追放聖女の帰還
 結局サーシャは、今朝まで過ごしていた部屋で馬車の準備が整うのを待つしかなかった。

 室内はサーシャが浄化の儀をしている間に、メイドたちの手によって美しく整えられている。ベッドのシーツだって、新しいものに交換されて皺ひとつない。

 朝食代わりに食べたブドウも、新しいものに取り換えられている。

 自分の使っているが知らない間に綺麗になっているのは、未だに慣れない感覚だが、使用人たちには感謝している。

 でも、世話役の任務を終えたアズレイトに、入室の許可を与えた覚えはない。彼が勝手に入って来たのだ。鍵を掛けたはずなのに。

「サーシャさま、わたくしのどこがご不満なのでしょうか。教えてください」
「そ、その前にどうして部屋に入れたの?」

 怒りすら感じるアズレイトの不満そうな顔にビビリつつも、サーシャはグッと握りこぶしを作って質問を質問で返す。

「そのようなこと、今はどうでもいいじゃありませんか」
「良くはないでしょう?だって鍵かけてたんだよ!?」
「あの程度の鍵など造作もございません」

 そう言ってアズレイトは、襟元につけてあるブローチを指さした。

 なるほど。留め金を使ったのか。いやまて、それはれっきとした犯罪だ。

 納得するどころか、アズレイトの知りたくもない特技を知ってしまったサーシャは、じりじりと後退する。

 その空いた距離を、アズレイトは一歩で詰めた。

「わたくしは王宮で生まれ、王宮で育った人間ではありますが、日ごろから鍛錬を欠かしたことはありません。山の中でも海の上でも生活できるくらいの体力はあります。それに、どんな外敵からも貴方を守ることができる力は身に付けております」

 そんな自己アピールを急にされても困る、とサーシャは目を白黒させるが、アズレイトの主張は止まらない。

「手前味噌ですが、こうみえて料理もシェフから褒められるほどの腕前です。魚はもちろん、イノシシだって鹿だって上手にさばくことができます。お望みなら、森の果実で酒を造りますし、ジャムだってお手のものです。繕い物だってやれます」

 それは自己アピールなのか?流れるように語る内容があまりに王子像とはかけ離れているし、アズレイトは旅服に着替えている。

 この人は、本当に自分と一緒に森に行く気なのだろうか。

「あと、は……えっと……ええっと……ああっ、大事なことを言い忘れてました。伽はあなたが満足するまで努めます。どんな要求にでも応えてみせましょう。例えば、夜空を眺めながら──」
「そんなこと、望んでないからっ」

 もう語りたいだけ語らせておこうと決めたサーシャだが、急に下ネタを言い始めたアズレイトに耐え切れず口を挟んでしまった。

 すぐにサーシャはしまったと顔を顰めたが、アズレイトは安堵の笑みを浮かべる。

「ねぇ、アズ。自分がモノ扱いされて嫌じゃないんですか?」

 諸々思うことがあるが、この際だからとサーシャはずっと気になっていたことを口にした。けれど、アズレイトは不思議そうに首を捻るだけだった。

「いいえ、ちっとも。むしろ母君に感謝したいくらいです」
「何に感謝するの?全然わからないんですけど……」
「サーシャ様の種馬になれたことです」
「なってないっ。許可してないっ。認めてないっ」

 慌ててサーシャが否定すれば、アズレイトはものすごく悲しい表情を浮かべる。

「では……どうしたら、わたくしはサーシャさまの種馬になれるのでしょうか?」
「どうもこうも……何をしたって無理だから」

 イケメンが悲しそうな表情を浮かべると、罪悪感が3割増しになる。狡いなぁ、本当に。でもここは、心を鬼にしないといけない時だ。

 意固地と思われてもいい。ワガママだと思われてもいい。お前何様だよ?!と言われたっていい。せっかく着替えたのにと愚痴られたって構わない。

 アズレイトはきっと、エカテリーナの命令を忠実に遂行しようとしているだけ。こんなにも頑張ってサーシャを説得しているけれど、そこに彼自身の感情はないはずだ。
 
 そうわかっていてもサーシャは、優しい彼が悲しむのを見たくない。アズレイトには、ずっと笑顔でいて欲しいのだ。

 そんなサーシャの想いを知らないアズレイトは、信じられない提案をする。

「では、味見をしてください、サーシャさま。あなたさまの種馬として相応しいかどうか、その身体に聞いてみることにします」
「な、何を言ってるの!?馬鹿じゃないの!!」

 思わずサーシャは近くにあったクッションをアズレイトに向けて投げつけた。

 でも、アズレイトは怯むことはしない。顔に当たったクッションを静かに元の場所に置いたアズレイトは、これまで見たこともない危険な視線をサーシャに向けた。

「……わかりました。サーシャさまがそこまでわたくしを嫌うと言うなら、こちらにも考えがあります」

 そう言った彼は、まるで飢えた獣のようだった。

 突然豹変したアズレイトにおののいたサーシャは、部屋から逃げ出そうとした。

 けれどそれよりも早くアズレイトに腕を掴まれ、そのまま壁に押し付けるように拘束されてしまった。

 アズレイトの手も身体も大きい。両手首を掴まれたサーシャがどれだけ暴れてもびくともしない。

「アズ……やだ、やめて!」
「やめません」

 もがくサーシャは涙目だ。それなのに、アズレイトはそうされて当然といった表情を浮かべて、空いてる方の手でサーシャの顎を掴んだ。

「逃しませんよ。サーシャさま」

 ぞっとするような低い声で、アズレイトはサーシャの耳にそんな言葉を注いだ。
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