その青は還る 完結
 その週末の夜。俺は鏡を一度見てから、浴室を抜け出して、部屋を出た。そして店へ行って、いつものように彼女を指名した。だが、名前を言うことに未だに躊躇う。しかも、ソファーで待つ間も、やけに落ち着かなくて、布を張り替えたのかと疑っていた。

「いらっしゃいませ、こんばんは。ご指名ありがとうございます」

 いつもの顔を見て、少し胸を撫で下ろして、俺は思わず口を開いた。

「なぁ、この前、大丈夫だったか」

 彼女は少し考えてから、「はい。この通り、腕も足もあります」と笑った。

「お前な……、冗談にしても、もっとマシなやつにしろよ」俺は深いため息を吐いて、煙草を口にくわえた。

ジッポで火を点けてから、ふと彼女を見ると、
少し膨れていた。

「なんだよ」と言ったら、今度は不服そうな顔をしている。

そこで自分に問いかけてみても、思い当たる節しかなかった。

「お前って……」そう彼女は呟いた。

何を言おうとしてるかなど理解していた。だが、それを口にしようとすると、どこかで拒んで吐き出せない。

「ゆ……たまごちゃん。でよくね?」

「ゆ? いま、ゆでたまごって言おうとしました?」

終わった。と思った。彼女が怒るのも無理はない。呼んでほしいのも分かっている。

だが、その分、距離も近くなってしまう。

「言ってねぇだろ……」と悪態をついても、おそらく彼女は気にしない。

「もう、たまごちゃんでいいです。なんか、ちょっと可愛いし」そう言って彼女はちらりと俺を見て、笑いだしそうな顔を堪えていた。

その顔に息が苦しくなった。ジッポをなぞりながら、どうにか取り繕い、煙草をくわえた。

「そういや、夏休みは、何かしないの」

「ギターを始めてみようかなって思ってます」

すぐ話題を変えたかった。たとえおかしくても構わなかった。

「こないだ、すげぇ雨だったな……」

しかし、墓穴を掘った。

「あ、あの日、外にいて、だいぶ濡れました」彼女は軽く言ってから、苦笑いを浮かべた。

「今度、どっか行く? 例えば、動物園とか」

修正をしても、思い出す。

「んー、水族館もよくないですか?」そう言って、彼女は俺のほうを見ていた。

「ちょっと、トイレ行ってくるわ」

あの目が、俺には受け止め切れなかった。

だが、それでも確信したものは止まらない。

トイレの鏡に映った自分の顔を、ぼんやり見ながら思った。

もう、この先勢いだけで口にしてはいけないと。
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