放課後のジントニック、美術室の魔法
「うーん、このシャツもいいけど、昼間に着るならもう少し柔らかい雰囲気のほうがいいかな。あ、これなんかどう?」
夏海がラックから引き抜いたのは、白いモックネックのカットソーと上品なウール素材のネイビーのライトアウターだった。目の前に突きつけられたそれを、俺は恐る恐る指先で触ってみる。
「これ……なんか、高そうなんだけど。俺の軍資金、今月の単発バイト代だから限られてるぞ?」
「大丈夫、ちゃんと計算の範囲内だから!ほら、細かいこと気にないで、早く試着室に入って着替えてきて!」
夏海は俺の背中をぐいぐいと押し、白いカットソーとネイビーのアウターを胸元に次々と押しつけてきた。
言われるがままに試着室の重いカーテンを閉め、自分の子供っぽい服を脱ぎ捨てる。渡された新しい白のシャツに袖を通し、その上からネイビーのアウターを羽織ってみた。鏡の前にたち、恐る恐る自分の姿を見つめる。
(……あ)
思わず、小さな声が漏れた。
大輝と買い物をしたときはただロボットみたいにガチガチになるだけだったが、いざ結衣さんの顔を思い浮かべながらこの服を着てみると、鏡の中にいる自分が、いつもとは全く違う『どこかの大学生』のように見えてくる。
生地の独特の柔らかさや、肩のラインの綺麗さ。服が変わるだけで、自分の立ち振る舞いまで少し大人びていくような、妙なむず痒さと高揚感が胸の奥から湧き上がってきた。心臓が、ドクドクといつもより速いビートを刻み始める。この姿を、今度の土曜日、あの隠れ家カフェで結衣さんに見せたら、彼女は一体どんな顔をしてくれるだろうか。そんな甘い期待が、胸いっぱいに広がっていく。
「ちょっと航平―? 生きてる? 終わったら出てきてよ」
カーテンの向こうから、夏海の待ちきれないような声がした。
「あ、ああ……今出る」
俺が恐る恐るカーテンを横に開けると、試着室の前で腕を組んで待っていた夏海は、俺の姿を見た瞬間に一瞬だけ「あ……」と声を漏らして動きを止めた。その丸い瞳が、俺の頭の先から足元までをゆっくりと、息を呑むようにして往復する。
「……変、か?やっぱり俺には、まだ早すぎたんじゃ……」
「う、ううん……変じゃない。っていうか……」
< 45 / 82 >

この作品をシェア

pagetop