僕らは3人だった 夜が明けるまで
プロローグ
2人が暮らしていた部屋は、驚くほど普通だった。
もっと何か、特別なものがあるような気がしていた。
30年、一度も会わなかった。
どこにいるのかも知らなかった。
何をしているのかも、どんな家に住んでいるのかも知らなかった。
だからなのかもしれない。
宮原海人の中で、2人が暮らしていた場所はいつの間にか、現実には存在しない場所のようになっていた。
けれど、そこにはちゃんと生活があった。
玄関には2人分の靴が並んでいる。
キッチンには2つのマグカップ。
冷蔵庫には、まだ食材が残っていた。
テーブルの上には読みかけの本が伏せて置かれ、ソファーにはブランケットが畳まれている。
何十年も。
ここで。
2人は暮らしていた。
「…………」
海人は何も言わず、部屋の中を歩いた。
50歳になって初めて知る、2人の生活だった。
涼なら、こっちを使ったのだろうか。
これは陽菜が選んだのだろうか。
そんなことばかり考える。
もう。
聞けないのに。
警察から連絡を受けたのは、数日前だった。
広瀬涼。
そして、早川陽菜。
その2人の名前を、一度に聞いた。
それだけで。
何十年も触れないようにしていた場所を、突然こじ開けられた。
2人は、死んだ。
その事実だけが。
今も。
うまく頭に入ってこない。
「……ほんとに」
声が漏れた。
「ずっと一緒に、いたんだな……」
最後まで。
その言葉は、飲み込んだ。
*
寝室の棚。
そこにも、二人分のものが並んでいた。
陽菜のものらしい小物。
涼の本。
薬。
眼鏡。
何でもない。
人が生きていた証拠。
一つずつ見て。
海人は、ふと。
棚の奥にあるものに気づいた。
写真立てだった。
「…………」
手が止まる。
ゆっくりと取り出す。
古い写真。
色褪せている。
随分昔のものだ。
そこに。
3人の子どもがいた。
まだ、小さい。
真ん中で陽菜が笑っている。
その横で涼が笑っている。
反対側には。
自分。
海人は、しばらく。
写真から目を離せなかった。
「……なんで」
掠れた声が出る。
「まだ持ってんだよ……」
何十年前だ。
これ。
小学生の頃だ。
まだ。
何もなかった頃。
3人で学校へ行って。
3人で帰って。
公園で遊んで。
誰かの家に集まって。
くだらないことで喧嘩して。
翌日には仲直りして。
ずっと。
このままだと思っていた頃。
写真の中の涼が笑っている。
陽菜も。
自分も。
何も知らない顔で。
笑っている。
海人の指が。
写真の中の二人に触れた。
「…………バカが」
視界が。
滲んだ。
「ほんとに……」
ずっと。
泣かなかった。
電話を受けたときも。
警察から説明を聞いたときも。
この部屋へ来るまでの間も。
泣かなかった。
もう50だ。
妻もいる。
子どももいる。
長い人生を生きてきた。
それなのに。
写真の中の2人を見た瞬間。
50歳の宮原海人ではいられなくなった。
「……ほんと、バカだな」
涙が。
写真のガラスへ落ちた。
「お前ら……」
どうして。
そう続けようとして。
やめた。
どうして。
何が。
いつから。
言いたいことなんて。
ありすぎた。
何十年分。
ずっと。
ありすぎた。
海人は写真を握ったまま、床へ座り込んだ。
そして。
声を殺して泣いた。
*
写真の中では。
3人とも笑っていた。
まだ。
誰も嘘をついていない。
誰も罪を犯していない。
誰も。
誰かを守るために。
自分の人生を捨てていない。
ただ。
三人でいることが。
当たり前だった頃。
ずっと昔。
何も始まっていなかった。
あの日々。
*
――40年前。
「海人くーん!」
「朝っぱらから声でかい!」
ランドセルを背負った少年が振り返る。
その向こうから、小さな女の子が走ってくる。
さらにその後ろ。
ひとりの少年が、少し困ったように笑いながら歩いていた。
「陽菜、待って。走ったら転ぶよ」
「大丈夫!」
「昨日も転んでたよ」
「昨日は昨日!」
「意味分かんない理屈言うな」
「海人くん、おはよう!」
「聞けよ!」
「海人、おはよう」
「おう。涼もおはよ」
春。
3人はまだ、小学生だった。
「早く行こう! 遅刻する!」
「誰待ってたと思ってんだよ!」
「私!」
「分かってんなら急げ!」
「はーい!」
陽菜が笑って走り出す。
「走るなって言ってんだろ!」
海人が追いかける。
その後ろを。
涼が笑いながらついていく。
3人。
いつもの道。
いつもの朝。
何でもない一日。
この頃の3人は。
まだ知らなかった。
いつか。
この3人のうち2人が。
残った1人の前から消えることも。
何十年という時間が3人を隔てることも。
知らなかった。
だから笑っていた。
ただ。
今日も3人でいられることを。
当たり前だと思って。
笑っていた。
もっと何か、特別なものがあるような気がしていた。
30年、一度も会わなかった。
どこにいるのかも知らなかった。
何をしているのかも、どんな家に住んでいるのかも知らなかった。
だからなのかもしれない。
宮原海人の中で、2人が暮らしていた場所はいつの間にか、現実には存在しない場所のようになっていた。
けれど、そこにはちゃんと生活があった。
玄関には2人分の靴が並んでいる。
キッチンには2つのマグカップ。
冷蔵庫には、まだ食材が残っていた。
テーブルの上には読みかけの本が伏せて置かれ、ソファーにはブランケットが畳まれている。
何十年も。
ここで。
2人は暮らしていた。
「…………」
海人は何も言わず、部屋の中を歩いた。
50歳になって初めて知る、2人の生活だった。
涼なら、こっちを使ったのだろうか。
これは陽菜が選んだのだろうか。
そんなことばかり考える。
もう。
聞けないのに。
警察から連絡を受けたのは、数日前だった。
広瀬涼。
そして、早川陽菜。
その2人の名前を、一度に聞いた。
それだけで。
何十年も触れないようにしていた場所を、突然こじ開けられた。
2人は、死んだ。
その事実だけが。
今も。
うまく頭に入ってこない。
「……ほんとに」
声が漏れた。
「ずっと一緒に、いたんだな……」
最後まで。
その言葉は、飲み込んだ。
*
寝室の棚。
そこにも、二人分のものが並んでいた。
陽菜のものらしい小物。
涼の本。
薬。
眼鏡。
何でもない。
人が生きていた証拠。
一つずつ見て。
海人は、ふと。
棚の奥にあるものに気づいた。
写真立てだった。
「…………」
手が止まる。
ゆっくりと取り出す。
古い写真。
色褪せている。
随分昔のものだ。
そこに。
3人の子どもがいた。
まだ、小さい。
真ん中で陽菜が笑っている。
その横で涼が笑っている。
反対側には。
自分。
海人は、しばらく。
写真から目を離せなかった。
「……なんで」
掠れた声が出る。
「まだ持ってんだよ……」
何十年前だ。
これ。
小学生の頃だ。
まだ。
何もなかった頃。
3人で学校へ行って。
3人で帰って。
公園で遊んで。
誰かの家に集まって。
くだらないことで喧嘩して。
翌日には仲直りして。
ずっと。
このままだと思っていた頃。
写真の中の涼が笑っている。
陽菜も。
自分も。
何も知らない顔で。
笑っている。
海人の指が。
写真の中の二人に触れた。
「…………バカが」
視界が。
滲んだ。
「ほんとに……」
ずっと。
泣かなかった。
電話を受けたときも。
警察から説明を聞いたときも。
この部屋へ来るまでの間も。
泣かなかった。
もう50だ。
妻もいる。
子どももいる。
長い人生を生きてきた。
それなのに。
写真の中の2人を見た瞬間。
50歳の宮原海人ではいられなくなった。
「……ほんと、バカだな」
涙が。
写真のガラスへ落ちた。
「お前ら……」
どうして。
そう続けようとして。
やめた。
どうして。
何が。
いつから。
言いたいことなんて。
ありすぎた。
何十年分。
ずっと。
ありすぎた。
海人は写真を握ったまま、床へ座り込んだ。
そして。
声を殺して泣いた。
*
写真の中では。
3人とも笑っていた。
まだ。
誰も嘘をついていない。
誰も罪を犯していない。
誰も。
誰かを守るために。
自分の人生を捨てていない。
ただ。
三人でいることが。
当たり前だった頃。
ずっと昔。
何も始まっていなかった。
あの日々。
*
――40年前。
「海人くーん!」
「朝っぱらから声でかい!」
ランドセルを背負った少年が振り返る。
その向こうから、小さな女の子が走ってくる。
さらにその後ろ。
ひとりの少年が、少し困ったように笑いながら歩いていた。
「陽菜、待って。走ったら転ぶよ」
「大丈夫!」
「昨日も転んでたよ」
「昨日は昨日!」
「意味分かんない理屈言うな」
「海人くん、おはよう!」
「聞けよ!」
「海人、おはよう」
「おう。涼もおはよ」
春。
3人はまだ、小学生だった。
「早く行こう! 遅刻する!」
「誰待ってたと思ってんだよ!」
「私!」
「分かってんなら急げ!」
「はーい!」
陽菜が笑って走り出す。
「走るなって言ってんだろ!」
海人が追いかける。
その後ろを。
涼が笑いながらついていく。
3人。
いつもの道。
いつもの朝。
何でもない一日。
この頃の3人は。
まだ知らなかった。
いつか。
この3人のうち2人が。
残った1人の前から消えることも。
何十年という時間が3人を隔てることも。
知らなかった。
だから笑っていた。
ただ。
今日も3人でいられることを。
当たり前だと思って。
笑っていた。