私の運命の人
そのあとは必然的に三十木先生と二人きりになるわけで、私はどうしていいやら、あまりの気まずさにビールをグイグイと飲んだ。
「三嶋先生、そんなに飲んで大丈夫ですか?」
訊かれて私はトロントした目を向ける。
「大丈夫です。私ももう二十二歳なので」
「それはそうですけど、お酒飲み慣れてますか?」
「いいえ。今は勉強に必死で、お酒なんて飲んでる暇はありませんから」
自分では普通にしているつもりなのに、なぜかゆっくりとしか話せない。
しかも頭が妙に重く、テーブルの上に突っ伏したくなった。
「三嶋先生、もうその辺で。今お水をもらいます」
三十木先生が頼んでくれたお水を一気にゴクゴクと飲み干し、私はふうと大きく息をつく。
「三嶋先生、ご家族のどなたかに迎えに来ていただいてはどうでしょう」
「あ、私今一人暮らししてるので」
「そうなのですね、ではタクシーを呼ぶのでそろそろ帰りましょう」
まぶたが重い私は、三十木先生がお店の人を呼んでお会計をしたり、スマートフォンを操作するのをぼんやりと見つめていた。
「三嶋先生、立てますか?」
「もちろんです」
私は大きく頷いて、すっくと立ち上がる。
途端にふらりとよろめき、すかさず手を伸ばした三十木先生に支えられた。
「危ないな。こんなに飲んだらいけない」
私は三十木先生に叱られた生徒のような気持ちになる。
「ごめんなさい」
先生に肩を抱かれて外に出ると、真剣に顔を覗き込まれた。
「いい? 君はもう社会人だ。しかも生徒の模範となるべき立場にある。そのことを決して忘れてはいけない」
私はきっと色々なことが溜まっていたのだろう。
緊張に緊張を重ねて、気が休まる日がなかったのだろう。
コップのフチ、ギリギリで踏ん張っていた涙が決壊して一気に溢れ出た。
「わーん!」
急に子どものように声を上げて泣き始めた私に、三十木先生は明らかにぎょっとした。
「三嶋さん?」
「わかってます、わかってるんです。私はもう簡単に泣いたりしちゃいけないんですよね。何があってもおくびにも出しちゃだめなんですよね」
「そういうことではなくて……」
「だって今、私がわんわん泣いてるから、三十木先生困ってるじゃないですかー」
ゴシゴシと手の甲で涙を拭う私に、三十木先生はため息をつく。
「そんなことはないですよ。教師だって人間なんです。悩んだり迷ったり、時には涙したっていい。そんな人間味に溢れる教師の方が生徒の心に寄り添えると私は思います」
「じゃあまたこうやって泣いてもいいですか?」
「それはだめです」
「どっちなんですかー?」
三十木先生はポケットからハンカチを取り出して、そっと私の涙を拭いた。
「涙を見せる時は、相手を選びなさい」
「……誰の前ならいいんですか?」
「瀬川先生か私」
「でも瀬川先生の恋人との時間を邪魔するわけには……」
「それなら私を呼びなさい。いつでもいいから」
そう言って三十木先生は連絡先の書かれた名刺を差し出す。
けれど私が受け取ろうとした瞬間、ひょいと取り上げた。
「ああっ、いじわる!」
「違いますよ。メッセージアプリのアカウントを書いておきます。帰宅したら報告してください」
「はい、先生」
すると三十木先生はふっと微笑んだ。
「素直でよろしい」
その時迎車のタクシーが目の前で止まり、自動でドアが開く。
「どうぞ乗って。住所は言えますか?」
「はい、言えます」
私は先生の手を借りて後部シートに乗り込み、運転手さんに住所を告げた。
「気をつけて帰りなさい。報告忘れずにね」
「わかりました」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
三十木先生は小さく頷くと、運転手さんに「お願いします」と言って身を引いた。
パタンとドアが閉まり、タクシーが走り出す。
振り返ると先生はじっとその場に佇んで見送ってくれていた。
姿が見えなくなると私は前に向き直り、手にしていた先生の名刺に目を落とす。
勤務先の学校の住所と電話番号、そして名前の下に手書きでアカウント名が記入してあった。
(三十木先生の下の名前、涼也っていうんだ)
どこかで目にしていたはずなのに、改めて意識すると不思議な気がした。
(でも似合ってる。涼しげな雰囲気だもんね)
私は早速アカウントを登録し、試しにスタンプを一つ押してから【今夜はありがとうございました。ごちそうさまでした】とメッセージを送る。
すぐに既読になり、返事が来た。
【どういたしまして。もう着いたの?】
私は思わずふふっと笑う。
【まだです。フライングしてしまいました】
すると、ポツーン……と途方に暮れるスタンプが送られてきた。
(先生、こんなスタンプ使うんだ)
なんだか楽しくなってきた私は、【まだかなぁ】と首を傾げる子犬のスタンプを押す。
先生からはモアイ像のスタンプが返ってきた。
その時ちょうどアパートが見えてきて、私は【着いた!】のスタンプを押す。
返ってきたのは【やったー!】と拳を上げて喜んでいるスタンプ。
(こんな三十木先生、想像つかない。ふふふ)
タクシーが止まり、私がお財布を取り出すと、運転手さんに「はい、お釣り」とお金を手渡された。
え?と私は思わず固まる。
「彼氏さんにさり気なく五千円札渡されてたんだ。なかなか男前だね。仲良くね」
ブーンと去ってタクシーを見送ると、私はメッセージではなく電話をかけた。
『もしもし、三嶋さん? どうしました?』
切羽詰まったような三十木先生の声がする。
「先生、タクシー代まで払ってくださったんですか?」
『ああ、なんだ。何かあったのかとびっくりしたじゃないですか』
「びっくりしたのはこっちです。食事代もおごっていただいたのに」
『それくらいさせてください。あなたが見事に高校教諭になったお祝いに』
でも、と口ごもると『三嶋さん』と呼ばれた。
「はい」
『これからは同じ教師ですが、一方であなたはいつまでも私の教え子なのです。だからいつでも相談してきてください』
私の胸がじんわりと温かくなる。
ずっと一人で気を張ってカチコチになっていた心が、ゆっくりと解きほぐされるかのように。
私は先生に笑顔で「はい」と返事をした。
「三嶋先生、そんなに飲んで大丈夫ですか?」
訊かれて私はトロントした目を向ける。
「大丈夫です。私ももう二十二歳なので」
「それはそうですけど、お酒飲み慣れてますか?」
「いいえ。今は勉強に必死で、お酒なんて飲んでる暇はありませんから」
自分では普通にしているつもりなのに、なぜかゆっくりとしか話せない。
しかも頭が妙に重く、テーブルの上に突っ伏したくなった。
「三嶋先生、もうその辺で。今お水をもらいます」
三十木先生が頼んでくれたお水を一気にゴクゴクと飲み干し、私はふうと大きく息をつく。
「三嶋先生、ご家族のどなたかに迎えに来ていただいてはどうでしょう」
「あ、私今一人暮らししてるので」
「そうなのですね、ではタクシーを呼ぶのでそろそろ帰りましょう」
まぶたが重い私は、三十木先生がお店の人を呼んでお会計をしたり、スマートフォンを操作するのをぼんやりと見つめていた。
「三嶋先生、立てますか?」
「もちろんです」
私は大きく頷いて、すっくと立ち上がる。
途端にふらりとよろめき、すかさず手を伸ばした三十木先生に支えられた。
「危ないな。こんなに飲んだらいけない」
私は三十木先生に叱られた生徒のような気持ちになる。
「ごめんなさい」
先生に肩を抱かれて外に出ると、真剣に顔を覗き込まれた。
「いい? 君はもう社会人だ。しかも生徒の模範となるべき立場にある。そのことを決して忘れてはいけない」
私はきっと色々なことが溜まっていたのだろう。
緊張に緊張を重ねて、気が休まる日がなかったのだろう。
コップのフチ、ギリギリで踏ん張っていた涙が決壊して一気に溢れ出た。
「わーん!」
急に子どものように声を上げて泣き始めた私に、三十木先生は明らかにぎょっとした。
「三嶋さん?」
「わかってます、わかってるんです。私はもう簡単に泣いたりしちゃいけないんですよね。何があってもおくびにも出しちゃだめなんですよね」
「そういうことではなくて……」
「だって今、私がわんわん泣いてるから、三十木先生困ってるじゃないですかー」
ゴシゴシと手の甲で涙を拭う私に、三十木先生はため息をつく。
「そんなことはないですよ。教師だって人間なんです。悩んだり迷ったり、時には涙したっていい。そんな人間味に溢れる教師の方が生徒の心に寄り添えると私は思います」
「じゃあまたこうやって泣いてもいいですか?」
「それはだめです」
「どっちなんですかー?」
三十木先生はポケットからハンカチを取り出して、そっと私の涙を拭いた。
「涙を見せる時は、相手を選びなさい」
「……誰の前ならいいんですか?」
「瀬川先生か私」
「でも瀬川先生の恋人との時間を邪魔するわけには……」
「それなら私を呼びなさい。いつでもいいから」
そう言って三十木先生は連絡先の書かれた名刺を差し出す。
けれど私が受け取ろうとした瞬間、ひょいと取り上げた。
「ああっ、いじわる!」
「違いますよ。メッセージアプリのアカウントを書いておきます。帰宅したら報告してください」
「はい、先生」
すると三十木先生はふっと微笑んだ。
「素直でよろしい」
その時迎車のタクシーが目の前で止まり、自動でドアが開く。
「どうぞ乗って。住所は言えますか?」
「はい、言えます」
私は先生の手を借りて後部シートに乗り込み、運転手さんに住所を告げた。
「気をつけて帰りなさい。報告忘れずにね」
「わかりました」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
三十木先生は小さく頷くと、運転手さんに「お願いします」と言って身を引いた。
パタンとドアが閉まり、タクシーが走り出す。
振り返ると先生はじっとその場に佇んで見送ってくれていた。
姿が見えなくなると私は前に向き直り、手にしていた先生の名刺に目を落とす。
勤務先の学校の住所と電話番号、そして名前の下に手書きでアカウント名が記入してあった。
(三十木先生の下の名前、涼也っていうんだ)
どこかで目にしていたはずなのに、改めて意識すると不思議な気がした。
(でも似合ってる。涼しげな雰囲気だもんね)
私は早速アカウントを登録し、試しにスタンプを一つ押してから【今夜はありがとうございました。ごちそうさまでした】とメッセージを送る。
すぐに既読になり、返事が来た。
【どういたしまして。もう着いたの?】
私は思わずふふっと笑う。
【まだです。フライングしてしまいました】
すると、ポツーン……と途方に暮れるスタンプが送られてきた。
(先生、こんなスタンプ使うんだ)
なんだか楽しくなってきた私は、【まだかなぁ】と首を傾げる子犬のスタンプを押す。
先生からはモアイ像のスタンプが返ってきた。
その時ちょうどアパートが見えてきて、私は【着いた!】のスタンプを押す。
返ってきたのは【やったー!】と拳を上げて喜んでいるスタンプ。
(こんな三十木先生、想像つかない。ふふふ)
タクシーが止まり、私がお財布を取り出すと、運転手さんに「はい、お釣り」とお金を手渡された。
え?と私は思わず固まる。
「彼氏さんにさり気なく五千円札渡されてたんだ。なかなか男前だね。仲良くね」
ブーンと去ってタクシーを見送ると、私はメッセージではなく電話をかけた。
『もしもし、三嶋さん? どうしました?』
切羽詰まったような三十木先生の声がする。
「先生、タクシー代まで払ってくださったんですか?」
『ああ、なんだ。何かあったのかとびっくりしたじゃないですか』
「びっくりしたのはこっちです。食事代もおごっていただいたのに」
『それくらいさせてください。あなたが見事に高校教諭になったお祝いに』
でも、と口ごもると『三嶋さん』と呼ばれた。
「はい」
『これからは同じ教師ですが、一方であなたはいつまでも私の教え子なのです。だからいつでも相談してきてください』
私の胸がじんわりと温かくなる。
ずっと一人で気を張ってカチコチになっていた心が、ゆっくりと解きほぐされるかのように。
私は先生に笑顔で「はい」と返事をした。