花詠み ―雪中花―

第一話

 その平屋は、遠くに水平線が見える見晴らしのいい高台に建っていた。
 雪が解け、待ち望んだ春の陽光に包まれた今日。
 地方からやってきた一台のトラックが、古い高台の平屋の前に止まった。

「奥さん。引っ越しのトラックが着いたよ!」

 室内の清掃を手伝ってくれるのは近所の奥さんたち。
 皆、陽気で親切だ。

「はあい。今行きます!」

 キッチンにいたこの平屋の新しい女主人が、明るい声で応えた。
 彼女の名前は、加倉香苗(かくらかなえ)。
 香苗は緑のチェック柄のエプロンを翻しながら、トラックに駆け寄る。

「お疲れさまでした! 時間通り来てくださってありがとうございます」
「いえいえ、お待たせ致しました。では、さっそく搬入しましょう」
「はい、お願いします」

 手伝いの奥さんたちは慣れた様子で、もう段ボール箱をどんどん運んでいる。
 香苗も家具や荷物を、掃除の終わった部屋の中に運び込んだ。
 午後には近所にある小学校に挨拶を終えた、夫と息子が戻ってくる。
 それまでにはある程度掃除を終わらせておこうと、雑巾を絞る。

「さあて、換気しないとね!」

 窓を拭き終えた後、庭に続く居間の大きな窓を開ける。
 潮の香りを含む春の風が、部屋の中になだれ込んだ。
 ふと見ると庭には、白と黄色の水仙の花が並んで咲いている。
 風に揺れるその花のまわりを、虫が飛んでいた。

「それにしてもいい天気ね」

 高台にある平屋からは遠くに海も眺められた。
 空を舞う海鳥の甲高い鳴き声が遠くに聞こえる。
 これがこの先、毎日目にする風景かと思うと、香苗は心が期待に弾んだ。

「奥さんこの荷物、どこさ置く?」

 振り返ると、手伝いの奥さんの一人が中くらいの段ボールを抱えている。
 それは入っているものが何も書かれていない段ボールだった。

「あら、書き漏れかな……? とりあえずここに置いてください」
「あいよ。じゃあ床に置いておくね」
「はい!」

 何だろうと思いながら、香苗がその箱を開ける。
 中には夫の拓真(たくま)と息子の優斗(ゆうと)のプラモデルのキットが詰まっていた。
 拓真と優斗を思い浮かべて、香苗は微笑む。

「ふふっ。これは何処に置こうかしらね」

 その箱を持って、居間の左隣の和室へと運び入れたその時――。
 ふと見上げた和室の天井に、足の長い蜘蛛が巣を張っているのに気が付いた。

 香苗は荷物の中から殺虫剤を取り出し、和室の天井をもう一度、見上げる。
 しかし、先ほど確かに在った蜘蛛の巣はなく、足の長い蜘蛛も消えていた。

「あれ……?」

 使わなくなった殺虫剤を手に持ったまま、呆然と和室の天井の隅を見つめる。
 車のエンジン音が聞こえた。小学校から帰ってきた拓真と優斗かもしれないと、香苗は殺虫剤を荷物にしまい、玄関へと急いだ。

「おかえりなさい!」
「ただいま。優斗は庭の方に行ったよ。畑があるのが珍しいんだろ」

 なるほど、と香苗は頷く。今までマンション暮らしだったのだ。
 平屋とはいえ、一軒家は珍しいのかもしれない。

「凄いでしょ、ここが僕のお家になるんだよ」

 優斗は庭で誰かと話しているようだ。
 さっそく友達ができたのかもしれない。
 それは喜ばしいことだと、その相手のことは気にも留めていなかった。
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