神の手と呼ばれた私は、今日も旦那様を寝落ちさせたい ~極上ヘッドスパで癒していたら、旦那様が極上スパダリに進化しました~
アルセリア王国では、多くの人が程度の差こそあれ魔力を持っている。
けれど、正式に《魔術師》と認められるのは、実用に耐えるだけの魔力量と適性を備えた一握りだけだった。
軍事、国防、研究をはじめ、さまざまな場面で必要とされる魔術師の地位は高く、なかでも優秀な者は王侯貴族からも一目置かれていた。
そのため、子どもは幼い頃と、魔力が成長する八歳頃に検査を受ける。
シエラも四歳の頃に検査を受けたが、魔力量は少なかった。
父はその結果を快く思っていなかったものの、「まだ幼いから」と完全には諦めていなかったらしい。
八歳になり、二度目の検査を受けた。
けれど、結果はほとんど変わらなかった。
数日後。廊下を歩いていたシエラは、応接室から聞こえてきた父の声に足を止めた。
「少し成長した今なら、何か変わっているかもしれないと思ったんだがな」
扉は少しだけ開いていた。
中には父と、以前から付き合いのある魔術師の男がいる。
「駄目だった。魔力量は低いままだ。到底、魔術師になれる見込みはない」
それが自分の話だと分かり、シエラは息を潜めた。
「魔力調律など、ほかの適性は?」
魔術師に対して、父はため息と共に答えた。
「それもない。せめて魔力調律の才でもあればよかったものを。魔術師以上に珍しい能力だ。我がカーティス家にとっても、大きな価値になっただろうに」
「まあ、あれは望んで得られるようなものではないからな」
《魔力調律》。
聞き慣れない言葉に、シエラは扉の陰で耳を澄ませる。
魔力量が多い者ほど強い魔術を扱える一方、大きすぎる魔力は身体へ負荷をかける。頭痛、不眠、食欲不振などに悩まされる高位魔術師も少なくない。
魔力調律とは、そうした乱れた魔力へ自分の魔力を流し込み、一時的に流れを整える希少な力だった。
「安定して魔力調律を受けられるというなら、高位魔術師たちも支援を惜しまないだろう」
魔術師はこめかみへ手を当てた。
「それほど、魔力過多による身体への負荷は厄介だ。かくいう私も、ここ最近は頭痛が酷くてね」
「お前もか」
その時、廊下を軽い足音が近づいてきた。
シエラが振り返るより早く、エリザが応接室へ顔を覗かせる。
「お父様、あのね――」
「エリザ。今は客人がいる。後にしなさい」
父に制され、エリザは不満そうに唇を尖らせる。
けれど帰ろうとしたところで、こめかみを押さえている魔術師に気づいた。
「おじ様、どこか痛いの?」
「ん? ああ、少し頭がな」
魔術師が笑って答える。
エリザは何を思ったのか、その手へ自分の小さな手を重ねた。
次の瞬間、魔術師の目が見開かれた。
「……これは」
エリザ自身には、何が起きたのか分かっていないようだった。
けれどアルベルトだけは違った。椅子から身を乗り出し、期待に満ちた目で娘を見つめていた。
後日、専門家を招いて調べた結果、エリザには魔力調律の適性があることが分かった。
魔力量そのものは多くない。それでも、この希少な力はカーティス家にとって十分すぎるほど価値のあるものだった。
「素晴らしい。まさか我が家から魔力調律の使い手が出るとは」
これまでシエラには一度も向けられたことのない、誇らしげな笑みだった。
「エリザ。お前はカーティス家の誇りだ」
「本当?」
「ああ。これほど稀少な力があれば、いずれ高位の魔術師たちからも求められるようになるだろう」
嬉しそうに笑うエリザの頭を、アルベルトが撫でる。
少し離れた場所からそれを見ていたシエラは、胸の奥がひどく冷えていくのを感じていた。
自分には、何もない。
けれど——エリザには、誰もが欲しがるような才能があった。
それを境に、父の中で姉妹の価値は決定的に分かれた。
新しいものはすべてエリザへ。
シエラが持っているものまで、エリザが欲しがれば全て譲るよう命じられた。
いつしか「代わりのものを買ってやる」という言葉さえなくなっていた。
シエラも、次第に逆らわなくなった。
ただ一つだけ、どうしても手放したくないものがあった。
亡き母のブローチだった。
「返して……!」
ある日、それをエリザが勝手に持ち出していた。
小さな手の中で、母の形見がきらきらと光っている。
「それだけは……お母様の形見なの……!」
「でも、気に入ったんだもの」
エリザはブローチを高く掲げ、シエラの手が届かないようにする。
必死で取り戻そうとしていたその時、廊下の向こうから父が歩いてきた。
「お父様……!」
シエラは思わず助けを求めた。
これまで何を取られても我慢してきた。
それでも、これだけは母の形見だ。
父だって母を知っている。きっと、これくらいは分かってくれると、そう思っていた。
父はエリザの手にあるブローチを見て、次にシエラを見る。
そして何でもないことのように言った。
「エリザが欲しがっているだろう。渡しなさい」
「……え」
それだけだった。
父は足を止めることさえなく、そのまま通り過ぎていく。
遠ざかる背中を、シエラは呆然と見送った。
やがて、くす、と笑い声がした。
振り返ると、エリザが楽しそうに笑っている。
どん、と胸を押された。
身体が床へ倒れ込み、息を呑んだ次の瞬間、小さな靴底がシエラの背中を踏みつける。
「これで分かったでしょ?」
「……っ」
エリザは母のブローチを手にしたまま、シエラを見下ろしていた。
「もうこの家に、お姉様のものなんて何ひとつないの」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「ぜーんぶ、私のものなの♡」
その瞬間、シエラの中に残っていた何かが砕けた。
もう、自分を守ってくれる人はどこにもいない。
けれど、正式に《魔術師》と認められるのは、実用に耐えるだけの魔力量と適性を備えた一握りだけだった。
軍事、国防、研究をはじめ、さまざまな場面で必要とされる魔術師の地位は高く、なかでも優秀な者は王侯貴族からも一目置かれていた。
そのため、子どもは幼い頃と、魔力が成長する八歳頃に検査を受ける。
シエラも四歳の頃に検査を受けたが、魔力量は少なかった。
父はその結果を快く思っていなかったものの、「まだ幼いから」と完全には諦めていなかったらしい。
八歳になり、二度目の検査を受けた。
けれど、結果はほとんど変わらなかった。
数日後。廊下を歩いていたシエラは、応接室から聞こえてきた父の声に足を止めた。
「少し成長した今なら、何か変わっているかもしれないと思ったんだがな」
扉は少しだけ開いていた。
中には父と、以前から付き合いのある魔術師の男がいる。
「駄目だった。魔力量は低いままだ。到底、魔術師になれる見込みはない」
それが自分の話だと分かり、シエラは息を潜めた。
「魔力調律など、ほかの適性は?」
魔術師に対して、父はため息と共に答えた。
「それもない。せめて魔力調律の才でもあればよかったものを。魔術師以上に珍しい能力だ。我がカーティス家にとっても、大きな価値になっただろうに」
「まあ、あれは望んで得られるようなものではないからな」
《魔力調律》。
聞き慣れない言葉に、シエラは扉の陰で耳を澄ませる。
魔力量が多い者ほど強い魔術を扱える一方、大きすぎる魔力は身体へ負荷をかける。頭痛、不眠、食欲不振などに悩まされる高位魔術師も少なくない。
魔力調律とは、そうした乱れた魔力へ自分の魔力を流し込み、一時的に流れを整える希少な力だった。
「安定して魔力調律を受けられるというなら、高位魔術師たちも支援を惜しまないだろう」
魔術師はこめかみへ手を当てた。
「それほど、魔力過多による身体への負荷は厄介だ。かくいう私も、ここ最近は頭痛が酷くてね」
「お前もか」
その時、廊下を軽い足音が近づいてきた。
シエラが振り返るより早く、エリザが応接室へ顔を覗かせる。
「お父様、あのね――」
「エリザ。今は客人がいる。後にしなさい」
父に制され、エリザは不満そうに唇を尖らせる。
けれど帰ろうとしたところで、こめかみを押さえている魔術師に気づいた。
「おじ様、どこか痛いの?」
「ん? ああ、少し頭がな」
魔術師が笑って答える。
エリザは何を思ったのか、その手へ自分の小さな手を重ねた。
次の瞬間、魔術師の目が見開かれた。
「……これは」
エリザ自身には、何が起きたのか分かっていないようだった。
けれどアルベルトだけは違った。椅子から身を乗り出し、期待に満ちた目で娘を見つめていた。
後日、専門家を招いて調べた結果、エリザには魔力調律の適性があることが分かった。
魔力量そのものは多くない。それでも、この希少な力はカーティス家にとって十分すぎるほど価値のあるものだった。
「素晴らしい。まさか我が家から魔力調律の使い手が出るとは」
これまでシエラには一度も向けられたことのない、誇らしげな笑みだった。
「エリザ。お前はカーティス家の誇りだ」
「本当?」
「ああ。これほど稀少な力があれば、いずれ高位の魔術師たちからも求められるようになるだろう」
嬉しそうに笑うエリザの頭を、アルベルトが撫でる。
少し離れた場所からそれを見ていたシエラは、胸の奥がひどく冷えていくのを感じていた。
自分には、何もない。
けれど——エリザには、誰もが欲しがるような才能があった。
それを境に、父の中で姉妹の価値は決定的に分かれた。
新しいものはすべてエリザへ。
シエラが持っているものまで、エリザが欲しがれば全て譲るよう命じられた。
いつしか「代わりのものを買ってやる」という言葉さえなくなっていた。
シエラも、次第に逆らわなくなった。
ただ一つだけ、どうしても手放したくないものがあった。
亡き母のブローチだった。
「返して……!」
ある日、それをエリザが勝手に持ち出していた。
小さな手の中で、母の形見がきらきらと光っている。
「それだけは……お母様の形見なの……!」
「でも、気に入ったんだもの」
エリザはブローチを高く掲げ、シエラの手が届かないようにする。
必死で取り戻そうとしていたその時、廊下の向こうから父が歩いてきた。
「お父様……!」
シエラは思わず助けを求めた。
これまで何を取られても我慢してきた。
それでも、これだけは母の形見だ。
父だって母を知っている。きっと、これくらいは分かってくれると、そう思っていた。
父はエリザの手にあるブローチを見て、次にシエラを見る。
そして何でもないことのように言った。
「エリザが欲しがっているだろう。渡しなさい」
「……え」
それだけだった。
父は足を止めることさえなく、そのまま通り過ぎていく。
遠ざかる背中を、シエラは呆然と見送った。
やがて、くす、と笑い声がした。
振り返ると、エリザが楽しそうに笑っている。
どん、と胸を押された。
身体が床へ倒れ込み、息を呑んだ次の瞬間、小さな靴底がシエラの背中を踏みつける。
「これで分かったでしょ?」
「……っ」
エリザは母のブローチを手にしたまま、シエラを見下ろしていた。
「もうこの家に、お姉様のものなんて何ひとつないの」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「ぜーんぶ、私のものなの♡」
その瞬間、シエラの中に残っていた何かが砕けた。
もう、自分を守ってくれる人はどこにもいない。