光のはじまり ― 王子が困るまで ―
彼女が、自分の隣で安心して眠っている。

その事実が、妙に胸に残った。

理久はテレビへ視線を戻した。

画面では、いつの間にかドラマが終わっていた。

内容は、まるで覚えていない。


……何やってるんだ、俺。


胸の奥が、少しだけ危うくなる。

起こした方がいいのかもしれない。

けれど、あれほど怖がっていた彼女が、ようやく眠れたのだ。

それを邪魔する気にはなれなかった。

繋いだ手は、そのままにしておく。


理久は、もう一度だけ横顔を見た。

化粧を落とした、少し幼く見える顔。

普段は、こちらが一歩近づけば、きっちり線を引くくせに。

眠ってしまえば、この有様だ。


……綾瀬美月。

無自覚にも程があるだろ。


思わず、口元が緩んだ。


ほんと、危ないな。


理久は、そっと目を閉じた。

手は、繋いだままだった。

◇

頬に、何かが触れた。

ほんの少し。

遠慮がちに、確かめるような指先だった。

「……綺麗」

声が、眠りの底まで届いた。


……何?


目を開けようとした、その時。

不意に、別の声が重なった。


『私がいなくなったら、困る?』


六つ年上の、かつての恋人。

別れを告げられた夜、理久は理由を聞いた。

別れたくないと言ったらどうするのか、とも聞いた。

けれど、彼女が去ると決めたことを、最後には受け入れた。


『最後まで藤崎くんだね』


その言葉を残して、彼女はいなくなった。

翌朝も、仕事に行けた。

食事もできたし、眠ることもできた。

何も困らなかった。

だから、あの問いには、結局答えられないままだった。


――ふと、手の温度が動いた。


繋いでいた指が、そっとほどかれていく。


ーー離れる。


そう感じた瞬間。

理久の指が、勝手に動いた。

きゅっと、握り返す。


……え。


自分で握ったのだと気づくより先に、布の擦れる音がした。

「あ」

小さな声。

次の瞬間、膝に重みが落ちてきた。

「っ……!」

理久は目を開けた。

目の前に、綾瀬美月がいた。


近い。

……いや、近すぎる。


クッションがずれ、体勢を崩したらしい。

彼女は、自分の膝に半分乗るような格好で固まっていた。

理久は瞬きをした。

繋いだままの手を見る。


……俺が、握った?


離れかけた手を。

考えるより先に。

その事実が、妙に引っかかった。

かつての恋人が去る時、自分は引き止めなかった。

なのに今は、眠ったまま、綾瀬美月の手を離さなかったらしい。

何を考えていたのか。


……いや。


考えていなかったから、こうなったのか。

「……綾瀬さん?」

声が、思ったより低くなった。

彼女は答えない。

真っ赤になった顔で、こちらを見ている。

「……逃げようとした?」

口にしてから、自分でも少しおかしくなった。

逃げようとしていたに決まっている。

目覚めたら、男と手を繋いでいて、その肩にもたれていたのだから。

問題は、そこじゃない。

問題は。


……なんで、俺は握り返した?


今さら手を離すことはできる。

体勢を整えるのを手伝って、何事もなかった顔をすればいい。

それだけだ。

分かっている。

なのに、腕を回せば抱き寄せられる距離に綾瀬美月がいる。

その事実を、意識せずにはいられなかった。
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