恋愛結婚がしたいだけなのに。
後始末
遼は結婚していた。
嘘をつかれていたことよりも、彼にはかつて本気で愛した人がいたという事実のほうが、ずっと衝撃だった。
呆然とする私を前に、遼はしばらく黙っていた。何かを言おうとしては、言葉を飲み込む。その繰り返しのあと、ようやく重い口を開いた。
「初めて会ったとき、転勤前に別れたっていう彼女のこと、話したよね。あの人と、本当は結婚していたんだ」
一つ一つの言葉が、意味を持たない音のように耳を通り過ぎていく。
「結婚後、元妻はパパ活や不倫を繰り返した。俺は何度も不倫をやめさせようとした。不倫相手に、元妻のスマホからLINEを送ったこともある。でも、彼女の行動を止めることはできなかった」
遼は一度、言葉を切った。
「それで、離婚しようとしたんだ。でも、彼女は離婚を拒み続けた。遠距離だったから、離婚届を何通も送った。それでも書いてくれなかった。もう嫌になって、マッチングアプリを始めた」
彼は深く息を吐いた。まるで、長いあいだ胸の奥に押し込めていたものを、少しずつ吐き出すようだった。
「離婚したくてもできない状態が、二年続いた。その間も、元妻の不倫は続いていた。朱音ちゃんと出会ったときは、まだ籍が入っていたんだ。その翌週、彼女を説得して、ようやく離婚が成立した」
普段の陽気で聡明な彼からは、想像もつかない過去だった。
知らないところで彼はずっと苦しんでいた。
その事実を思うと、かける言葉が見つからない。
「今まで言えなくてごめん。いつか言わないととは思っていた。だけど……怖くて」
遼は、少しだけ視線を落とした。
目の前にいる彼を見つめる。
好きという気持ちも、信じたいという気持ちも、怒りも悲しみも、すべてが入り混じっていた。
嘘をつかれていたこと。
あのしりとりの夜、遼はまだ既婚者だったこと。そして、彼にはかつて、本気で愛した人がいたこと。
どれも、簡単には受け止められなかった。
それでも、遼の話を聞いているうちに、少しずつ、これまでの出来事が頭の中でつながっていった。
もし、遼が元妻に出会っていなかったら。
きっと今、彼は私の隣にはいない。
「話してくれてありがとう」
乾いた喉から、ようやく声を絞り出した。
「ごめん。ずっと言えなくて」
遼は申し訳なさそうに呟いた。
許せたわけではない。
何もかも理解できたわけでもない。
それでも、今、目の前にいる彼を一人にしたくなかった。
私はそっと腕を伸ばし、遼を抱きしめた。
無機質な部屋の中で、彼の体温だけがひどく確かなものに感じられた。
その夜、ベッドの中で目を閉じると遼の過去が頭から離れなかった。
私が苦しんでいた頃、遼もまた苦しんでいた。私の知らない場所で、私の知らない時間を生きていた彼。
もう、これ以上傷ついてほしくない。
そう思いながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
翌日の夜。
寝る前に、電話で遼の元妻について詳しく聞いた。遼の口から語られる過去は、まるで別の誰かの人生を聞いているようだった。
その不思議な感覚が、いつまでも消えなかった。
遼の告白後、初めての週末だった。
金曜日の仕事を早めに切り上げると、足早に駅へ向かい電車に乗り込んだ。
窓の外を流れる景色を眺めながら、何度も今日のことを考えた。
遼に会いたい。
けれど、何を話せばいいのか分からなかった。
遼の家に着くと、合鍵を使って部屋に入った。まだ帰ってきていないようだった。
静かな部屋に一人きりになる。
冷蔵庫を開け、中にある食材を一通り確認した。今日はシチューを作ることにした。
鍋に材料を入れ、火にかける。
ゆっくりと煮込まれていく鍋を見つめながら、あれこれと考えを巡らせた。
今日はうまく話せるだろうか。
いつも通りに接してくれるだろうか。
何度もスマホに目をやった。
しばらくして、玄関の鍵が開く音が響いた。
「おかえり」
私は鍋の火を弱め、急いでシチューを取り分けた。
「ただいま」
「シチュー作った」
料理をテーブルに並べながら答える。
「おっ、サンキュー」
遼はカバンを置くと、向かいの席に腰を下ろした。二人で食べ始める。
しばらく、どちらも何も話さなかった。
スプーンが皿に触れる音だけが、静かな部屋に響いていた。
この沈黙をどうにかしたくて、私はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、婚活してるときに、モラハラの人と出会ったことある」
シチューを食べていた遼が顔を上げた。
「まじで?」
「コンビニに行って、疲れてるから車で待ってるって言ったら、ブチギレられた」
「なんか、元妻と似てるな」
遼は苦笑いを浮かべた。
「その人と出会ったとき、世の中にはこんな人がいるんだなってびっくりしたな」
「俺も元妻には驚いたよ」
「遼くんの話はドラマみたい」
「本当にいるんだよ。世の中には」
「もしかして、作り話?」
「違うわ!」
遼はすかさずツッコんだ。
思わず笑ってしまう。
その瞬間、張りつめていたものがほんの少し緩んだ気がした。
食事を終えた後は、巷で話題になっていたスティーブン・キング原作のサスペンス映画を観た。
「犯人、絶対こいつだと思った」
「いや、私はこっちだと思ってた」
そんなことを話しているうちに、時間は過ぎていった。映画が終わる頃にはいつもの二人に戻っていた。
「実は、まだ隠してることある?」
何気なく尋ねると、遼はすぐに答えた。
「もうない!本当にない!」
その必死な様子がおかしくて、また笑った。
気づけば、日常に戻っていた。
けれど、遼の過去を知る前とまったく同じ気持ちに戻れたわけではなかった。
知らなかった時間が、彼の中には確かに存在していた。そして、その時間を少しずつ知っていくのだろう。
僕は、既婚者であることを隠して彼女と出会った。
許されることではない。
朱音がどんな気持ちであの話を聞いていたのか。考えるたびに、胸が苦しくなる。
それでも今、彼女は僕の隣にいる。
いつものように笑って、いつものように話してくれる。その事実をただ噛みしめた。
そうして、冬の名残を残しながら、季節はゆっくりと春へ向かっていた。
ある日、仕事から帰ると、一通の郵便物が届いていた。差出人を見て僕は眉をひそめた。
封を開けると、中には駐車違反の放置違反金に関する書類が入っていた。
身に覚えのない請求だった。
僕はしばらく紙面に目を落としたまま動けなかった。
請求書を前に、次第に状況を理解していった。
綾美に渡した車。
もう自分とは関係のないものだと思っていた。だが、名義変更はしていない。
書類上の所有者は僕だった。
離婚したはずなのに、まだ終わっていなかった。
僕は念のためにと、残しておいた綾美の連絡先を、焦りに突き動かされるようにタップした。
『車の名義を変更するために、譲渡証明書を書いてほしい』
そうLINEした。既読になったが、返信はなかった。嫌な予感がした。
離婚届を書いてもらうのに、あれほどの労力を費やした。この書類一枚でさえ、相当苦労することになるのだろう。
手元の請求書を見る。
さすがに、これをそのまま払うわけにはいかない。スマホで手続きを調べ、とりあえず弁明書を書いた。通知書に記載された提出先へ送ることにした。
その後も、請求書はたびたび送られてきた。
綾美には何度も連絡した。電話も、LINEも。
彼女は無視を貫いた。
正直、ここまでは想定の範囲内だった。
自分ではどうにもならないと判断し、次の手を打った。母に頼むことにした。
まだ綾美と結婚していた頃、母は彼女とLINEで何度かやり取りをしたことがあった。
さすがに、母からの連絡なら無視できないだろう。そう高を括っていた。
だが、甘かった。
『綾美さん。遼が困っているみたいです。書類を書いてくれませんか?』
母が連絡しても、綾美から返信がくることはなかった。まさか、ここまでとは。
諦めに似た感情を覚えた。
万策尽きた。
それでも、どうにかしてこの件を片付けたい。僕は車を購入したディーラーに連絡してみることにした。
「この車なんですが、最近、女性が持って来ませんでしたか?」
電話越しに担当者へ車の情報を伝えると、しばらく確認したあと答えた。
「はい。先日、車検の見積もりで来られました」
やはり、綾美だ。
「ただ、車検代が高いので、別のところで受けるとおっしゃっていました」
「どこへ車を持ち込んだか、分かりますか?」
担当者は少し間を置いてから答えた。
「その後、別の整備工場に持っていくとおっしゃっていました」
事情を説明すると、その整備工場について教えてくれた。
僕は教えてもらった整備工場を訪ねた。
案内されたのは、個人で営んでいるらしい、古びた整備工場だった。敷地の奥には、見覚えのある車が停まっている。
黒のセダン。久しぶりに見る自分の車だった。
社会人になって初めて、自分の力で買った車だ。思い入れは強かった。
以前よりもさらに傷やへこみが増え、まるで別の車のように見えた。
しばらく、その姿を黙って眺めていた。
整備士に事情を説明すると、車検証を確認した。
「この車、遼さんの名義になっていますけど……」
「はい。今は、元妻が使っているんです」
「そうなんですね」
整備士は車の状態を確認しながら、淡々と説明した。
「かなり傷んでいます。車検を通すとなると、修理費も結構かかります」
取り出された見積書を見ると、50万円と書かれていた。
「……50万」
思わず、その数字を読み上げた。
「はい。これだけ修理しないと、車検には通せないと思います」
僕はもう一度、外に停まっている車を見た。
「元奥様は、これだけかかるなら、廃車にしたいとおっしゃっていました。どうされますか?」
もう、直す必要はない。
この車も、終わらせよう。
「……廃車でお願いします」
嘘をつかれていたことよりも、彼にはかつて本気で愛した人がいたという事実のほうが、ずっと衝撃だった。
呆然とする私を前に、遼はしばらく黙っていた。何かを言おうとしては、言葉を飲み込む。その繰り返しのあと、ようやく重い口を開いた。
「初めて会ったとき、転勤前に別れたっていう彼女のこと、話したよね。あの人と、本当は結婚していたんだ」
一つ一つの言葉が、意味を持たない音のように耳を通り過ぎていく。
「結婚後、元妻はパパ活や不倫を繰り返した。俺は何度も不倫をやめさせようとした。不倫相手に、元妻のスマホからLINEを送ったこともある。でも、彼女の行動を止めることはできなかった」
遼は一度、言葉を切った。
「それで、離婚しようとしたんだ。でも、彼女は離婚を拒み続けた。遠距離だったから、離婚届を何通も送った。それでも書いてくれなかった。もう嫌になって、マッチングアプリを始めた」
彼は深く息を吐いた。まるで、長いあいだ胸の奥に押し込めていたものを、少しずつ吐き出すようだった。
「離婚したくてもできない状態が、二年続いた。その間も、元妻の不倫は続いていた。朱音ちゃんと出会ったときは、まだ籍が入っていたんだ。その翌週、彼女を説得して、ようやく離婚が成立した」
普段の陽気で聡明な彼からは、想像もつかない過去だった。
知らないところで彼はずっと苦しんでいた。
その事実を思うと、かける言葉が見つからない。
「今まで言えなくてごめん。いつか言わないととは思っていた。だけど……怖くて」
遼は、少しだけ視線を落とした。
目の前にいる彼を見つめる。
好きという気持ちも、信じたいという気持ちも、怒りも悲しみも、すべてが入り混じっていた。
嘘をつかれていたこと。
あのしりとりの夜、遼はまだ既婚者だったこと。そして、彼にはかつて、本気で愛した人がいたこと。
どれも、簡単には受け止められなかった。
それでも、遼の話を聞いているうちに、少しずつ、これまでの出来事が頭の中でつながっていった。
もし、遼が元妻に出会っていなかったら。
きっと今、彼は私の隣にはいない。
「話してくれてありがとう」
乾いた喉から、ようやく声を絞り出した。
「ごめん。ずっと言えなくて」
遼は申し訳なさそうに呟いた。
許せたわけではない。
何もかも理解できたわけでもない。
それでも、今、目の前にいる彼を一人にしたくなかった。
私はそっと腕を伸ばし、遼を抱きしめた。
無機質な部屋の中で、彼の体温だけがひどく確かなものに感じられた。
その夜、ベッドの中で目を閉じると遼の過去が頭から離れなかった。
私が苦しんでいた頃、遼もまた苦しんでいた。私の知らない場所で、私の知らない時間を生きていた彼。
もう、これ以上傷ついてほしくない。
そう思いながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
翌日の夜。
寝る前に、電話で遼の元妻について詳しく聞いた。遼の口から語られる過去は、まるで別の誰かの人生を聞いているようだった。
その不思議な感覚が、いつまでも消えなかった。
遼の告白後、初めての週末だった。
金曜日の仕事を早めに切り上げると、足早に駅へ向かい電車に乗り込んだ。
窓の外を流れる景色を眺めながら、何度も今日のことを考えた。
遼に会いたい。
けれど、何を話せばいいのか分からなかった。
遼の家に着くと、合鍵を使って部屋に入った。まだ帰ってきていないようだった。
静かな部屋に一人きりになる。
冷蔵庫を開け、中にある食材を一通り確認した。今日はシチューを作ることにした。
鍋に材料を入れ、火にかける。
ゆっくりと煮込まれていく鍋を見つめながら、あれこれと考えを巡らせた。
今日はうまく話せるだろうか。
いつも通りに接してくれるだろうか。
何度もスマホに目をやった。
しばらくして、玄関の鍵が開く音が響いた。
「おかえり」
私は鍋の火を弱め、急いでシチューを取り分けた。
「ただいま」
「シチュー作った」
料理をテーブルに並べながら答える。
「おっ、サンキュー」
遼はカバンを置くと、向かいの席に腰を下ろした。二人で食べ始める。
しばらく、どちらも何も話さなかった。
スプーンが皿に触れる音だけが、静かな部屋に響いていた。
この沈黙をどうにかしたくて、私はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、婚活してるときに、モラハラの人と出会ったことある」
シチューを食べていた遼が顔を上げた。
「まじで?」
「コンビニに行って、疲れてるから車で待ってるって言ったら、ブチギレられた」
「なんか、元妻と似てるな」
遼は苦笑いを浮かべた。
「その人と出会ったとき、世の中にはこんな人がいるんだなってびっくりしたな」
「俺も元妻には驚いたよ」
「遼くんの話はドラマみたい」
「本当にいるんだよ。世の中には」
「もしかして、作り話?」
「違うわ!」
遼はすかさずツッコんだ。
思わず笑ってしまう。
その瞬間、張りつめていたものがほんの少し緩んだ気がした。
食事を終えた後は、巷で話題になっていたスティーブン・キング原作のサスペンス映画を観た。
「犯人、絶対こいつだと思った」
「いや、私はこっちだと思ってた」
そんなことを話しているうちに、時間は過ぎていった。映画が終わる頃にはいつもの二人に戻っていた。
「実は、まだ隠してることある?」
何気なく尋ねると、遼はすぐに答えた。
「もうない!本当にない!」
その必死な様子がおかしくて、また笑った。
気づけば、日常に戻っていた。
けれど、遼の過去を知る前とまったく同じ気持ちに戻れたわけではなかった。
知らなかった時間が、彼の中には確かに存在していた。そして、その時間を少しずつ知っていくのだろう。
僕は、既婚者であることを隠して彼女と出会った。
許されることではない。
朱音がどんな気持ちであの話を聞いていたのか。考えるたびに、胸が苦しくなる。
それでも今、彼女は僕の隣にいる。
いつものように笑って、いつものように話してくれる。その事実をただ噛みしめた。
そうして、冬の名残を残しながら、季節はゆっくりと春へ向かっていた。
ある日、仕事から帰ると、一通の郵便物が届いていた。差出人を見て僕は眉をひそめた。
封を開けると、中には駐車違反の放置違反金に関する書類が入っていた。
身に覚えのない請求だった。
僕はしばらく紙面に目を落としたまま動けなかった。
請求書を前に、次第に状況を理解していった。
綾美に渡した車。
もう自分とは関係のないものだと思っていた。だが、名義変更はしていない。
書類上の所有者は僕だった。
離婚したはずなのに、まだ終わっていなかった。
僕は念のためにと、残しておいた綾美の連絡先を、焦りに突き動かされるようにタップした。
『車の名義を変更するために、譲渡証明書を書いてほしい』
そうLINEした。既読になったが、返信はなかった。嫌な予感がした。
離婚届を書いてもらうのに、あれほどの労力を費やした。この書類一枚でさえ、相当苦労することになるのだろう。
手元の請求書を見る。
さすがに、これをそのまま払うわけにはいかない。スマホで手続きを調べ、とりあえず弁明書を書いた。通知書に記載された提出先へ送ることにした。
その後も、請求書はたびたび送られてきた。
綾美には何度も連絡した。電話も、LINEも。
彼女は無視を貫いた。
正直、ここまでは想定の範囲内だった。
自分ではどうにもならないと判断し、次の手を打った。母に頼むことにした。
まだ綾美と結婚していた頃、母は彼女とLINEで何度かやり取りをしたことがあった。
さすがに、母からの連絡なら無視できないだろう。そう高を括っていた。
だが、甘かった。
『綾美さん。遼が困っているみたいです。書類を書いてくれませんか?』
母が連絡しても、綾美から返信がくることはなかった。まさか、ここまでとは。
諦めに似た感情を覚えた。
万策尽きた。
それでも、どうにかしてこの件を片付けたい。僕は車を購入したディーラーに連絡してみることにした。
「この車なんですが、最近、女性が持って来ませんでしたか?」
電話越しに担当者へ車の情報を伝えると、しばらく確認したあと答えた。
「はい。先日、車検の見積もりで来られました」
やはり、綾美だ。
「ただ、車検代が高いので、別のところで受けるとおっしゃっていました」
「どこへ車を持ち込んだか、分かりますか?」
担当者は少し間を置いてから答えた。
「その後、別の整備工場に持っていくとおっしゃっていました」
事情を説明すると、その整備工場について教えてくれた。
僕は教えてもらった整備工場を訪ねた。
案内されたのは、個人で営んでいるらしい、古びた整備工場だった。敷地の奥には、見覚えのある車が停まっている。
黒のセダン。久しぶりに見る自分の車だった。
社会人になって初めて、自分の力で買った車だ。思い入れは強かった。
以前よりもさらに傷やへこみが増え、まるで別の車のように見えた。
しばらく、その姿を黙って眺めていた。
整備士に事情を説明すると、車検証を確認した。
「この車、遼さんの名義になっていますけど……」
「はい。今は、元妻が使っているんです」
「そうなんですね」
整備士は車の状態を確認しながら、淡々と説明した。
「かなり傷んでいます。車検を通すとなると、修理費も結構かかります」
取り出された見積書を見ると、50万円と書かれていた。
「……50万」
思わず、その数字を読み上げた。
「はい。これだけ修理しないと、車検には通せないと思います」
僕はもう一度、外に停まっている車を見た。
「元奥様は、これだけかかるなら、廃車にしたいとおっしゃっていました。どうされますか?」
もう、直す必要はない。
この車も、終わらせよう。
「……廃車でお願いします」