さよならを繰り返す100回目の放課後
第三章:ふたりの時計が重なる時
放課後の誰もいない教室。
夕暮れ色の光が、窓枠の影を黒く長く床に落としていた。
キーンコーンカーンコーン……。
遠くで鳴り渡るチャイムの余韻が消えても、わたしと律の間に横たわる静寂は破られなかった。
机の上に置かれた、わたしの真鍮の懐中時計。
夕日を受けて鈍い金色に輝くそれを、律はじっと見つめていた。その茶色い瞳が揺れ、息を呑むかすかな音が聞こえる。
「……101回、か」
ぽつりと、律の口から漏れた声は、ひどくかすれていた。
彼はゆっくりと自分のスクールバッグに手を伸ばすと、その奥から「それ」を取り出した。
カチャリ。
わたしの時計のとなりに並べられたのは——全く同じデザインをした、古びた真鍮の懐中時計。
表面についた小さなかすり傷の位置まで、まるで双子のように瓜二つだった。
(やっぱり……!)
言葉を失うわたしに向かって、律は自虐的な、けれど愛おしさに満ちた苦笑いを向けた。
「参ったな。……隠し通せると思ってたのに」
「律……」
「お前の言う通りだよ、紬。俺も……タイムリープしてた。今日が何回目かなんて、もうとっくに数えるのをやめちまったけどな」
律は力なく肩を落とし、教卓に背中を預けるようにして身体をあずけた。
夕日に照らされた彼の顔には、隠しきれない深い疲労と、何十回、何百回と大切な人の死を目の当たりにしてきた者だけが持つ、痛々しいほどの孤独が刻まれていた。
「なんで……? なんで教えてくれなかったの?」
声が震えた。溢れ出そうになる涙を、わたしは必死で拳を握りしめて耐えた。
「二人でずっと、同じ『今日』を繰り返してたんだよ!? わたしが律を救おうとして、律がわたしを救おうとして……なんで黙ってたのよ……っ!」
「言えるわけねえだろ!」
律が叫んだ。
その声の激しさに、わたしはハッと息を呑む。
律は乱暴に自分の黒髪をかきむしると、絞り出すような低く切ない声で続けた。
「言えるわけないだろ……! 『俺のせいで、お前が何度も死んでる』なんて……そんなこと言ったら、お前、絶対に自分を責めるだろ!? 全部自分のせいだって抱え込んで、もっと無茶するに決まってるだろ!!」
「律……」
「俺はただ……お前を生かしたかったんだよ。お前が笑って『明日』に行けるなら、俺がどうなったってよかった。なのに……お前まで時間を戻してただなんて……そんなの、あんまりだろ……っ」
律の目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
いつも生意気で、強がりで、どんなときもわたしを守ろうとしてくれた律が、目の前でボロボロと涙を流している。
(違う……違うよ、律……)
胸が押し潰されそうだった。
お互いがお互いを想うあまり、一人で絶望を背負い込み、すれ違い続けていたのだ。
わたしの「1回目」の記憶は、駅前の交差点で律がトラックにはねられたことだった。
でも、違っていたのだ。
「ねえ、律……教えて」
わたしは一歩、彼へと歩み寄った。
「一番最初の……本当の『1回目』に、何があったの?」
律は涙を拭い、遠い目をして窓の外の茜空を見つめた。
「最初の1回目……10月15日。転校してきて二ヶ月、俺は誰も信じられなくて、ずっと一人だった。でも、お前だけが毎日毎日、しつこいくらいに話しかけてきてくれた。お前と過ごす放課後が、俺の生きがいになってた」
律の唇が、かすかに震える。
「あの日……俺達は普通に一緒に下校してたんだ。駅前の交差点で、信号待ちをしてた。……そこに、居眠り運転の暴走トラックが突っ込んできた」
(え……?)
「俺は凍りついて動けなかった。死ぬって思った。……でも、その瞬間、お前が俺を突き飛ばしたんだ」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
「お前は俺を庇って……トラックに撥ねられた。目の前で、血だらけになって……! 俺の手を握りながら『律、無事でよかった』って笑って……そのまま息を引き取ったんだよ!!」
「……っ!!」
息が止まった。
頭の中に、失われていたはずの「本当の1回目」の光景が、鮮烈なフラッシュバックとなって甦る。
そうだ。
わたしは、トラックのライトに照らされながら、恐怖よりも「律を助けなきゃ」という一心で彼の背中を押したのだ。
そして、冷たいアスファルトの上で、握りしめた骨董品の時計に強く祈った。
『お願い……律を救って……! 律のいる未来へ行かせて……!』
「俺は発狂しそうだった」
律の声が、静かに教室に響く。
「お前が死んだのは俺のせいだ。俺がトロかったから、お前が命を落としたんだって。病院の待合室で、お前の遺品になったその時計を抱きしめて、死ぬほど祈った。『頼むから、紬を返してくれ』『俺の命なんてどうなってもいいから、紬のいる今日に戻してくれ』って……!」
そしたら、気がついた時には、この教室の四時三十分に戻っていた。
「俺は歓喜したよ。紬が生きている、笑っているって。今度こそ俺が命がけでお前を守るって誓った。……だけど、奇跡は俺だけに起きたんじゃなかったんだ」
律は机の上の二つの時計を指差した。
「お前も、死の間際に強く祈っていたんだろ。『俺を救いたい』って。だから、二つの時計が共鳴して、俺とお前の二人同時にタイムリープが発動しちゃったんだ」
(だから……そうだったんだ……!)
パズルのピースが、すべて嵌まった。
わたしが「律が死ぬ未来」を変えようと動き、律が「わたしが死ぬ未来」を変えようと動く。
しかし、二人ともタイムリープしている自覚がお互いにないため、行動が複雑に交差し、「本来の事故」とは別の新たな歪みが生じていたのだ。
高台の風車公園へ逃げれば、二人を殺そうとする運命が資材の崩落を引き起こした。
図書室に閉じこもれば、老朽化した建物を無理やり崩壊させて二人を飲み込もうとした。
二人で同時に時間を戻しているからこそ、運命の修正力は二倍になって襲いかかり、どちらか片方、あるいは二人まとめて命を奪おうと暴走していたのだ。
「……何回やり直してもダメだった」
律は弱々しく首を振った。
「俺が庇えば俺が死に、お前が庇えばお前が死ぬ。二人で逃げようとすれば、二人まとめて殺されそうになる。……今日で102回目。俺はもう、どうすればお前を救えるのか、分からなくなってたんだ」
「律……」
わたしの目から、温かい涙が溢れ出た。
102回。
どれだけの絶望だっただろう。
大好きな人が自分の身代わりになって死んでいく姿を、100回以上も見続けさせられてきたのだ。
律がどれほど苦しく、孤独で、打ちのめされていたか。その痛みが自分のことのように伝わってきて、胸が引きちぎれるほど痛かった。
わたしは迷わず足を踏み出し、教卓の前に立ちつくす律の身体を、ぎゅっと強く抱きしめた。
「うわっ……つ、紬……!?」
律が驚いて体を硬くする。けれど、わたしは彼を離さなかった。彼の制服に顔を押し付け、涙で濡らしながら、全身の力で抱きしめた。
「ごめんね……ごめんね、律……! 一人で苦しませて、ごめんなさい……っ!」
「紬……お前……」
「もう、自分を責めないで! 律のせいなんかじゃないよ! 律がわたしを想ってくれたから、わたしは何度も生き返ることができたんだよ! 悲しかったけど、苦しかったけど……律にまた会えるのは、すごく嬉しかったんだよ!!」
律の胸元で、声を上げて泣いた。
一人じゃなかった。
わたし達は、お互いを救うためにずっと戦っていたんだ。
世界中の誰も味方がいなくても、この二人だけは、お互いのために命をかけるほど愛し合っていたのだ。
律の長い腕が、ゆっくりとわたしの背中に回された。
折れてしまいそうなほど強い力で、わたしを抱き返してくれる。彼の温かい体温と、鼓動がダイレクトに伝わってきた。
「紬……俺、お前がいなきゃ嫌だ……。お前のいない明日なんて、行きたくないんだよ……っ」
「うん……! わたしも、律がいない未来なんて要らない!」
わたしは顔を上げ、律の濡れた瞳をまっすぐに見つめた。
「ねえ、律。二人で知ったなら……二人で手を取り合えたなら、絶対に変えられるよ」
「え……?」
「今までは、お互いに内緒で一人で戦ってたから駄目だったの。でも、今は違う。律がどう動くか、わたしがどう動くか、全部二人で話し合える!」
わたしは机の上の二つの真鍮の時計を拾い上げ、一つを律の手の中に握らせ、もう一つを自分の手に握りしめた。
「102回目の今日で、この悪夢を終わりにしよう。二人で一緒に、明日に帰るの!」
律は目を見開き、それからゆっくりと、力強く頷いた。
「……ああ。二人で……絶対に生き残る!」
時計の針は、午後四時四十分を指していた。
運命の午後五時まで、あと二十分。
ふたりの時計が重なった今、本当の逆転劇が始まろうとしていた。
夕暮れ色の光が、窓枠の影を黒く長く床に落としていた。
キーンコーンカーンコーン……。
遠くで鳴り渡るチャイムの余韻が消えても、わたしと律の間に横たわる静寂は破られなかった。
机の上に置かれた、わたしの真鍮の懐中時計。
夕日を受けて鈍い金色に輝くそれを、律はじっと見つめていた。その茶色い瞳が揺れ、息を呑むかすかな音が聞こえる。
「……101回、か」
ぽつりと、律の口から漏れた声は、ひどくかすれていた。
彼はゆっくりと自分のスクールバッグに手を伸ばすと、その奥から「それ」を取り出した。
カチャリ。
わたしの時計のとなりに並べられたのは——全く同じデザインをした、古びた真鍮の懐中時計。
表面についた小さなかすり傷の位置まで、まるで双子のように瓜二つだった。
(やっぱり……!)
言葉を失うわたしに向かって、律は自虐的な、けれど愛おしさに満ちた苦笑いを向けた。
「参ったな。……隠し通せると思ってたのに」
「律……」
「お前の言う通りだよ、紬。俺も……タイムリープしてた。今日が何回目かなんて、もうとっくに数えるのをやめちまったけどな」
律は力なく肩を落とし、教卓に背中を預けるようにして身体をあずけた。
夕日に照らされた彼の顔には、隠しきれない深い疲労と、何十回、何百回と大切な人の死を目の当たりにしてきた者だけが持つ、痛々しいほどの孤独が刻まれていた。
「なんで……? なんで教えてくれなかったの?」
声が震えた。溢れ出そうになる涙を、わたしは必死で拳を握りしめて耐えた。
「二人でずっと、同じ『今日』を繰り返してたんだよ!? わたしが律を救おうとして、律がわたしを救おうとして……なんで黙ってたのよ……っ!」
「言えるわけねえだろ!」
律が叫んだ。
その声の激しさに、わたしはハッと息を呑む。
律は乱暴に自分の黒髪をかきむしると、絞り出すような低く切ない声で続けた。
「言えるわけないだろ……! 『俺のせいで、お前が何度も死んでる』なんて……そんなこと言ったら、お前、絶対に自分を責めるだろ!? 全部自分のせいだって抱え込んで、もっと無茶するに決まってるだろ!!」
「律……」
「俺はただ……お前を生かしたかったんだよ。お前が笑って『明日』に行けるなら、俺がどうなったってよかった。なのに……お前まで時間を戻してただなんて……そんなの、あんまりだろ……っ」
律の目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
いつも生意気で、強がりで、どんなときもわたしを守ろうとしてくれた律が、目の前でボロボロと涙を流している。
(違う……違うよ、律……)
胸が押し潰されそうだった。
お互いがお互いを想うあまり、一人で絶望を背負い込み、すれ違い続けていたのだ。
わたしの「1回目」の記憶は、駅前の交差点で律がトラックにはねられたことだった。
でも、違っていたのだ。
「ねえ、律……教えて」
わたしは一歩、彼へと歩み寄った。
「一番最初の……本当の『1回目』に、何があったの?」
律は涙を拭い、遠い目をして窓の外の茜空を見つめた。
「最初の1回目……10月15日。転校してきて二ヶ月、俺は誰も信じられなくて、ずっと一人だった。でも、お前だけが毎日毎日、しつこいくらいに話しかけてきてくれた。お前と過ごす放課後が、俺の生きがいになってた」
律の唇が、かすかに震える。
「あの日……俺達は普通に一緒に下校してたんだ。駅前の交差点で、信号待ちをしてた。……そこに、居眠り運転の暴走トラックが突っ込んできた」
(え……?)
「俺は凍りついて動けなかった。死ぬって思った。……でも、その瞬間、お前が俺を突き飛ばしたんだ」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
「お前は俺を庇って……トラックに撥ねられた。目の前で、血だらけになって……! 俺の手を握りながら『律、無事でよかった』って笑って……そのまま息を引き取ったんだよ!!」
「……っ!!」
息が止まった。
頭の中に、失われていたはずの「本当の1回目」の光景が、鮮烈なフラッシュバックとなって甦る。
そうだ。
わたしは、トラックのライトに照らされながら、恐怖よりも「律を助けなきゃ」という一心で彼の背中を押したのだ。
そして、冷たいアスファルトの上で、握りしめた骨董品の時計に強く祈った。
『お願い……律を救って……! 律のいる未来へ行かせて……!』
「俺は発狂しそうだった」
律の声が、静かに教室に響く。
「お前が死んだのは俺のせいだ。俺がトロかったから、お前が命を落としたんだって。病院の待合室で、お前の遺品になったその時計を抱きしめて、死ぬほど祈った。『頼むから、紬を返してくれ』『俺の命なんてどうなってもいいから、紬のいる今日に戻してくれ』って……!」
そしたら、気がついた時には、この教室の四時三十分に戻っていた。
「俺は歓喜したよ。紬が生きている、笑っているって。今度こそ俺が命がけでお前を守るって誓った。……だけど、奇跡は俺だけに起きたんじゃなかったんだ」
律は机の上の二つの時計を指差した。
「お前も、死の間際に強く祈っていたんだろ。『俺を救いたい』って。だから、二つの時計が共鳴して、俺とお前の二人同時にタイムリープが発動しちゃったんだ」
(だから……そうだったんだ……!)
パズルのピースが、すべて嵌まった。
わたしが「律が死ぬ未来」を変えようと動き、律が「わたしが死ぬ未来」を変えようと動く。
しかし、二人ともタイムリープしている自覚がお互いにないため、行動が複雑に交差し、「本来の事故」とは別の新たな歪みが生じていたのだ。
高台の風車公園へ逃げれば、二人を殺そうとする運命が資材の崩落を引き起こした。
図書室に閉じこもれば、老朽化した建物を無理やり崩壊させて二人を飲み込もうとした。
二人で同時に時間を戻しているからこそ、運命の修正力は二倍になって襲いかかり、どちらか片方、あるいは二人まとめて命を奪おうと暴走していたのだ。
「……何回やり直してもダメだった」
律は弱々しく首を振った。
「俺が庇えば俺が死に、お前が庇えばお前が死ぬ。二人で逃げようとすれば、二人まとめて殺されそうになる。……今日で102回目。俺はもう、どうすればお前を救えるのか、分からなくなってたんだ」
「律……」
わたしの目から、温かい涙が溢れ出た。
102回。
どれだけの絶望だっただろう。
大好きな人が自分の身代わりになって死んでいく姿を、100回以上も見続けさせられてきたのだ。
律がどれほど苦しく、孤独で、打ちのめされていたか。その痛みが自分のことのように伝わってきて、胸が引きちぎれるほど痛かった。
わたしは迷わず足を踏み出し、教卓の前に立ちつくす律の身体を、ぎゅっと強く抱きしめた。
「うわっ……つ、紬……!?」
律が驚いて体を硬くする。けれど、わたしは彼を離さなかった。彼の制服に顔を押し付け、涙で濡らしながら、全身の力で抱きしめた。
「ごめんね……ごめんね、律……! 一人で苦しませて、ごめんなさい……っ!」
「紬……お前……」
「もう、自分を責めないで! 律のせいなんかじゃないよ! 律がわたしを想ってくれたから、わたしは何度も生き返ることができたんだよ! 悲しかったけど、苦しかったけど……律にまた会えるのは、すごく嬉しかったんだよ!!」
律の胸元で、声を上げて泣いた。
一人じゃなかった。
わたし達は、お互いを救うためにずっと戦っていたんだ。
世界中の誰も味方がいなくても、この二人だけは、お互いのために命をかけるほど愛し合っていたのだ。
律の長い腕が、ゆっくりとわたしの背中に回された。
折れてしまいそうなほど強い力で、わたしを抱き返してくれる。彼の温かい体温と、鼓動がダイレクトに伝わってきた。
「紬……俺、お前がいなきゃ嫌だ……。お前のいない明日なんて、行きたくないんだよ……っ」
「うん……! わたしも、律がいない未来なんて要らない!」
わたしは顔を上げ、律の濡れた瞳をまっすぐに見つめた。
「ねえ、律。二人で知ったなら……二人で手を取り合えたなら、絶対に変えられるよ」
「え……?」
「今までは、お互いに内緒で一人で戦ってたから駄目だったの。でも、今は違う。律がどう動くか、わたしがどう動くか、全部二人で話し合える!」
わたしは机の上の二つの真鍮の時計を拾い上げ、一つを律の手の中に握らせ、もう一つを自分の手に握りしめた。
「102回目の今日で、この悪夢を終わりにしよう。二人で一緒に、明日に帰るの!」
律は目を見開き、それからゆっくりと、力強く頷いた。
「……ああ。二人で……絶対に生き残る!」
時計の針は、午後四時四十分を指していた。
運命の午後五時まで、あと二十分。
ふたりの時計が重なった今、本当の逆転劇が始まろうとしていた。