Bitter & Sweet
「行ってきます」
母親が作ってくれたフレンチトーストを美味しく平らげて家を出た。
時刻は午前7時半。学校は8時半からだから充分に間に合う。
同じマンションの隣部屋の前に着きインターホンを押せば、ひとりの綺麗な女性が顔を出した。
「あら、那月ちゃん」
「おはようございます」
「おはよう、櫂ならまだ寝てるの」
「だと思いました、起こしてきますね」
「いつもごめんね、ありがとう」
「いいえ」
高校生の息子がいるとは思えないほど若見えする、彼の母親の側を通って目的の部屋へ進んでいく。
ひとつの部屋の前で立ちどまりノックをしても、思った通り返事は全く返ってこない。
いつもながら、本人は深い眠りに入っているみたい。
起こすことは忍びないと思いながらも、遅刻を阻止するため、なるべく音を立てないように、そろりと忍び足で部屋へ入る。
そこは白と黒で統一された、モノトーンの彼らしい落ち着いた色合いの部屋で、机にベッド、ノートパソコン、小型の液晶テレビなど、必要最低限のものしか置かれていない。
「ねえ、起きてよ」
頭上まで被った掛け布団はふっくらと膨らんでいて、本人はよほど深い眠りに入っているのか、私が軽く揺すっても全く反応しない。
「櫂、起きて、遅刻するよ」
遮光カーテンを開け、何度も身体を揺すっても起きず、なんとも地味な攻防戦を繰り返して数分後。
ようやく起きたみたいで、彼ーー右京櫂は、朝陽の光に目が眩んだのか片目を僅かに細め、艶のある漆黒の髪をぽりぽりと掻きながら、むくりと上体を起こした。
「おはよう、早く着替えて準備してね」
「……はよ、今何時?」
「今ね、7時40分」
「起こすの早すぎ、もう少し寝れんだろ」
「ダメだよ、櫂ってば目を離すと、いつも時間ギリギリまで寝てるんだから」
小さな欠伸を漏らした櫂は、再び夢の中へ逆戻りしようと掛け布団に手をかけた。
私はそれを阻止するべく、掛け布団を捲って起きるように促していく。
「昨夜も遅くまでバイトしてたの?」
「まあな」
「そんなに稼いでどうするの?」
「……別に」
チラッと私の顔を一瞥した櫂はすぐに逸らして、おもむろにベッドから出ると、長袖の黒いスウェットを無造作に脱ぎ出した。
「ちょ、ちょっと、急に脱がないでよ」
「は?」
「その、目のやり場に困るっていうか…」
「いまさら?早く着替えろっつったの、お前だろ」
「それは、そうなんだけど…」
程よく鍛えられた腹筋が目に入り、恥ずかしさのあまり両手で目元を隠しながら、きょろきょろと視線を彷徨わせる私の内心なんてお構いなしに、気づけば、櫂はブレザーの制服に着替えて既に準備を終えていた。
スウェットを着ているだけでもオシャレに見えていたのに、緩く巻かれた、ネイビー色のストライプネクタイというアイテムひとつで色気を醸し出すという、制服の着こなし方まで上級者で、つい無言で見惚れてしまう。
長身でスタイルが良いから何を着ても似合ってしまうところが、罪深いなあ、と思いつつ、魅入ってしまうくらいには好きだったりする。