魔法より、君に恋をする。

第二十八章 私が私であるために

春季実戦祭初日、第十三部隊と第二部隊の試合は無効試合となった。

 公式発表は、演習設備の一時的な魔力異常。

 再試合は翌日の午後。

 それまで第十三部隊には、訓練ではなく待機が命じられた。

「暇」

「事件の直後に出る言葉じゃないよ、それ」

 学院の医務室で、ノアが呆れたように言った。

 リリアは診察台の上に座り、足をぶらぶらさせている。

「怪我ない」

「だからってすぐ訓練しようとする?」

「明日試合」

「今日くらい休んでも弱くならないよ」

「なるかも」

「ならない」

 反対側では、セシルが腕を組んでいた。

「先生も今日は安静って言ってたでしょ」

「安静ってどこまで?」

「少なくとも演習場に行くのは駄目かな」

「魔法の本読むのは?」

「いいんじゃない?」

「術式書くのは?」

「普通のなら」

「実験は?」

「駄目」

「まだ言ってない」

「言うと思った」

 セシルに先回りされ、リリアは口を閉じた。

 診察の結果、身体には何の異常もなかった。

 魔力回路にも損傷なし。

 記憶障害もなし。

 意識を失った時間も、レオンハルトの証言では数秒程度。

 つまり。

「健康」

「そうだね」

「なら帰れる?」

「検査結果をルシアン先輩が確認したらね」

「遅い」

「生徒会長忙しいんだよ」

「監督生もやってる」

「そう」

「大変」

「分かってるなら待ってあげて」

 リリアは枕を抱き寄せた。

「……暇」

「僕がいるじゃん」

「ノアは暇つぶし?」

「傷つくなあ」

「違うの?」

「好きな女の子のお見舞いに来た健気な男の子」

「私、入院してない」

「雰囲気」

「元気」

「知ってる」

 ノアが笑う。

 その笑顔を見て、リリアも少しだけ笑った。

 でも。

 ふと静かになると。

 あの声が戻ってくる。

『お前じゃない』

 リリアは抱いていた枕へ視線を落とした。

「……ねえ」

「うん?」

「私がリリアじゃなかったらどうする?」

 ノアの笑顔が消えた。

 セシルもリリアを見る。

「名前が違ったってこと?」

「分からない」

「じゃあ、どういう意味?」

「私も分からない」

 リリアは眉を寄せた。

「でも、あの声は私を見て『お前じゃない』って言った。そのあとに『リリアを返せ』って」

「うん」

「なら」

 口にするのは、少し嫌だった。

「私じゃないリリアがいるみたい」

 医務室が静かになった。

「私がその人の代わりだったら?」

 ノアの指先がわずかに動く。

「顔が同じとか。魔力が同じとか。何かそういう理由で、みんなが私をリリアだと思ってるだけだったら」

「私は違うよ」

 セシルが即答した。

 リリアが顔を上げる。

「セシル?」

「私はリリア以外のリリアなんて知らないから」

「……変な言い方」

「自分でもそう思う」

 セシルは苦笑した。

「でも、私が知ってるのは、入学初日に地図を持ってるのに迷子になってた子だけ」

「迷子じゃない」

「迷子だったよ」

「ちょっと道を間違えただけ」

「それを迷子って言うんじゃない?」

「違う」

「じゃあ今度先生に聞こうか」

「それはいい」

「ほら」

 セシルが笑う。

「こういうリリアしか知らない」

 その声は優しかった。

「だから、もし明日『本当は名前が違います』って言われても」

「うん」

「びっくりはするけど、あなたが別人になるわけじゃないでしょ?」

 リリアは少し考える。

「ならないと思う」

「じゃあ私はそれでいい」

「……セシルは簡単に言うね」

「だって私には、昔のあなたと比べるものがないから」

 ノアがほんの少しだけ目を伏せた。

 リリアは気づいた。

「ノアは?」

「僕?」

「セシルとは違う?」

 ノアはすぐには答えなかった。

 それだけで答えの半分を聞いたような気がした。

「……違うよ」

 やがてノアが言う。

「僕には、比べるものがある」

「昔の私?」

「今は、それ以上言えない」

「そっか」

「ごめん」

「いい」

 待つと約束した。

 でも。

「一個だけ聞いていい?」

「うん」

「今の私と、その人は同じ?」

 ノアはリリアを見る。

 長い沈黙。

「似てる」

「やっぱり」

「でも、同じじゃない」

 今度は迷わなかった。

「少なくとも僕は、もうそう思ってる」

「もう?」

「最初は分からなかったから」

 ノアの声が少しだけ苦くなる。

「君を見た時、嬉しすぎたんだ」

 リリアは黙って聞いた。

「顔も、声も、魔力も。知ってるものが多すぎて。だから、見たいものしか見てなかったのかもしれない」

「……」

「でも今は違う」

 ノアが笑う。

「僕の知ってる君は、苺の一番大きいところを最後まで残す」

「好きだから」

「授業中に眠くなると、右手で頬杖つく」

「知らない」

「僕は知ってる」

「見てたの?」

「見てるよ」

 少しだけ胸が鳴る。

「それから、地図を上下逆に持つ」

「一回だけ」

「三回見た」

「嘘」

「本当」

「言ってよ」

「可愛かったから」

「意地悪」

「うん」

 ノアは笑った。

「そういう君を好きになってる」

 静かな声だった。

「昔の誰かじゃなくて?」

「昔を忘れたとは言わない」

「うん」

「でも今、明日の約束をしたいのは君だよ」

 リリアはしばらくノアを見る。

「……そっか」

「うん」

「じゃあ明日も苺?」

「試合後なら」

「勝ったら?」

「勝っても負けても」

「勝つよ」

「知ってる」

     
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