光のはじまり ― 王子が困るまで ―
一年以上、付き合っていた。
会いたいと思えば、彼女の部屋へ行った。
一緒にいる時間も好きだった。
それが、今、終わるという。
理由はまだ分からない。
「別れたくないと言ったら?」
彼女が目を見開いた。
その反応が、理久には意外だった。
「その顔、何」
理久が先に聞いた。
彼女は少しだけ視線を逸らした。
「いや、意外だなって」
「意外?」
「別れたくないって言うの?」
「俺が聞いてる」
彼女はしばらく理久を見ていた。
「藤崎くん」
「何」
「可愛くないね」
……また。
相良先生にも言われた。
彼女にも言われた。
これまでなら、聞き流していたはずだった。
けれど、今は妙に腹が立った。
「それで全部済ませるの、やめてくれる?」
彼女が目を丸くした。
「あ」
「何」
「怒った」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってないよ」
「じゃあ、不機嫌」
理久は黙った。
彼女は少し嬉しそうだった。
それが、さらに腹立たしい。
「何で笑ってるの」
「藤崎くんも、そんな顔するんだなと思って」
「するよ」
「知らなかった」
理久は言葉を失った。
……知らなかった?
一年以上、一緒にいた。
食事をして、仕事の話をして、キスをして、同じベッドで眠った。
それなのに、彼女は自分がこんな顔をすることを知らなかった。
理久も、今になって気づいた。
彼女の前では、ほとんど不機嫌になったことがない。
腹を立てるようなこともなかった。
それを、うまくいっているのだと思っていた。
……違ったのか。
彼女が知らなかったのか。
自分が見せなかったのか。
理久には、まだ分からなかった。
「一度くらい」
彼女が言った。
「何」
「誰かがいなくなって、本当に困ればいいのに」
理久は眉を寄せた。
困る。
また、その言葉だ。
「……呪い?」
彼女は一瞬、目を丸くした。
それから笑った。
「違う。願い」
「性格悪いね」
「年上だからかな」
「関係ある?」
「あることにしておいてよ」
彼女は理久を見た。
「あなたが、自分から帰りたいと思う場所を見つければいいなって思ってる」
帰りたい場所。
理久は少し考えた。
そして答えた。
「部屋はあるよ」
彼女は、すぐには答えなかった。
理久も黙った。
彼女が言っているのは、自宅の住所や建物のことではない。
それくらいは分かる。
けれど、何を指しているのかは分からなかった。
彼女はやがて、小さく息を吐いた。
「最後まで藤崎くんだね」
理久は返事をしなかった。
* * *
その夜、理久は自分の部屋へ戻った。
鍵を開け、照明をつける。
いつもどおり、整った部屋だった。
コートを脱ぎ、明日の手術記録を開いた。
読めた。
必要なところを確認し、資料を閉じた。
眠れた。
翌朝も、いつもどおり病院へ向かった。
何も困らなかった。
彼女が言った「願い」の意味も、やはり分からなかった。
そのはずだった。


