僕らは3人だった 夜が明けるまで

第一話 3人で遊ぼ

――春。
入学式を終えてまだ数日しか経っていない教室には、真新しいものばかりが並んでいた。

傷ひとつない机。
角の潰れていない教科書。
まだ体に馴染んでいないランドセル。
黄色い帽子も上履きも、何もかもが新しい。

子どもたちも同じだった。

昨日まで知らなかった相手と隣の席になり、名前を覚えて、一緒に給食を食べて、休み時間になれば昨日より少しだけ仲良くなる。

広瀬涼と宮原海人が話すようになったのも、特別なきっかけがあったわけではない。

席が近かった。
ただ、それだけだった。

「広瀬、それ何描いてんの?」

休み時間。
海人が覗き込んだノートの隅には、青い色鉛筆で小さな鳥が描かれていた。

「鳥」

「それは見たら分かる。何の鳥?」

「知らない」

「知らないのかよ!」

涼が笑う。
海人も笑った。

たぶん、友達になる瞬間なんて、そんなものだった。

どちらから「友達になろう」と言ったわけでもない。
気づけば休み時間に話すようになり、給食の時間には近くにいて、帰る方向が途中まで同じだと分かってからは一緒に帰るようになった。

そこへ、もう1人が加わった。

その日も2人は、放課後の校庭にいた。

何をして遊ぶか決まらないまま、海人がサッカーボールを足元で転がしている。
涼は校庭の端にしゃがみ込み、花壇の近くを歩いていた蟻を眺めていた。


「涼。そんなん見てないでサッカーしよ」

「二人だと面白くないよ?」

「じゃあ誰か呼んでくる」

「私やる!」

突然、声がした。

2人が振り向くと
そこに、1人の女の子が立っていた。

同じクラスだった。
名前は知っている。

確か早川陽菜。

海人はまだ、それくらいしか知らなかった。

「私も入れて!」

「サッカーできんの?」

「できない!」

あまりにも堂々と答えるものだから、海人は眉を寄せた。

「なんでそんな自信満々なんだよ!」

「今から覚えるから!」

「ポジティブだね」

涼がくすくす笑う。
陽菜はそんな涼のところまで駆けていくと、その手を取った。

「涼くんもやろ!」

「僕?」

「うん!」

そして今度は海人を見る。

「海人くんも!」

「俺は最初からやるって言ってんだよ!」

「じゃあ3人!」

陽菜は嬉しそうに両手を広げた。

「3人で遊ぼ!」

それが始まりだった。

         

3人で遊ぶようになったからといって、毎日特別なことが起きるわけではなかった。

むしろ、何も起きない日の方が多かった。

学校へ行く。
授業を受ける。
給食を食べる。
放課後になれば遊ぶ。
夕方になれば帰る。

ただ、それだけだった。
けれど3人にとっては、それで十分だった。

陽菜はよく笑う子だった。

嬉しいと笑い、楽しいと笑い、美味しいものを食べても笑う。
転んで膝を擦りむいたときでさえ、涙を溜めながら「痛かったー」と笑う。

涼はそんな加奈につられてよく笑った。 

涼もまた、穏やかな子どもだった。
誰かと争うことを嫌い、困っている子がいれば放っておけない。
消しゴムを忘れた子には自分のものを半分に割って渡し、掃除当番を代わってほしいと言われれば、自分に予定がなければ断らなかった。

そして海人は、そんな2人を見ては呆れていた。

小学2年生のある日。

「陽菜、お前のお菓子は?」

「ないよ?」

「さっき持ってたじゃん」

「みんなにあげた!」

「全部?」

「うん!」

海人が盛大なため息をつく。

遠足だった。
昼食を食べ終え、楽しみにしていたお菓子の時間になった途端、陽菜は周りの友達に「これ美味しいよ」「食べる?」と配り始めた。

気づけば自分の分が一つも残っていない。

「お前なぁ……」

「だってみんな喜んでたよ?」

「自分の分くらい残しとけよ」

「海人くん、怒ってる?」

「怒ってる」

「なんで?」

「お前がバカだから」

「ひどい!」

頬を膨らませる陽菜の前へ、海人は自分の袋を差し出した。

「ほら」

「え?」

「食え」

「でも海人くんの――」

「いいから」

すると隣から涼も、自分のお菓子を差し出した。

「僕のも半分あげる」

「涼まで甘やかすな!」

「海人もあげてるよ?」

「俺は説教込み!」

陽菜は2 人を交互に見て、それから満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう!」

「……ほんと調子いいな」

そう言いながら、海人も笑っていた。

         
3年生になる頃には、3人でいることをわざわざ約束する必要すらなくなっていた。

朝になればいつもの角に集まる。

「おはよう」


そう言って3人で学校へ向かう。

放課後になれば、誰かが「今日どうする?」と聞く。

誰かの家へ行く日もあれば、公園へ行く日もあった。
雨の日には海人の家でゲームをした。
晴れた日は自転車で少し遠くまで行った。
夏には3人だけの秘密基地も作った。

公園から少し離れた雑木林。
子どもたちにとっては大冒険でも、大人が見れば家から自転車で十分ほどの場所だった。

大きな木の陰に段ボールを敷き、家から持ってきた古いクッションを置いた。


「ここ、3人の秘密基地ね!」

陽菜が宣言した。

「こんなん雨降ったら終わりじゃん」

「海人くん、そういうこと言わない!」

「事実だろ」

「涼くん!
何か言って!」

「んー……、海人、夢ないね」

「なんで俺が悪い流れ!?」

それでも海人は翌日、家から使っていないビニールシートを持ってきた。

雨が降っても大丈夫なように。

陽菜がそれを見つけて笑う。

「海人くん、秘密基地好きじゃん!」

「うるさい」

「昨日あんなに文句言ってたのに」

「濡れたら面倒だからだよ!」

涼と陽菜が顔を見合わせる。

「海人って優しいね」

「ねー!優しいよね!」

「しばくぞ、お前ら!」

秘密基地には、3人だけの箱を置いた。
宝物を入れる箱だった。

陽菜は綺麗なビー玉。
涼は海へ行ったときに拾った貝殻。
海人はサッカー選手のカード。

箱を閉めると陽菜が小指を出した。

「ここにあるものは、3人だけの秘密!」

涼も小指を絡める。

「誰にも言わないよ」

2人が海人を見る。

「……なんだよ」

「海人くんも!」

「こんなん誰にも言わねぇよ!」

「約束!」

仕方なく小指を差し出した。
3本の小さな指が絡む。

「3人だけの秘密ね!」

その頃の秘密は。
ただ、楽しいものだった。
         


4年生の夏。
3人で近所の夏祭りへ行った。

涼は青い浴衣。
海人は甚平。
陽菜は淡い色の浴衣を着ていた。

「見て! 涼くん、海人くん! 金魚!」

「おい、走んな」

「りんご飴もある!」

「聞けよ!」

人混みの中を陽菜が進んでいく。
涼は笑いながらその後ろを追った。

「陽菜、迷子になるから」

「ならないよ!」

「その自信どっから来てんだよ、お前」

数分後。

「…………やっぱり迷子になってんじゃん!」

海人の叫び声が響く。
涼の顔から笑みが消えた。

2人で辺りを探した。
金魚すくい。
射的。
かき氷。
神社の階段。

名前を呼びながら、人混みの中を走った。

先に見つけたのは涼だった。
境内の端。
陽菜は知らない小さな女の子と一緒にいた。

「陽菜!」
 
振り返った陽菜の顔が明るくなる。

「涼くん!」

少し遅れて海人も駆けてきた。

「お前……!」

陽菜は迷子になった幼い女の子を見つけて、その母親を一緒に探していたらしい。

事情を聞いた海人は、怒鳴る寸前で言葉を失った。 

「……先に俺らに言え」

「だって、泣いてたから」

「それでも!」

「ごめんなさい……」

「俺らがどんだけ――」

言いかけて海人は口を閉じた。
涼が陽菜の手を握る。

「もう勝手にいなくならないで」

いつもの穏やかな声だった。
けれど、その手だけは強かった。

「……うん」

陽菜がもう片方の手を海人へ差し出す。

「海人くんも」

「なんで」 

「またいなくならないように」

「お前が勝手に離れたんだろ!」

そう言いながら。
海人はその手を握った。
その年の花火は、3人で手を繋いで見た。
         


5年生。
初めて大喧嘩をした。
原因は、今となっては誰も覚えていないようなことだった。

涼がはじめて怒った。
陽菜も怒った。
海人も怒った。

「もう知らない!」

陽菜が言った。

「僕も知らない」

珍しく羊まで言った。

「勝手にしろ!」

海人も言った。

3人は別々に帰った。

その夜、誰も連絡しなかった。

翌朝。
海人はいつもの角へ向かった。
自分でも、なぜ向かっているのか分からなかった。
喧嘩したのだから、別々に行けばいい。
そう思っていた。

けれど。
いつもの場所には涼がいた。

「…………」

「…………」

2人とも何も言わない。

しばらくすると。
向こうから陽菜が歩いてきた。
3人揃った。

「…………おはよう」

最初に言ったのは陽菜だった。

「……おはよ」

涼が返した。

海人は2人を見て。

「……行くぞ」

歩き出した。
2人もついてきた。

誰も謝っていなかった。
それなのに、放課後には3人で笑っていた。
次の日も。
その次の日も。
朝になれば3人だった。
         


6年生になると、少しだけ未来の話をするようになった。

将来何になりたい。
どこの高校へ行きたい。
大人になったら何をしたい。
そんな話だ。

「海人くんは絶対サッカー選手でしょ?」

「まだ分かんねぇよ」

「涼くんも?」

「僕もまだ分からないかな」

「えー」

「陽菜は?」

「私はね――」

陽菜はたくさん話した。

やってみたいこと。
行ってみたい場所。
欲しいもの。
いつか大人になったら、3人で旅行にも行こうと言った。

「大人になったら3人で旅行って、俺らそれぞれ友達とか恋人とかできてんじゃねぇの?」

「じゃあみんなで行けばいいじゃん」

「人数増えてんじゃん」

「楽しそう!」

涼が笑った。

「いいんじゃない?」

「涼くん分かってる!」

「お前らほんと適当だな」

「海人くんも来るでしょ?」

当たり前のように聞かれて。
海人も、当たり前のように答えた。

「まあ、暇だったらな」

「絶対来るやつだよ、それ」

涼が笑った。

「うるさい」

未来は、まだ何にでもなれた。
3人が違う学校へ行く未来も。
同じ学校へ行く未来も。
誰かが遠くへ行く未来も。
近所に住み続ける未来も。
恋をすることも。
結婚することも。
家族が増えることも。
その頃の3人にとって、未来とは選べるものだった。
         


そして、卒業式。

6年間通った校舎の前で、3人は並んでいた。

「写真撮るよー!」

陽菜の家族がカメラを構える。
海人と涼が少し離れて立っていると、真ん中にいた陽菜が不満そうに両方を見た。

「もっと近く!」

「近いだろ」

「遠い!」

「十分」

「ほら!」

陽菜が二人の腕を掴んだ。

「うわ、引っ張んな!」

「涼くんも!」

「はいはい」

3人の肩が触れる。

「撮るよー!」

陽菜が笑った。
涼も笑った。
海人も。
結局、笑った。

シャッターが切られる。

その一瞬が、1枚の写真になった。
卒業証書を持った3人。
まだ幼さの残る顔で。
何の疑いもなく笑っている。
         


帰り道。

3人はいつものように並んで歩いた。
6年間、何度歩いたか分からない道だった。

「中学も3人一緒だね」

陽菜が卒業証書の筒を振りながら言った。

「まぁな」

「クラスも一緒がいいなぁ」

「3人ともは難しいんじゃない?」

涼が言う。

「じゃあ先生にお願いする」

「そんな希望通るか!」

「高校も一緒がいい!」

「もう高校の話かよ!」

「大学も!」

「進路くらい自分で決めさせろ!」

「じゃあ大人になっても!」

陽菜が立ち止まった。
涼と海人も足を止める。

春の風が吹いた。
道端に咲いていた花が、小さく揺れる。

「大人になっても、3人でいようね」 

何でもない言葉だった。
子どもが口にする、何の根拠もない約束。

海人は呆れたように笑った。

「何歳までつるむ気だよ」

「ずっと!」

「長い!」

「いいじゃん」

涼が言った。
陽菜と海人が見る。

涼はいつもの穏やかな顔で笑っていた。

「ずっと3人でいたらいいじゃん」 

「ほら!」

陽菜が嬉しそうに海人を見る。

「涼くんもこう言ってる!」

「2対1かよ」

「じゃあ決まり!」

「何が!?」

陽菜は2人の間に入り、それぞれの腕を取った。

「ずっと3人!」

「暑苦しい!」

「海人くん、照れてる?」

「違う!」

「顔見たら分かるよ」

「何が分かんだよ!」

涼が笑う。
陽菜も笑う。
つられて、海人も笑った。

3人の笑い声が、春の道に響いた。

明日になれば。
また3人で会う。

中学生になっても。
その先も。
きっと同じように。

3人とも。
そう思っていた。
それは嘘ではなかった。
あの日。
3人が交わした約束に。
嘘をついた子どもは1人もいなかった。
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