魔法より、君に恋をする。
アレンルート 第43章 今度は一人で決めさせない
黒い影が動いた瞬間、アレンはリリアより半歩だけ先に踏み込んだ。
完全に前へ出て庇うのではなく、隣にいるリリアが魔法を放つための空間を確保するような動きだった。振り下ろされた黒い刃を剣で受け止め、そのまま力任せに弾き返す。リリアは空いた射線へ杖を向け、圧縮した魔力を撃ち込んだ。
「左!」
「見えてる!」
アレンが身体を沈めた頭上をリリアの魔法が通過し、背後から迫っていた影をまとめて吹き飛ばす。続けて右側から現れた二体をアレンが斬り払い、そのうち一体を蹴り飛ばしてリリアの正面へ送った。
「それお願い!」
「注文が雑!」
「できるだろ!」
「できますけど!」
杖を振り抜くと、光が影を貫いた。
学院で合同訓練をした時と同じだった。互いに次の動きを説明しなくても、何をしようとしているのか不思議なくらい分かる。アレンはリリアを守るだけではなく、彼女の魔法が最も生きる位置へ敵を誘導し、リリアもまた彼の死角を埋めるように魔法を放った。
違うのは、相手が訓練用の人形ではないことだけだった。
『無意味だ』
黒い影の奥から声が響いた。
『この世界はすでに終わっている。何を壊そうと、何を守ろうと、結末は変わらない』
「じゃあ何で私たちを止めるの?」
リリアが問い返しながら杖を振ると、地面から伸びた光の鎖が影の足元へ絡みついた。
『お前たちが選択を壊すからだ』
「意味分かんない」
『世界には正しい選択が必要だ。誰かが生きるためには、誰かが犠牲にならなければならない。そうして十二の世界は続いてきた』
「続いてねえだろ」
アレンの剣が影を斬り裂いた。
「全部壊れたから今があんだろうが!」
影が弾け、黒い霧となって消える。
その向こうに、再び銀白の髪の少女が現れた。
昔のリリアと同じ姿。
けれど今度は笑っていなかった。
『では、もう一度選べ』
少女が手を伸ばした瞬間、景色が変わった。
荒れ果てた街も、赤い空も消えた。
気づけばリリアとアレンは学院の中央広場に立っていた。
「戻った?」
「いや」
アレンはすぐに首を振った。
「違う。人がいねえ」
確かに学院の建物はあるのに、どこにも生徒がいない。空は青く、花壇には花が咲いている。それなのに風も音もなく、すべてが作り物のように静止していた。
そして広場の中央に、巨大な黒い月が浮かんでいる。
『三つ目の世界を再現する』
声が空から降ってきた。
『かつてと同じ条件を与えよう』
リリアの身体に異変が起きた。
「……っ!」
胸の奥から膨大な魔力が溢れ、制御するより先に身体の外へ噴き出す。地面へ亀裂が走り、近くの窓が一斉に割れた。
「リリア!」
アレンが駆け寄る。
「来ないで!」
反射的に叫んだ。
自分でも驚いた。
その言葉を知っている気がしたからだ。
頭の奥に、知らない景色が流れ込んでくる。
赤い空。
血に濡れた自分の手。
泣きそうな顔でこちらを見ている、今より少し幼いアレン。
『来ないで』
自分と同じ声がする。
『これ以上近づいたら、あなたまで巻き込む』
リリアは頭を押さえた。
「何、これ……」
「見るな!」
アレンが腕を掴む。
「俺を見ろ。そっちはお前の記憶じゃねえ!」
「分かってる。でも、見える……」
知らない少女の視界が重なる。
魔力が暴走し、街が崩れ、人々が逃げている。少女は自分が世界を壊していることを理解していた。
そしてアレンへ言う。
『私を殺して』
「……っ」
リリアは息を呑んだ。
話として聞くのと、映像として見るのはまったく違った。
アレンが拒絶する。
少女が頼む。
アレンが怒鳴る。
それでも少女は笑おうとしている。
『大丈夫だよ』
その言葉を聞いた瞬間、隣のアレンが震えた。
「大丈夫じゃねえ」
低い声だった。
「全然、大丈夫じゃなかった」
リリアは彼を見る。
アレンの目は目の前の自分ではなく、過去の少女を見ていた。
『私一人で済むなら、その方がいい』
「よくねえよ」
『アレン』
「やめろ」
『お願い』
「やめろ!」
アレンの叫びと同時に、幻影が消えた。
しかしリリアの魔力は止まらない。
黒い月がさらに大きくなる。
『条件は同じだ』
偽神の声が響く。
『彼女を殺せば世界は救われる』
アレンの手から剣が落ちた。
金属音が静かな広場へ響く。
『殺さなければ、学院も、王都も、この世界に生きるすべての人間も死ぬ』
「ふざけんな」
アレンが呟いた。
『かつて彼女は自ら死を選んだ。今回も同じ選択をするだろう』
リリアの目の前に文字が浮かび上がる。
世界の存続。
個体の消滅。
選択。
まるで最初から答えが一つしかないように表示されている。
「これ……」
『選べ、リリア』
魔力の暴走は続いている。
身体が痛い。
このままなら、確かに周囲を壊す。
頭では偽物だと分かっている。それでも身体に流れ込んでくる感覚は本物だった。
もしこれが本当に起きたら。
もし自分一人が死ねば、全員が助かるのなら。
「私が――」
「言うな」
アレンの声が遮った。
見ると、彼は落とした剣を拾わず、まっすぐリリアへ歩いてくる。
「でも」
「言うな」
「アレン先輩、もし本当にこれしか方法がなかったら」
「ねえよ」
「でも――」
「ねえって言ってんだろ!」
怒鳴られた。
けれど、以前のようにただ恐怖から拒絶しているのではないことは分かった。
アレンはリリアの両肩を掴んだ。
「お前、さっき何て言った?」
「何?」
「ここへ来る前」
赤い瞳が真正面からリリアを見る。
「一緒に生きたいって言っただろ」
「言った」
「じゃあ勝手に一人で死ぬ方選ぶな」
「でも、他のみんなが死ぬなら」
「だから二択に乗るなって言ってんだよ」
リリアは目を瞬いた。
「二択?」
「お前が死ぬか、全員死ぬか。こいつは最初からそれしかねえみたいに言ってる。でも本当にそうなのか、俺らまだ何も確かめてねえだろ」
アレンの言葉に、リリアは目の前の文字を見る。
世界の存続。
個体の消滅。
選択。
確かに、偽神が提示した条件でしかない。
「昔の俺は、お前に頼まれて殺した。お前が死ぬしかねえって言ったから、それを信じた」
アレンの声は震えていた。
「俺もガキだった。世界の仕組みなんか分かんなかったし、他に方法があるか探す時間もなかった。でも今は違う」
肩を掴んでいた手が離れ、代わりにリリアの手を握った。
「俺一人で決めねえ。お前一人にも決めさせねえ」
「アレン先輩」
「助ける方法を一緒に探す。それでも本当に何もなかったら、その時また二人で考える」
『時間はない』
偽神が告げる。
『選択を遅らせれば死者が増える』
「うるせえ」
アレンは空を睨んだ。
「急がせりゃ正しい答え選べると思ってんのか」
『では彼女が自ら死を望んでも止めるのか』
アレンが黙った。
その問いだけは簡単に答えられない。
リリアも彼を見る。
昔のアレンなら、迷わず止めただろう。今のアレンだって、リリアが死ぬと言えば止めたいはずだ。
それでもアレンはすぐに答えず、少し考えてからリリアへ向き直った。
「止める」
「うん」
「全力で止めるし、怒るし、たぶん泣くし、お前が嫌がっても他の方法探す」
「うん」
「でも、閉じ込めたり、お前が何もできねえようにして俺だけで決めたりはしねえ」
リリアは静かに彼を見つめた。
「私の選択だから?」
「違う」
意外な答えだった。
「お前の命だからだよ」
アレンはリリアの手を握ったまま続ける。
「お前の命はお前のもんだ。でも、お前と一緒に生きたいって思ってる奴がいるなら、一人で捨てていいもんでもねえと思う。少なくとも俺には止めさせろ。話させろ。一緒に方法探させろ」
その言葉は命令ではなかった。
生きろと押しつけているわけでもない。
自分も選択の中へ入れてほしいと願っている。
「じゃあ約束する」
リリアは言った。
「何を?」
「私、自分一人で死ぬって決めない」
アレンの瞳が揺れる。
「アレン先輩も約束して」
「何を?」
「私を助けるために一人で死なない」
今度はアレンが黙った。
「それは……」
「なんで私だけ?」
「俺はいいだろ」
「よくない」
「でも」
「同じです」
リリアは握られた手を強く握り返した。
「私だってアレン先輩と一緒に生きたいって言ったんだから、勝手に私を助けて死ぬのは禁止です」
「……厳しくね?」
「当然です」
「状況によっては」
「禁止」
「せめて話を」
「話した結果、二人とも生きる方法を探す」
「それさっき俺が言ったやつ」
「いいこと言ってたから使います」
アレンはしばらく呆れたようにリリアを見ていたが、やがて吹き出した。
「分かったよ」
「約束?」
「ああ。俺も一人で死ぬって決めねえ」
「よし」
「これで満足?」
「かなり」
黒い月が揺れた。
目の前に浮かんでいた二つの選択肢へ亀裂が入る。
『不合理だ』
「そう?」
リリアは文字を見る。
「むしろ普通じゃない?」
『一人の犠牲で多数が救われるなら、それが最も効率的だ』
「効率で恋人殺せるわけねえだろ」
アレンが吐き捨てるように言った。
「あと、私たちまだ学生ですよ」
「そこ?」
「世界を救う最適解を十五歳と十六歳だけで決めろって方がおかしい」
アレンが一瞬黙り、それから笑った。
「確かに」
『選択から逃げるのか』
「逃げてない」
リリアは杖を構え直した。
「選択肢を増やすだけ」
魔力を集める。
可能性創造。
それは願いを何でも叶える力ではない。存在しない奇跡を無条件で生み出す力でもない。
けれど、最初から二つしかないと決めつけられた道に、まだ見つけていない可能性を作ることはできる。
「アレン先輩」
「おう」
「時間稼げる?」
「どれくらい?」
「分からない」
「一時間でも?」
「たぶんそんなにいらない」
「じゃあ余裕」
アレンが笑って剣を拾う。
「任せろ」
黒い影が一斉に現れた。
アレンは今度こそ前へ出る。
ただし、リリアを置いていくためではない。
「リリア!」
「ここにいる!」
「終わったら呼べ!」
「ずっと呼んでる!」
「じゃあ聞いてる!」
剣が黒い影を斬り裂く。
リリアは目を閉じ、魔力の流れへ意識を集中させた。
世界を救う。
自分も生きる。
アレンも生きる。
誰かを犠牲にする前提そのものを外す。
可能性を探すうちに、十三本目の線が視界の奥へ浮かび上がった。
十二本は過去へ繋がっている。
けれど最後の一本だけは、どこにも繋がっていない。
その先は空白だった。
「……そういうこと?」
リリアは目を開いた。
共通ルートで見た十三本目の線。
それは失敗した十二の世界の続きではない。
まだ決まっていないから、空白なのだ。
「アレン先輩!」
「見つけたか!?」
「たぶん!」
「たぶん!?」
「まだ確認中!」
「そこは自信持てよ!」
「うるさい!」
アレンが笑いながら影を斬る。
こんな状況でも、いつもの会話ができる。
それが不思議なくらい心強かった。
リリアは十三本目の線へ魔力を流した。
世界の存続と自分の死を結びつけている術式を探し、その接続部分だけを切り離す。過去の世界では、それができなかった。そもそも別の可能性を作る権限がリリア自身に与えられていなかったからだ。
でも今は違う。
現在のリリアは、世界のために作られた器ではない。
生きる目的を決められていない、独立した存在だ。
「私の命を勝手に世界の部品にしないで」
杖を振り下ろした。
目の前に浮かんでいた「世界の存続」と「個体の消滅」を繋ぐ線が切れた。
その瞬間、暴走していた魔力が止まった。
黒い月に大きな亀裂が走る。
『なぜだ』
偽神の声が初めて揺らいだ。
『彼女は世界のために死ぬ存在だった』
「それは昔のリリアだろ」
アレンが答えた。
最後の影を斬り払い、リリアの隣へ戻ってくる。
「こいつは違う」
リリアも頷いた。
「私は世界の部品じゃないです」
十三本目の線が強く光る。
偽神の姿が黒い月の前へ現れた。
『ならば、なぜ世界はお前を必要とする』
「知りません」
即答すると、アレンが横で吹き出した。
「お前、本当にそういうとこ好きだわ」
「今いいところだから笑わないで」
「悪い」
リリアは偽神を見る。
「必要とされるために生きてるわけじゃないから、理由なんてなくてもいいです。私は私が生きたいから生きるし、一緒にいたい人がいるから明日へ行きたい」
その言葉を聞いたアレンの表情が柔らかくなる。
「俺も」
彼はリリアの手を取った。
「こいつと明日へ行きたい」
十三本目の線が二人の足元まで伸びる。
しかし、まだ完成しない。
偽神は崩れかけた姿のまま、今度はアレンだけを見た。
『では問おう、アレン・ヴァーミリオン』
空気が重くなる。
『彼女が自由である限り、お前は再び失う可能性から逃れられない』
アレンの指が僅かに動いた。
『老いれば死ぬ。戦えば傷つく。お前ではない誰かを選ぶ可能性さえある。自由とは、お前を置いていく可能性そのものだ』
リリアはアレンを見た。
それは、彼にとって最も怖いことだった。
三百年間待ち続けた男へ、「二度と失わない世界」を差し出す誘惑。
『望めば与えよう』
黒い月の亀裂から光景が現れた。
小さな家。
庭。
食卓。
そこにリリアとアレンがいる。
二人とも笑っている。
時間は進まない。
老いない。
死なない。
別れない。
『彼女は永遠にお前の隣にいる』
アレンは黙ってその光景を見ていた。
リリアも何も言わなかった。
選ぶのはアレンだ。
自分が答えを押しつけるべきではない。
やがてアレンが小さく息を吐いた。
「昔の俺なら、欲しかったかもな」
偽神は何も答えない。
「三百年一人だった時なら、何でもしたと思う。あいつが戻ってくるなら、世界が止まってもどうでもよかった」
アレンはリリアの手を握った。
「でも今は、いらねえ」
『なぜだ』
「そいつ、リリアじゃねえから」
幻の中の少女を見る。
「リリアは朝弱い時あるし、方向音痴だし、俺の言うこと聞かねえし、勝手に予定決めるし、たぶんこれから俺と喧嘩もする。卒業したら俺の知らねえ場所にも行くだろうし、俺以外の奴ともいっぱい会う」
「方向音痴そんなに大事?」
「今は黙ってろ」
「はい」
アレンが少し笑い、それから真剣な顔で偽神を見る。
「変わっていくから、こいつなんだよ」
リリアの胸が温かくなる。
「俺が欲しいのは、絶対に変わらねえリリアじゃない。明日になったら今日と少し違ってるこいつと、そのたびにまた一緒にいたいって選ぶことだ」
幻の家に亀裂が入った。
「それに、こいつを閉じ込めて永遠に俺だけ見させるくらいなら、三百年一人の方がまだマシだ」
「それは嫌です」
思わず口を挟んだ。
アレンがこちらを見る。
「例えだよ」
「例えでも嫌」
「じゃあ一人にすんなよ」
「アレン先輩もね」
「ああ」
アレンは笑った。
「だから一緒に生きるんだろ」
幻が砕け散った。
黒い月に走っていた亀裂が一気に広がる。
十三本目の線が、また少し先へ伸びた。
まだ終わってはいない。
それでも、三百年間アレンを縛っていたものが一つ、確かに壊れたのだとリリアには分かった。
アレンはもう「絶対に失わないこと」を望んでいない。
失う可能性があるからこそ、今日も明日も自分で選ぶ。
リリアはその横顔を見ながら、好きになったのがこの人でよかったと思った。
「アレン先輩」
「ん?」
「帰ったら、キスしていい?」
アレンが盛大に咳き込んだ。
「お前、今それ言う!?」
「だって頑張ったから」
「ご褒美みたいに言うな!」
「嫌?」
「嫌じゃねえよ!」
声が死んだ世界に響く。
リリアは笑った。
アレンも呆れたように笑う。
黒い月はまだ頭上にある。それでも二人の間には、もう三百年前の静けさはなかった。
明日の話ができる。
帰った後の話ができる。
それだけで、ここはもうアレンを閉じ込めていた世界ではない。
二人は手を繋いだまま、十三本目の線が伸びる先へ歩き始めた。今度はどちらかが前を歩くのではなく、同じ速さで、同じ方向へ進んでいった。