茜と菫の境界線で、夢を見る。
4限終わりの教室に、生徒たちの脱力したため息が響いた。やっと昼休みになったことへの解放感ではなく、配られたばかりの夏休みの課題がその原因だ。有名大学の過去問が両面刷りになっていて、ざっと見ただけでも簡単には済ませられないことが明白だ。
「なぁ、昼飯食お」
声をかけてきたのは、後ろの席の仁科だった。出身校が同じで、なんだかんだ一緒にいることが多い。陽葵にとって、友達と言える数少ない存在だ。仁科には友達がたくさんいるが、なぜか陽葵にばかり話しかけてくる。お昼ご飯を一緒に中庭で食べるのも、いつものことだ。仁科は男だけど、不思議と気まずさはない。
「今日も弁当?」
「うん。仁科は?」
「購買行きたい」
購買は1年生の教室がある1号館と、特別教室や個別指導室がある5号館の2か所にある。1号館にはパン、5号館には丼物が売っている。仁科がいつも行くのは5号館の購買だ。
陽葵たち2年生の教室がある2号館の校舎から5号館へ行くには、一度外に出る必要がある。
7月の真昼はじりじりと肌を焼くような暑さだった。仁科は「外暑いし、一人で買いに行ってくるよ」と言ってくれたけど、一緒に行くことにした。先にお弁当を食べるのも気が引けたし、かと言って目の前のお弁当に手を付けずに一人待つのも、かえって気を遣わせる。
昇降口を一歩出ると、アスファルトに反射した太陽光が目に沁みた。あまりの眩しさに手庇を作って、なんとか目を開ける。
「うわ、なんか今日混んでるな」
仁科の言う通り、購買の前に人だかりができていた。それも、やけに女子生徒が多い。
胸の奥がざらりとした。嫌な予感がした。そして、人混みに近づいていくにつれ、それは確信に変わる。
いつになく長い列の中間あたり、そこに並んでいるあの人の周りに女子生徒が群れを成していた。
「あっ、ヤッホー!」
同じクラスの山口さんが、あの人に手を振る。いつも一緒の尾花さんと伊藤さんを引き連れて人だかりを押し退け、その傍らを陣取る。あの人は鬱陶しそうにため息を吐き、「ハイ、ドウモ」と低く返した。
隣で仁科が「親子丼残ってるかな~」と呟く。「一番人気だもんね」と返しながら、視線を購買の方に向けているフリをして、あの人の方を盗み見る。
茹だるような暑さの中、あの人は長袖のワイシャツを着て、その袖を二つ折りにしている。
「君たちはいつになったら敬語を覚えるんだ?」
「そっちこそ、いつになったらウチらの名前覚えんの?」
「そうだよ。キミとかそこの女子とかで誤魔化してんのバレてるからね?」
「何言ってんだ。ちゃんと覚えてるぞ。右から、佐藤、鈴木、高橋」
「全然違うし」
「多い苗字トップ3で成功率上げようとしてんのセコ」
「あ。君、瀬古か」
「伊藤だよ」
「佐藤って惜しかったじゃねぇか」
「名前に惜しいとかないから」
呆れた顔をしながらも色めき立っている3人をよそに、あの人は親子丼を購入すると、スタスタと歩き去っていく。引き止められても、ハイハイハイ、と雑にあしらい、すれ違いざまに声をかけてきた別の女子にも、素っ気なく「ハイ、コンチニハ」とおざなりに去っていく。
「ごめんねぇ、親子丼、さっき売り切れちゃったのよ」
購買のおばちゃんに申し訳なさそうな顔をされ、仁科は潔く「じゃぁカツ丼で」と小銭を差し出した。
購買の親子丼がおいしいことは、この高校に通う者なら誰もが知っている。だけど、陽葵は一度も買えたためしがない。いつも売り切れていて、もはや幻の存在だ。
ちょっとあの人に似ている。
みんなの視線を一身に集めながら、誰の手にも落ちない。それどころか、相手の名前を一切覚えない。
でも、だからこそ、みんなが手に入れたいと夢中になる。常に引かれる一線が、人気に拍車をかける。