閻魔様の恋カルテ~冷徹ドクターの秘密は恋のはじまり~
20 ここから始まる恋カルテ
「どうして……」
ぽつりと漏れていた疑問に、永緒先生はストラップを見せた。
「日下部さんがこういうものに興味があるのだと知って、同じものを買い求めるくらいには、長くきみを見ている。同じものを持っていれば会話の糸口が掴めるのではないかと踏んだわけだ。きみの誠実な仕事ぶりに好感を持ったのがきっかけだったが——こういうものに癒しを求める可愛らしさも知った。通勤中に特定の家の前で立ち止まる癖があるのを知って、何かあるのかと躍起になるくらいにはきみを見ている。待てよ、こう言うとストーカーのようだな……」
自分でそう言って我に返ったのか、永緒先生ははたと口を覆った。
確かに、そのケがないわけでは無さそうだけれど、ここで話を止められてしまっては余計に気になる。
「ええと、まさか事務室でお話したのは……本当に可愛いもの好きを誤魔化すためとか、そういうのじゃなくて……」
「だから、誤魔化すもなにも、カピバラもリスも区別できないんだ。あれは最初に言った通り、本当に雑談だ」
「雑談? あの問診が?」
びっくりして心の声がそのまま出てしまった。永緒先生は「やはりそう思っていたのか」と乾いた笑みを漏らした。
「単純に、きみと話すだけのつもりだった。趣味や好きな食べ物の話だとか、そういう他愛ないものだ」
そういえば、朝ごはんとか好きな飲み物の話をしていたっけ。あれはどう聞いても健康診断の問診だったけど。
「そうしたら、このキャラクターの話になった」
永緒先生の手の中でかぴのすけが揺れる。相変わらずマイペースな顔つきだ。
「きみが何やら早合点しているのには勘づいたが、距離を縮められる機会と判断して利用させてもらった。もちろん、きみの能力を評価しての話だ。ああいうことがなくとも、近いうちに何らかのポストを用意しようと思っていたんだ。そこだけは誤解のないように」
「は、はあ」
そんなにも私は永緒先生に評価されていたのか。
地味で目立たない日常業務だと思っていたけれど……見ていてくれるひとがいるのは、嬉しい。
ただそれだけで永緒先生に対するわだかまりが解けていくのは……私って単純なんだろうか。
「どう言い繕っても、きみの善意を利用していたことには違いないな。すまなかった」
そうして、永緒先生は神妙に頭を下げた。
「そ、そんな……! 先生、顔を上げてください。お話を伺う限り、そもそも私が勘違いしたのが原因じゃないですか。なのに先生がそこまで気に病まなくてもっ」
「そういうわけにもいかない。筋はきちんと通さねば」
が、頑固だ。
それに、永緒先生って実はとてつもなく不器用だったりする?
待てよ。このフレーズ、聞き覚えがある。
鼓膜の奥で柔和な男性の渋い声がリフレインする。
楠院長先生の声色だ。
——これはね、大層不器用だけど真面目だから。何事にも理屈が必要な面倒くさい男だけど……。
その評価が、目の前の永緒先生にそっくりそのまま当てはまっている。
閻魔様なんて呼ばれるほどにクールで有能な永緒先生。
なのに、雑談は問診と勘違いされるくらい堅物で、リスとカピバラの区別もつかなくて……。
やっぱり、永緒先生って……
可愛い?
ぽんと目の前に揺れたのは、普段の永緒先生からは想像もつかない形容詞だった。
ち、ちょっと待って。
急展開すぎて頭がついていかない。
元はと言えば、私が永緒先生のストラップを見て早とちりしたのが原因なのに。
そこからあれよあれよと話が動いてこんなことになってしまった。
ああもう、穴があったら入りたい……かぴのすけのお腹に埋もれて窒息したい……!
そんなことをブツブツ呟いていると、不意に手を引かれておでこが何かにぶつかった。
「……っ」
ふわりと香る爽やかなコロン。永緒先生の香りだ。
「勝手に窒息しないでくれ。まったく日下部さんは……何を言い出すのかわからないな」
永緒先生の胸板に抱き寄せられていた。
え、え、どういうこと!?
「せ、先生っ」
「きみのことだから、またひとりでいろいろ考えているんだろうが……嫌でなければ、その……そういったものを分けさせてくれ」
そっと顔を上げる。黒縁眼鏡に隔てられたまなざしが思いのほか近くにあって息を飲む。
「日下部さん。今回のことはお互いに……その、ひとりよがりが暴走したものだと思うんだ」
「そ、そうですね」
こんな時でも的確な状況分析。永緒先生はやはりクールだ。
「だから互いに反省と今後のふるまいを考えた上で……その、改めて、お互いを知るために懇親会を設けたいと思っているのだが」
……それは、ひょっとして。
発想が飛躍しそうで慌てて我に返る。ひとりよがりの暴走を食い止めるには、まずは確認することから。
「……あの、それはもしかして……デートのお誘いと認識してもよろしいのでしょうか……」
自分の口からデートなどという響きがでてくることに驚いた。しかも相手は閻魔様。
そして驚きと同時に、これを否定されたら結構傷つくだろうなという現実がよぎる。
そうか。傷つきたくないから、大人の恋はいろいろとうやむやになるのかもしれない。
そうやって私があれこれと現実逃避に励んでいると——永緒先生は、黒縁眼鏡をそっと直した。
「もしかしなくても、デートのつもりだ。受けてくれる……だろうか」
永緒先生の瞳が少しだけ不安げに見えた。
その時、永緒先生も私と同じで、断られた時のことを考えて身構えているのだと気づく。
だから私は、できる限り微笑んで、簡潔に答えた。
「わかりました。喜んで」
そう。最初からこれで良かったのだ。
ホウレンソウは仕事の基本。
相手の立場に立って、寄り添うこと。
外来クラークとして培ってきた姿勢の基本のき、だ。
私の答えを聞いた永緒先生は、黒縁眼鏡の奥で目を細める。
その目元が温泉を堪能している時のかぴのすけによく似ている——なんてことは、もう少しだけ内緒にしておいたほうがいいかもしれない。
ぽつりと漏れていた疑問に、永緒先生はストラップを見せた。
「日下部さんがこういうものに興味があるのだと知って、同じものを買い求めるくらいには、長くきみを見ている。同じものを持っていれば会話の糸口が掴めるのではないかと踏んだわけだ。きみの誠実な仕事ぶりに好感を持ったのがきっかけだったが——こういうものに癒しを求める可愛らしさも知った。通勤中に特定の家の前で立ち止まる癖があるのを知って、何かあるのかと躍起になるくらいにはきみを見ている。待てよ、こう言うとストーカーのようだな……」
自分でそう言って我に返ったのか、永緒先生ははたと口を覆った。
確かに、そのケがないわけでは無さそうだけれど、ここで話を止められてしまっては余計に気になる。
「ええと、まさか事務室でお話したのは……本当に可愛いもの好きを誤魔化すためとか、そういうのじゃなくて……」
「だから、誤魔化すもなにも、カピバラもリスも区別できないんだ。あれは最初に言った通り、本当に雑談だ」
「雑談? あの問診が?」
びっくりして心の声がそのまま出てしまった。永緒先生は「やはりそう思っていたのか」と乾いた笑みを漏らした。
「単純に、きみと話すだけのつもりだった。趣味や好きな食べ物の話だとか、そういう他愛ないものだ」
そういえば、朝ごはんとか好きな飲み物の話をしていたっけ。あれはどう聞いても健康診断の問診だったけど。
「そうしたら、このキャラクターの話になった」
永緒先生の手の中でかぴのすけが揺れる。相変わらずマイペースな顔つきだ。
「きみが何やら早合点しているのには勘づいたが、距離を縮められる機会と判断して利用させてもらった。もちろん、きみの能力を評価しての話だ。ああいうことがなくとも、近いうちに何らかのポストを用意しようと思っていたんだ。そこだけは誤解のないように」
「は、はあ」
そんなにも私は永緒先生に評価されていたのか。
地味で目立たない日常業務だと思っていたけれど……見ていてくれるひとがいるのは、嬉しい。
ただそれだけで永緒先生に対するわだかまりが解けていくのは……私って単純なんだろうか。
「どう言い繕っても、きみの善意を利用していたことには違いないな。すまなかった」
そうして、永緒先生は神妙に頭を下げた。
「そ、そんな……! 先生、顔を上げてください。お話を伺う限り、そもそも私が勘違いしたのが原因じゃないですか。なのに先生がそこまで気に病まなくてもっ」
「そういうわけにもいかない。筋はきちんと通さねば」
が、頑固だ。
それに、永緒先生って実はとてつもなく不器用だったりする?
待てよ。このフレーズ、聞き覚えがある。
鼓膜の奥で柔和な男性の渋い声がリフレインする。
楠院長先生の声色だ。
——これはね、大層不器用だけど真面目だから。何事にも理屈が必要な面倒くさい男だけど……。
その評価が、目の前の永緒先生にそっくりそのまま当てはまっている。
閻魔様なんて呼ばれるほどにクールで有能な永緒先生。
なのに、雑談は問診と勘違いされるくらい堅物で、リスとカピバラの区別もつかなくて……。
やっぱり、永緒先生って……
可愛い?
ぽんと目の前に揺れたのは、普段の永緒先生からは想像もつかない形容詞だった。
ち、ちょっと待って。
急展開すぎて頭がついていかない。
元はと言えば、私が永緒先生のストラップを見て早とちりしたのが原因なのに。
そこからあれよあれよと話が動いてこんなことになってしまった。
ああもう、穴があったら入りたい……かぴのすけのお腹に埋もれて窒息したい……!
そんなことをブツブツ呟いていると、不意に手を引かれておでこが何かにぶつかった。
「……っ」
ふわりと香る爽やかなコロン。永緒先生の香りだ。
「勝手に窒息しないでくれ。まったく日下部さんは……何を言い出すのかわからないな」
永緒先生の胸板に抱き寄せられていた。
え、え、どういうこと!?
「せ、先生っ」
「きみのことだから、またひとりでいろいろ考えているんだろうが……嫌でなければ、その……そういったものを分けさせてくれ」
そっと顔を上げる。黒縁眼鏡に隔てられたまなざしが思いのほか近くにあって息を飲む。
「日下部さん。今回のことはお互いに……その、ひとりよがりが暴走したものだと思うんだ」
「そ、そうですね」
こんな時でも的確な状況分析。永緒先生はやはりクールだ。
「だから互いに反省と今後のふるまいを考えた上で……その、改めて、お互いを知るために懇親会を設けたいと思っているのだが」
……それは、ひょっとして。
発想が飛躍しそうで慌てて我に返る。ひとりよがりの暴走を食い止めるには、まずは確認することから。
「……あの、それはもしかして……デートのお誘いと認識してもよろしいのでしょうか……」
自分の口からデートなどという響きがでてくることに驚いた。しかも相手は閻魔様。
そして驚きと同時に、これを否定されたら結構傷つくだろうなという現実がよぎる。
そうか。傷つきたくないから、大人の恋はいろいろとうやむやになるのかもしれない。
そうやって私があれこれと現実逃避に励んでいると——永緒先生は、黒縁眼鏡をそっと直した。
「もしかしなくても、デートのつもりだ。受けてくれる……だろうか」
永緒先生の瞳が少しだけ不安げに見えた。
その時、永緒先生も私と同じで、断られた時のことを考えて身構えているのだと気づく。
だから私は、できる限り微笑んで、簡潔に答えた。
「わかりました。喜んで」
そう。最初からこれで良かったのだ。
ホウレンソウは仕事の基本。
相手の立場に立って、寄り添うこと。
外来クラークとして培ってきた姿勢の基本のき、だ。
私の答えを聞いた永緒先生は、黒縁眼鏡の奥で目を細める。
その目元が温泉を堪能している時のかぴのすけによく似ている——なんてことは、もう少しだけ内緒にしておいたほうがいいかもしれない。


