追放聖女の帰還
アズレイトが花火見物に選んだ場所は、村の外れにある小高い丘の中腹だった。
サーシャはアズレイトの足の間に座っている。彼が後ろから支えてくれているのだ。
夜露に濡れた草の香りが懐かしくて、サーシャは大きく息を吸う。つんっと鼻の奥が痛んだけれど、くしゃみの前触れだと思うことにする。
「サーシャさま、寒くはありませんか?」
身体を震わせたサーシャを自分のマントで包んだアズレイトは、心配そうに尋ねる。
「ぜんぜん大丈夫ですよ、アズさん」
「では、暑くはありませんか?」
夜といっても、今の季節は夏である。分厚いマントに包まれれば、暑いはずだがサーシャは笑って首を横に振る。
「丁度良いですよ」
「身を起こしていて、お辛くはありませんか?」
「ふふっ、お辛くなんかないですよ」
花火が打ち上げられている合間にそんなことを聞いてくるアズレイトに、サーシャは苦笑を漏らす。
死期が目の前に迫っているせいで、サーシャは五感が鈍ってしまっている。だから暑くもないし、寒くもない。
でもアズレイトの腕の中は心地いいし、彼のアズレイトの言葉だけはしっかりと聞き取ることができるのがとても不思議だ。
そんなことを考えながら、サーシャは花火が打ち上げられる方向を見つめている。
花火とやらを実際に見ることはできないが、残念だとは思わない。村人たちの歓声が夜風に乗って聞こえてくるおかげで、花火が美しいものだとわかるから。
「ねぇアズ、騎士の皆さんも見てるかな?」
「もちろんです。すぐ近くで鑑賞しております」
「そっか。あ、騎士さんたちって、お酒は飲んでる?楽しく過ごしてくれてる?」
「ええ。明日の移動に響かないよう、ほどほどに楽しんでおりますよ」
「うん、良かった……」
ひとまず目的が達成されて、サーシャは安堵の息を吐く。
ホッとしたら、また眠くなってしまった。ここ最近ずっと眠いけれど、今日に限っては眠くて眠くて仕方がない。
サーシャは、アズレイトの胸に頬を寄せて目を閉じる。大きく息を吸ったら、彼のコロンと汗と皮の匂いがして胸がいっぱいになる。
(こんな気持ちのまま眠ったら、最高に幸せだ)
抗えない眠気に身をゆだねようとしたサーシャだが、大きな手が頬に触れて意識を繋ぎとめられる。
「サーシャさま」
「ん……なぁに?」
少し緊張したアズレイトの声は、ちょっと嫌な予感がする。
どうかここで変なことを言ったりしないでと願うサーシャだが、その祈りは神様には届かなかった。
「どうやらわたくしも、サーシャさまと同様にせっかちな性格だったようです」
花火が打ち上げられたと同時に聞こえたアズレイトの言葉に、サーシャは思わず今いる場所から逃げようとした。
「この後に及んで、逃げようとは良い度胸ですね」
わずかな動きでサーシャの思考を読んだアズレイトは、サーシャのお腹にぎゅっと手を回す。
どう答えていいのかわからないサーシャは、無言を貫きながら花火が打ち上げられる数を数える。炸裂の音は2回までしか数えることができなかった。
「サーシャさま、今、あなたの気持ちを聞かせてください。わたくしはあなたの種馬になり得る存在になりましたか?」
低く耳元で囁かれたその声は、まるでサーシャの心の奥底を覗き込んでいるかのようだった。
絶対にアズレイトは今、イイ顔をしている。間違いない。
サーシャは逃げ出そうとしたことも忘れ、視力を失ってしまったことを心底悔やんでしまった。
「お答えいただけますか?」
アズレイトは穏やかな口調で問いかけているつもりだが、不安は隠しきれていない。
サーシャには「西の森に戻るまで答えてたくない」と、言い張れる権利がある。でも自分の気持ちを彼に伝えられるのは、今夜が最初で最後のチャンスだ。
(伝えよう。それでアズが傷つくとしても)
心を決めたサーシャは、緊張で乾いた唇を舐めてから口を開いた。
「私は種馬なんか要らないです」
「……さようですか」
「だって、アズさんは種馬なんかじゃないですから」
「え?」
間の抜けた返答をしたアズレイトの顔も見たいとサーシャは思ったが、無理なことはわかっている。
実りの神様は花火を見るのに忙しいから、奇跡なんて望んじゃ駄目なのことも知っている。
だからせめて、自分の言葉で彼の呪縛を解きたいとサーシャは思った。
「ねえアズ、自分のこと……た、種馬だなんて思っていないくせに、わざと卑下するようなこと言わないでください。あなたには素敵なところが沢山あるんだから……そんなふうに自分を貶める言葉を吐かないで。自分の価値を勝手に決めないで」
言い終えた瞬間、お腹に回っていたアズレイトの手の力が更に強くなった。神に誓って、逃げるようなそぶりは一切していないというのに。
「わかりました……なら質問を変えましょう。サーシャさま、ただのアズレイトとしてなら、あなたの傍にいていいですか?」
「っ……!?」
アズレイトの意地悪な質問に、サーシャは息を吞む。
(嫌だ、絶対に答えたくない!)
無言を貫くサーシャにアズレイトは、さあさあどうなんだと圧をかけてくる。
「答えたくないなら、答えたくなるように差し上げてもいいですよ?」
甘い声で囁くアズレイトの息が、サーシャの頬にかかる。
彼は一体どれだけ自分に顔を近づけているのだろう。想像したサーシャの頬が熱くなる。
「……サーシャさま、この後に及んで嘘はナシですよ」
喉の奥でクツクツ笑うアズレイトは、なんか余裕がある。
ああ、そっか。赤面した自分の顔を、しっかり見ているからか。
退路を断たれたサーシャは諦めた。アズレイトの望む通り、自分の想いを伝えようと決めた。
でも、ちょっとだけ言葉にする勇気足りなくて、サーシャはアズレイトの手に自分の手を重ねてから口を開いた。
「……あ、あの……わたしなんかで良かったら……その……よ、よろしくお願いいたします」
恥ずかしさでどうにかなりそうなサーシャの頭上から、嬉しそうな吐息が降ってくる。
「好きです。サーシャさま」
想いを凝縮したような掠れた声が聞こえたと同時に、頬に大きな手を感じた。すぐに何かが唇に触れた。しっとりと柔らかいそれは指ではなかった。
サーシャの胸に、これまでなかった感情が生まれる。それが何か──少し考えて、サーシャは気付いた。
でもそれをアズレイトに伝える前に、サーシャの手がぱたりと地面に落ちる。
夜空に大輪の花が咲く中、サーシャは大好きな人の腕の中で終焉を迎えた。
サーシャはアズレイトの足の間に座っている。彼が後ろから支えてくれているのだ。
夜露に濡れた草の香りが懐かしくて、サーシャは大きく息を吸う。つんっと鼻の奥が痛んだけれど、くしゃみの前触れだと思うことにする。
「サーシャさま、寒くはありませんか?」
身体を震わせたサーシャを自分のマントで包んだアズレイトは、心配そうに尋ねる。
「ぜんぜん大丈夫ですよ、アズさん」
「では、暑くはありませんか?」
夜といっても、今の季節は夏である。分厚いマントに包まれれば、暑いはずだがサーシャは笑って首を横に振る。
「丁度良いですよ」
「身を起こしていて、お辛くはありませんか?」
「ふふっ、お辛くなんかないですよ」
花火が打ち上げられている合間にそんなことを聞いてくるアズレイトに、サーシャは苦笑を漏らす。
死期が目の前に迫っているせいで、サーシャは五感が鈍ってしまっている。だから暑くもないし、寒くもない。
でもアズレイトの腕の中は心地いいし、彼のアズレイトの言葉だけはしっかりと聞き取ることができるのがとても不思議だ。
そんなことを考えながら、サーシャは花火が打ち上げられる方向を見つめている。
花火とやらを実際に見ることはできないが、残念だとは思わない。村人たちの歓声が夜風に乗って聞こえてくるおかげで、花火が美しいものだとわかるから。
「ねぇアズ、騎士の皆さんも見てるかな?」
「もちろんです。すぐ近くで鑑賞しております」
「そっか。あ、騎士さんたちって、お酒は飲んでる?楽しく過ごしてくれてる?」
「ええ。明日の移動に響かないよう、ほどほどに楽しんでおりますよ」
「うん、良かった……」
ひとまず目的が達成されて、サーシャは安堵の息を吐く。
ホッとしたら、また眠くなってしまった。ここ最近ずっと眠いけれど、今日に限っては眠くて眠くて仕方がない。
サーシャは、アズレイトの胸に頬を寄せて目を閉じる。大きく息を吸ったら、彼のコロンと汗と皮の匂いがして胸がいっぱいになる。
(こんな気持ちのまま眠ったら、最高に幸せだ)
抗えない眠気に身をゆだねようとしたサーシャだが、大きな手が頬に触れて意識を繋ぎとめられる。
「サーシャさま」
「ん……なぁに?」
少し緊張したアズレイトの声は、ちょっと嫌な予感がする。
どうかここで変なことを言ったりしないでと願うサーシャだが、その祈りは神様には届かなかった。
「どうやらわたくしも、サーシャさまと同様にせっかちな性格だったようです」
花火が打ち上げられたと同時に聞こえたアズレイトの言葉に、サーシャは思わず今いる場所から逃げようとした。
「この後に及んで、逃げようとは良い度胸ですね」
わずかな動きでサーシャの思考を読んだアズレイトは、サーシャのお腹にぎゅっと手を回す。
どう答えていいのかわからないサーシャは、無言を貫きながら花火が打ち上げられる数を数える。炸裂の音は2回までしか数えることができなかった。
「サーシャさま、今、あなたの気持ちを聞かせてください。わたくしはあなたの種馬になり得る存在になりましたか?」
低く耳元で囁かれたその声は、まるでサーシャの心の奥底を覗き込んでいるかのようだった。
絶対にアズレイトは今、イイ顔をしている。間違いない。
サーシャは逃げ出そうとしたことも忘れ、視力を失ってしまったことを心底悔やんでしまった。
「お答えいただけますか?」
アズレイトは穏やかな口調で問いかけているつもりだが、不安は隠しきれていない。
サーシャには「西の森に戻るまで答えてたくない」と、言い張れる権利がある。でも自分の気持ちを彼に伝えられるのは、今夜が最初で最後のチャンスだ。
(伝えよう。それでアズが傷つくとしても)
心を決めたサーシャは、緊張で乾いた唇を舐めてから口を開いた。
「私は種馬なんか要らないです」
「……さようですか」
「だって、アズさんは種馬なんかじゃないですから」
「え?」
間の抜けた返答をしたアズレイトの顔も見たいとサーシャは思ったが、無理なことはわかっている。
実りの神様は花火を見るのに忙しいから、奇跡なんて望んじゃ駄目なのことも知っている。
だからせめて、自分の言葉で彼の呪縛を解きたいとサーシャは思った。
「ねえアズ、自分のこと……た、種馬だなんて思っていないくせに、わざと卑下するようなこと言わないでください。あなたには素敵なところが沢山あるんだから……そんなふうに自分を貶める言葉を吐かないで。自分の価値を勝手に決めないで」
言い終えた瞬間、お腹に回っていたアズレイトの手の力が更に強くなった。神に誓って、逃げるようなそぶりは一切していないというのに。
「わかりました……なら質問を変えましょう。サーシャさま、ただのアズレイトとしてなら、あなたの傍にいていいですか?」
「っ……!?」
アズレイトの意地悪な質問に、サーシャは息を吞む。
(嫌だ、絶対に答えたくない!)
無言を貫くサーシャにアズレイトは、さあさあどうなんだと圧をかけてくる。
「答えたくないなら、答えたくなるように差し上げてもいいですよ?」
甘い声で囁くアズレイトの息が、サーシャの頬にかかる。
彼は一体どれだけ自分に顔を近づけているのだろう。想像したサーシャの頬が熱くなる。
「……サーシャさま、この後に及んで嘘はナシですよ」
喉の奥でクツクツ笑うアズレイトは、なんか余裕がある。
ああ、そっか。赤面した自分の顔を、しっかり見ているからか。
退路を断たれたサーシャは諦めた。アズレイトの望む通り、自分の想いを伝えようと決めた。
でも、ちょっとだけ言葉にする勇気足りなくて、サーシャはアズレイトの手に自分の手を重ねてから口を開いた。
「……あ、あの……わたしなんかで良かったら……その……よ、よろしくお願いいたします」
恥ずかしさでどうにかなりそうなサーシャの頭上から、嬉しそうな吐息が降ってくる。
「好きです。サーシャさま」
想いを凝縮したような掠れた声が聞こえたと同時に、頬に大きな手を感じた。すぐに何かが唇に触れた。しっとりと柔らかいそれは指ではなかった。
サーシャの胸に、これまでなかった感情が生まれる。それが何か──少し考えて、サーシャは気付いた。
でもそれをアズレイトに伝える前に、サーシャの手がぱたりと地面に落ちる。
夜空に大輪の花が咲く中、サーシャは大好きな人の腕の中で終焉を迎えた。