恋と焦燥のロードマップ
激しい江の島の階段移動、そしてオシャレカフェでの徹底的な少食偽装。飢餓寸前だった私の胃袋が、完璧な沈黙の真ん中で、「グゥゥゥゥゥゥーーーーッ」と、車内全体に響き渡るほどもの凄く大きな音を立てて鳴り響いたのだ。
「あ……」
私は一瞬で血の気が引くのを感じた。恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだった。
大輔は一瞬驚いたようにこちらを見たが、すぐに大人のスマートな気遣いを張り付け、ダッシュボードのボックスからお洒落なガラス瓶を取り出した。
「あ、お腹空いたよね。これ、オーガニックナッツなんだけど、もしよかったら食べて」
差し出された、爪の先ほどの小さなナッツ。
その眩しすぎる優しさと洗練された気遣いに触れた瞬間、私の中で、張り詰めていた最後の糸がプツンと静かに弾け飛んだ。涙が出るわけでも、取り乱すわけでもない。ただ、もう一秒だってこの完璧な空間に、嘘の自分でチェックインし続けるエネルギーが残っていなかった。
「……大輔さん。ごめんなさい」
「え? 真由さん、どうしたの?」
私はシートの背もたれに頭を預けたまま、小さくため息をついて、自分の嘘を静かに白状した。
「私、本当は丁寧な暮らしなんて一ミリもしてないんです。あの曲げわっぱ弁当だって、その日一日だけ血眼になって作った奇跡の一枚で、平日の朝はいつもコンビニのランチパックを口に詰め込んで駅まで走んでます。お腹が弱いのも嘘、少食なのも全部嘘です。大輔さんの前で完璧な女の子のフリをするのが、もう……身の丈に合わなすぎて、苦しくて、騙しているのが申し訳なくなっちゃいました。……本当にすみません。次の駅で、降ろしてもらえますか」
大輔は目を見開いたまま、完全に硬直した。彼の端正な顔が、私のあまりにも泥臭い本音にどう反応していいか分からず、困惑しているのが分かった。
「あ、いや……」
大輔が何かを言いかけるが、気の利いた言葉は出てこない。
結局、私たちはそこから最寄りの駅までの道のりを、信じられないほど気まずく、重苦しい沈黙の中で過ごした。大雨の渋滞の中、車内にはただエアコンの冷気だけが虚しく流れている。大輔に幻滅された惨めさと、嘘をついていた申し訳なさで、胸が締め付けられるように痛かった。
駅のロータリーに車が滑り込む。
「……ありがとうございました」
私はそれだけを辛うじて口にし、大輔の表情を見ることもできずに助手席のドアを開けて車を降りた。
ずぶ濡れの街を通り抜け、暗いテンションのまま電車に揺られて家に帰り着く。
お互いに、フォローのメッセージを送るような気力は残っていなかった。スマホの画面を見つめたまま、私はただ一言、「楽しかったです、ありがとうございました」とだけLINEを送るべきか悩んだ。けれど、どんな言葉を並べても、あの車内の惨めな嘘が消えるわけではない。
結局、私はそのまま一度も大輔に連絡を取ることはなかった。
そして翌日の夜、どんよりとした重い空気の中で、私は震える指で『Link』のアプリをスマートフォンから完全に削除した。
大輔のアカウントも、メッセージの履歴も、すべてが画面から消え去る。
ただ普通に誰かと出会って、普通に幸せになりたかっただけなのに。身の丈に合わない虚像を演じ、勝手に気後れして自爆した自分の愚かさに、私はただ一人、薄暗い部屋の隅で深く、深い溜め息をついた。
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