恋愛結婚がしたいだけなのに。
親友みたいな恋人
遼と初めて会ったときから、どこか懐かしい感覚を覚えていた。顔や雰囲気が、大学時代に付き合っていた元彼に似ていたから、ということもあるのだろう。
しりとりで過ごした夜から半月後、新年が明けて再び遼と会うことになった。
地元の駅まで車で迎えに行く。
遼は白い息を纏い、身を縮めながら車に乗り込んできた。助手席に座ると、開口一番、くだらないことを言い出した。
「ここで暮らしてもいい?」
また、ぶっ込んできたな。
と面白く思いながら、
「家賃10万円払ってくれるならいいよ」
と返すと、遼は「高っ!」と吹き出した。
つられて私も笑った。
その日は、地元のおすすめの雑貨屋や、ちょっとした観光名所を案内した。
カフェで夕飯を済ませた後、遼を家に招いた。
出会って間もない男性を家に入れるなんて、無防備だと自覚していたものの、遼なら大丈夫だろうという妙な確信があった。
こぢんまりとした1Kの部屋で、用意しておいたスナック菓子を食べながら、2人で他愛もない話をして過ごした。
「俺、実家で猫飼ってるんだけど、名前当ててみて」
「金太郎」
「惜しい。正解は、もちもち太郎」
「絶対、嘘!」
「本当。もちもちしてるから」
渾身のボケだったのに、本物のほうがよっぽど奇抜な名前だった。
「朱音ちゃん、嫌いな食べ物ある?」
「牡蠣」
「うわっ、人生損してる。今度一緒に食べよう」
「断る」
「もったいな!」
「遼くんの嫌いな食べ物は?」
「俺、うなぎ」
「そっちのほうが損してるじゃん!」
遼と話していると、不思議な感覚に陥った。
まるで、昔から知っている親友と一緒にいるようだった。
しかし、その後も何度会っても、彼から交際を切り出されることはなかった。
遼の部屋でくつろいでいるとき、私は意を決した。
「もう遼くんと会う意味ないし、今日で会うの最後にする」
本心は違った。もっと会いたかった。
それでも、圭介との曖昧な関係を経験したことで、同じ過ちを繰り返したくなかった。
遼は一瞬、言葉を失ったように私の顔を見つめる。
「そんな悲しいこと言わないでよ」
短い沈黙のあと、静かに口を開いた。
「付き合おう」
「…うん、よろしく」
やっと、言ってくれた。心が躍った。
こうして、数年ぶりに恋人ができた。
心から恋愛感情を抱いた恋人ができるのは、大学生の頃以来だった。
私はその日のうちに、すっかり見慣れてしまったアイコンをタップすると、マッチングアプリを削除した。
もう二度と、このアプリをインストールすることはないだろう。そんな気がした。
そして、高揚感に突き動かされ、華奈子に彼氏ができたことを報告した。
数日後、彼女と会うと、自分のことのように祝福してくれた。
「朱音、おめでとう!どんな人なの?」
私は遼の年齢や仕事、出会ったきっかけなどを一通り話した。
喜んでくれると思っていたが、返ってきたのは予想外の反応だった。
「年下で顔も良くて仕事もできる人が独身で残ってるのおかしくない?」
「え、そう?」
「しかもTinderでしょ?既婚者なんじゃない?部屋に物がないなら、単身赴任か不倫用に借りてる部屋っていう可能性もあるし」
彼女の話を聞いているうちに、一理あると思えてきた。
確かに遼は、婚活市場に残っている男性には見えなかった。
それは私も、薄々感じていたことだった。
仕事もできるし、身長もそこそこ。
なにより冗談をよく言う。
今まで婚活市場で見てきた男性たちとは違って、遼といると自然と笑えた。
それに、あの日のことを思い出す。
私が「結婚前提でないと付き合えない」と伝えた瞬間、彼は明らかに動揺していた。
あの反応は、ただ純粋に驚いていただけなのだろうか。
交際が始まると、過酷な婚活の日々が嘘だったかのように毎日が楽しかった。
婚活をしていた頃は、何の成果も得られず、ただ時間とお金を浪費することが苦しかった。
マッチングアプリの面倒なやり取り。
好きでもない相手との食事。
お互いに結婚相手として相応しいか、商品を見定めるような会話。
やっといい人に出会えても、ヤリモクだったときの絶望。
そんな不毛な毎日だった。
でも、今は違う。
婚活に費やしていた時間もお金も、大好きな人のために使えている。
平日は仕事でなかなか会えなかったが、毎晩、寝る前に電話をした。
今日食べた物、仕事で腹が立ったこと、学生時代のこと、友人のこと、好きな映画や音楽のこと。話は尽きなかった。
金曜日になると、どちらかが相手の家に泊まりに行って、週末はそのまま一緒に過ごした。
そんな充実した毎日に夢中になり、華奈子が言っていたことなどすっかり忘れてしまっていた。
だが、充実した毎日を送る中で、自分の中にある疑念が芽生えた。
自分は遼のことが好きなのか、
それとも、遼と似ている元彼のことが好きなのか。
大学時代に半年交際し、別れを告げられてからも、面影は頭の片隅に残っていた。
婚活していたときは、無意識の内に男性たちと比べていた。
元彼のほうが顔が格好いい。
元彼のほうが面白い。
元彼だったらこう返す。
元彼と結婚していたら、今ごろ婚活なんてせずに済んだのに。
遼が好きだという気持ちに偽りはない。
だが、その想いが本当に遼自身へ向けられたものなのだろうか。
悶々とした思いを抱えたまま、遼を家に招いた。
「最近ハマってる自信作だから。遼くんはリビングで待ってて」
「えー、いいの?じゃ、お言葉に甘えて」
そう言って遼をリビングに残し、張り切ってキッチンへ向かった。あらかじめ買っておいた材料を一つずつ取り出す。サーモンの下処理から取りかかった。
1時間ほどかけて作り終えると、早速テーブルに料理を並べた。
「サーモンのパイ包みと、カボチャのポタージュ」
「こんなの、よく作れるね!」
焼きたてのパイ生地から、香ばしい匂いが立ち上っている。遼が一口食べた。
「うまー!!」
少年のように声を上げる遼が愛おしく思えた。
「頑張った甲斐があった!」
彼はどこか感慨深そうな表情を浮かべると、しばらく料理を見つめ呟いた。
「俺、こんなに幸せでいいのかな」
「…そんなに?(笑)」
期待以上にご満悦な様子を見て、思わず笑ってしまった。
そういえば、婚活をしていた頃の私は、自分が幸せになることばかりを考えていた。
誰の結婚すれば幸せになれるだろうかと。
遼に何かをしてあげることが楽しい。
遼が喜んでくれると、自分まで嬉しくなる。
そのとき、ようやく腑に落ちた。
私は遼のことが好きだ。
交際から3ヶ月ほど経った、ある週末の夜のことだ。いつものように、遼の部屋でふざけ合っていた。
「俺のほうが朱音ちゃんのこと好き」
「いやいや、私のほうが遼くんのこと好き」
「いや、自分」
「いや、自分」
「いや、自分」
あまりの馬鹿馬鹿しい会話に耐えきれず、爆笑してしまう。遼もつられて大笑いした。
しばらくして笑いが収まると、私はまた冗談を仕掛けた。
「そういえば、私に何か言ってないことあるでしょ?」
本当に何かを疑っていたわけではない。
ただ、遼を笑わせたかった。
いつもの彼なら「実は俺、〇〇なんだ」と突拍子もないことを返してくるだろう。
そんなふうに、面白おかしい反応を期待していたのに、私の予想に反して遼の表情は曇っていた。
「ごめん。明日、話したいことがある」
空気が一変した。
部屋が静まりかえる。
「……え?本当にあるの?」
「ずっと伝えないといけないと思ってた」
その声はあまりにも重かった。
本当にあるんかい、心の中でツッコミを入れながら、嫌な予感が頭をよぎる。
「え、何……?怖いから今言って」
「ごめん。明日話すから」
「そんなの気になって今日寝られないじゃん。今言って」
「……明日言う」
「無理!今聞きたい」
何度か押し問答が続いた。
そのとき、ふと華奈子の言葉を思い出した。
まさか、と思った。
「……結婚してる?」
「……いや」
「子どもがいる?」
「……いや」
「え、じゃあ、何?」
思考が大混乱していた。
短い沈黙の後、遼は腹を括ったように口を開いた。
「実は……結婚していたんだ」
一瞬、何を言われたのか分からず固まった。
「もう離婚はしている。でも……朱音と出会ったとき、俺はまだ籍が入っていた」
頭の中が真っ白になった。
1LDKの部屋が急に広くなった。
何も言葉が出てこない。
私はただ、黙ることしかできなかった。
しりとりで過ごした夜から半月後、新年が明けて再び遼と会うことになった。
地元の駅まで車で迎えに行く。
遼は白い息を纏い、身を縮めながら車に乗り込んできた。助手席に座ると、開口一番、くだらないことを言い出した。
「ここで暮らしてもいい?」
また、ぶっ込んできたな。
と面白く思いながら、
「家賃10万円払ってくれるならいいよ」
と返すと、遼は「高っ!」と吹き出した。
つられて私も笑った。
その日は、地元のおすすめの雑貨屋や、ちょっとした観光名所を案内した。
カフェで夕飯を済ませた後、遼を家に招いた。
出会って間もない男性を家に入れるなんて、無防備だと自覚していたものの、遼なら大丈夫だろうという妙な確信があった。
こぢんまりとした1Kの部屋で、用意しておいたスナック菓子を食べながら、2人で他愛もない話をして過ごした。
「俺、実家で猫飼ってるんだけど、名前当ててみて」
「金太郎」
「惜しい。正解は、もちもち太郎」
「絶対、嘘!」
「本当。もちもちしてるから」
渾身のボケだったのに、本物のほうがよっぽど奇抜な名前だった。
「朱音ちゃん、嫌いな食べ物ある?」
「牡蠣」
「うわっ、人生損してる。今度一緒に食べよう」
「断る」
「もったいな!」
「遼くんの嫌いな食べ物は?」
「俺、うなぎ」
「そっちのほうが損してるじゃん!」
遼と話していると、不思議な感覚に陥った。
まるで、昔から知っている親友と一緒にいるようだった。
しかし、その後も何度会っても、彼から交際を切り出されることはなかった。
遼の部屋でくつろいでいるとき、私は意を決した。
「もう遼くんと会う意味ないし、今日で会うの最後にする」
本心は違った。もっと会いたかった。
それでも、圭介との曖昧な関係を経験したことで、同じ過ちを繰り返したくなかった。
遼は一瞬、言葉を失ったように私の顔を見つめる。
「そんな悲しいこと言わないでよ」
短い沈黙のあと、静かに口を開いた。
「付き合おう」
「…うん、よろしく」
やっと、言ってくれた。心が躍った。
こうして、数年ぶりに恋人ができた。
心から恋愛感情を抱いた恋人ができるのは、大学生の頃以来だった。
私はその日のうちに、すっかり見慣れてしまったアイコンをタップすると、マッチングアプリを削除した。
もう二度と、このアプリをインストールすることはないだろう。そんな気がした。
そして、高揚感に突き動かされ、華奈子に彼氏ができたことを報告した。
数日後、彼女と会うと、自分のことのように祝福してくれた。
「朱音、おめでとう!どんな人なの?」
私は遼の年齢や仕事、出会ったきっかけなどを一通り話した。
喜んでくれると思っていたが、返ってきたのは予想外の反応だった。
「年下で顔も良くて仕事もできる人が独身で残ってるのおかしくない?」
「え、そう?」
「しかもTinderでしょ?既婚者なんじゃない?部屋に物がないなら、単身赴任か不倫用に借りてる部屋っていう可能性もあるし」
彼女の話を聞いているうちに、一理あると思えてきた。
確かに遼は、婚活市場に残っている男性には見えなかった。
それは私も、薄々感じていたことだった。
仕事もできるし、身長もそこそこ。
なにより冗談をよく言う。
今まで婚活市場で見てきた男性たちとは違って、遼といると自然と笑えた。
それに、あの日のことを思い出す。
私が「結婚前提でないと付き合えない」と伝えた瞬間、彼は明らかに動揺していた。
あの反応は、ただ純粋に驚いていただけなのだろうか。
交際が始まると、過酷な婚活の日々が嘘だったかのように毎日が楽しかった。
婚活をしていた頃は、何の成果も得られず、ただ時間とお金を浪費することが苦しかった。
マッチングアプリの面倒なやり取り。
好きでもない相手との食事。
お互いに結婚相手として相応しいか、商品を見定めるような会話。
やっといい人に出会えても、ヤリモクだったときの絶望。
そんな不毛な毎日だった。
でも、今は違う。
婚活に費やしていた時間もお金も、大好きな人のために使えている。
平日は仕事でなかなか会えなかったが、毎晩、寝る前に電話をした。
今日食べた物、仕事で腹が立ったこと、学生時代のこと、友人のこと、好きな映画や音楽のこと。話は尽きなかった。
金曜日になると、どちらかが相手の家に泊まりに行って、週末はそのまま一緒に過ごした。
そんな充実した毎日に夢中になり、華奈子が言っていたことなどすっかり忘れてしまっていた。
だが、充実した毎日を送る中で、自分の中にある疑念が芽生えた。
自分は遼のことが好きなのか、
それとも、遼と似ている元彼のことが好きなのか。
大学時代に半年交際し、別れを告げられてからも、面影は頭の片隅に残っていた。
婚活していたときは、無意識の内に男性たちと比べていた。
元彼のほうが顔が格好いい。
元彼のほうが面白い。
元彼だったらこう返す。
元彼と結婚していたら、今ごろ婚活なんてせずに済んだのに。
遼が好きだという気持ちに偽りはない。
だが、その想いが本当に遼自身へ向けられたものなのだろうか。
悶々とした思いを抱えたまま、遼を家に招いた。
「最近ハマってる自信作だから。遼くんはリビングで待ってて」
「えー、いいの?じゃ、お言葉に甘えて」
そう言って遼をリビングに残し、張り切ってキッチンへ向かった。あらかじめ買っておいた材料を一つずつ取り出す。サーモンの下処理から取りかかった。
1時間ほどかけて作り終えると、早速テーブルに料理を並べた。
「サーモンのパイ包みと、カボチャのポタージュ」
「こんなの、よく作れるね!」
焼きたてのパイ生地から、香ばしい匂いが立ち上っている。遼が一口食べた。
「うまー!!」
少年のように声を上げる遼が愛おしく思えた。
「頑張った甲斐があった!」
彼はどこか感慨深そうな表情を浮かべると、しばらく料理を見つめ呟いた。
「俺、こんなに幸せでいいのかな」
「…そんなに?(笑)」
期待以上にご満悦な様子を見て、思わず笑ってしまった。
そういえば、婚活をしていた頃の私は、自分が幸せになることばかりを考えていた。
誰の結婚すれば幸せになれるだろうかと。
遼に何かをしてあげることが楽しい。
遼が喜んでくれると、自分まで嬉しくなる。
そのとき、ようやく腑に落ちた。
私は遼のことが好きだ。
交際から3ヶ月ほど経った、ある週末の夜のことだ。いつものように、遼の部屋でふざけ合っていた。
「俺のほうが朱音ちゃんのこと好き」
「いやいや、私のほうが遼くんのこと好き」
「いや、自分」
「いや、自分」
「いや、自分」
あまりの馬鹿馬鹿しい会話に耐えきれず、爆笑してしまう。遼もつられて大笑いした。
しばらくして笑いが収まると、私はまた冗談を仕掛けた。
「そういえば、私に何か言ってないことあるでしょ?」
本当に何かを疑っていたわけではない。
ただ、遼を笑わせたかった。
いつもの彼なら「実は俺、〇〇なんだ」と突拍子もないことを返してくるだろう。
そんなふうに、面白おかしい反応を期待していたのに、私の予想に反して遼の表情は曇っていた。
「ごめん。明日、話したいことがある」
空気が一変した。
部屋が静まりかえる。
「……え?本当にあるの?」
「ずっと伝えないといけないと思ってた」
その声はあまりにも重かった。
本当にあるんかい、心の中でツッコミを入れながら、嫌な予感が頭をよぎる。
「え、何……?怖いから今言って」
「ごめん。明日話すから」
「そんなの気になって今日寝られないじゃん。今言って」
「……明日言う」
「無理!今聞きたい」
何度か押し問答が続いた。
そのとき、ふと華奈子の言葉を思い出した。
まさか、と思った。
「……結婚してる?」
「……いや」
「子どもがいる?」
「……いや」
「え、じゃあ、何?」
思考が大混乱していた。
短い沈黙の後、遼は腹を括ったように口を開いた。
「実は……結婚していたんだ」
一瞬、何を言われたのか分からず固まった。
「もう離婚はしている。でも……朱音と出会ったとき、俺はまだ籍が入っていた」
頭の中が真っ白になった。
1LDKの部屋が急に広くなった。
何も言葉が出てこない。
私はただ、黙ることしかできなかった。