恋愛結婚がしたいだけなのに。
疑惑の男
直哉と決別した後、華奈子からLINEが届いた。
『彼氏と別れた。辛すぎ』
メッセージを見た瞬間、どこかで安堵してしまった。
『そっか。残念だね。気晴らしに、美味しいものでも食べに行こうよ』
そう返信を送った。
彼女を心配に想う気持ちは本物だった。
だが、また華奈子と一緒に婚活ができる。
一緒に気軽に遊べる。
そう思ったとき、自分が彼女の別れを喜んでいるような気がして少しだけ嫌気が差した。
「いっっつも振られるんだけど!意味わかんない!」
行きつけのカフェで、数ヶ月ぶりのランチを食べながら華奈子が愚痴を吐いていた。
「やっぱ、最初からぐいぐいくる男は冷めるのも早いわ。また一から探すのだるい」
「どのくらい付き合ってたんだっけ?」
「3ヶ月」
「華奈子を振るなんて、見る目ないね」
「最後の方なんて、LINE1日一往復だよ。しかも別れ方もやばくて。向こうの音信不通で終わった。誠意なさすぎ」
「酷いね。別れる時くらい、ちゃんと話せばいいのに」
「本当だよ。結構好きになっちゃってたから辛い」
「今は辛いと思うけど、少し休んだら一緒にまた婚活パーティーにでも行こうよ」
私は先日近所のお菓子屋で購入しておいた、フィナンシェとクッキーが入った紙袋を取り出した。
「これ、お気に入りのお店で買ったお菓子。よかったら食べて」
「…ありがとう。ちょっと元気でた」
目を潤ませる華奈子を見ていると、少しは慰めになったようだ。
「朱音は最近どうなの?」
私は圭介と直哉のことを話した。
「それ、典型的なモラハラじゃん!」
「モラハラ?」
「検索してみなよ」
私はそのときまで「モラハラ」という言葉を知らなかった。
言われるままにスマホで検索すると、画面にはモラハラの特徴がいくつも並んでいた。
相手を怒鳴る。
自分の思い通りにならないと不機嫌になる。
相手に罪悪感を抱かせる。
自分の価値観を押しつける。
読み進めるほど胸がざわついた。
見事に当てはまっている。
彼は結婚願望があるのに、これからも自分がモラハラであることを自覚せずに生きていくのだろう。
きっとこの先、彼が幸せになることはない。
そう思うと直哉のことが少し不憫に思えた。
「やばいね、そいつ。離れてよかったよ」
「…そうだよね。でも、私もまた一から探すことになってしんどい」
「まぁ、また一緒に頑張ろ。てか、その圭介って男も離れた方がいいからね?」
「うん、分かってる」
頭では分かっているのに、圭介との関係を終わらせることが怖かった。
「朱音、今日は話聞いてくれてありがとね。また2人で頑張ろ」
「うん、また落ち着いたら一緒に婚活しよ。気晴らしにライブも行こう」
そうやって励まし合い、その日は終電間近で解散した。
「最近、Tinderで彼女探してる。無料だし」
部屋でくつろいでいるときに圭介が何気なく呟いた。聞いたことのないマッチングアプリだった。圭介と別れた後、私はTinderをインストールした。
アプリを開いてプロフィールを登録すると、30歳を超えていた自分に大量のいいねが届き驚いた。だが、彼らの自己紹介文をよく見てみると、
『既婚者です』
『一夜限りの関係希望です』
『エッチなマッサージします』
といった内容が堂々と並んでいた。
だから、年齢に関係なく死ぬほどいいねが来るのかと妙に納得した。
一瞬でも自分に需要があると浮かれたのが恥ずかしい。馬鹿らしくなり、その日のうちにTinderを削除した。
しかし、改めて考えてみると、自分の婚活は完全に詰んでいた。
他の婚活アプリでは、20代を求める男性たちに年齢だけで足切りされ、マッチングすらほとんど成立しない惨状だった。
圭介も恋人探しのために使っているのだから、中には真面目な人もいるかもしれない。
そう思い直して、再びTinderをインストールした。
アプリを地道に続けていると、9割は不真面目な男性だったが、中にはそうでない人もいた。実際に何人か会ってみると恋愛には発展しなかったが、話が弾む好印象な人が多かった。
いい人と出会う機会が増え、婚活で擦り減っていた心が少しずつ回復してきた頃、1人で参加した街コンがきっかけで友人になった千里から連絡がきた。
千里とは何度か一緒に婚活をした仲だったが、彼女は早々に恋人ができ婚活を卒業していた。結婚した友人と会うのは億劫だったが、いつも自分のことを応援してくれた彼女の誘いは断る気になれなかった。
数年ぶりに会う千里は、すっかり母の顔になっていた。
「産む前は全然子ども好きじゃなかったんだけどさ、産んだら可愛すぎてやばいよ」
「そうなんだ。私もそうなれるかな」
「なれる、なれる」
「今は子ども何歳だっけ?」
「10ヶ月でハイハイしてるんだけど、歩いて欲しくないって思うくらい、ハイハイが超可愛いんだよね」
子どもの話を楽しそうにする彼女を見ながら、自分との境遇の違いを痛いほど思い知らされる。彼女が手に入れたものを、私はまだ何一つ手にできていない。
「朱音は、婚活は順調?」
「ダメダメ。いい人は全然いないし、いいと思ってもヤリモクだったり」
その後、複雑な想いを抱えながら、圭介との関係を打ち明けた。話を聞き終えた千里は、少し困った顔をした。
「悪い縁を切らないと、良い縁がこないよ」
「でも、1人が寂しくて会ってしまうんだよね」
彼女は納得できない表情を浮かべると、静かに口を開いた。
「朱音はさ、自分のこと大切にしてるの?自分のことを大切にしない人は、相手からも大切にされないからね」
「……最近は、大切にしていないな」
そういえば、いつから私はこんなに自分を雑に扱うようになったのだろう。
「私も婚活してたとき、自暴自棄になって、曖昧な関係になった人がいたんだよね。でも、これじゃ前に進めないと思って全部切った」
千里はカフェラテを口にすると続けた。
「その後、割とすぐに今の旦那と出会えてさ。基本的にスピ系は信じないんだけど、これだけはマジだと思う」
自分を大切にすること。
悪い縁を切ると良い縁が入ってくること。
その話が妙に心に残った。
何かを手放さない限り、前には進めないのかもしれない。
千里と別れたその晩。
圭介との関係に、終止符を打った。
圭介からLINEや着信が届き続けたが、返信はしなかった。ブロックする選択肢もあったが、逆上されることを恐れあえてそのままにした。
そうして年末が近づく頃、自分からいいねを送り、マッチングしたのが遼と名乗る年下の男だった。
遼は「21時にバーで会おう」と提案してきた。時間も場所もいかにもヤリモクらしかったが、プロフィールも好みだったためノリで会うことにした。ただ、圭介で痛い目にあったので、一夜限りの関係を持つ気はさらさらなかった。
待ち合わせ時刻より少し早めに着くと、年の瀬で慌ただしい街をぼんやりと眺めていた。
自分は一体、何をしているのだろう。
子どもがいる友人たちは、クリスマスプレゼントで頭を悩ませている頃なのに、自分はこれからヤリモクに会おうとしている。
情けない。帰りたくなってきた。
あれこれ考えていると、写真通りの姿をした遼が現れた。胸の奥がざわついた。
人生で1番好きだった大学時代の元カレに顔立ちだけでなく、醸し出す雰囲気も似ていたからだ。
バーに入るとカウンター席に並び、恋愛遍歴や仕事の話をした。
「半導体の研究してるんだけど、面白くてさ。目に見えないくらい小さな世界なのに、それがスマホとか車とか、いろんなものを動かしてるんだよ」
そんな知的な一面も見えた。酒が進むにつれ、会話はどんどん下ネタへと傾いていく。
「可愛いね」
「いい匂いがする」
軽い男だと思ったが、フィーリングが合うと感じていた私はまんざらでもなかった。
さらに酔いが回ると、生々しい下ネタが容赦なく飛び出す。
「俺、Mかもしれない」
「舐められるの好きなんだよね」
そこには、どうしても今夜お持ち帰りしたいという下心が透けるどころか丸見えだった。
私は「へー、そうなんだ」と適当に受け流したが、心の中では「いくらヤリモクでも下ネタがエグすぎる」と面白く思う一方で少し引いた。
一通り飲み終えると、案の定、遼は切り出してきた。
「このあと、ホテル行かない?」
圭介で痛い目に遭った私は、身体の関係を持つ気などさらさらなかったが、もっと彼を知りたい欲が勝ってしまった。
「絶対やらないけど。それでもいいならいいよ」
「じゃ、俺の家行こう」
「いいけど、絶対に、絶対に、100パーセントやらないよ?本当にいいの?」
「いいよ」
そのつもりはないと何度も念を押しているが、この男は本当に理解しているのだろうか。不安を抱えながら、遼の家へ向かった。
家に着くとあまりの生活感のなさに驚いた。広々とした1LDKにはソファとローテーブル、ベッドしかなく、余計なものは何一つ見当たらない。殺風景でまるでモデルルームのような空間だった。これが俗に言うミニマリストなのだろうか。
部屋の様子を眺めながら、映画を観ようと誘われソファに並んで座った瞬間、彼は私を押し倒しキスをしてきた。その瞬間、脳裏に元カレの姿が浮かんだ。キスの仕方まで信じられないほどそっくりだった。
「絶対にやらないって言ったよね?」
「えー」
私が強めの口調で言うと、不満そうな声を漏らした。
「結婚前提で付き合わない限り、絶対にやらない」
きっぱり言い切ると、遼の表情が一変する。
「け、け、け、け、結婚?!」
彼は明らかに動揺していた。あまりの驚きように違和感を覚えたほどだ。
お互い、いい年齢なのに、結婚前提で付き合うことがそこまで意外なのだろうか。
結局、その日は鉄壁のガードにより、朝までしりとりをして過ごした。
下ネタは相変わらず酷かったが、会話をしていると、頭の回転の速さやふとした瞬間に見せる知的な一面に心を奪われた。
後日、彼が私の部屋に遊びに来ることになったとき、私は車を出して地元のスポットを案内したり、家ではお菓子を用意したりと張り切ってもてなした。
しかし、そんな気遣いとは裏腹に、遼はまたしても距離を詰めてきた。
「やらないって言ったよね?」
キレ気味に睨みつけると、遼は困ったように笑った。
「可愛いから」
「そういう問題じゃない。付き合ってない人とはしないって何回も言ってるじゃん」
そうして何度か会ううちに、この曖昧な関係に区切りをつける決意をした。
「もう会う意味ないし、遼くんと会うのは今日で最後にする」
意を決して告げると、彼は少し寂しげな表情を浮かべる。
「……そんな悲しいこと言わないで。付き合おう」
待ち望んでいた一言を聞いて、胸が高鳴った。
「うん、よろしく」
こうして、数年ぶりに自分に恋人ができた。
恋愛感情をしっかり抱いた恋人ができたのは大学生の頃以来かもしれない。
高揚感に突き動かされ、その日のうちに華奈子に彼氏ができたことを報告した。
数日後、彼女と会うと自分のことのように祝福してくれた。
「朱音、おめでとう!どんな人なの?」
私は遼の年齢や仕事、出会ったきっかけなどを一通り話した。喜んでくれると思っていたが、返ってきたのは予想外の反応だった。
「年下で顔も良くて仕事もできる人が独身で残ってるのおかしくない?」
「え、そう?」
「しかもTinderでしょ?既婚者なんじゃない?部屋に物がないなら、単身赴任か不倫用に借りてる部屋っていう可能性もあるし」
彼女の話を聞いているうちに、一理あると思えてきた。確かに遼は婚活市場に残っている男には見えなかった。それは自分も薄々感じていたことだ。
仕事もできるし、身長もそこそこ。
なにより冗談をよく言い、今まで婚活市場で見てきた男たちと違ってユーモアがある。
それに、あの日のことを思い出す。
私が「結婚前提でないと付き合えない」と伝えた瞬間、遼は明らかに動揺していた。
あの反応はただ純粋に驚いていただけなのだろうか。
華奈子の言葉がいつまでも頭から離れなかった。