魔法より、君に恋をする。
ノアルート 第36章 昨日までと同じ、じゃない
ノアルート 第36章 昨日までと同じ、じゃない
翌朝、リリアは教室へ入ってすぐ、いつもの窓際にノアを見つけた。
昨日と同じ青みを帯びた銀髪。今日は制服だから、白銀のネクタイもいつも通りだ。頬杖をつきながら隣の男子生徒と話している姿も、入学してから何度も見てきたものだった。
何も変わっていない。
そう思ったのに、リリアは自分の席へ向かう途中で、昨日繋いでいた右手を無意識に見てしまった。
「おはよう、リリア」
ノアがこちらに気づく。
「おはよう」
「……」
「何?」
「いや」
ノアは少しだけ笑った。
「ちゃんと普通に挨拶できるんだなと思って」
「毎日してる」
「そうなんだけどね」
「ノアこそ変」
「昨日の今日だから、多少は意識するでしょ」
「何を?」
「デートした相手を」
昨日。
デート。
手を繋いだ。
好きだと言われた。
思い出した途端、急に顔が熱くなる。
「……」
「あ」
ノアが嬉しそうな顔をした。
「今きた?」
「何が?」
「照れるの」
「暑いだけ」
「朝だよ」
「歩いてきたから」
「昨日もそれ言ってたね」
「うるさい」
ノアが笑う。
その笑顔を見た瞬間、昨日の帰り際に見た顔まで思い出してしまった。
――君が好き。
「……ノア」
「ん?」
「今日ちょっと喋らないで」
「ひどくない?」
「思い出すから」
「何を?」
「昨日」
今度はノアが黙った。
リリアは自分の席へ座り、教科書を出す。
しばらくしても声がしないので顔を上げると、ノアが机へ突っ伏していた。
「どうしたの?」
「君が悪い」
「また?」
「朝から昨日のこと思い出すとか言わないでよ」
「ノアが聞いた」
「聞いた僕が悪かった」
その時、隣の席へ鞄を置いたセシルが二人を交互に見た。
「……何かあった?」
「昨日デートした」
「リリア」
ノアが勢いよく顔を上げる。
「何?」
「それ普通に言うの?」
「秘密だった?」
「秘密じゃないけど!」
セシルは少しだけ目を見開いたあと、リリアを見る。
「楽しかった?」
「うん」
「そっか」
「苺のタルト食べた」
「よかったね」
「手も繋いだ」
「リリア!」
「何?」
「全部言わなくていいから!」
ノアが真っ赤になっている。
「ノアから繋いだ」
「詳しくしないで!」
「でも途中から私が――」
「お願いだから!」
セシルが吹き出した。
「ノアって、意外と照れるんだね」
「セシルまで……」
「いつも余裕そうだから」
「僕だって相手によるよ」
その言葉に、リリアは少しだけ反応した。
「私だから?」
「そうだよ」
さらりと返された。
また胸が鳴る。
リリアは眉を寄せた。
「……昨日からこれ多い」
「何が?」
「胸が変になる」
ノアが固まる。
セシルは一瞬黙ったあと、困ったように笑った。
「リリア、それ本人に全部報告するつもり?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど……ノアが可哀想かな」
「なんで?」
「見れば分かるよ」
見る。
ノアは両手で顔を覆っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「保健室行く?」
「行かない」
「じゃあ何?」
「恋愛初心者ってこんなに強いんだ……」
「初心者だから弱いんじゃないの?」
「無自覚な方が強いんだよ」
「変なの」
「そのうち分かる」
「またそれ」
リリアは頬を膨らませた。
*
一限目は実践魔法だった。
二人一組で魔力球を受け渡し、形を崩さず維持する基礎訓練。教師が組み合わせを読み上げる中、リリアは何となくノアを見た。
目が合う。
ノアもこちらを見ていた。
けれど、呼ばれた名前は違った。
「アステル、アルヴェイン」
「はい」
セシルと組む。
ノアは別の生徒だった。
別に普通だ。
今までだって、毎回ノアと組んでいたわけではない。
「リリア?」
「何?」
「始めるよ」
「あ、ごめん」
セシルが作った魔力球を受け取る。
綺麗だった。安定している。セシルは魔力量ではリリアに及ばないが、制御が丁寧だ。
「上手」
「ありがとう。次、リリア」
「うん」
今度はリリアが作る。
渡す。
セシルが受け取る。
「……また大きくない?」
「普通」
「指定の倍あるよ」
「入るからいいかなって」
「入ればいいってものじゃないでしょ」
「小さい方が難しい」
「天才の悩みだね」
話しながら。
ふと。
向こうを見る。
ノアが別の女子生徒と組んでいる。
笑っていた。
いつもの笑顔。
相手の女子も笑っている。
「……」
魔力球が膨らんだ。
「リリア」
「何?」
「大きくなってる」
「あ」
慌てて縮める。
「どうしたの?」
「何でもない」
「何でもない禁止じゃなかった?」
「……」
セシルがリリアの視線を追う。
ノア。
それから、もう一度リリアを見る。
「気になる?」
「何が?」
「ノア」
「うん」
「女の子と話してるから?」
リリアはもう一度向こうを見る。
ノアが相手から魔力球を受け取っている。
「……たぶん」
「嫌?」
「分からない」
「そっか」
「セシルなら分かる?」
「分かるよ」
「何?」
「教えない」
「なんで?」
「自分で気づいた方がいいから」
「みんな最近そればっかり」
セシルは笑った。
「でも、一個だけ教えてあげる」
「何?」
「昨日までのリリアなら、たぶん気にしてなかったよ」
リリアは黙った。
確かに。
ノアが誰と話していようと、以前なら何も思わなかった。
今は。
少しだけ嫌だ。
「……面倒」
「恋?」
「まだ決めてない」
「じゃあ、気持ち」
「それも面倒」
「でも嫌いじゃないでしょ?」
答えようとして。
やめた。
嫌いではない。
むしろ。
胸が騒がしくなることを、少し楽しんでいる自分もいた。
*
授業が終わった。
「リリア」
教室へ戻る途中、ノアが追いついてきた。
「何?」
「さっき見てた?」
「見てた」
「やっぱり」
「気づいてたの?」
「途中から」
「なんで?」
「魔力球、めちゃくちゃ大きくなってたから」
「見てたんじゃん」
「そりゃ見るよ」
「女の子と喋ってたのに?」
「同時にできる」
「器用」
「で」
ノアが少し身を屈め、リリアの顔を覗く。
「なんで見てたの?」
「気になった」
「僕が?」
「うん」
「……それだけ?」
「女の子と楽しそうだったから」
ノアの足が止まった。
リリアも二歩進んでから振り返る。
「どうしたの?」
「今の、もう一回言って」
「女の子と楽しそうだった」
「その前」
「気になった」
「何が?」
「ノアが」
ノアが口元を押さえた。
「……すごいな」
「何が?」
「昨日一日でこんな変わる?」
「変わった?」
「めちゃくちゃ」
「悪い方?」
「最高の方」
ノアが嬉しそうなので。
少しだけ。
面白くない。
「なんで嬉しそうなの?」
「嫉妬してくれたから」
「嫉妬?」
「たぶんね」
「これが?」
「たぶん」
リリアは考える。
「ノアが他の女の子と話すの嫌」
「……うん」
「でもセシルと話すのは平気」
「セシルも女の子だけど?」
「セシルはセシル」
「強いなあ」
「あと、私が他の男の人と話してもノア嫌そう」
「それは嫌」
「じゃあ同じ?」
「近いと思う」
「そっか」
少し納得した。
でも。
「ノア」
「ん?」
「他の女の子と話しちゃ駄目とは思わない」
「うん」
「友達いるし」
「うん」
「でも、ちょっと嫌」
ノアが優しく笑った。
「それくらいなら、喜んでいい?」
「いいよ」
「ありがとう」
「変なの」
「リリア」
「何?」
「僕も一つ言っていい?」
「うん」
「僕が嫉妬してても、君は他の人と普通に話していいからね」
「……」
「セシルとも、アレン先輩とも、みんなとも」
「嫌じゃないの?」
「嫌な時はあるよ」
「じゃあなんで?」
ノアは少し考えた。
「君の世界を僕だけにしたくないから」
その言葉は。
思っていたより深く胸へ入ってきた。
「昔は違った?」
「……違ったかもしれない」
ノアは笑ったけれど、今度は少し寂しそうだった。
「君さえいればいいとか、僕だけ見てほしいとか、本気で思ってたこともある」
「今は?」
「思う時はあるよ」
「あるんだ」
「僕、そんなに出来た人間じゃないからね」
それでも。
「思うことと、そうさせることは別だから」
リリアはノアを見る。
昨日。
欲しいなら欲しいと言えばいい、と自分は言った。
だから。
「ノア、頑張ってる?」
「……何を?」
「分からない。でも、頑張ってる気がする」
青い瞳が僅かに揺れた。
「それ、君に言われると困るな」
「なんで?」
「もっと頑張りたくなるから」
「いいじゃん」
「ほどほどにするよ」
ノアが笑う。
リリアも笑った。
*
昼休み。
いつもの七人。
リリアが席についた瞬間、アレンがこちらを見る。
「お前、昨日どこ行ってた」
「街」
「誰と」
「ノア」
「……」
アレンがノアを見る。
ノアはにこやかにパンを食べている。
「何だよその顔」
「何のことです?」
「腹立つ」
「アレン先輩、機嫌悪いですね」
「お前のせいだよ!」
「僕何もしてないですよ」
「しただろ!」
「何を?」
「デート!」
「しましたね」
「認めんな!」
「事実なので」
「アレン先輩」
リリアが呼ぶ。
「何だよ」
「何で怒ってるの?」
「……」
アレンが黙る。
横でレオンハルトが苦笑した。
「それは聞かないであげた方がいいんじゃないかな」
「なんで?」
「本人の尊厳のために」
「王子てめえ!」
「僕は味方したつもりなんだけど」
カイルは無言で食事をしている。
でも。
いつもより少しだけ機嫌が悪そうに見える。
「クロフォード先輩」
「何だ」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「本当?」
「ああ」
「じゃあいいけど」
「……デートは楽しかったのか」
聞かれた。
「うん」
答える。
「手繋いだ」
「お前は何で毎回それを報告するんだ!」
アレンが叫んだ。
「聞かれたから」
「手までは聞いてねえ!」
「アレン、食堂で叫ばない」
ルシアンが淡々と注意する。
「お前は平気なのかよ!」
「平気に見える?」
眼鏡の奥。
ルシアンは笑っている。
「見える」
「なら、僕もまだまだだね」
「怖えよ!」
リリアは首を傾げる。
「ルシアン先輩も嫌?」
「少しね」
「ノアとデートしたのが?」
「うん」
「そっか」
「それだけ?」
「どうすればいい?」
「困らせたいわけじゃないよ」
「じゃあ次はルシアン先輩とも行く?」
「リリア」
今度は。
ノアが呼んだ。
「何?」
「それはちょっと嫌」
「あ」
さっきの話。
「嫉妬?」
「そう」
「分かりやすい」
「頑張ってるからね」
「何を?」
「言う方」
リリアは少し笑った。
「そっか」
「でも行くなとは言わないよ」
「うん」
「……できれば僕の次にして」
「順位?」
「今のは忘れて」
「何でもない禁止」
「厳しいなあ」
七人で笑う。
変わらない。
いつもの昼食。
なのに。
リリアはふと気づいた。
さっきから何度も。
ノアの顔を見ている。
*
放課後。
「帰ろ」
ノアが言った。
「うん」
セシルは剣術部。
今日は二人だった。
校舎を出て、寮へ向かう。
昨日とは違う。
制服。
学院。
いつもの道。
ノアの手がすぐ横にある。
リリアはそれを見る。
「……」
昨日は繋いだ。
今日は。
「リリア?」
「何?」
「僕の手、何かついてる?」
「ついてない」
「じゃあなんで見てるの?」
「昨日繋いだから」
「うん」
「今日は繋がないのかなって」
ノアが止まった。
リリアも止まる。
「……繋ぎたい?」
「分からない」
「またそれ?」
「でも気になった」
「じゃあ」
ノアが手を出す。
「試してみる?」
リリアはその手を見る。
昨日と同じ。
でも。
昨日はノアからだった。
今日は。
リリアが手を伸ばした。
指が重なる。
握る。
「……うん」
「どう?」
「これがいい」
ノアが笑った。
「そっか」
二人で歩き出す。
「昨日より慣れた?」
「ちょっと」
「僕は慣れないな」
「なんで?」
「好きな子と手繋いでるから」
「……」
「あ、また赤くなった」
「言わなくていい」
「可愛い」
「それも」
「無理」
「なんで?」
「好きだから」
「それ便利じゃない?」
「便利だよ。何でも言える」
「ずるい」
「リリアも使っていいよ」
「まだ分からない」
「知ってる」
ノアは急かさなかった。
それが。
嬉しい。
*
女子寮の前。
「じゃあまた明日」
「うん」
手を離す。
今日も。
少しだけ名残惜しい。
「ノア」
「ん?」
「明日も手繋ぐ?」
ノアが笑う。
「繋ぎたい?」
「たぶん」
「じゃあ繋ごう」
「うん」
「でも」
「何?」
「毎日僕から聞かないよ」
「なんで?」
「君からも来てほしいから」
「……」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ待ってる」
「分かった」
ノアは手を振る。
「おやすみ」
「おやすみ」
離れていく背中を見る。
昨日は。
会いたいと思った。
今日は。
他の女の子と話しているのが少し嫌だった。
手を繋ぎたいと思った。
明日も。
繋ぎたいと思っている。
これが。
恋なのかもしれない。
まだ。
好きとは言えない。
でも。
昨日より。
ノアを好きに近い場所で見ている。
それだけは。
もう分かった。
*
その夜。
ノアは夢を見た。
赤い空。
崩れた塔。
腕の中にいる少女。
冷たい。
何度呼んでも。
目を開けない。
『リリア』
声が出ない。
『リリア』
また。
間に合わなかった。
なら。
次は。
もっと早く。
もっと強く。
もっと――
「……っ!」
目を覚ました。
暗い部屋。
呼吸が速い。
心臓が痛いほど鳴っている。
ノアは起き上がり、額を押さえた。
「……夢」
分かっている。
今のリリアは生きている。
昨日も。
今日も。
笑っていた。
明日も会う。
手を繋ぐ。
そう約束した。
それなのに。
身体だけが。
過去を忘れてくれない。
ノアは震える指を握った。
今日。
彼女に言った。
君の世界を僕だけにしたくない。
正しいと思う。
本心でもある。
でも。
もしまた。
彼女を失う瞬間が来たら。
自分は。
同じことを言えるだろうか。
それとも。
また。
彼女より先に死ぬ道を選ぶのだろうか。
ノアは目を閉じた。
明日。
リリアが自分から手を繋いでくれる。
その小さな約束だけを思い出す。
今度は。
その手を守るためではなく。
一緒に歩くために。
握りたいと思った。
翌朝、リリアは教室へ入ってすぐ、いつもの窓際にノアを見つけた。
昨日と同じ青みを帯びた銀髪。今日は制服だから、白銀のネクタイもいつも通りだ。頬杖をつきながら隣の男子生徒と話している姿も、入学してから何度も見てきたものだった。
何も変わっていない。
そう思ったのに、リリアは自分の席へ向かう途中で、昨日繋いでいた右手を無意識に見てしまった。
「おはよう、リリア」
ノアがこちらに気づく。
「おはよう」
「……」
「何?」
「いや」
ノアは少しだけ笑った。
「ちゃんと普通に挨拶できるんだなと思って」
「毎日してる」
「そうなんだけどね」
「ノアこそ変」
「昨日の今日だから、多少は意識するでしょ」
「何を?」
「デートした相手を」
昨日。
デート。
手を繋いだ。
好きだと言われた。
思い出した途端、急に顔が熱くなる。
「……」
「あ」
ノアが嬉しそうな顔をした。
「今きた?」
「何が?」
「照れるの」
「暑いだけ」
「朝だよ」
「歩いてきたから」
「昨日もそれ言ってたね」
「うるさい」
ノアが笑う。
その笑顔を見た瞬間、昨日の帰り際に見た顔まで思い出してしまった。
――君が好き。
「……ノア」
「ん?」
「今日ちょっと喋らないで」
「ひどくない?」
「思い出すから」
「何を?」
「昨日」
今度はノアが黙った。
リリアは自分の席へ座り、教科書を出す。
しばらくしても声がしないので顔を上げると、ノアが机へ突っ伏していた。
「どうしたの?」
「君が悪い」
「また?」
「朝から昨日のこと思い出すとか言わないでよ」
「ノアが聞いた」
「聞いた僕が悪かった」
その時、隣の席へ鞄を置いたセシルが二人を交互に見た。
「……何かあった?」
「昨日デートした」
「リリア」
ノアが勢いよく顔を上げる。
「何?」
「それ普通に言うの?」
「秘密だった?」
「秘密じゃないけど!」
セシルは少しだけ目を見開いたあと、リリアを見る。
「楽しかった?」
「うん」
「そっか」
「苺のタルト食べた」
「よかったね」
「手も繋いだ」
「リリア!」
「何?」
「全部言わなくていいから!」
ノアが真っ赤になっている。
「ノアから繋いだ」
「詳しくしないで!」
「でも途中から私が――」
「お願いだから!」
セシルが吹き出した。
「ノアって、意外と照れるんだね」
「セシルまで……」
「いつも余裕そうだから」
「僕だって相手によるよ」
その言葉に、リリアは少しだけ反応した。
「私だから?」
「そうだよ」
さらりと返された。
また胸が鳴る。
リリアは眉を寄せた。
「……昨日からこれ多い」
「何が?」
「胸が変になる」
ノアが固まる。
セシルは一瞬黙ったあと、困ったように笑った。
「リリア、それ本人に全部報告するつもり?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど……ノアが可哀想かな」
「なんで?」
「見れば分かるよ」
見る。
ノアは両手で顔を覆っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「保健室行く?」
「行かない」
「じゃあ何?」
「恋愛初心者ってこんなに強いんだ……」
「初心者だから弱いんじゃないの?」
「無自覚な方が強いんだよ」
「変なの」
「そのうち分かる」
「またそれ」
リリアは頬を膨らませた。
*
一限目は実践魔法だった。
二人一組で魔力球を受け渡し、形を崩さず維持する基礎訓練。教師が組み合わせを読み上げる中、リリアは何となくノアを見た。
目が合う。
ノアもこちらを見ていた。
けれど、呼ばれた名前は違った。
「アステル、アルヴェイン」
「はい」
セシルと組む。
ノアは別の生徒だった。
別に普通だ。
今までだって、毎回ノアと組んでいたわけではない。
「リリア?」
「何?」
「始めるよ」
「あ、ごめん」
セシルが作った魔力球を受け取る。
綺麗だった。安定している。セシルは魔力量ではリリアに及ばないが、制御が丁寧だ。
「上手」
「ありがとう。次、リリア」
「うん」
今度はリリアが作る。
渡す。
セシルが受け取る。
「……また大きくない?」
「普通」
「指定の倍あるよ」
「入るからいいかなって」
「入ればいいってものじゃないでしょ」
「小さい方が難しい」
「天才の悩みだね」
話しながら。
ふと。
向こうを見る。
ノアが別の女子生徒と組んでいる。
笑っていた。
いつもの笑顔。
相手の女子も笑っている。
「……」
魔力球が膨らんだ。
「リリア」
「何?」
「大きくなってる」
「あ」
慌てて縮める。
「どうしたの?」
「何でもない」
「何でもない禁止じゃなかった?」
「……」
セシルがリリアの視線を追う。
ノア。
それから、もう一度リリアを見る。
「気になる?」
「何が?」
「ノア」
「うん」
「女の子と話してるから?」
リリアはもう一度向こうを見る。
ノアが相手から魔力球を受け取っている。
「……たぶん」
「嫌?」
「分からない」
「そっか」
「セシルなら分かる?」
「分かるよ」
「何?」
「教えない」
「なんで?」
「自分で気づいた方がいいから」
「みんな最近そればっかり」
セシルは笑った。
「でも、一個だけ教えてあげる」
「何?」
「昨日までのリリアなら、たぶん気にしてなかったよ」
リリアは黙った。
確かに。
ノアが誰と話していようと、以前なら何も思わなかった。
今は。
少しだけ嫌だ。
「……面倒」
「恋?」
「まだ決めてない」
「じゃあ、気持ち」
「それも面倒」
「でも嫌いじゃないでしょ?」
答えようとして。
やめた。
嫌いではない。
むしろ。
胸が騒がしくなることを、少し楽しんでいる自分もいた。
*
授業が終わった。
「リリア」
教室へ戻る途中、ノアが追いついてきた。
「何?」
「さっき見てた?」
「見てた」
「やっぱり」
「気づいてたの?」
「途中から」
「なんで?」
「魔力球、めちゃくちゃ大きくなってたから」
「見てたんじゃん」
「そりゃ見るよ」
「女の子と喋ってたのに?」
「同時にできる」
「器用」
「で」
ノアが少し身を屈め、リリアの顔を覗く。
「なんで見てたの?」
「気になった」
「僕が?」
「うん」
「……それだけ?」
「女の子と楽しそうだったから」
ノアの足が止まった。
リリアも二歩進んでから振り返る。
「どうしたの?」
「今の、もう一回言って」
「女の子と楽しそうだった」
「その前」
「気になった」
「何が?」
「ノアが」
ノアが口元を押さえた。
「……すごいな」
「何が?」
「昨日一日でこんな変わる?」
「変わった?」
「めちゃくちゃ」
「悪い方?」
「最高の方」
ノアが嬉しそうなので。
少しだけ。
面白くない。
「なんで嬉しそうなの?」
「嫉妬してくれたから」
「嫉妬?」
「たぶんね」
「これが?」
「たぶん」
リリアは考える。
「ノアが他の女の子と話すの嫌」
「……うん」
「でもセシルと話すのは平気」
「セシルも女の子だけど?」
「セシルはセシル」
「強いなあ」
「あと、私が他の男の人と話してもノア嫌そう」
「それは嫌」
「じゃあ同じ?」
「近いと思う」
「そっか」
少し納得した。
でも。
「ノア」
「ん?」
「他の女の子と話しちゃ駄目とは思わない」
「うん」
「友達いるし」
「うん」
「でも、ちょっと嫌」
ノアが優しく笑った。
「それくらいなら、喜んでいい?」
「いいよ」
「ありがとう」
「変なの」
「リリア」
「何?」
「僕も一つ言っていい?」
「うん」
「僕が嫉妬してても、君は他の人と普通に話していいからね」
「……」
「セシルとも、アレン先輩とも、みんなとも」
「嫌じゃないの?」
「嫌な時はあるよ」
「じゃあなんで?」
ノアは少し考えた。
「君の世界を僕だけにしたくないから」
その言葉は。
思っていたより深く胸へ入ってきた。
「昔は違った?」
「……違ったかもしれない」
ノアは笑ったけれど、今度は少し寂しそうだった。
「君さえいればいいとか、僕だけ見てほしいとか、本気で思ってたこともある」
「今は?」
「思う時はあるよ」
「あるんだ」
「僕、そんなに出来た人間じゃないからね」
それでも。
「思うことと、そうさせることは別だから」
リリアはノアを見る。
昨日。
欲しいなら欲しいと言えばいい、と自分は言った。
だから。
「ノア、頑張ってる?」
「……何を?」
「分からない。でも、頑張ってる気がする」
青い瞳が僅かに揺れた。
「それ、君に言われると困るな」
「なんで?」
「もっと頑張りたくなるから」
「いいじゃん」
「ほどほどにするよ」
ノアが笑う。
リリアも笑った。
*
昼休み。
いつもの七人。
リリアが席についた瞬間、アレンがこちらを見る。
「お前、昨日どこ行ってた」
「街」
「誰と」
「ノア」
「……」
アレンがノアを見る。
ノアはにこやかにパンを食べている。
「何だよその顔」
「何のことです?」
「腹立つ」
「アレン先輩、機嫌悪いですね」
「お前のせいだよ!」
「僕何もしてないですよ」
「しただろ!」
「何を?」
「デート!」
「しましたね」
「認めんな!」
「事実なので」
「アレン先輩」
リリアが呼ぶ。
「何だよ」
「何で怒ってるの?」
「……」
アレンが黙る。
横でレオンハルトが苦笑した。
「それは聞かないであげた方がいいんじゃないかな」
「なんで?」
「本人の尊厳のために」
「王子てめえ!」
「僕は味方したつもりなんだけど」
カイルは無言で食事をしている。
でも。
いつもより少しだけ機嫌が悪そうに見える。
「クロフォード先輩」
「何だ」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「本当?」
「ああ」
「じゃあいいけど」
「……デートは楽しかったのか」
聞かれた。
「うん」
答える。
「手繋いだ」
「お前は何で毎回それを報告するんだ!」
アレンが叫んだ。
「聞かれたから」
「手までは聞いてねえ!」
「アレン、食堂で叫ばない」
ルシアンが淡々と注意する。
「お前は平気なのかよ!」
「平気に見える?」
眼鏡の奥。
ルシアンは笑っている。
「見える」
「なら、僕もまだまだだね」
「怖えよ!」
リリアは首を傾げる。
「ルシアン先輩も嫌?」
「少しね」
「ノアとデートしたのが?」
「うん」
「そっか」
「それだけ?」
「どうすればいい?」
「困らせたいわけじゃないよ」
「じゃあ次はルシアン先輩とも行く?」
「リリア」
今度は。
ノアが呼んだ。
「何?」
「それはちょっと嫌」
「あ」
さっきの話。
「嫉妬?」
「そう」
「分かりやすい」
「頑張ってるからね」
「何を?」
「言う方」
リリアは少し笑った。
「そっか」
「でも行くなとは言わないよ」
「うん」
「……できれば僕の次にして」
「順位?」
「今のは忘れて」
「何でもない禁止」
「厳しいなあ」
七人で笑う。
変わらない。
いつもの昼食。
なのに。
リリアはふと気づいた。
さっきから何度も。
ノアの顔を見ている。
*
放課後。
「帰ろ」
ノアが言った。
「うん」
セシルは剣術部。
今日は二人だった。
校舎を出て、寮へ向かう。
昨日とは違う。
制服。
学院。
いつもの道。
ノアの手がすぐ横にある。
リリアはそれを見る。
「……」
昨日は繋いだ。
今日は。
「リリア?」
「何?」
「僕の手、何かついてる?」
「ついてない」
「じゃあなんで見てるの?」
「昨日繋いだから」
「うん」
「今日は繋がないのかなって」
ノアが止まった。
リリアも止まる。
「……繋ぎたい?」
「分からない」
「またそれ?」
「でも気になった」
「じゃあ」
ノアが手を出す。
「試してみる?」
リリアはその手を見る。
昨日と同じ。
でも。
昨日はノアからだった。
今日は。
リリアが手を伸ばした。
指が重なる。
握る。
「……うん」
「どう?」
「これがいい」
ノアが笑った。
「そっか」
二人で歩き出す。
「昨日より慣れた?」
「ちょっと」
「僕は慣れないな」
「なんで?」
「好きな子と手繋いでるから」
「……」
「あ、また赤くなった」
「言わなくていい」
「可愛い」
「それも」
「無理」
「なんで?」
「好きだから」
「それ便利じゃない?」
「便利だよ。何でも言える」
「ずるい」
「リリアも使っていいよ」
「まだ分からない」
「知ってる」
ノアは急かさなかった。
それが。
嬉しい。
*
女子寮の前。
「じゃあまた明日」
「うん」
手を離す。
今日も。
少しだけ名残惜しい。
「ノア」
「ん?」
「明日も手繋ぐ?」
ノアが笑う。
「繋ぎたい?」
「たぶん」
「じゃあ繋ごう」
「うん」
「でも」
「何?」
「毎日僕から聞かないよ」
「なんで?」
「君からも来てほしいから」
「……」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ待ってる」
「分かった」
ノアは手を振る。
「おやすみ」
「おやすみ」
離れていく背中を見る。
昨日は。
会いたいと思った。
今日は。
他の女の子と話しているのが少し嫌だった。
手を繋ぎたいと思った。
明日も。
繋ぎたいと思っている。
これが。
恋なのかもしれない。
まだ。
好きとは言えない。
でも。
昨日より。
ノアを好きに近い場所で見ている。
それだけは。
もう分かった。
*
その夜。
ノアは夢を見た。
赤い空。
崩れた塔。
腕の中にいる少女。
冷たい。
何度呼んでも。
目を開けない。
『リリア』
声が出ない。
『リリア』
また。
間に合わなかった。
なら。
次は。
もっと早く。
もっと強く。
もっと――
「……っ!」
目を覚ました。
暗い部屋。
呼吸が速い。
心臓が痛いほど鳴っている。
ノアは起き上がり、額を押さえた。
「……夢」
分かっている。
今のリリアは生きている。
昨日も。
今日も。
笑っていた。
明日も会う。
手を繋ぐ。
そう約束した。
それなのに。
身体だけが。
過去を忘れてくれない。
ノアは震える指を握った。
今日。
彼女に言った。
君の世界を僕だけにしたくない。
正しいと思う。
本心でもある。
でも。
もしまた。
彼女を失う瞬間が来たら。
自分は。
同じことを言えるだろうか。
それとも。
また。
彼女より先に死ぬ道を選ぶのだろうか。
ノアは目を閉じた。
明日。
リリアが自分から手を繋いでくれる。
その小さな約束だけを思い出す。
今度は。
その手を守るためではなく。
一緒に歩くために。
握りたいと思った。