春の月明かり

秋の空に、近づく心

 教室の窓から、秋のやわらかな光が差し込んでいた。

 私は席に座ると、スケッチブックを開いた。

 先日、神志那くんと見に行った秋桜の絵。

 淡いピンクと白の花びら。
 秋の風に揺れる細い茎。
 そして、花を見つめる神志那くんの横顔。

 絵を見るだけで、あの日のことが思い出される。

「明凛、おはよう」

 隣から声がして、私は顔を上げた。

「神志那くん、おはよう」

「秋桜の絵?」

「うん。少し色をつけてみたんよ」

 私はスケッチブックを彼に向けた。

 神志那くんは、絵をじっと見つめた。

「おお、色がつくとまた違うな」

「ほんと?」

「うん。あの日の風まで思い出す感じがする」

 その言葉が嬉しくて、私は笑った。

「神志那くんにそう言ってもらえると、描いてよかったって思う」

「また描いてな」

「……うん!」

 彼の笑顔を見て、胸が温かくなった。


 その日の昼休み。

 私は友達とお弁当を食べながら、窓の外を眺めていた。

 校庭の木々が、少しずつ秋の色に変わり始めている。

「明凛、今度の休み、何するん?」

「え? まだ決めてないよ」

「神志那くんと、また花を見に行くん?」

「そ、そんな予定ないよ!」

 慌てて答えると、友達は笑った。

「でも、行きたいんやろ?」

 私はお弁当のおかずに目を落とした。

「……うん」

 小さな声で答える。

「神志那くんと、また一緒に花を見たい」

 口に出してみると、気持ちが少しだけはっきりした。

「じゃあ、誘ってみたら?」

「私から?」

「そう。秋桜のときも誘えたやん」

 私は少し考えた。

 また誘ってみたい。

 でも、断られたらどうしよう。

 そんな不安もあった。

「……頑張ってみようかな」

 友達は、優しくうなずいた。


 放課後。

 美術部の活動を終えた私は、スケッチブックを抱えて花壇へ向かった。

 園芸部の神志那くんは、花壇の土を整えていた。

「神志那くん」

「あ、明凛。部活終わったん?」

「うん。お花のお世話?」

「そう。秋の花が元気に育つようにね」

 私は花壇のそばにしゃがみ、花を眺めた。

 夏のひまわりが咲いていた場所には、季節の変化が残っている。

「ひまわり、種ができたね」

「うん。来年また育てるために、残しちょるよ」

「来年も、また見られるんやね」

「そうやな」

 神志那くんは、嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見て、私は思った。

 今なら、誘えるかもしれない。

「あのね、神志那くん」

「ん?」

「今度……また、一緒に花を見に行かん?」

 言えた。

 自分から、ちゃんと誘えた。

 神志那くんは少し驚いたように目を丸くして、それから笑った。

「いいよ。どこの花を見に行く?」

「えっと……秋の花とか、いろいろ見たいな」

「じゃあ、どんな花が咲いちょるか調べてみようか」

「うん!」

 嬉しくて、自然と笑顔になった。

 神志那くんと、また一緒に花を見られる。

 その約束だけで、心がいっぱいになった。


 帰り道。

 夕焼けが空を淡いオレンジ色に染めていた。

 私は神志那くんの隣を歩きながら、何度も今日のことを思い返していた。

 自分から誘えたこと。
 彼が笑って、いいよと言ってくれたこと。

 どれも、嬉しかった。

「明凛」

「なに?」

「今日、誘ってくれてありがとう」

「えっ?」

「明凛が見たい花、俺も一緒に見たいけん」

 胸が、どきんとした。

「……ほんと?」

「うん」

 神志那くんは、いつもの優しい顔で笑った。

 私は、すぐに返事ができなかった。

 嬉しい気持ちが、胸いっぱいに広がっていたから。

「……ありがとう」

 やっと、それだけ言えた。

 彼は小さくうなずいた。


 家に帰ると、私はスケッチブックを開いた。

 今日の花壇の絵を描き足す。

 花壇のそばに立つ神志那くん。
 夕方の光。
 少し冷たくなった秋の風。

 そして、ページの下に文字を書いた。

『神志那くんと、また花を見に行く約束をした日』

 書き終えて、私は鉛筆をそっと置いた。

 今まで、気持ちを伝えることが怖かった。

 でも、少しずつなら前に進める気がする。

 自分から話しかけること。
 自分から誘ってみること。

 小さな一歩でも、私にとっては大切なことだった。

 いつか、この気持ちを伝えられる日が来るのかな。

 そう考えると、胸が少しだけきゅっとした。

 けれど、今は焦らなくてもいい。

 神志那くんと一緒に、花を見て、話して、笑って。

 そんな時間を、ひとつずつ大切にしていきたい。

 窓の外には、秋の月が静かに浮かんでいた。

 私はスケッチブックを閉じて、そっと微笑んだ。

 秋の空の下。

 私たちの心は、少しずつ近づいていた。
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