恋と焦燥のロードマップ

【残業時間のシグナルと、氷の仮面】

マッチングが成立したことを告げる、アプリ特有の軽快な電子音。それが静まり返ったワンルームに響いた瞬間、私はスマートフォンの画面を持ったまま、ベッドの上で完全にフリーズしていた。画面の向こうからは、あの会社のホームページから切り抜いてきたような、おそろしく真面目で冷徹な神谷くんの証明写真が私を真っ直ぐに見つめている。
(……なんて送るのが正解なの!?)
「マッチングありがとうございます! よろしくお願いします!」なんて、アプリの定型文みたいなよそよそしいメッセージを送るのもおかしい。かと言って、「神谷くん、何やってるの?」と職場の先輩としてツッコミを入れるのも、なんだか彼の真剣なプロフィール文を前にすると躊躇われた。
パニック状態でスマートフォンの画面を見つめたまま、三分が経過した時だった。画面の下部から、新しい吹き出しがひょっこりと飛び出してきた。文字を入力している時の三点リーダーの点滅すらなく、まるで最初から用意されていた剛速球のように、彼からのファーストメッセージが滑り込んできたのだ。
『神谷誠也:夜分遅くに恐れ入ります。営業二課の神谷です。驚かせてしまっていたら申し訳ありません。ですが、悪ふざけやからかいの類では一切ありません。真真面目です。今週末の土曜日、僕に時間をください。よろしくお願いいたします』
「……っ!」
思わずベッドの上で声を上げ、スマホを布団の上に放り出した。心臓が肋骨の裏側で激しく叩くような音を立てている。丁寧な敬語。会社での彼らしい無機質で無駄のない文体。それなのに、文章の底から脈打つような、逃げ道を一切塞ぐような男としての熱量が、電波を通じてダイレクトに私の肌に伝わってくるようだった。
「真面目です。今週末の土曜日、僕に時間をください」
脳内で彼のあの低い声を再生してしまい、顔が一気にカッと熱くなる。昼間の給湯室での会話。私の「昨日からLink始めたんだよね」という呟き。それを聞いた彼が、その日の夜にこのアプリを入れ、私にこのメッセージを送ってきた。偶然にしてはタイミングが良すぎる。もしかして、彼は私を探して……?
いや、まさか。あの「氷の王子」が、ただの事務の先輩である私をそんな風に追いかけるなんて、自惚れもいいところだ。何か別の意図があるのかもしれない。ぐるぐると渦巻く思考を必死に抑え込みながら、私は震える指でキーボードを叩く。
『杏奈:神谷くん、びっくりした……。神谷くんもこのアプリやってたんだね。土曜日、特に予定はないけど……本当に私でいいの?』
送信ボタンを押すと、一秒もしないうちに『既読』がついた。画面を見つめるこちらの視線が追いつかないほどの異常なスピード感に、また胸がトクンと跳ねた。
『神谷誠也:杏奈先輩がいいんです。他の方では意味がありません。では、土曜日の午後六時に品川駅の港南口でお待ちしています。お店は僕が予約しておきます。おやすみなさい』
有無を言わせない、完璧なエスコートの提示。そして、メッセージの最後で、彼は私のことを会社での「杏奈さん」ではなく、「杏奈先輩」と呼んでいた。その夜は、結局明け方までまともに眠れなかった。目を閉じるたびに、あの冷徹な証明写真と、熱すぎるメッセージのギャップが頭の中を交互に駆け巡り、ベッドの中で何度も寝返りを打つしかなかった。

***

「…おはようございます」
彼はそれだけを静かに言い残し、何事もなかったかのように自分のデスクへと戻っていった。触れられた指先が、ジリジリと熱を持っているように熱い。会社での完璧なポーカーフェイスと、二人だけの世界で見せる微かな熱。その真意が読めないギャップに翻弄されながら、私は金曜日の夜までのカウントダウンを、ただ焦がれるように数え始めていた。

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