あの日、青い瞳の君に恋をした 前編:君と生きた日々
「……ごめん」

不意に、近くから小さな声が聞こえた。

見ると、一人の女子が床にしゃがみ込んでいた。

この子は、小川さんだっけ?

クラスメイトだけど、あまり話したことがない。

足元に、落とした教科書やノートが散らばっている。

その横を、何人かの女子が通り過ぎていく。

「またやってる」

「ほんとドジだよね」

わざわざ聞こえるように、悪口を言っていく。

それでも、小川さんは何も言わず、俯いたままノートを拾っていた。

その表情は、暗く沈んでいるように見えた。

私は、小川さんのことをよく知らない。

だけど、あんなあからさまに嫌がらせをするなんて許せない。

「…………」

私は席を立つ。

「大丈夫?」

一緒にしゃがんで、床に落ちた教科書やノートを拾った。

「え……」

驚いたように、小川さんが顔を上げる。

なぜか、信じられないと言った様子で私をみている。

「これ、数学?」

「あ……うん」

「次、数学だっけ?」

「そう……」

「やば。宿題やってない」

「え?」

「見せてくれない?」

手を合わせて、頼み込む。

小川さんは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。

「いいけど……」

「やった」

最後のノートを拾って渡す。

「はい」

「……ありがとう」

「ううん。こっちこそありがと」

そのままノートを借りて、自分の席へ戻ろうとした時だった。

「ねぇ、莉愛ちゃん」

「ん?」

さっき通り過ぎていった女子の一人が、私のところへやってきた。

「小川さんと、仲良かったっけ?」

「別に普通だけど?」

私は、その質問の意図がなんとなくわかっていた。

「ふーん……」

その子が、ちらっと後ろを見る。

「でも小川さんって、ちょっと変じゃない?」

「そう?」

「なんか暗いし、喋っててもつまんないっていうか……。みんなも苦手って言ってるよ」

「そうかな?」

「莉愛ちゃんもそう思わない?」

私に話しかけてきた子は、小川さんのことを、馬鹿にするように言った。

でも、私はそんなことどうでもよかった。

「私はそんなふうに思わないけど?」

「え……」

「普通にいい子じゃない?」

「でも――」

これ以上、人の悪口に付き合うのはめんどくさい。

私は、このように話しかけられることも多いが、全く興味がない。

ろくに関わったことのない相手を悪く言うことができるのが、不思議でたまらない。

「あ、やば!」

時計を見る。

「私、数学の宿題やんなきゃ!」

「え?」

「次の授業までに終わらせないと怒られる!」

さっさと、話を切り替え、急いで席に戻り、借りたノートを開く。

「うわ、結構あるじゃん……」

なんで昨日やらなかったんだろ。

必死になってノートを写していると、隣から小さな声がした。

「……莉愛ちゃん」

「ん?」

顔を上げる。

そこには小川さんが、少し困ったような顔で立っていた。

「……ありがとう」

「え?」

「さっき……」

「ああ」

私は再びノートに目を落とす。

「なんで?」

「え……」

「私、普通のこと言っただけだよ?」

「でも……みんな、私のこと――」

その言葉に、ペンを止める。

「みんながどう思ってるかは知らないけど」

顔を上げる。

「私はそう思わないよ」

「…………」

「それに今、ノート見せてもらってるし」

借りているノートを持ち上げる。

「むしろ、こっちがありがとうなんだけど」

「…………」

その子が、ほんの少し笑った。

「……うん」

「あとさ」

「え?」

「ここ、字ちっちゃすぎて読めない」

「えっ」

「これ何て書いてある?」

「そこは……」

小川さんが、私の隣にしゃがむ。

「ここがこうなって――」

「待って待って。全然分かんない」

「えっとね……」

いつの間にか、私に数学を教えてくれていた。

「なるほど!」

「分かった?」

「全然」

「えっ」

「もう一回お願い」

今度は、小川さんが声を出して笑った。

こんなに笑っているのは、初めてみたかもしれない。

同じクラスメイトなのに。

なんだか、勿体無いと感じた。

そんなことを考えていると、

「莉愛、数学やばすぎ!」

少し離れたところから美月と結衣の笑い声が聞こえてきた。

「うるさい!今教えてもらってるの!」
 
教室に、笑い声が広がった。

私は別に、小川さんを助けたつもりなんてなかった。

困っていたから、一緒にノートを拾った。

悪口に同意できなかったから、そう言った。

ただ、それだけ。

困っている人がいたら、普通、助けない?

この時の私は、本気でそう思っていた。
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