光のはじまり ― 王子が困るまで ―
数十分ほどして、店の引き戸が開いた。

入ってきた綾瀬はこちらに気づいて、まっすぐ近づいてきた。

「及川くん」

最初に俺を見る。

「呼び出してごめん」

「なんでこんなことになってるの?」

なぜだろう。

俺は何も悪いことをしていないはずなのに、すでに怒られている気がする。

「桐谷先生、お疲れ様です」

綾瀬は隣にいた桐谷先生に挨拶すると、藤崎先生の方へ視線を向けた。

眠っている藤崎先生は、まったく気づいていない。

綾瀬が小さく息を吐く。

「りく」

その呼び方に、俺は一瞬固まった。

ーーりく。

病棟では絶対に聞かない声だった。

藤崎先生が、少しだけ動く。

「……ん」

「起きてください」

「……美月?」

声が低い。

完全に寝起きだ。

綾瀬が少しだけ呆れた顔をする。

「こんなところで寝ないでください」

注意されている藤崎先生を見て、桐谷先生が笑う。

「みんなで藤崎の悪口大会をしてたんだぞ」

藤崎先生が、ぼんやりした顔でこちらを見る。

「え?」

俺は慌てて手を振った。

「俺、言ってないですから! 巻き込まないでください!」

「桐谷先生も及川くんを揶揄わないでください」

綾瀬が淡々と言う。

「綾瀬は及川の味方か」

桐谷先生が味方という言葉を使ったものの、綾瀬は肯定も否定もせず、こちらを向いた。

「及川くん、巻き込まれてばかりですね」

「綾瀬、お前も俺を巻き込んだことがあるけどな」

かつて、バレンタインチョコで巻き込まれた一件を出すと、綾瀬は視線を逸らした。

今度は綾瀬が黙る番だった。

少しだけ気分がいい。

藤崎先生は、まだ眠そうな顔で綾瀬を見る。

「美月……なんでここにいるの?」

寝ぼけていても、酔っていても、外側だけなら王子そのものに見える。

綾瀬は淡々と答えた。

「及川くんに呼び出されました」

「おい、待って!」

俺は思わず声を上げた。

「言い方! 俺が悪者みたいになってる!」

さっきの仕返しのつもりなのだろうか。

今度は味方ではないらしい。

「違うんですか?」

「違います!」

「でも呼びましたよね」

「呼びましたけど!」

「呼び出せと言ったのは桐谷先生だから!」

桐谷先生がすぐに言う。

「実行犯は及川だろ」

「桐谷先生!」

藤崎先生の視線が、ゆっくり俺に向いた。

眠そうなのに、刺さる。

「……だから先生、刺さないでくださいよ。指示出しは桐谷先生ですから」

藤崎先生が、少しだけ目を細める。

「常に上の先生の指示が正しいとは限らないと思うけど?」

「……はは。ですよねぇ」

やっぱりこの感じ。

新人時代に感じた、あの藤崎先生に近い。

言葉がやわらかいようで、実は切れ味がある。

王子の顔をして、普通に刺してくる。


綾瀬が間に入った。

「はいはい、お終いです。りく、及川くんを追い詰めないでください」

藤崎先生が、綾瀬を見る。

「美月は及川の味方なの?」

「え?」

「俺と及川、どっちの味方なの?」

俺は固まった。


この王子、なんつーことを奥さんに聞いてるんだ。

ていうか、これが王子の素顔なのか?


綾瀬も一瞬だけ止まった。

それから、すっと視線を外す。

「桐谷先生。こんな面倒なことを言う人は放っておいて、お会計しましょう」

「そうだな」

桐谷先生はすぐに立ち上がった。

「いや、待ってください。俺、置いていかれる流れですか」

「実行犯だからな」

「だから指示出しは桐谷先生ですって」

桐谷先生が会計票を手に取る。

綾瀬もバッグを持ち、藤崎先生の上着を手にした。

藤崎先生はまだ座ったまま、綾瀬を見ている。

「美月」

「何ですか」

「さっきの答え」

「……まだ言ってるんですか」

「大事なことだから」

「面倒くさいです」

「ひどいな」

桐谷先生が肩を震わせて笑っている。

俺は頭を抱えたくなった。

本当に、どこが王子なんだ。


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