追放聖女の帰還
 森暮らしで世間知らずのサーシャとて、さすがに数日経てば、どんなに広い王宮でも自分の部屋がどこにあるかぐらいはわかる。

 それなのにアズレイトは、サーシャが食堂を出るや否や、後を追ってきた。

「……あのう」
「なんでしょう、サーシャさま」
「私、一人で部屋に戻れますけど」
「ははは。サーシャさまを一人で歩かせるなど、言語道断でございます」
「ちょっと言ってる意味がわかんない。まぁ……いいや。とにかく浄化の儀は明日だし、もう逃げ出そうとは思ってませんよ」

 王宮にいる間、アズレイトはずっと傍にいて、呆れるほど世話を焼いてくれた。しかしその行動は、優しさからではなく、自分を監視するためだとサーシャは思い込んでいる。

 そうじゃなきゃ、一国の王子が田舎娘の傍になんかいたいはずがない。

 そう決めつけているサーシャを見つめるアズレイトの表情は、とても辛そうだった。

「……逃げ出したいと思われたのですか?」

 問い詰める、というよりは、怯えた表情を浮かべるアズレイトに、サーシャは意地悪く笑う。

「そうだと言えば、アズは逃がしてくれましたか?」
「ええ、もちろん」

 迷いなく答えるアズレイトに、サーシャは心の中で「嘘つき」となじる。

(ああ……この人はきっと、とことん優しい人なんだ)

 アズレイトは、誰もが傷つかない嘘を平然と吐き、嘘を吐いてしまった罪悪感を誰にも気づかせることなく生きていける人なのだろう。

 それは狡さではなく、強さだ。しかしこの強さは、強ければ強いほど、いつか心を壊す諸刃の剣だ。

 そんな彼の危うさに気づいてしまったサーシャは、アズレイトのために小さな嘘を吐く。
 
「だったら言えばよかったな。昨日の観劇の途中で」
「ああ……あれですか。そんなにも、不快なものでしたか?」
「いいえ。ただ眠かったんです」
「さようですか」

 安堵とは少し違う息を吐いたアズレイトは、「実のところ、あれは、わたくしも少々苦手なものでした」とカミングアウトした。

 2日目の昼間に見た演劇は、複雑な恋愛ものだった。

 アズレイトと共に過ごして半月ちょっと。彼はいつ見ても整った顔立ちをしている。でも黙っていると何を考えているかわからないところがある。彼が言葉を発して、やっと何を考えているのか気づくこともしばしばあった。

 すぐに感情が表に出てしまうサーシャは、それがちょっと羨ましい。その反面、感情が読めないアズレイトは、表情を出すのが苦手なのか敢えてそうしているのか疑問が湧く。

 でもそれを尋ねる前に、サーシャの自室へと到着してしまった。

 多少の心残りはあるが立ち話するほどの内容ではないし、仮に尋ねたとしてもアズレイトが答えてくれるわけもない。

「じゃあ、そういうことでおやすみなさい」

 いつの間にか、アズレイトはサーシャの手を自分の腕にねじ込んでいた。それをサーシャは、そっと抜く。

 ひんやりとした空気が指先から伝わり、懐かしい感情を思い出してしまう。

 寂しい。心にすきま風が吹いたようなこの気持ちは、今のサーシャにとって贅沢なものだ。

 この数日騒がしかったせいで、誰かが傍にいるのが当たり前になっていた。これは良くない兆候だ。

「アズも、早く休んでください。では……っ……!」

 アズレイトは、部屋に入ろうとしたサーシャの手をつかんで引き留めた。

 そして、目を丸くするサーシャの指先に口付けをした。

 互いの視線が絡み合う。アズレイトは物言いたげな目でじっとサーシャを見下ろしている。

 対してサーシャはその視線に耐え切れず、みるみるうちに赤面した。

「……アズ」
「サーシャさま」
「うん。アズ、あのね」
「はい。なんでしょうサーシャさま」

 アズレイトの声は余裕が無く、酷く掠れた声だった。

 けれど、今のサーシャはそれに気づくことができない。次に放たないといけない言葉が恥ずかしくて、言いたくなくて。でも言わなきゃと必死に勇気をかき集めているから。

 サーシャが口を開いたのは、それからすぐだった。

「指先にお料理のソースが付いてましたか?」
「は?あ……いえ、ついておりません」

 心底残念そうな顔で答えたアズレイトに、サーシャはほっと胸を撫でおろした。

 そんなサーシャを見てアズレイトは苦く笑う。でもすぐに軽く首を振って、いつもの表情に戻した。

「明日は浄化の儀です。もしサーシャさまが緊張で寝付けないのであれば、わたくしめが共にベッドに──」
「ふあぁぁー」

 滑らかな口調で下ネタを口にしそうなアズレイトを黙らすために、サーシャはわざとらしい欠伸をして遮った。
< 17 / 39 >

この作品をシェア

pagetop