追放聖女の帰還
 絶対に守れない約束を交わしたというのに、アズレイトの絶望の色に染まっていた瞳に希望の色が宿る。

(お願いだから……そんな顔しないでよ)

 アズレイトの想いに気づいていないサーシャは、顔をくしゃりと歪めた。

 もしサーシャが「利点があるの?」と尋ねた時、アズレイトが「お嬢さん、お望みならキスの一つでもして差し上げますよ」とでも言ってくれたら、こんなに胸が軋むことはなかった。

 出会った瞬間からアズレイトにときめいていたサーシャは、武功を上げたおっさんが喜びそうな三種の神器なんて不要だった。ゴミクズ同然だった。嘘でもいいから、女性として見て欲しかった。

 でもアズレイトはそれに気づかず、自分の首を盾に交渉を始めてしまった。

 王都で浄化の儀をしたことは後悔していない。でも、四六時中アズレイトが優しく接してくれているのは、サーシャが聖女だから。種馬になると言い張るのは、聖女の子孫を残すため。

 そう思い込んでいるサーシャは、これ以上、実らぬ片想いに振り回されたくなかった。

「あのねアズさん。私が死んでも、聖女の血は絶えることはないんですよ。聖女の力が必要になれば、神様がこの国にいる誰かを選んでくれるんです。でも、そんなふうにならないように、私がしっかり浄化しておいたんで安心してください。だからあなたは私を森に送り届けた後は、ちゃんと未来がある人と結婚して幸せになってください」

 サーシャはアズレイトの腕の中で、子供に言い聞かせるようにそう言った。言葉にして伝えたら、びっくりするほど気持ちが軽くなった。

 王宮での賑やかな食事は、サーシャの心を温かくしてくれた。食べ損ねたじゃがいものキッシュもちゃんと食べることができた。

 結界の間にいたエカテリーナは、ひどく疲れた顔をしていた。

 魔導士たちの術で抑え込んでいた瘴気は、魔法陣の中でパンパンに膨らんだ風船みたいだった。

 ちょっとでも突いたらパンッ!と弾けてしまうほど、ギリギリの状態だった。いや、限界なんてとうに超えていた。

 きっとエカテリーナは毎日心配で、不安で、寝ることもしないで、魔導士たちと一緒に結界の間に居続けたのだろう。サーシャが遊んでいる間も、ずっと。

 いつ魔王が復活するかわからない。抑え込んだ瘴気が国中に散らばるかもしれない状態だったのに、女王も魔導士たちもサーシャの為に最後の時間を与えてくれた。

 だからサーシャは頑張った。持てる力の全てを使って、浄化をした。心優しい人たちの子々孫々まで悲しいことが起こらないようにと祈りながら。

 それなのに、一番幸せになってほしいアズレイトは、むっとした顔になる。

「そんなのどうでもいい」
「え?えー……」

 苛立ちを隠すことなく吐き捨てたアズレイトに、サーシャは思わず不満の声を上げる。命を代価にしたのにその言い草はあんまりだ。

「サーシャさまがいいんです。わたくしは、あなた以外は要らないんです。あなたが欲しいのです。聖女なんてどうでもいいんです」
「で、でも……」
「あなたじゃなきゃ駄目なんですよ!」

 強く言い切られて、サーシャは息を吞む。

(いやそれさぁ、今一番言っちゃいけないセリフだし!)

 聞いてはいけない言葉を紡がれ、サーシャは思わずアズレイトの鳩尾を殴った。でも彼には、痛がるどころか嬉しそうに顔を綻ばせる。

「サーシャさま、やっとあなたから触れてくれましたね」
「……殴っただけですよ」
「そうなんですか?でも、わたくしに触れたことには変わりません」

 恐ろしいほどポジティブな発言に、サーシャは呆れを通り越して思わず吹き出してしまった。

(ま、人生そんなもんか)

 サーシャは、くすりと笑った。今わの際でも、こんなふうに笑うことができる自分は幸せだったのだ。

 でも、その幸せにあとちょっとだけワガママを付け加えるのは、許されることなのだろうか。

「……あのね、アズ」

 サーシャは、勇気を出してアズレイトに声を掛けた。すぐさま頭上から、「なんでしょう」と優しい声が降ってくる。

 その声に背を押されたサーシャは、ぎゅっと目を瞑ってアズレイトにワガママを言ってみた。

「ちょっとしんどくて、歩けないの。馬車まで運んでくれますか?」

 自分でもびっくりするほど甘えた声が出た。アズレイトも、驚いた顔をしている。

 でもすぐに、アズレイトはサーシャの腕を取ると自分の首に回した。

「もちろんです。しっかり掴まっていてください」
「……うん、ありがとう」

 アズレイトはそっとサーシャの背と膝裏に手を添えて抱き上げると、静かに馬車へと足を向けた。
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