敵国から嫁いできた悪役王女……のつもりだったのですが、めちゃくちゃ大事にされている上に、契約結婚になるようです。

「な、な、なに、何故、なにを」

 ギョッと目を剥くヒルヴィスに、アイリスはくすりとほほ笑む。

「ねえ、魔女ではない魔女様。今のあなたに、魔法は使えるかしら?」
「!?」

 ヒルヴィスが左手にかけられた手錠を思わず注視したところで、アイリスの視界に、重石がついた縄が飛び出してきた。

 サヴィリアがヒルヴィスに向かって投げたものだ。

 驚くヒルヴィスに縄が絡みついていく様を見たアイリスは、ためらうことなく自身とヒルヴィスの間に存在していた机を蹴り上げる。
 悲鳴を上げながら机の下敷きになるヒルヴィスを見届けたアイリスは、ひっくり返った机ごと、ヒルヴィスを右足で踏みつけた。

 ぎゃっという可哀そうな悲鳴が机の下から聞こえたところで、縄の端を持ったサヴィリアが流れるような仕草でヒルヴィスの足元に近寄り、両足にも足かせをはめた。

「なにをするのだ、痛いじゃないか!!!」

 魚のように机の下でのたうつヒルヴィスに、アイリスはニコリと微笑む。

「あなたが私にしようとしたことよりはマシだと思うけれど」
「こんなもの、私の手にかかればすぐに抜け出して」
「だから、ほら。魔法は使えるのかしら、魔女様?」

 アイリスが楽しそうにそう告げると、机の下でハッとした気配がした。
 男は暫くもぞもぞと動いた後、悲鳴のような声でアイリスに向かって叫んだ。

「な、なんだ、なんだ、なんだこれは! こんな強力な、魔法封じの、何故、人間のお前がこんなものを!」
「お父様の部屋に沢山あるのよね」

 困ったような顔をしたアイリスに、ヒルヴィスは唖然とした顔をした後、だんだんと青ざめていく。

「ヴィルクリフ=フォン=ヴィンセント……!」
「そう。私は理由を知らないけれど、あなたなら分かるんじゃないかしら。お父様は、魔女のことが本当に嫌いみたいよ?」
「……こ、こんなもの、そこそこの時間があれば、破壊して」
「本当に沢山あるから、そこそこに壊してもらっても大丈夫よ」

 アイリスは懐から、じゃらじゃらと鎖やら指輪やら、魔法文字の刻まれた品々を取り出す。
 それを見たヒルヴィスはどんどん青ざめていき、縄を持っているサヴィリアは安堵したようにため息を吐いた。
 そんな彼女に、アイリスはねぎらいの声をかける。

「サヴィリア、よくやったわ」
「無茶をなさいますね、アイリス殿下」
「あなたの汚名をそそぐには、これくらい必要でしょう?」
「私のことはついででしょうに。……これ、全部国宝級の品ですよ。よくもまあ、こんな数を集めましたね」
「まったくよ。お父様はこれでケイトになにをするつもりだったのかしら。ねえ、魔女様」

 手に持った煌びやかな装飾が施された紫色のナイフをゆらゆらと揺らしながら、首を傾げるアイリスに、ヒルヴィスはぶんぶんと首を横に振っている。

「やめろ、やめなさい、アイリス=フォン=ヴィンセント。そんなものを手にもって、私に刺さりでもしたら大変なことになってしまうではないか」
「もっとましな懇願はできないものなのかしら。少しでも私が知りたいことを話してくれるなら、私の気が変わるかもしれないわよ?」
「情報を渡しても、真実を伝えても、アイリス=フォン=ヴィンセントの考えは変わらない!」
「ふうん。残念なところだけ当ててくるのね、占い師さん」
「お、お前は、お前達は、私をどうするつもりだ!」
「この国の王子様達にお任せするわよ」

 目を見開くヒルヴィスに、アイリスは肩をすくめる。

「ここは私の国ではないもの。あなたの処遇を決めるのは、この国の人達よ」
「奴らが、あいつらが、あの王子達が、ここに来るとは限らないではないか!」
「来るわよ」
「なにを……」
「あの粘着質な子が、あの手紙を見て、私を探さないはずがないでしょう」

 当然のようにそう告げるアイリスに、ヒルヴィスは目を見開く。
 彼女がチラリとサヴィリアに視線を投げると、サヴィリアは意を得たりと頷いた。

「あの様子なら、ミゲル殿下があなたの客の一人であることくらいは、すぐに突き止めるでしょうね」

 サヴィリアの言葉に、ヒルヴィスはワナワナと震え出す。
 そしてそのまま、大きく息を吸い、その細い体のどこから出したのかわからないような大きな声を上げた。

「――ヒルヴィス! ヒルヴィストラウトリスクアリヴィラ=ルナ、助けてくれ!!!」

「えっ?」

 叫ばれた内容に、アイリスもサヴィリアも目を丸くする。
 ヒルヴィスとは、目の前にいる彼自身の名前ではなかったか――。

「アイリス殿下!」

 サヴィリアの悲鳴に、アイリスは何が起こったのかと、彼女を振り向く。
 しかし、その視界は何かの黒い布で覆われてしまった。
 体が宙に放り出されたような、奇妙な感覚と共に、そのまま周りが布で一杯になっていく。

(いえ、違う。布で覆われたんじゃない、私が――)

 見る間に真っ黒になった視界の中、ふわりと布ごと体を掴まれ、高いところに持ち上げられた感覚があった。
 アイリスが必死に布の中から顔を出すと、視界一杯に広がるのは、先ほどの雲のような不思議な生き物の顔だ。
 大きな目がきょろきょろと動きながらアイリスや周りの様子を窺っている。
 どうやら、アイリスは先ほどの茶器のように、この雲のような生き物の手に握られているらしい。

『お茶が、粗茶が、オモテナシが、気に入らなかったカら、このようナことをスるのでスたい?』

 悲しそうな顔をしている雲に、アイリスが答えられないでいると、下の方からヒルヴィスの声がした。

「ヒルヴィストラウトリスクアリヴィラ=ルナ! 早く私を助けてくれ!」
『おやおやおや。ヒルヴィストラウトリスクアリヴィラ=ルナよ。なんトいう情けない様をお客様に見せているのでス』
「そのお客様にやられたのだ! いいから私を解放しないか!」
『ふむふむふむ。この程度の鎖と縄で捕まってしまウとは。分(・)個(・)体(・)とイうのは、やはリ文献にあるとオり、か弱く小さく弱弱しく矮小な生き物に過ぎないらシいでスたい』

 アイリスは悟った。
 男の方ではないのだ。

 目の前のこれは、魔法の生き物ではない。

 この雲のような何かこそが、比重の魔女。

 ヒルヴィストラウトリスクアリヴィラ=ルナの根幹を成すもの。

『まア、子(・)ど(・)モ(・)というのは、手がカかるものとイイまスからね』

 何の感情も移さない大きな紫色の瞳が、雲の中心でぎょろりと動く。
 それを見たアイリスが、背筋が凍るような感覚を覚えたところで、事態はまた面倒な方向へと動いてしまった。

 ドガーンという爆発音とともに、扉が外から蹴破られたのだ。

 もちろん、その中心にいる人物は、アイリスが想定していたその人である。

 黒のレースの貴族ドレスに黒いハイヒール、それを纏う豊満な体つき。
 漆黒の艶やかな長髪を揺らし、白い肌にびきびきと血管を浮かび上がらせながら、ただアイリスだけをその紫色の瞳で見つめている。

「――迎えに来ました」

 そして、血走った目に、おどろおどろしい声。

「帰りますよ、アイリス姉さま」

 人形サイズに大きさを変えられ、雲のような生き物の手に拘束されている騎士(ナイト)大好き夢女子系王女アイリスは、まるで物語に出てくる白馬に乗った騎士様のように絶妙なタイミングで現れた妹を見て思った。

 それは、家族を迎えに来るときの顔じゃない。
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