追放聖女の帰還
 サーシャがロイドからカップを受け取った数日後、馬車は麦畑が広がる農村に到着した。

 奇しくも到着した日は、夏祭りの当日。村は今年一番の賑わいを見せていた。

 そんな中、アズレイトは懐に大量の金貨を忍ばせて、村長の屋敷に向かう。交渉ではなく、お願いをするために。

 アズレイトのお願いは村の祭りに花を添えるものでもあったので、日焼けした村長は二つ返事で引き受けると、さっそく準備に取り掛かってくれた。

 あっさりと己の願いを叶えたアズレイトだが、その表情は浮かない。今にも泣きそうだ。

 急遽、祭りの行事が増えて、村の男衆は慌ただしく動き始めている。それでもすれ違う村民は、今宵の祭りを成功させようと活力に溢れている。

 太陽は僅かに西に傾き、馬車に続く畦道をトボトボ歩くアズレイトの影を伸ばしている。

 その影は畦道から逸れ、動きを止めた。

「覚悟していたことじゃないか……」

 名も知らぬ木に背中を預けたアズレイトは、両手で顔を覆った。

 サーシャは、もうほとんど食事を取れなくなってしまった。どれだけ高価な食材も、希少な果実を絞ったジュースでも、ひとくち口に含んだだけで「ごちそうさま」と言われてしまう。

 骨と皮だけになってしまったサーシャは恐ろしいほど軽く、アズレイトはサーシャを抱き起すたびに心が悲鳴をあげる。

 いっそ感情のまま叫ぶことができたら、どれだけ気持ちが楽になるだろう。でも──

「……駄目だ……絶対に気取られてはいけない」
 
 小川に映った自分の顔を見て、アズレイトは手のひらで両頬を叩いて気合を入れる。

 愛しい人の前では、穏やかで、優しく、真摯な自分でいなければならない。

 もう目が見えなくなってしまったが、彼女は些細な感情の変化でも、すぐに気づいてしまう聖女なのだから──

*

 鈴の音のような、シャボンのような、たくさんの弾ける笑い声が聞こえてサーシャの意識が覚醒する。

 身体を起こすことも、馬車の窓から辺りの様子を伺うこともできないけれど、今日はきっと楽しいことが起こる日だ。

 誰かが幸せでいると、サーシャの心に喜びが広がる。

 どうかこの楽しい空気が、アズレイトや騎士たちにも伝わりますように。

 そんなことを願い、再びうつらうつらし始めたサーシャの肩を誰かが優しく揺らした。

「……ん、アズ?」
「起こしてしまい申し訳ございません」
「ううん、いいの」
 
 首を振って手を差し出すと、大きな手が握り返してくれる。

 それが嬉しくて、ふふっと笑いを零すサーシャだが、次に放ったアズレイトの言葉には目を丸くしてしまった。

「サーシャさま、花火を見ましょう」

 初めて耳にする<花火>という言葉に、サーシャはどうリアクションをしていいのかわからない。

「あの……花火ってなんですか?」
「え?」

 素直に問うたら間の抜けた声が返ってきた。明らかにアズレイトは、ドン引きしている。

(どうせ私は森育ちの世間知らずですよ)

 久しぶりに味わう拗ねた感情はしっかり顔に出ていたようで、アズレイトは取り繕うように咳払いする。

「えっと……ですね。花火というのは、夜空に火薬玉を打ち上げること」
「ふぅーん……ん?ちょ、ちょっと、待って。それは駄目だよ!」

 身を起こすことすら満足にできないサーシャは、横になったままオロオする。

「それって、つ、つ、つまり、内乱が勃発したってこと?それを見物しに行くってことは……ああ、そっか。負の感情を浄化すれば止められるってことか。わかった。私、頑張る」
「ぜんぜん違いますし、頑張らなくて結構です」

 こんな身体になっても聖女であろうとするサーシャに、アズレイトは食い気味に否定した。

「夏の訪れを祝う祭りです。花火は実りの神様に捧げるものですので、人間に向けるものではありません」
「そうなんだ」
「そうです」
「でも火薬玉なんでしょ?大丈夫?」
「もちろん大丈夫です。見学する場所は打ち上げ場所から随分離れておりますから」
「……ふぅーん」

 説明を受ければ受けるほど、サーシャは「遠くから爆発するのを見て、何が面白いのだろう」と疑問がわく。

 なにせサーシャは森生まれの森育ち。ふもとの村とはほとんど交流がないので、これまでそういう行事を見たことも参加したこともない。

 それに今のサーシャは、視力を失っている。花火とやらを見ることはできない。

 でも、馬車の外でそわそわとこちらの様子を伺っている騎士たちの気配が伝わってくる。

(皆さんも、息抜きしたいよね)

 王都を出てから、彼らはずっとサーシャのために時間を使ってくれている。

 そこに感謝はしているが、申し訳ないとも思っている。そんな彼らにサーシャができることは、たかが知れている。

 だからサーシャは「うん、見たい!」とはしゃいだ声を出す。

 すぐさま、安堵の息がそこかしこから聞こえた。
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