ルナは、恋をした。

第2話 ルナは、噂になりました

朝の昇降口での告白は、一時間目が始まる頃には、もう学校中へ広まっていた。

月が教室へ向かって廊下を歩いていると、
すれ違う生徒が次々と月を見た。

「あの子じゃない?」

「一条先輩に告白した一年」

「振られた子でしょ」

「よくあんな普通に歩けるね」

月は首を傾げた。

声を潜めているつもりなのだろう。
けれど月には、一つひとつ、はっきり聞こえていた。

一条先輩に告白した一年生。
確かに、それは自分のことだった。

どうして、知らない人まで知っているのだろう。

それより、月には別のことが気になった。
すれ違う生徒たちは、当然のように凪の名前を知っている。

—— 一条先輩、本当に有名なんだ。

月は一人で納得して頷いた。

教室の扉を開けた瞬間、先ほどまで騒がしかった教室が不自然に静かになった。

教室中の目が月に集まる。

「来た」

「普通に来たんだけど」

「すご……」

月はいつも通り、笑顔で教室へ入った。

「おはようございます!」

一瞬、誰も返事をしなかった。

やがて、一人の女子生徒が笑いをこらえながら答える。

「……おはよう」

「おはようございます! 西城さん!」

名前を呼ばれた西城茜(さいじょう あかね)が、目を丸くした。

教室のあちこちから、小さな笑い声が漏れる。

月はそのまま自分の席へ向かった。
何がおかしかったのかは、よく分からなかった。

席に着いて間もなく、茜と数人の女子生徒が月の机を囲んだ。

「ねえ、朝比奈さん」

「どうしましたか?」

「来週の歴史のグループ発表なんだけど」

「はい!」

「私たち、部活とか塾とかあって忙しいんだよね」

一人が困ったように笑う。

「資料、まとめてもらえない?」

「スライドもお願い」

「できたら原稿も」

「先生に出すレジュメも欲しいかも」

頼まれるものが、一つずつ増えていく。

月は指を折った。

「資料と、スライドと、原稿と、レジュメですか?」

「そう」

茜たちが顔を見合わせる。

「朝比奈さん、こういうの得意でしょ?」

「推薦で入れるくらい、勉強できるんだし」

茜が月の机へ手をついた。

「お願い。朝比奈さんにしか頼めないの」

月の顔が、明るくなった。

自分にしか頼めない。

「はい! ルナがやります!」

「ほんと?」

「助かるー」

女子たちは笑いながら、自分たちの席へ戻っていった。
月から離れると、声を潜めた。

「やっぱ断らないじゃん」

「便利すぎ」

その声は、月には届かなかった。

これまでも月は、クラスの中で浮いていた。
冗談をそのまま受け取ったり、会話の意図を取り違えたりする。
頼み事を断らないことも、クラスではよく知られていた。

「ほんとに何とも思ってないのかな」

教室の後ろで、女子生徒たちが囁く。

「振られたのに?」

「朝比奈さんだし」

「ていうか、一条先輩にあんな告白する?」

「普通できなくない?」

別の女子が、呆れたように言った。

「相手、人類の上澄みだよ?」

その声に、茜が小さく鼻を鳴らす。

「空気読めなさすぎ」

月は少し離れた席で、次の授業の教科書を探していた。

白鳳学院で、一条凪を知らない者はほとんどいなかった。

財界でも名の知られた一条家の跡取り。
家柄、成績、容姿、運動神経。
生まれながらに、あまりにも多くのものを持っていた。

だからSNSや生徒たちの間では、半ば冗談のように、

人(・)類(・)の(・)上(・)澄(・)み(・)

と呼ばれている。

一条凪は、自分たちとは違う。
それなのに本人は、誰かと親しくなろうとする様子がほとんどない。
だから余計に、凪は人目を引いた。

誰かが決めたわけではない。
それでも凪には、簡単には近づいてはいけないような空気があった。

月だけが、それを知らなかった。


昼休み。

二年A組でも、朝の告白は話題になっていた。

「いやー、朝からすごかったな」

「昇降口中に響いてたぞ」

「『付き合ってください!』だもんな」

教室の中央で、男子生徒たちが笑っている。

窓際では、凪が一人で本を読んでいた。

何度名前を出されても、顔を上げない。

「なあ、凪」

返事はない。

「でも、あの一年、結構可愛かったよな」

「それは思った」

「一回くらい相手してやればよかったんじゃね?」

ページをめくる手が止まる。
凪は本を閉じた。

「……うるさい」

低い声だった。

「いや、だからさ」

「別に興味ない」

凪は本を持って立ち上がった。
椅子が床を擦る。

「どこ行くんだよ」

「静かなところ」

「悪かったって」

凪は返事をせず、そのまま教室を出ていった。

扉が閉まる。

残った男子生徒たちは顔を見合わせる。

「相変わらずだな」

「でも俺、朝見てたけどさ」

一人が笑った。

「あの一年、もう一回告白するって言ってたぞ」

「マジ?」

「しかも推薦組らしい」

「推薦組が凪に?」

「すげえな」

笑い声が、また教室へ広がった。

放課後。

月は一人、図書室の共用パソコンに向かっていた。
机の上には、何冊もの参考資料が開かれている。

資料を読みながら内容をまとめ、必要な図をスライドへ入れ、発表用の原稿を作っていく。

「ここは、先に説明した方が分かりやすいです」

小さく呟きながら、順番を書き直す。

一度、原稿を最初から読む。
時計を見る。

六分五十八秒。
発表時間は七分。

月は満足そうに頷いた。

みんなが発表しやすいように。
誰も困らないように。

月はもう一度、最初のスライドから確認を始めた。

窓の外では、夕暮れが少しずつ濃くなっていた。
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