサーシャに縋りつく日が来るかもしれない。

 そうなった自分を想像して、アズレイトは苦笑する。

(悪くない)

 焦れた想いと切ない気持ちを抱えて、眠れぬ夜を過ごすことも。彼女に触れるたびに、みっともなく指先が震えてしまうことも。

 いつかきっとこの全てが笑い話になるだろうと信じて、アズレイトは自分の寝室に足を向けた。
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