私の運命の人
過去十年分の広報誌を見ていると思いのほか楽しくて、私と坂井くんは「この記事面白い」「昔の写真、いいね」と盛り上がる。
気づいた時には一時間半が過ぎていた。
「わっ、もうこんな時間? 大変、バイトに遅れちゃう」「何時からですか?」
「三時から」
「あと五十分っすよ。間に合いますか?」
「走る!」
急いで片づけると、私はカバンを肩にかけて坂井くんを振り返る。
「じゃあね、お疲れ様!」
走り出すとなぜか坂井くんがついて来た。
「先輩、俺も行きます」
「え? どうしてよ」
「いいから、ほら。カバン貸して」
坂井くんは私の肩からスルリとカバンを取ると、階段を駆け下りて行く。
「待ってー!」
私は懸命に追いかけた。
駅までノンストップで走り、改札を駆け抜けてホームに着くと、ベンチにへたり込んで息を整える。
「坂井くん、全力ダッシュ、したでしょ」
荒い息でぐったりしながら横目で睨むと、坂井くんは涼しい顔でカバンから何かを取り出した。
「はい、これ食べて」
「何?」
「スティックタイプのクランベリースコーン。先輩、俺のせいで昼めし食べ損なったでしょ。バイト中、倒れたら大変だから」
「えっ、いいの? ありがとう!」
私は早速封を開けてひと口かじった。
「美味しいね、これ」
「でしょ? チョコチップとかレーズンもある。でも口の中の水分持ってかれるのが難点」
「確かに」
「はい、じゃあこれも」
今度はゼリー飲料を取り出して私に差し出す。
「坂井くんのカバン、何でも出てくるね」
「どこでもドアはなくてごめん」
「タケコプターで許す」
「それなら、はい。って、あるかい!」
あはは!と笑っていると、ホームに電車が滑り込んできた。
「先輩、バイト先ってどこ?」
「ここから六つ目の駅」
「えっ、間に合う?」
「んー、ギリギリ大丈夫。駅からすぐだから」
「そっか」
時計とにらめっこし、電車が六つ目の駅に着くと私は坂井くんを振り返った。
「じゃあね、坂井くん。ごちそうさまでした」
ドアが開くなり急いで降りる私に、坂井くんが「先輩、カバンは?」と後ろから声をかける。
「あー、ごめん!」
受け取ろうと手を伸ばすと、坂井くんはその手を握って走り出す。
「えっ、ちょっと、坂井くん!」
「あと十分しかない」
「大丈夫だって。駅前だし二分で着替えられるから」
「いいから早く! 場所はどこ?」
「あそこ。クレープとアイスクリームのお店」
改札を抜けて正面に見えるお店に着くと、坂井くんはようやく手を離して私にカバンを返した。
「間に合ってよかった。バイトがんばって」
「ありがとう! じゃあね」
私は建物の裏側に回って従業員入口を入り、更衣室で制服のポロシャツに着替える。
エプロンをつけて髪をゴムで一つにまとめると、廊下に出てタイムカードを押した。
「お疲れ様です」
お店に入ると、マネージャーの真由子さんが振り返る。
ちょうどテイクアウトのお客様を見送ったところのようだ。
店内には他に誰もいない。
「ゆりりー、お疲れ。ね、可愛い年下ワンコ連れて来た?」
「はい?」
私を独特のあだ名で呼ぶ三十路の真由子さんは、アイドルや俳優が大好きで「誰か有名人が買いに来ないかな」とよくこぼしていた。
だからてっきりアイドルが来たのかと思ったら「ほら、あそこでメニューをじっと見てるイケメン男子。ゆりりと同じ高校の制服じゃない?」と指を差す。
目で追うと、店頭の写真入りのメニューをじっと見ているのは坂井くんだった。
「あれ、まだいたんだ」
その時坂井くんがふと顔を上げ、私と目が合うと自動ドアから店内に入って来た。
「坂井くん、どうしたの?」
「メニュー見てたら腹が減ってきて」
「あ、そっか。坂井くんもお昼ご飯食べ損なっちゃったもんね。スコーンも私にくれたし。じゃあ私がおごるから、好きなクレープ選んで」
「え、いいの?」
「うん。フランクピザチーズとか照り焼きチキンとか、甘くないものもあるから」
「じゃあ、そのフランクピザにする」
了解、と言って私はまずレジに行き、従業員割引のボタンを押してキャッシュレス決済を済ませると、手を洗って消毒してから黒くて丸い鉄板の前に立つ。
坂井くんは興味深そうに私の手元に注目した。
左手で生地をすくって鉄板に載せると、私は右手に持ったT字型木の棒で鉄板ギリギリまで生地を薄く丸く伸ばす。
すぐさま冷蔵庫から取り出したフランクをレンジに入れて温めつつ、生地にピザソースやチーズを載せ、温められて少し弾けたフランクを置くともう一度ソースをかけて塩コショウし、右手で長い金属のヘラを持った。
それを右側から生地の下に滑り込ませ、スッと左に引いてから下半分を折って上に重ねる。
あとはV字に折り目をつけてパタパタとたたむと出来上がりだ。
「すっごい。めちゃくちゃすごいっすね」
紙に包んで差し出すと、坂井くんは興奮気味に受け取る。
「目にも止まらぬ速さ。何がどうなってるのかわからんですよ。二倍速みたい」
日本語がおかしくなる坂井くんに苦笑いしていると、真由子さんが得意気に言った。
「でしょー? ゆりりはうちのチェーン店の中でもトップクラスに上手いのよ」
「そうなんすか?」
「そうなの。ストップウォッチで時間を計って、仕上がりのきれいさとか具の量の正確さも本部の人がチェックするんだけどね、ゆりりは優勝したことあるんだから」
「すごいっすね、ゆりり」
「すごいんだよ、ゆりり」
なぜか意気投合している二人は、さらに話を続ける。
「ねえ、君。うちでバイトしない? ゆりりが受験勉強で来月から一旦お休みすることになってるから、代わりの人を探してるんだ」
「あ、俺カラオケでバイトしてるんです。だから空いてる時間は週に二回しかないんですけど」
「それでもいいよー。来てくれたら助かる」
「じゃあ、はい。わかりました」
ええ!?という私の声は、真由子さんの「やったー!」という声にかき消される。
「じゃあ、早速そこの席でお話しさせて。ほら、クレープ食べながら。ドリンクはコーラでいい?」
「はい」
呆然とする私を尻目に真由子さんはカップにコーラを注ぐとカウンターを出て坂井くんを促し、こぢんまりした店内の一番奥の席で向かい合った。
「クレープ、熱いうちにどうぞ。その間にざっくり説明するね」
「はい、いただきます」
本当に坂井くんはここでバイトをする気なのだろうか。
社交辞令で頷いたのだとしたら、私が止めないと。
そう思って様子を見ているが、二人は真剣に話をしている。
「このクレープ、美味しいです」
「でしょ? 甘い物が苦手な人でも食べられるものをたくさん用意してるの。季節限定のメニューもあるから、デートの合間に来てくれるカップルのリピーターも多いのよ」
「なるほど。アイスクリームもありますもんね」
「そう。クレープに好きなフレーバーのアイスを載せたり、ドリンクに載せたりして楽しめるの」
「おお、それいいな」
「全国的に展開してるけど、まだまだそんなに知名度は高くないから、一緒に盛り上げてくれると嬉しい。早速時給とシフトの説明するね」
これはもう、待ったなしではないだろうか。
私がハラハラしながら見守っていると、自動ドアから女の子が二人おしゃべりしながら入って来た。
「いらっしゃいませ」
私は接客に集中する。
そのあとも途切れることなくお客様が入って来て、さばいているうちに真由子さんと坂井くんの面接は終わったようだった。
「じゃあ、明後日ね」
「はい、よろしくお願いします。先輩、帰りますね」
クレープを焼いている途中の私は「え? あの?」としか返せない。
坂井くんは「じゃあ」と私に手を振って出て行った。
気づいた時には一時間半が過ぎていた。
「わっ、もうこんな時間? 大変、バイトに遅れちゃう」「何時からですか?」
「三時から」
「あと五十分っすよ。間に合いますか?」
「走る!」
急いで片づけると、私はカバンを肩にかけて坂井くんを振り返る。
「じゃあね、お疲れ様!」
走り出すとなぜか坂井くんがついて来た。
「先輩、俺も行きます」
「え? どうしてよ」
「いいから、ほら。カバン貸して」
坂井くんは私の肩からスルリとカバンを取ると、階段を駆け下りて行く。
「待ってー!」
私は懸命に追いかけた。
駅までノンストップで走り、改札を駆け抜けてホームに着くと、ベンチにへたり込んで息を整える。
「坂井くん、全力ダッシュ、したでしょ」
荒い息でぐったりしながら横目で睨むと、坂井くんは涼しい顔でカバンから何かを取り出した。
「はい、これ食べて」
「何?」
「スティックタイプのクランベリースコーン。先輩、俺のせいで昼めし食べ損なったでしょ。バイト中、倒れたら大変だから」
「えっ、いいの? ありがとう!」
私は早速封を開けてひと口かじった。
「美味しいね、これ」
「でしょ? チョコチップとかレーズンもある。でも口の中の水分持ってかれるのが難点」
「確かに」
「はい、じゃあこれも」
今度はゼリー飲料を取り出して私に差し出す。
「坂井くんのカバン、何でも出てくるね」
「どこでもドアはなくてごめん」
「タケコプターで許す」
「それなら、はい。って、あるかい!」
あはは!と笑っていると、ホームに電車が滑り込んできた。
「先輩、バイト先ってどこ?」
「ここから六つ目の駅」
「えっ、間に合う?」
「んー、ギリギリ大丈夫。駅からすぐだから」
「そっか」
時計とにらめっこし、電車が六つ目の駅に着くと私は坂井くんを振り返った。
「じゃあね、坂井くん。ごちそうさまでした」
ドアが開くなり急いで降りる私に、坂井くんが「先輩、カバンは?」と後ろから声をかける。
「あー、ごめん!」
受け取ろうと手を伸ばすと、坂井くんはその手を握って走り出す。
「えっ、ちょっと、坂井くん!」
「あと十分しかない」
「大丈夫だって。駅前だし二分で着替えられるから」
「いいから早く! 場所はどこ?」
「あそこ。クレープとアイスクリームのお店」
改札を抜けて正面に見えるお店に着くと、坂井くんはようやく手を離して私にカバンを返した。
「間に合ってよかった。バイトがんばって」
「ありがとう! じゃあね」
私は建物の裏側に回って従業員入口を入り、更衣室で制服のポロシャツに着替える。
エプロンをつけて髪をゴムで一つにまとめると、廊下に出てタイムカードを押した。
「お疲れ様です」
お店に入ると、マネージャーの真由子さんが振り返る。
ちょうどテイクアウトのお客様を見送ったところのようだ。
店内には他に誰もいない。
「ゆりりー、お疲れ。ね、可愛い年下ワンコ連れて来た?」
「はい?」
私を独特のあだ名で呼ぶ三十路の真由子さんは、アイドルや俳優が大好きで「誰か有名人が買いに来ないかな」とよくこぼしていた。
だからてっきりアイドルが来たのかと思ったら「ほら、あそこでメニューをじっと見てるイケメン男子。ゆりりと同じ高校の制服じゃない?」と指を差す。
目で追うと、店頭の写真入りのメニューをじっと見ているのは坂井くんだった。
「あれ、まだいたんだ」
その時坂井くんがふと顔を上げ、私と目が合うと自動ドアから店内に入って来た。
「坂井くん、どうしたの?」
「メニュー見てたら腹が減ってきて」
「あ、そっか。坂井くんもお昼ご飯食べ損なっちゃったもんね。スコーンも私にくれたし。じゃあ私がおごるから、好きなクレープ選んで」
「え、いいの?」
「うん。フランクピザチーズとか照り焼きチキンとか、甘くないものもあるから」
「じゃあ、そのフランクピザにする」
了解、と言って私はまずレジに行き、従業員割引のボタンを押してキャッシュレス決済を済ませると、手を洗って消毒してから黒くて丸い鉄板の前に立つ。
坂井くんは興味深そうに私の手元に注目した。
左手で生地をすくって鉄板に載せると、私は右手に持ったT字型木の棒で鉄板ギリギリまで生地を薄く丸く伸ばす。
すぐさま冷蔵庫から取り出したフランクをレンジに入れて温めつつ、生地にピザソースやチーズを載せ、温められて少し弾けたフランクを置くともう一度ソースをかけて塩コショウし、右手で長い金属のヘラを持った。
それを右側から生地の下に滑り込ませ、スッと左に引いてから下半分を折って上に重ねる。
あとはV字に折り目をつけてパタパタとたたむと出来上がりだ。
「すっごい。めちゃくちゃすごいっすね」
紙に包んで差し出すと、坂井くんは興奮気味に受け取る。
「目にも止まらぬ速さ。何がどうなってるのかわからんですよ。二倍速みたい」
日本語がおかしくなる坂井くんに苦笑いしていると、真由子さんが得意気に言った。
「でしょー? ゆりりはうちのチェーン店の中でもトップクラスに上手いのよ」
「そうなんすか?」
「そうなの。ストップウォッチで時間を計って、仕上がりのきれいさとか具の量の正確さも本部の人がチェックするんだけどね、ゆりりは優勝したことあるんだから」
「すごいっすね、ゆりり」
「すごいんだよ、ゆりり」
なぜか意気投合している二人は、さらに話を続ける。
「ねえ、君。うちでバイトしない? ゆりりが受験勉強で来月から一旦お休みすることになってるから、代わりの人を探してるんだ」
「あ、俺カラオケでバイトしてるんです。だから空いてる時間は週に二回しかないんですけど」
「それでもいいよー。来てくれたら助かる」
「じゃあ、はい。わかりました」
ええ!?という私の声は、真由子さんの「やったー!」という声にかき消される。
「じゃあ、早速そこの席でお話しさせて。ほら、クレープ食べながら。ドリンクはコーラでいい?」
「はい」
呆然とする私を尻目に真由子さんはカップにコーラを注ぐとカウンターを出て坂井くんを促し、こぢんまりした店内の一番奥の席で向かい合った。
「クレープ、熱いうちにどうぞ。その間にざっくり説明するね」
「はい、いただきます」
本当に坂井くんはここでバイトをする気なのだろうか。
社交辞令で頷いたのだとしたら、私が止めないと。
そう思って様子を見ているが、二人は真剣に話をしている。
「このクレープ、美味しいです」
「でしょ? 甘い物が苦手な人でも食べられるものをたくさん用意してるの。季節限定のメニューもあるから、デートの合間に来てくれるカップルのリピーターも多いのよ」
「なるほど。アイスクリームもありますもんね」
「そう。クレープに好きなフレーバーのアイスを載せたり、ドリンクに載せたりして楽しめるの」
「おお、それいいな」
「全国的に展開してるけど、まだまだそんなに知名度は高くないから、一緒に盛り上げてくれると嬉しい。早速時給とシフトの説明するね」
これはもう、待ったなしではないだろうか。
私がハラハラしながら見守っていると、自動ドアから女の子が二人おしゃべりしながら入って来た。
「いらっしゃいませ」
私は接客に集中する。
そのあとも途切れることなくお客様が入って来て、さばいているうちに真由子さんと坂井くんの面接は終わったようだった。
「じゃあ、明後日ね」
「はい、よろしくお願いします。先輩、帰りますね」
クレープを焼いている途中の私は「え? あの?」としか返せない。
坂井くんは「じゃあ」と私に手を振って出て行った。