忘却華の契約婚
始まり
プロローグ
「わたしが、そなたの願いを叶えてやろう。」
通りすがりの、気まぐれな神様は出会って間も無い少女に告げた。
その刹那、少女の両腕についていた手錠が、細かな鉄片となりぼろぼろと冷たい床に崩れ落ち、けたたましい音が鳴り響く。
月明かりがわずかに差し込む、薄暗く湿った石壁に囲まれた牢屋。そこには、私の神通力によって拘束を解かれた少女が、何事もなかったかのように地面へ座っている。
―いや、何事もなかったかのように。ではなく、どうでもよく、すべてを諦めたかのように、の間違いであろうか。
少女は、笑っていた。
誰かに見せるための笑顔ではない。喜びを表すためのものでもない。ただ、そこに置き忘れられた人形のように、薄く唇を持ち上げている。
長い黒髪が白い頬を覆っていた。
その隙間から覗く瞳は、伏し目がちで深淵に呑み込まれたかのような、黒い色をしていた。
まつ毛に月明かりが触れ、細かい光がいくつも瞬いている。
何かをみているはずなのに、何も見ていない。
「そなたはなぜ笑っているのだ?」
そう、少女に尋ねてみた。
少女は、明かり取りを仰ぎ見る。
「…月は綺麗ですねぇ。私とは正反対。」
消え入りそうな声で、ちぐはぐな答えが返ってきた。
「……。あなたは、神様なのですね?…では、お言葉に甘えて。一つ願いを叶えてくださいますか?」
少女はあまり話さず、謙虚で無欲、そして精神が壊れているのだと勝手に思っていたがそうでもないようだ。
「ああ。私は、そなたに願いを叶えてやろうと言ったからな。」
意外とあっさりしており、会話はできるようだ。しかし、少女の表情は変わらない。
「…ありがとうございます。私は、残り少ない人生を、利用されるのではなくて、自分の幸せのために使いたいと思いまして。」
少女は、独り言のように呟き、どこか遠い目をしていた。
「ここから出してほしいということか?そなたの、生きることに疲れたような顔を見るに、幸せな人生をやり直せるとは思えんがな。」
「そうですねえ…。でも、復讐する気にはなれない。戦う気にもなれない。もう疲れてしまったのです。………。」
少女は、一度話すことを止め、思い切ったかのように
話を続けた。
「私の願いは、これまでの記憶を消してもらうことです。」
私は、少女がどのような人生を送っていたのか神通力で分かる。しかしながら、通りすがりで出会った少女に庇護欲がわくことは無かった。
それでも、少女の未来をみてみたいという好奇心はある。
気まぐれな神様である、月読命は、
そんな理由で少女に近づいたのだから―。
(復讐に転がるか、それとも―。)
「分かった。願いを叶えてやろう。」
そう言って、少女の額に手をやる。
やがて少女は、すぅっと瞼を落とし眠りにつくのであった。
自分の名前
自分の過去
これまでの暮らし
なにもかも忘れて――。
東の空が白み始める。
夜の冷たさを残したまま、朝霧が森を包んでいく。
月は薄れていき、代わりに空の端から淡い光が滲み出した頃、うつらうつらしながら牢屋に向かう一人の見張り番がいた。
鉄格子の奥にいる、少女の様子を確認するためである。
見張り番は、腰から下げた鍵束の中から、一つの鍵を取り出す。穴の空いた古びた鍵を、指先でくるくると回しながら眠そうに歩いていた。
少女が居る牢の前に立ち、欠伸を噛み殺しながら鍵穴に鍵を差し込もうとした。
しかし、見張り番は不意に目を覚ますこととなる。
―鉄格子の奥には、粉々となった鉄片だけが残されていたのだから。
通りすがりの、気まぐれな神様は出会って間も無い少女に告げた。
その刹那、少女の両腕についていた手錠が、細かな鉄片となりぼろぼろと冷たい床に崩れ落ち、けたたましい音が鳴り響く。
月明かりがわずかに差し込む、薄暗く湿った石壁に囲まれた牢屋。そこには、私の神通力によって拘束を解かれた少女が、何事もなかったかのように地面へ座っている。
―いや、何事もなかったかのように。ではなく、どうでもよく、すべてを諦めたかのように、の間違いであろうか。
少女は、笑っていた。
誰かに見せるための笑顔ではない。喜びを表すためのものでもない。ただ、そこに置き忘れられた人形のように、薄く唇を持ち上げている。
長い黒髪が白い頬を覆っていた。
その隙間から覗く瞳は、伏し目がちで深淵に呑み込まれたかのような、黒い色をしていた。
まつ毛に月明かりが触れ、細かい光がいくつも瞬いている。
何かをみているはずなのに、何も見ていない。
「そなたはなぜ笑っているのだ?」
そう、少女に尋ねてみた。
少女は、明かり取りを仰ぎ見る。
「…月は綺麗ですねぇ。私とは正反対。」
消え入りそうな声で、ちぐはぐな答えが返ってきた。
「……。あなたは、神様なのですね?…では、お言葉に甘えて。一つ願いを叶えてくださいますか?」
少女はあまり話さず、謙虚で無欲、そして精神が壊れているのだと勝手に思っていたがそうでもないようだ。
「ああ。私は、そなたに願いを叶えてやろうと言ったからな。」
意外とあっさりしており、会話はできるようだ。しかし、少女の表情は変わらない。
「…ありがとうございます。私は、残り少ない人生を、利用されるのではなくて、自分の幸せのために使いたいと思いまして。」
少女は、独り言のように呟き、どこか遠い目をしていた。
「ここから出してほしいということか?そなたの、生きることに疲れたような顔を見るに、幸せな人生をやり直せるとは思えんがな。」
「そうですねえ…。でも、復讐する気にはなれない。戦う気にもなれない。もう疲れてしまったのです。………。」
少女は、一度話すことを止め、思い切ったかのように
話を続けた。
「私の願いは、これまでの記憶を消してもらうことです。」
私は、少女がどのような人生を送っていたのか神通力で分かる。しかしながら、通りすがりで出会った少女に庇護欲がわくことは無かった。
それでも、少女の未来をみてみたいという好奇心はある。
気まぐれな神様である、月読命は、
そんな理由で少女に近づいたのだから―。
(復讐に転がるか、それとも―。)
「分かった。願いを叶えてやろう。」
そう言って、少女の額に手をやる。
やがて少女は、すぅっと瞼を落とし眠りにつくのであった。
自分の名前
自分の過去
これまでの暮らし
なにもかも忘れて――。
東の空が白み始める。
夜の冷たさを残したまま、朝霧が森を包んでいく。
月は薄れていき、代わりに空の端から淡い光が滲み出した頃、うつらうつらしながら牢屋に向かう一人の見張り番がいた。
鉄格子の奥にいる、少女の様子を確認するためである。
見張り番は、腰から下げた鍵束の中から、一つの鍵を取り出す。穴の空いた古びた鍵を、指先でくるくると回しながら眠そうに歩いていた。
少女が居る牢の前に立ち、欠伸を噛み殺しながら鍵穴に鍵を差し込もうとした。
しかし、見張り番は不意に目を覚ますこととなる。
―鉄格子の奥には、粉々となった鉄片だけが残されていたのだから。
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