魔法より、君に恋をする。
セシルルート 第48章 明日も、あなたを選ぶ
翌朝。
リリアは目を覚まして、しばらくそのまま動かなかった。
静かだった。
胸の奥に意識を向けても、何もない。
眠い。
起きたくない。
会いたい。
そんなセシルの感情が、もう勝手に流れ込んでくることはない。
「……本当に終わったんだ」
昨日。
世界は自律循環へ移行した。
管理者機構は消滅し、接続計画も終了した。
世界が変わったというのに、窓の外は昨日までと何も変わらない。
朝日が差している。
廊下から誰かの話し声が聞こえる。
今日も授業がある。
そして。
今日は、セシルが何時に起きたのか分からない。
「……寝坊してそう」
そう思っても、確かめる方法はない。
リリアは少し笑ってベッドから降りた。
支度を終え、女子寮を出る。
いつもの場所へ向かう。
まだ姿はない。
「やっぱり」
少し待つ。
一分。
二分。
三分。
「遅い」
接続があれば、とっくに起こせた。
いや。
そもそも、セシルがまだ寝ているかどうかすら分からない。
「……部屋まで行けばよかったかな」
呟いた直後。
「誰の部屋?」
後ろから声がした。
「っ!」
振り返る。
青い髪。
セシルが立っていた。
「びっくりした!」
「おはよう」
「いつからいたの?」
「今」
「本当に?」
「本当」
「……何で笑ってるの」
「リリアが私の部屋まで来ようとしてたから」
「行こうとしてない」
「今言ってた」
「寝坊してたらって話!」
「心配してくれた?」
「遅刻されたら困るから」
「私が?」
「私が待つことになるでしょ」
「じゃあ待っててくれるんだ」
「……」
「リリア?」
「行くよ」
「誤魔化した」
「うるさい」
歩き出す。
数歩進んで。
リリアは足を止めた。
「セシル」
「何?」
「手」
「え?」
「……繋がないの?」
セシルが目を丸くする。
「昨日までは接続率上がるから控えてたでしょ」
「うん」
「もう関係ないし」
少しだけ恥ずかしくなって、リリアは視線を逸らした。
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃない!」
すぐに手を取られた。
「早い」
「だってリリアから言った」
「そんな嬉しい?」
「嬉しい」
「……そっか」
指を絡める。
何も流れ込んでこない。
ただ、手が温かい。
それだけだった。
「リリア」
「何?」
「今、何考えてる?」
「教えない」
「えー」
「知りたい?」
「知りたい」
「じゃあ当てて」
「難しいな……」
セシルが少し考える。
「私と手繋げて嬉しい?」
「……半分正解」
「半分?」
「もう半分は」
リリアは繋いだ手を見る。
「これだけでよかったんだなって」
「これだけ?」
「うん」
術式も。
接続率も。
感情同期も。
そんなものがなくても。
手を繋いで。
隣を歩いて。
好きな人がそこにいる。
「十分だった」
セシルが黙った。
「何?」
「今、キスしたい」
「朝から?」
「駄目?」
「学院の前」
「じゃあ帰ってから」
「予約するものなの?」
「忘れないように」
「忘れないでしょ」
「リリアが忘れるかも」
「忘れないよ」
「じゃあ約束」
「……分かった」
セシルが嬉しそうに笑った。
もう、その嬉しさは流れ込んでこない。
でも。
顔を見れば分かる。
午前の授業。
リリアはいつも通り教師の説明を聞きながら、課題を先へ進めていた。
隣から視線を感じる。
一度。
二度。
三度。
「……何」
小声で聞く。
「何が?」
「見てる」
「分かるんだ」
「これだけ見られたら分かるよ」
「接続ないのに?」
「目はあるから」
「すごい」
「馬鹿にしてる?」
「してない」
セシルは少し笑って前を向く。
数秒後。
また見る。
「セシル」
「はい」
「授業」
「聞いてる」
「じゃあ前見て」
「リリアもノート以外のこと書いてるじゃん」
「これは授業の先」
「もう分かったの?」
「うん」
「やっぱりすごい」
「……」
「何?」
「褒められるのは嫌じゃない」
「知ってる」
「何で?」
「長い付き合いだから」
リリアは少し笑った。
そうだった。
接続が始まるより前から。
二人は入学式で出会って。
友達になって。
セシルはリリアを好きになった。
リリアはその気持ちを知らないまま、ずっと隣にいた。
接続がなくても。
二人は最初から、相手のことを少しずつ知っていた。
昼休み。
二人はいつもの場所で食事をしていた。
「はい」
セシルが小さな包みを差し出す。
「何?」
「卵焼き」
リリアは止まった。
「……二個?」
「二個」
「覚えてたんだ」
「約束したから」
以前、食事を半分あげる代わりに約束したもの。
「本当に持ってきたの?」
「うん」
「律儀」
「食べる?」
「食べる」
一つ取る。
「どう?」
「おいしい」
「よかった」
もう一つ。
リリアが取ろうとして。
止めた。
「セシル」
「何?」
「口開けて」
「え?」
「早く」
「……あー」
セシルが素直に口を開ける。
リリアは卵焼きを入れた。
「……」
「何その顔」
「リリアが食べさせてくれた」
「一個返しただけ」
「嬉しい」
「大げさ」
「もう一回」
「ないよ」
「他ので」
「嫌」
「何で!」
「恥ずかしいから!」
セシルが笑う。
リリアも笑った。
こんなことでいい。
こんなことがいい。
世界の未来を決める選択なんて、もうしなくていい。
午後。
リリアは担当教師に呼ばれた。
「研究院から連絡が来た」
「何て?」
「先日の件だ。閲覧した資料については、研究院側でも調査するそうだ」
「そうですか」
「それと」
教師が一枚の書類を差し出す。
「特別研究枠の推薦候補。正式に名前を出しておいた」
リリアは紙を見る。
「……ありがとうございます」
「珍しく素直だな」
「私だってお礼くらい言います」
「行くか?」
リリアは少し考えた。
以前なら。
面白そう。
知りたい。
それだけで即答したかもしれない。
「まだ決めません」
「そうか」
「でも、行きたいとは思ってます」
「なら十分だ」
書類を受け取る。
部屋を出ると。
廊下の壁にセシルが寄りかかって待っていた。
「終わった?」
「うん」
「研究院?」
「推薦候補になった」
「すごい!」
「まだ候補」
「でもすごい」
「……ありがと」
二人で歩き始める。
「行く?」
セシルが聞いた。
「まだ決めてない」
「そっか」
「セシルは?」
「私?」
「卒業した後」
「考えてる」
「何したい?」
「まだ分からない」
「そっか」
「でも、前みたいにリリアについていくだけっていうのはやめる」
リリアがセシルを見る。
「自分で決める?」
「うん」
「いいと思う」
「それで」
「何?」
「別の場所になったらどうする?」
少しだけ不安そうな顔。
もう感情は読めない。
だからリリアは、ちゃんと言葉で答えた。
「会いに行く」
「……」
「何?」
「簡単に言うね」
「だって会いたいなら会いに行けばいいでしょ」
「遠かったら?」
「休みの日」
「もっと遠かったら?」
「長い休み」
「すごく遠かったら?」
「セシル」
「何?」
「私と別れたいの?」
「嫌!」
「じゃあ何とかする」
セシルが黙る。
「今決める必要ないよ」
リリアは続けた。
「卒業までまだ時間あるし。その時になったら二人で話せばいい」
「うん」
「私が研究院行くかも分からないし」
「うん」
「セシルが何したいかもこれからでしょ」
「うん」
「だから」
リリアは少し笑った。
「今は今日の帰りの約束だけ覚えてればいい」
「……キス?」
「声大きい!」
「ごめん!」
リリアは真っ赤になった。
「忘れてなかったんだ」
「リリアも覚えてるじゃん」
「今ので忘れた」
「嘘!」
「忘れた」
「思い出させる」
「どうやって」
「キスして」
「それ実行してるだけでしょ!」
放課後。
二人は一緒に女子寮へ戻った。
同じ寮。
同じ廊下を歩ける。
以前からそうだったのに、恋人になってからは妙に意識してしまう。
「リリアの部屋行っていい?」
セシルが聞いた。
「何で?」
「まだ帰りの約束してない」
「帰ってる途中じゃん」
「人いるし」
「……」
「駄目?」
リリアは少し考えた。
「いいよ」
部屋に入る。
特別なものは何もない。
いつもの自分の部屋。
セシルも初めて入るわけではない。
それなのに。
今日は少し違って感じた。
扉が閉まる。
二人きり。
「……」
「……」
「何で黙るの」
リリアが聞く。
「リリアが黙るから」
「セシルが黙ったんでしょ」
「何か緊張する」
「今さら?」
「恋人になってから二人で部屋いるの、意識すると違う」
「……言わないでよ」
「リリアも?」
「ちょっとだけ」
セシルが笑う。
ベッドの横。
二人で床に座る。
最初は授業の話をした。
今日の課題。
教師の癖。
研究院。
夕食。
明日の授業。
どうでもいい話。
気づけば、かなり時間が経っていた。
「こういうのいいね」
セシルが言った。
「何が?」
「何も起きないの」
リリアは笑った。
「分かる」
「最近ずっと事件だったから」
「接続率上がるたびに何か出てきたし」
「好きって言うだけで数字出るし」
「最悪だったね」
「私はちょっと楽しかった」
「何で?」
「リリアの気持ち分かったから」
「……」
「今は分からないけど」
セシルがリリアを見る。
「今、何考えてる?」
「またそれ?」
「聞かないと分からないから」
「……セシルのこと」
答える。
「え」
「だから聞いたんでしょ」
「何を?」
「それ以上は秘密」
「気になる」
「全部言わなくてもいいんでしょ?」
セシルが止まる。
それから笑った。
「うん」
「私にも秘密くらいある」
「じゃあ私も」
「何?」
「秘密」
「気になる」
「同じじゃん」
二人で笑った。
そのあと。
ふと静かになった。
窓の外はもう暗い。
セシルがリリアを見る。
リリアも見る。
何を考えているのか分からない。
でも。
朝の約束を思い出す。
「……する?」
リリアが聞いた。
「何を?」
「分かってるくせに」
「言ってほしい」
「嫌」
「じゃあ分からない」
「絶対分かってる」
「接続ないから」
「そういう時だけ!」
セシルが笑う。
「キス?」
「……うん」
「したい」
「私も」
セシルが少し近づく。
「いい?」
「うん」
唇が触れた。
短く。
一度離れる。
目が合う。
どちらからともなく、もう一度近づいた。
今度は少し長い。
リリアはセシルの服を軽く掴んだ。
離れた時。
セシルの顔が近い。
「……リリア」
「何?」
「可愛い」
「今言う?」
「思ったから」
「接続ないんだから黙ってればバレないのに」
「言いたかった」
「……そっか」
リリアは少し迷って。
セシルの肩へ頭を預けた。
「じゃあ私も言う」
「何?」
「好き」
セシルが固まる。
「……」
「何?」
「もう一回」
「嫌」
「何で!」
「今日何回言わせるの!」
「だって嬉しい」
「じゃあ覚えて」
「ずっと?」
「ずっと」
「……分かった」
少しだけ間が空く。
「私も好き」
「うん」
「ずっと好きだった」
その言葉に。
リリアは顔を上げた。
「……そういえば」
「何?」
「ちゃんと聞いてなかったかも」
「何を?」
「いつから?」
セシルが目を瞬いた。
「私を好きになったの」
「……入学して、そんなに経ってない頃」
「早くない?」
「早いよ」
「何で?」
「最初は顔」
「顔!?」
「だって綺麗だったから」
「……」
「でもすぐ、それだけじゃなくなった」
「何で?」
「何でもできるのに、興味ないことは本当に雑なところとか」
「褒めてる?」
「褒めてる」
「怪しい」
「自分では何でもできると思ってないところとか」
「思ってないよ」
「知ってる」
「あと?」
「意外と優しい」
「意外といらない」
「人のことよく見てる」
「……」
「私が困ってる時、何も聞かないで助けてくれたことあったでしょ」
「覚えてない」
「そういうところ」
セシルが笑う。
「リリアは覚えてないようなこと、私はいっぱい覚えてる」
胸が少し熱くなった。
「ずっと言わなかったの?」
「言えなかった」
「好きな人いるとは言ってたじゃん」
「リリアにね」
「私だとは言わずに」
「言えるわけないでしょ」
「何で?」
「友達でいられなくなるの怖かったから」
リリアは黙った。
セシルが自分を好きだった。
今なら知っている。
でも。
その頃のセシルは、一人で抱えていた。
「……長かったね」
「長かった」
「ごめん」
「何で謝るの?」
「気づかなかった」
「気づかれないようにしてたから」
「でも」
「いいの」
セシルは笑った。
「今は好きって言ってくれるから」
リリアはしばらくセシルを見ていた。
それから。
「じゃあ、いっぱい言った方がいい?」
「え?」
「今までの分」
「……言ってくれるの?」
「たまに」
「毎日」
「多い」
「じゃあ三日に一回」
「何で交渉になるの」
「週一」
「減ってる!」
二人で笑った。
リリアはその笑顔を見ながら思う。
セシルが自分を好きになったのは、接続術式のせいではない。
リリアがセシルを好きになったのも、過去の記録のせいではない。
入学式で出会った。
同じ時間を過ごした。
話した。
笑った。
時々喧嘩した。
セシルはずっと好きだった。
リリアは後から好きになった。
ただ、それだけ。
「セシル」
「何?」
「私ね」
「うん」
「接続切れてよかった」
「私も」
「でも」
「うん」
「セシルと繋がったのが嫌だったわけじゃないよ」
「分かってる」
「……今は分からないでしょ」
セシルが少し驚いて。
それから笑った。
「じゃあ、聞く」
「うん」
「どういう意味?」
「セシルと繋がったから、知れたこともあった」
「うん」
「セシルがずっと私を大事にしてくれてたこととか」
「うん」
「私も、自分が思ってたよりセシルのこと大事だったこととか」
「……うん」
「だから」
リリアは少し恥ずかしくなった。
でも。
もう勝手には伝わらない。
言わなければ。
セシルには分からない。
「好きになれてよかった」
セシルの目が大きくなる。
「リリア」
「何?」
「今日どうしたの?」
「何が?」
「いっぱい言ってくれる」
「嫌ならやめる」
「嫌じゃない!」
「じゃあいいでしょ」
「……嬉しい」
「うん」
「すごく」
「うん」
「リリア」
「何?」
「抱きしめていい?」
「聞かなくても――」
そこまで言って。
やめた。
「……ううん」
「?」
「聞いて」
リリアは笑った。
「これからも」
セシルも笑う。
「うん」
「いいよ」
抱きしめられる。
リリアも背中へ腕を回す。
相手の気持ちは分からない。
でも。
腕の強さは分かる。
温かさも。
声も。
笑った顔も。
そして。
言葉も。
「リリア」
「何?」
「好き」
「私も」
それで十分だった。
しばらくして、セシルが帰る時間になった。
扉の前。
「じゃあ明日」
「うん」
「朝」
「寝坊しないで」
「したら?」
「置いてく」
「迎えに来て」
「考えとく」
「絶対来て」
「起きればいいじゃん」
「じゃあ起きる」
「最初からそうして」
セシルが扉を開ける。
でも。
出る直前。
振り返った。
「リリア」
「何?」
「明日も好き?」
リリアは一瞬きょとんとした。
「何それ」
「何となく」
「未来の気持ちなんて分からないよ」
「……そっか」
少しだけ寂しそうな顔。
リリアは笑った。
「だから」
セシルを見る。
「明日も自分で選ぶよ」
「……」
「セシルのこと好きでいるのも」
「うん」
「会いに行くのも」
「うん」
「隣にいるのも」
少しだけ間を置く。
「毎日、私が決める」
セシルの目が潤む。
「泣くの?」
「泣かない」
「泣きそう」
「リリアのせい」
「何で」
「嬉しいから」
セシルが笑う。
「じゃあ私も」
「何を?」
「明日もリリアを選ぶ」
「うん」
「明後日も」
「先の予約は禁止」
「何で!」
「その日に決めるんでしょ?」
「……じゃあ明日また言う」
「うん」
「好きって」
「聞く」
「リリアも言って」
「気が向いたら」
「そこは言ってよ!」
リリアは笑った。
「おやすみ、セシル」
「おやすみ、リリア」
扉が閉まる。
部屋が静かになる。
胸の奥も静かだ。
もうセシルの感情は聞こえない。
それでも。
リリアは笑っていた。
明日になれば。
また会える。
何を考えているのか分からないセシルに。
その時は聞けばいい。
自分の気持ちも。
伝えたければ伝えればいい。
全部知らなくていい。
全部同じじゃなくていい。
別々の人間だから。
何度でも相手を知って。
何度でも近づいて。
何度でも選べる。
翌朝。
リリアがいつもの場所へ向かうと。
今日はセシルの方が先に来ていた。
「おはよう、リリア」
「おはよ」
「寝坊しなかった」
「偉い」
「子ども扱いしてる?」
「ちょっと」
「ひどい」
セシルが手を差し出す。
リリアはその手を見る。
そして。
迷わず握った。
「リリア」
「何?」
「今日も好き」
朝から。
またそれ。
そう思って。
でも今日は言わなかった。
「私も」
「……え?」
「一回で聞いて」
「待って、もう一回」
「嫌」
「リリア!」
笑いながら歩き出す。
白銀の髪と。
青い髪。
二人の手を繋ぐ術式は、もうどこにもない。
接続率も。
管理者も。
決められた未来も。
何もない。
あるのは。
自分で選べる今日と。
まだ決まっていない明日。
そして。
その隣を歩く、大好きな人。
リリアは繋いだ手を少しだけ強く握った。
「セシル」
「何?」
「明日も一緒に行こっか」
セシルが笑った。
「うん」
二人は並んで歩いていく。
明日も。
その次の日も。
誰かに決められたからではなく。
何かに繋がれているからでもなく。
自分の意思で。
何度でも。
互いを選びながら。
セシルルート 完
リリアは目を覚まして、しばらくそのまま動かなかった。
静かだった。
胸の奥に意識を向けても、何もない。
眠い。
起きたくない。
会いたい。
そんなセシルの感情が、もう勝手に流れ込んでくることはない。
「……本当に終わったんだ」
昨日。
世界は自律循環へ移行した。
管理者機構は消滅し、接続計画も終了した。
世界が変わったというのに、窓の外は昨日までと何も変わらない。
朝日が差している。
廊下から誰かの話し声が聞こえる。
今日も授業がある。
そして。
今日は、セシルが何時に起きたのか分からない。
「……寝坊してそう」
そう思っても、確かめる方法はない。
リリアは少し笑ってベッドから降りた。
支度を終え、女子寮を出る。
いつもの場所へ向かう。
まだ姿はない。
「やっぱり」
少し待つ。
一分。
二分。
三分。
「遅い」
接続があれば、とっくに起こせた。
いや。
そもそも、セシルがまだ寝ているかどうかすら分からない。
「……部屋まで行けばよかったかな」
呟いた直後。
「誰の部屋?」
後ろから声がした。
「っ!」
振り返る。
青い髪。
セシルが立っていた。
「びっくりした!」
「おはよう」
「いつからいたの?」
「今」
「本当に?」
「本当」
「……何で笑ってるの」
「リリアが私の部屋まで来ようとしてたから」
「行こうとしてない」
「今言ってた」
「寝坊してたらって話!」
「心配してくれた?」
「遅刻されたら困るから」
「私が?」
「私が待つことになるでしょ」
「じゃあ待っててくれるんだ」
「……」
「リリア?」
「行くよ」
「誤魔化した」
「うるさい」
歩き出す。
数歩進んで。
リリアは足を止めた。
「セシル」
「何?」
「手」
「え?」
「……繋がないの?」
セシルが目を丸くする。
「昨日までは接続率上がるから控えてたでしょ」
「うん」
「もう関係ないし」
少しだけ恥ずかしくなって、リリアは視線を逸らした。
「嫌ならいいけど」
「嫌じゃない!」
すぐに手を取られた。
「早い」
「だってリリアから言った」
「そんな嬉しい?」
「嬉しい」
「……そっか」
指を絡める。
何も流れ込んでこない。
ただ、手が温かい。
それだけだった。
「リリア」
「何?」
「今、何考えてる?」
「教えない」
「えー」
「知りたい?」
「知りたい」
「じゃあ当てて」
「難しいな……」
セシルが少し考える。
「私と手繋げて嬉しい?」
「……半分正解」
「半分?」
「もう半分は」
リリアは繋いだ手を見る。
「これだけでよかったんだなって」
「これだけ?」
「うん」
術式も。
接続率も。
感情同期も。
そんなものがなくても。
手を繋いで。
隣を歩いて。
好きな人がそこにいる。
「十分だった」
セシルが黙った。
「何?」
「今、キスしたい」
「朝から?」
「駄目?」
「学院の前」
「じゃあ帰ってから」
「予約するものなの?」
「忘れないように」
「忘れないでしょ」
「リリアが忘れるかも」
「忘れないよ」
「じゃあ約束」
「……分かった」
セシルが嬉しそうに笑った。
もう、その嬉しさは流れ込んでこない。
でも。
顔を見れば分かる。
午前の授業。
リリアはいつも通り教師の説明を聞きながら、課題を先へ進めていた。
隣から視線を感じる。
一度。
二度。
三度。
「……何」
小声で聞く。
「何が?」
「見てる」
「分かるんだ」
「これだけ見られたら分かるよ」
「接続ないのに?」
「目はあるから」
「すごい」
「馬鹿にしてる?」
「してない」
セシルは少し笑って前を向く。
数秒後。
また見る。
「セシル」
「はい」
「授業」
「聞いてる」
「じゃあ前見て」
「リリアもノート以外のこと書いてるじゃん」
「これは授業の先」
「もう分かったの?」
「うん」
「やっぱりすごい」
「……」
「何?」
「褒められるのは嫌じゃない」
「知ってる」
「何で?」
「長い付き合いだから」
リリアは少し笑った。
そうだった。
接続が始まるより前から。
二人は入学式で出会って。
友達になって。
セシルはリリアを好きになった。
リリアはその気持ちを知らないまま、ずっと隣にいた。
接続がなくても。
二人は最初から、相手のことを少しずつ知っていた。
昼休み。
二人はいつもの場所で食事をしていた。
「はい」
セシルが小さな包みを差し出す。
「何?」
「卵焼き」
リリアは止まった。
「……二個?」
「二個」
「覚えてたんだ」
「約束したから」
以前、食事を半分あげる代わりに約束したもの。
「本当に持ってきたの?」
「うん」
「律儀」
「食べる?」
「食べる」
一つ取る。
「どう?」
「おいしい」
「よかった」
もう一つ。
リリアが取ろうとして。
止めた。
「セシル」
「何?」
「口開けて」
「え?」
「早く」
「……あー」
セシルが素直に口を開ける。
リリアは卵焼きを入れた。
「……」
「何その顔」
「リリアが食べさせてくれた」
「一個返しただけ」
「嬉しい」
「大げさ」
「もう一回」
「ないよ」
「他ので」
「嫌」
「何で!」
「恥ずかしいから!」
セシルが笑う。
リリアも笑った。
こんなことでいい。
こんなことがいい。
世界の未来を決める選択なんて、もうしなくていい。
午後。
リリアは担当教師に呼ばれた。
「研究院から連絡が来た」
「何て?」
「先日の件だ。閲覧した資料については、研究院側でも調査するそうだ」
「そうですか」
「それと」
教師が一枚の書類を差し出す。
「特別研究枠の推薦候補。正式に名前を出しておいた」
リリアは紙を見る。
「……ありがとうございます」
「珍しく素直だな」
「私だってお礼くらい言います」
「行くか?」
リリアは少し考えた。
以前なら。
面白そう。
知りたい。
それだけで即答したかもしれない。
「まだ決めません」
「そうか」
「でも、行きたいとは思ってます」
「なら十分だ」
書類を受け取る。
部屋を出ると。
廊下の壁にセシルが寄りかかって待っていた。
「終わった?」
「うん」
「研究院?」
「推薦候補になった」
「すごい!」
「まだ候補」
「でもすごい」
「……ありがと」
二人で歩き始める。
「行く?」
セシルが聞いた。
「まだ決めてない」
「そっか」
「セシルは?」
「私?」
「卒業した後」
「考えてる」
「何したい?」
「まだ分からない」
「そっか」
「でも、前みたいにリリアについていくだけっていうのはやめる」
リリアがセシルを見る。
「自分で決める?」
「うん」
「いいと思う」
「それで」
「何?」
「別の場所になったらどうする?」
少しだけ不安そうな顔。
もう感情は読めない。
だからリリアは、ちゃんと言葉で答えた。
「会いに行く」
「……」
「何?」
「簡単に言うね」
「だって会いたいなら会いに行けばいいでしょ」
「遠かったら?」
「休みの日」
「もっと遠かったら?」
「長い休み」
「すごく遠かったら?」
「セシル」
「何?」
「私と別れたいの?」
「嫌!」
「じゃあ何とかする」
セシルが黙る。
「今決める必要ないよ」
リリアは続けた。
「卒業までまだ時間あるし。その時になったら二人で話せばいい」
「うん」
「私が研究院行くかも分からないし」
「うん」
「セシルが何したいかもこれからでしょ」
「うん」
「だから」
リリアは少し笑った。
「今は今日の帰りの約束だけ覚えてればいい」
「……キス?」
「声大きい!」
「ごめん!」
リリアは真っ赤になった。
「忘れてなかったんだ」
「リリアも覚えてるじゃん」
「今ので忘れた」
「嘘!」
「忘れた」
「思い出させる」
「どうやって」
「キスして」
「それ実行してるだけでしょ!」
放課後。
二人は一緒に女子寮へ戻った。
同じ寮。
同じ廊下を歩ける。
以前からそうだったのに、恋人になってからは妙に意識してしまう。
「リリアの部屋行っていい?」
セシルが聞いた。
「何で?」
「まだ帰りの約束してない」
「帰ってる途中じゃん」
「人いるし」
「……」
「駄目?」
リリアは少し考えた。
「いいよ」
部屋に入る。
特別なものは何もない。
いつもの自分の部屋。
セシルも初めて入るわけではない。
それなのに。
今日は少し違って感じた。
扉が閉まる。
二人きり。
「……」
「……」
「何で黙るの」
リリアが聞く。
「リリアが黙るから」
「セシルが黙ったんでしょ」
「何か緊張する」
「今さら?」
「恋人になってから二人で部屋いるの、意識すると違う」
「……言わないでよ」
「リリアも?」
「ちょっとだけ」
セシルが笑う。
ベッドの横。
二人で床に座る。
最初は授業の話をした。
今日の課題。
教師の癖。
研究院。
夕食。
明日の授業。
どうでもいい話。
気づけば、かなり時間が経っていた。
「こういうのいいね」
セシルが言った。
「何が?」
「何も起きないの」
リリアは笑った。
「分かる」
「最近ずっと事件だったから」
「接続率上がるたびに何か出てきたし」
「好きって言うだけで数字出るし」
「最悪だったね」
「私はちょっと楽しかった」
「何で?」
「リリアの気持ち分かったから」
「……」
「今は分からないけど」
セシルがリリアを見る。
「今、何考えてる?」
「またそれ?」
「聞かないと分からないから」
「……セシルのこと」
答える。
「え」
「だから聞いたんでしょ」
「何を?」
「それ以上は秘密」
「気になる」
「全部言わなくてもいいんでしょ?」
セシルが止まる。
それから笑った。
「うん」
「私にも秘密くらいある」
「じゃあ私も」
「何?」
「秘密」
「気になる」
「同じじゃん」
二人で笑った。
そのあと。
ふと静かになった。
窓の外はもう暗い。
セシルがリリアを見る。
リリアも見る。
何を考えているのか分からない。
でも。
朝の約束を思い出す。
「……する?」
リリアが聞いた。
「何を?」
「分かってるくせに」
「言ってほしい」
「嫌」
「じゃあ分からない」
「絶対分かってる」
「接続ないから」
「そういう時だけ!」
セシルが笑う。
「キス?」
「……うん」
「したい」
「私も」
セシルが少し近づく。
「いい?」
「うん」
唇が触れた。
短く。
一度離れる。
目が合う。
どちらからともなく、もう一度近づいた。
今度は少し長い。
リリアはセシルの服を軽く掴んだ。
離れた時。
セシルの顔が近い。
「……リリア」
「何?」
「可愛い」
「今言う?」
「思ったから」
「接続ないんだから黙ってればバレないのに」
「言いたかった」
「……そっか」
リリアは少し迷って。
セシルの肩へ頭を預けた。
「じゃあ私も言う」
「何?」
「好き」
セシルが固まる。
「……」
「何?」
「もう一回」
「嫌」
「何で!」
「今日何回言わせるの!」
「だって嬉しい」
「じゃあ覚えて」
「ずっと?」
「ずっと」
「……分かった」
少しだけ間が空く。
「私も好き」
「うん」
「ずっと好きだった」
その言葉に。
リリアは顔を上げた。
「……そういえば」
「何?」
「ちゃんと聞いてなかったかも」
「何を?」
「いつから?」
セシルが目を瞬いた。
「私を好きになったの」
「……入学して、そんなに経ってない頃」
「早くない?」
「早いよ」
「何で?」
「最初は顔」
「顔!?」
「だって綺麗だったから」
「……」
「でもすぐ、それだけじゃなくなった」
「何で?」
「何でもできるのに、興味ないことは本当に雑なところとか」
「褒めてる?」
「褒めてる」
「怪しい」
「自分では何でもできると思ってないところとか」
「思ってないよ」
「知ってる」
「あと?」
「意外と優しい」
「意外といらない」
「人のことよく見てる」
「……」
「私が困ってる時、何も聞かないで助けてくれたことあったでしょ」
「覚えてない」
「そういうところ」
セシルが笑う。
「リリアは覚えてないようなこと、私はいっぱい覚えてる」
胸が少し熱くなった。
「ずっと言わなかったの?」
「言えなかった」
「好きな人いるとは言ってたじゃん」
「リリアにね」
「私だとは言わずに」
「言えるわけないでしょ」
「何で?」
「友達でいられなくなるの怖かったから」
リリアは黙った。
セシルが自分を好きだった。
今なら知っている。
でも。
その頃のセシルは、一人で抱えていた。
「……長かったね」
「長かった」
「ごめん」
「何で謝るの?」
「気づかなかった」
「気づかれないようにしてたから」
「でも」
「いいの」
セシルは笑った。
「今は好きって言ってくれるから」
リリアはしばらくセシルを見ていた。
それから。
「じゃあ、いっぱい言った方がいい?」
「え?」
「今までの分」
「……言ってくれるの?」
「たまに」
「毎日」
「多い」
「じゃあ三日に一回」
「何で交渉になるの」
「週一」
「減ってる!」
二人で笑った。
リリアはその笑顔を見ながら思う。
セシルが自分を好きになったのは、接続術式のせいではない。
リリアがセシルを好きになったのも、過去の記録のせいではない。
入学式で出会った。
同じ時間を過ごした。
話した。
笑った。
時々喧嘩した。
セシルはずっと好きだった。
リリアは後から好きになった。
ただ、それだけ。
「セシル」
「何?」
「私ね」
「うん」
「接続切れてよかった」
「私も」
「でも」
「うん」
「セシルと繋がったのが嫌だったわけじゃないよ」
「分かってる」
「……今は分からないでしょ」
セシルが少し驚いて。
それから笑った。
「じゃあ、聞く」
「うん」
「どういう意味?」
「セシルと繋がったから、知れたこともあった」
「うん」
「セシルがずっと私を大事にしてくれてたこととか」
「うん」
「私も、自分が思ってたよりセシルのこと大事だったこととか」
「……うん」
「だから」
リリアは少し恥ずかしくなった。
でも。
もう勝手には伝わらない。
言わなければ。
セシルには分からない。
「好きになれてよかった」
セシルの目が大きくなる。
「リリア」
「何?」
「今日どうしたの?」
「何が?」
「いっぱい言ってくれる」
「嫌ならやめる」
「嫌じゃない!」
「じゃあいいでしょ」
「……嬉しい」
「うん」
「すごく」
「うん」
「リリア」
「何?」
「抱きしめていい?」
「聞かなくても――」
そこまで言って。
やめた。
「……ううん」
「?」
「聞いて」
リリアは笑った。
「これからも」
セシルも笑う。
「うん」
「いいよ」
抱きしめられる。
リリアも背中へ腕を回す。
相手の気持ちは分からない。
でも。
腕の強さは分かる。
温かさも。
声も。
笑った顔も。
そして。
言葉も。
「リリア」
「何?」
「好き」
「私も」
それで十分だった。
しばらくして、セシルが帰る時間になった。
扉の前。
「じゃあ明日」
「うん」
「朝」
「寝坊しないで」
「したら?」
「置いてく」
「迎えに来て」
「考えとく」
「絶対来て」
「起きればいいじゃん」
「じゃあ起きる」
「最初からそうして」
セシルが扉を開ける。
でも。
出る直前。
振り返った。
「リリア」
「何?」
「明日も好き?」
リリアは一瞬きょとんとした。
「何それ」
「何となく」
「未来の気持ちなんて分からないよ」
「……そっか」
少しだけ寂しそうな顔。
リリアは笑った。
「だから」
セシルを見る。
「明日も自分で選ぶよ」
「……」
「セシルのこと好きでいるのも」
「うん」
「会いに行くのも」
「うん」
「隣にいるのも」
少しだけ間を置く。
「毎日、私が決める」
セシルの目が潤む。
「泣くの?」
「泣かない」
「泣きそう」
「リリアのせい」
「何で」
「嬉しいから」
セシルが笑う。
「じゃあ私も」
「何を?」
「明日もリリアを選ぶ」
「うん」
「明後日も」
「先の予約は禁止」
「何で!」
「その日に決めるんでしょ?」
「……じゃあ明日また言う」
「うん」
「好きって」
「聞く」
「リリアも言って」
「気が向いたら」
「そこは言ってよ!」
リリアは笑った。
「おやすみ、セシル」
「おやすみ、リリア」
扉が閉まる。
部屋が静かになる。
胸の奥も静かだ。
もうセシルの感情は聞こえない。
それでも。
リリアは笑っていた。
明日になれば。
また会える。
何を考えているのか分からないセシルに。
その時は聞けばいい。
自分の気持ちも。
伝えたければ伝えればいい。
全部知らなくていい。
全部同じじゃなくていい。
別々の人間だから。
何度でも相手を知って。
何度でも近づいて。
何度でも選べる。
翌朝。
リリアがいつもの場所へ向かうと。
今日はセシルの方が先に来ていた。
「おはよう、リリア」
「おはよ」
「寝坊しなかった」
「偉い」
「子ども扱いしてる?」
「ちょっと」
「ひどい」
セシルが手を差し出す。
リリアはその手を見る。
そして。
迷わず握った。
「リリア」
「何?」
「今日も好き」
朝から。
またそれ。
そう思って。
でも今日は言わなかった。
「私も」
「……え?」
「一回で聞いて」
「待って、もう一回」
「嫌」
「リリア!」
笑いながら歩き出す。
白銀の髪と。
青い髪。
二人の手を繋ぐ術式は、もうどこにもない。
接続率も。
管理者も。
決められた未来も。
何もない。
あるのは。
自分で選べる今日と。
まだ決まっていない明日。
そして。
その隣を歩く、大好きな人。
リリアは繋いだ手を少しだけ強く握った。
「セシル」
「何?」
「明日も一緒に行こっか」
セシルが笑った。
「うん」
二人は並んで歩いていく。
明日も。
その次の日も。
誰かに決められたからではなく。
何かに繋がれているからでもなく。
自分の意思で。
何度でも。
互いを選びながら。
セシルルート 完
