秘密の放課後♡ナゾトキ・ライバルとお菓子の暗号
紫色の怪しい光が揺れる廊下を、私はタキシード姿の桐谷の手を握りしめたまま駆け抜けた。
ドレスの裾を揺らしながら階段を駆け上がると、目の前に『理科準備室』の重厚な扉が現れる。
すでに数組のペアが扉の前でたむろし、「温めても溶けない、冷やすと燃えるスイーツってなんだよ!?」「アイスクリーム……? でも冷やすと燃えるなんておかしいし……」と頭を抱えていた。
「冴島、人混みを突っ切るぞ」
「うん!」
桐谷が私の手をとってリードし、困惑するペアたちの隙間を縫って理科準備室の中へと滑り込んだ。
室内はフラスコやビーカーが乱立し、中央の実験台の上には、怪しげな黒いカボチャ(ジャック・オー・ランタン)がひとつ置かれていた。
カボチャの口からは、うっすらと甘い香りのする白い煙が立ち上っている。
その横に置かれていたのは、銀色のトレーに乗った『白くてふわふわした謎の固形物』と、一枚の挑戦状だった。
『よくぞ辿り着いた、仮面の探求者たちよ。
目の前にあるのは、魔女が創り出しし特製スイーツ。
このスイーツは、温かいオーブンに入れても決して溶けず、逆に極低温の液体窒素で冷やすと炎を上げて燃え上がるという。
このスイーツの正体と、それが可能になる“科学的理由”を解き明かし、カボチャの底にある4桁のダイヤル鍵を解除せよ』
「温めても溶けないのに、冷やすと燃える……?」
桐谷が漆黒の仮面越しにシャープな瞳を光らせ、実験台の上の白い固形物を観察した。
「化学的に考えれば、タンパク質の熱変性と、極低温下での急激な酸化反応……あるいは、親水性と疎水性のバランスを利用したコロイド状態か?」
「さすが桐谷、視点がすごく科学的ね! でも、お菓子の世界ではもっとシンプルな、そしてとってもドラマチックな名前がついているのよ!」
私は指を立てて、自信満々に微笑んだ。
「このスイーツの正体は――『ベイクド・アラスカ(Baked Alaska)』よ!」
「ベイクド・アラスカ……?」
桐谷が少し目を見開いた。
「そう! ベイクド・アラスカは、スポンジケーキの上にアイスクリームを乗せ、その全体を『分厚いメレンゲ(泡立てた卵白)』で隙間なく完全に包み込んでから、高熱のオーブンで表面だけをサッと焼き上げる極上のお菓子なの!」
「なるほど……!」
桐谷の頭脳が即座に回転を始める。
「メレンゲは大量の空気の泡を含んでいる。空気は極めて熱伝導率が低い断熱材だ。だから、外側を200度以上のオーブンで焼いても、内部の熱伝導が遮断され、中のアイスクリームは一切溶けない……!」
「大正解! これが『温めても溶けない』の種明かし!」
私は続けて、カボチャの口から出る煙を見つめながら後半の解説を展開した。
「そして後半の『冷やすと燃える』という仕掛け! これは、メレンゲの表面に高濃度のアルコール(ラム酒やブランデー)を含ませておき、液体窒素などの極低温で急激に冷やすことで、アルコール成分が凝縮・分離して蒸気化しやすくなるの。そこに一筋の火種を近づけると、青い炎を上げて一気に燃え上がる『フランベ(Flambé)』という現象が起きるわ!」
「空気の断熱性と、アルコールの気化熱およびフランベ現象か……!」
桐谷が感心したように深くうなずいた。
「製菓技術と物理・化学の見事な融合だな。……で、その暗号の4桁の数字はどこに隠されているんだ?」
「ふふん、ベイクド・アラスカという名前が最大のヒントよ!」
私はカボチャの底にあるダイヤル鍵に手を伸ばした。
「このお菓子が『ベイクド・アラスカ』と名付けられたのは、アメリカがロシアからアラスカを購入したことを記念して創られたからなの。その西暦は――1867年!」
「なるほど……! アラスカ購入の年号か!」
桐谷が私の手の上に自分の手を重ね、一緒にダイヤルを回す。
「1……8……6……7……!」
カチャリッ!!
重厚なロックが解除され、黒いカボチャの頭部がパカッと開いた。
中から飛び出してきたのは、輝く真鍮製の『第二の部屋の鍵』と、次の暗号が書かれた羊皮紙だった!
「やったぁぁぁ! 解けたよ桐谷!」
「さすがだな冴島。お前のお菓子知識は、相変わらず完璧な武器だ」
桐谷が仮面越しに優しく目を細め、私の頭をポンポンと撫でた。
その温かい手の感触に、ドレス姿の私の心臓がまた跳ね上がる。
周りのペアたちが「えっ、もう解いたの!?」「ベイクドなんとかって言ってたぞ!?」と騒ぎ出す中、私たちは手を取り合って理科準備室を飛び出した。
【 18 : 10 】
「次はどこだ?」
廊下を走りながら、桐谷が羊皮紙を広げた。
そこに書かれていたのは、暗闇の中で妖しく光る紫色の絵文字と、次なるメッセージだった。
『第二の試練:開かずの旧音楽室と、甘い音符のシンフォニー。
鍵を使って旧音楽室へ入れ。
そこには、5つのグラスに注がれた“色の変わる不思議なハーブティー”が置かれている。
正しい音階(ド・レ・ミ・ファ・ソ)の順にグラスを並べ替え、正しい順番で飲まなければ、部屋の扉は永遠に開かない。
味覚と聴覚を研ぎ澄ませ』
「色の変わるハーブティー……音階……? お菓子や飲み物で音を奏でるってこと?」
私たちは旧校舎の奥深く、普段は使われていない『旧音楽室』の前に到着した。
古びた木製の扉の鍵穴に手に入れた真鍮の鍵を差し込み、回すと――ギィィと重い音を立てて扉が開いた。
部屋の中には、中央のグランドピアノの上に、5つのガラス製ワイングラスが並べられていた。
グラスの中にはそれぞれ、神秘的な青紫色の液体が入っている。
カチャン!!
私たちが部屋に入った瞬間、背後の扉が勝手に閉まり、重いボルトが下りる音が響いた。
「閉じ込められた……! 完全な密室だな」
桐谷が冷静に扉の取っ手を引っ張るが、びくともしない。
「でも大丈夫。この5つのグラスの謎を解けば、扉のロックが解除されるはずよ!」
私はグランドピアノへ歩み寄った。
5つのグラスの横には、レモン汁が入った小さなピッチャーと、竹串が置かれている。
「グラスに入っている青紫色のハーブティー……これはフェスの時にも出てきた『バタフライピー(チョウマメ)』ね!」
「ああ。酸性のレモン汁を加えると、アントシアニン色素が反応して青からピンク色(赤)へ変化するお茶だな」
「そう! でも、今回の問題は『音階』よ。グラスに入っている液体の量が、全部微妙に違っているの!」
私は竹串を取り、グラスの縁をかるくコンコンと叩いてみた。
コーン……カン……ピン……。
グラスから、高低差のある涼やかなガラス音が響く。
「分かったわ! グラスに入れる液体の量を変えることで、叩いた時の固有振動数が変わり、音の高さ(音階)が変わる『ウォーター・グラス・ハーモニカ』の原理よ!」
「なるほど」
桐谷が納得したように頷き、ピアノの鍵盤の前に座った。
タキシード姿の彼がグランドピアノの前に座る姿は、まるで本物の貴族の演奏家みたいで、息を呑むほど美しい。
桐谷が指先でピアノの鍵盤を軽く叩く。
ポーン……(ド)
ポーン……(レ)
ポーン……(ミ)
ポーン……(ファ)
ポーン……(ソ)
「よし、ドレミファソの基準音は頭に入った」
桐谷は立ち上がると、私の隣に並び、グラスを順に叩いて音を聞き分け始めた。
「これが『ソ』……これが『ド』……一番液体の量が多いこのグラスが『レ』だな」
「すごーい! 桐谷、絶対音感でもあるの!?」
「昔、ピアノを少し習わされていたからな。……よし、音階通りの順番にグラスを並べ替えたぞ」
グラスが左から【ド・レ・ミ・ファ・ソ】の順に綺麗に並べられた。
しかし――部屋の扉は開かない。
「あれ……? 順番通りに並べたのに、扉が開かないよ?」
私が首を傾げると、グラスの台座に刻まれた小さな英文字が目に入った。
『並べるだけでは足りない。
レモン汁を加えて“ピンク色に変化させた音”だけを飲み干せ。
ただし、間違った音のグラスを飲めば、激辛の唐辛子エキスが口いっぱいに広がるだろう』
「ええっ!? 激辛トラップ!?」
私は青ざめた。5つのグラスのうち、どのグラスにレモン汁を入れればいいのか?
「落ち着け、冴島。羊皮紙の裏に、何か書かれていないか?」
桐谷が羊皮紙を裏返した。
そこには、楽譜のような5線譜の上に、不思議な暗号詩が記されていた。
『甘き音符は、ビターチョコレートのカカオ含有量(%)を示す。
カカオ70%以上の“大人な音”だけが、真実の扉を開く酸味を受け入れる』
「カカオ含有量……!?」
私は頭を抱えそうになったが、すぐにハッと気づいた。
「音階の『ド・レ・ミ・ファ・ソ』を、イタリア音名(C, D, E, F, G)や、音名に対応する数理に変換するんじゃないわ! チョコレートの歴史と、カカオの音符表現……!」
私の脳内で、音楽とお菓子のデータベースが落雷のように閃いた!
「桐谷! 音楽の音符の長さには、全音符、2分音符、4分音符、8分音符、16分音符があるでしょ!?」
「ああ。それぞれ分数が対応しているな」
「そう! そして、チョコレートの業界で『ハイカカオ・ビターチョコ』と呼ばれる基準は、カカオ分70%以上! 5つのグラスの音階に対応する音符の長さを、パーセンテージに換算するのよ!」
私は指を折って素早く計算した。
「全音符(100%)=『ド』!
2分音符(50%)=『レ』!
4分音符(25%)=『ミ』!
8分音符(12.5%)=『ファ』!
そして……全音符に点がついた『付加音符』や、特別な組み合わせ!」
桐谷が私の思考を追いかけ、即座に修正と補正を加える。
「待て、冴島! ドレミファソの周波数比率は、ピタゴラス音律において【1 : 9/8 : 5/4 : 4/3 : 3/2】だ! これをパーセンテージに換算して、70%を超える音を探すんだ!」
「えっ……周波数比率!? 物理の計算!?」
「俺に任せろ!」
桐谷はポケットからペンを取り出し、手の甲に爆速で数式を書き走らせた。
「『ド』は基準の100%……70%以上クリア!
『ミ』は5/4(125%)……70%以上クリア!
『ソ』は3/2(150%)……70%以上クリア!
つまり、70%を超えるカカオ分を持つ“大人な音”は――『ド』『ミ』『ソ』の3つ(Cメジャー・コード)だ!!」
「なるほどーーーっ!! 和音(コード)になってたんだ!!」
私は興奮のあまり飛び上がった。
「桐谷、すごすぎるよ!!」
「お前の『ハイカカオの基準』という着眼点があったからだ! 急ぐぞ!」
私はピッチャーを取り、『ド』『ミ』『ソ』の3つのグラスにレモン汁を数滴ずつ垂らした。
シュワァァ……。
青紫色だったハーブティーが、一瞬で色鮮やかな「華やかなピンク色」へと美しく変化した!
「よし! この3つを飲み干すぞ!」
「ああ!」
私と桐谷はグラスを手に取り、見つめ合った。
仮面越しに重ね合わせた視線。
「乾杯、私の最高のパートナー」
「ああ、乾杯だ」
ふたりで息を合わせて、甘酸っぱいレモンハーブティーを喉へと流し込んだ。
爽やかな甘みとキュンとする酸味が口いっぱいに広がる。
ガチャコンッ!!
旧音楽室の重い扉のボルトが自動で跳ね上がり、パッと眩しい光が外から差し込んできた!
「試練クリアーーーっ!!」
私たちは手を取り合って歓声を上げた。
だが、安堵したのも束の間。廊下のスピーカーから、仮面をつけた生徒会長の怪しげな声が校内中に響き渡った。
『素晴らしい! 桐谷&冴島ペア、第二の試練を突破!
だが、残された時間はあとわずか。最後の舞踏会会場――地下の秘密ホールへ続くエレベーターの扉は、残り15分で完全に封鎖される!
最後の試練は……二人の“絆の深さ”を試す、密室のダンス・チェンジだ!』
「地下ホール……ダンス・チェンジ!?」
私と桐谷は顔を見合わせた。
「行くぞ冴島! ラストの地下ホールへ!」
「うん!」
タキシードとドレスの裾をなびかせ、私たちはクライマックスの地下会場へと向かって走り出した!
ドレスの裾を揺らしながら階段を駆け上がると、目の前に『理科準備室』の重厚な扉が現れる。
すでに数組のペアが扉の前でたむろし、「温めても溶けない、冷やすと燃えるスイーツってなんだよ!?」「アイスクリーム……? でも冷やすと燃えるなんておかしいし……」と頭を抱えていた。
「冴島、人混みを突っ切るぞ」
「うん!」
桐谷が私の手をとってリードし、困惑するペアたちの隙間を縫って理科準備室の中へと滑り込んだ。
室内はフラスコやビーカーが乱立し、中央の実験台の上には、怪しげな黒いカボチャ(ジャック・オー・ランタン)がひとつ置かれていた。
カボチャの口からは、うっすらと甘い香りのする白い煙が立ち上っている。
その横に置かれていたのは、銀色のトレーに乗った『白くてふわふわした謎の固形物』と、一枚の挑戦状だった。
『よくぞ辿り着いた、仮面の探求者たちよ。
目の前にあるのは、魔女が創り出しし特製スイーツ。
このスイーツは、温かいオーブンに入れても決して溶けず、逆に極低温の液体窒素で冷やすと炎を上げて燃え上がるという。
このスイーツの正体と、それが可能になる“科学的理由”を解き明かし、カボチャの底にある4桁のダイヤル鍵を解除せよ』
「温めても溶けないのに、冷やすと燃える……?」
桐谷が漆黒の仮面越しにシャープな瞳を光らせ、実験台の上の白い固形物を観察した。
「化学的に考えれば、タンパク質の熱変性と、極低温下での急激な酸化反応……あるいは、親水性と疎水性のバランスを利用したコロイド状態か?」
「さすが桐谷、視点がすごく科学的ね! でも、お菓子の世界ではもっとシンプルな、そしてとってもドラマチックな名前がついているのよ!」
私は指を立てて、自信満々に微笑んだ。
「このスイーツの正体は――『ベイクド・アラスカ(Baked Alaska)』よ!」
「ベイクド・アラスカ……?」
桐谷が少し目を見開いた。
「そう! ベイクド・アラスカは、スポンジケーキの上にアイスクリームを乗せ、その全体を『分厚いメレンゲ(泡立てた卵白)』で隙間なく完全に包み込んでから、高熱のオーブンで表面だけをサッと焼き上げる極上のお菓子なの!」
「なるほど……!」
桐谷の頭脳が即座に回転を始める。
「メレンゲは大量の空気の泡を含んでいる。空気は極めて熱伝導率が低い断熱材だ。だから、外側を200度以上のオーブンで焼いても、内部の熱伝導が遮断され、中のアイスクリームは一切溶けない……!」
「大正解! これが『温めても溶けない』の種明かし!」
私は続けて、カボチャの口から出る煙を見つめながら後半の解説を展開した。
「そして後半の『冷やすと燃える』という仕掛け! これは、メレンゲの表面に高濃度のアルコール(ラム酒やブランデー)を含ませておき、液体窒素などの極低温で急激に冷やすことで、アルコール成分が凝縮・分離して蒸気化しやすくなるの。そこに一筋の火種を近づけると、青い炎を上げて一気に燃え上がる『フランベ(Flambé)』という現象が起きるわ!」
「空気の断熱性と、アルコールの気化熱およびフランベ現象か……!」
桐谷が感心したように深くうなずいた。
「製菓技術と物理・化学の見事な融合だな。……で、その暗号の4桁の数字はどこに隠されているんだ?」
「ふふん、ベイクド・アラスカという名前が最大のヒントよ!」
私はカボチャの底にあるダイヤル鍵に手を伸ばした。
「このお菓子が『ベイクド・アラスカ』と名付けられたのは、アメリカがロシアからアラスカを購入したことを記念して創られたからなの。その西暦は――1867年!」
「なるほど……! アラスカ購入の年号か!」
桐谷が私の手の上に自分の手を重ね、一緒にダイヤルを回す。
「1……8……6……7……!」
カチャリッ!!
重厚なロックが解除され、黒いカボチャの頭部がパカッと開いた。
中から飛び出してきたのは、輝く真鍮製の『第二の部屋の鍵』と、次の暗号が書かれた羊皮紙だった!
「やったぁぁぁ! 解けたよ桐谷!」
「さすがだな冴島。お前のお菓子知識は、相変わらず完璧な武器だ」
桐谷が仮面越しに優しく目を細め、私の頭をポンポンと撫でた。
その温かい手の感触に、ドレス姿の私の心臓がまた跳ね上がる。
周りのペアたちが「えっ、もう解いたの!?」「ベイクドなんとかって言ってたぞ!?」と騒ぎ出す中、私たちは手を取り合って理科準備室を飛び出した。
【 18 : 10 】
「次はどこだ?」
廊下を走りながら、桐谷が羊皮紙を広げた。
そこに書かれていたのは、暗闇の中で妖しく光る紫色の絵文字と、次なるメッセージだった。
『第二の試練:開かずの旧音楽室と、甘い音符のシンフォニー。
鍵を使って旧音楽室へ入れ。
そこには、5つのグラスに注がれた“色の変わる不思議なハーブティー”が置かれている。
正しい音階(ド・レ・ミ・ファ・ソ)の順にグラスを並べ替え、正しい順番で飲まなければ、部屋の扉は永遠に開かない。
味覚と聴覚を研ぎ澄ませ』
「色の変わるハーブティー……音階……? お菓子や飲み物で音を奏でるってこと?」
私たちは旧校舎の奥深く、普段は使われていない『旧音楽室』の前に到着した。
古びた木製の扉の鍵穴に手に入れた真鍮の鍵を差し込み、回すと――ギィィと重い音を立てて扉が開いた。
部屋の中には、中央のグランドピアノの上に、5つのガラス製ワイングラスが並べられていた。
グラスの中にはそれぞれ、神秘的な青紫色の液体が入っている。
カチャン!!
私たちが部屋に入った瞬間、背後の扉が勝手に閉まり、重いボルトが下りる音が響いた。
「閉じ込められた……! 完全な密室だな」
桐谷が冷静に扉の取っ手を引っ張るが、びくともしない。
「でも大丈夫。この5つのグラスの謎を解けば、扉のロックが解除されるはずよ!」
私はグランドピアノへ歩み寄った。
5つのグラスの横には、レモン汁が入った小さなピッチャーと、竹串が置かれている。
「グラスに入っている青紫色のハーブティー……これはフェスの時にも出てきた『バタフライピー(チョウマメ)』ね!」
「ああ。酸性のレモン汁を加えると、アントシアニン色素が反応して青からピンク色(赤)へ変化するお茶だな」
「そう! でも、今回の問題は『音階』よ。グラスに入っている液体の量が、全部微妙に違っているの!」
私は竹串を取り、グラスの縁をかるくコンコンと叩いてみた。
コーン……カン……ピン……。
グラスから、高低差のある涼やかなガラス音が響く。
「分かったわ! グラスに入れる液体の量を変えることで、叩いた時の固有振動数が変わり、音の高さ(音階)が変わる『ウォーター・グラス・ハーモニカ』の原理よ!」
「なるほど」
桐谷が納得したように頷き、ピアノの鍵盤の前に座った。
タキシード姿の彼がグランドピアノの前に座る姿は、まるで本物の貴族の演奏家みたいで、息を呑むほど美しい。
桐谷が指先でピアノの鍵盤を軽く叩く。
ポーン……(ド)
ポーン……(レ)
ポーン……(ミ)
ポーン……(ファ)
ポーン……(ソ)
「よし、ドレミファソの基準音は頭に入った」
桐谷は立ち上がると、私の隣に並び、グラスを順に叩いて音を聞き分け始めた。
「これが『ソ』……これが『ド』……一番液体の量が多いこのグラスが『レ』だな」
「すごーい! 桐谷、絶対音感でもあるの!?」
「昔、ピアノを少し習わされていたからな。……よし、音階通りの順番にグラスを並べ替えたぞ」
グラスが左から【ド・レ・ミ・ファ・ソ】の順に綺麗に並べられた。
しかし――部屋の扉は開かない。
「あれ……? 順番通りに並べたのに、扉が開かないよ?」
私が首を傾げると、グラスの台座に刻まれた小さな英文字が目に入った。
『並べるだけでは足りない。
レモン汁を加えて“ピンク色に変化させた音”だけを飲み干せ。
ただし、間違った音のグラスを飲めば、激辛の唐辛子エキスが口いっぱいに広がるだろう』
「ええっ!? 激辛トラップ!?」
私は青ざめた。5つのグラスのうち、どのグラスにレモン汁を入れればいいのか?
「落ち着け、冴島。羊皮紙の裏に、何か書かれていないか?」
桐谷が羊皮紙を裏返した。
そこには、楽譜のような5線譜の上に、不思議な暗号詩が記されていた。
『甘き音符は、ビターチョコレートのカカオ含有量(%)を示す。
カカオ70%以上の“大人な音”だけが、真実の扉を開く酸味を受け入れる』
「カカオ含有量……!?」
私は頭を抱えそうになったが、すぐにハッと気づいた。
「音階の『ド・レ・ミ・ファ・ソ』を、イタリア音名(C, D, E, F, G)や、音名に対応する数理に変換するんじゃないわ! チョコレートの歴史と、カカオの音符表現……!」
私の脳内で、音楽とお菓子のデータベースが落雷のように閃いた!
「桐谷! 音楽の音符の長さには、全音符、2分音符、4分音符、8分音符、16分音符があるでしょ!?」
「ああ。それぞれ分数が対応しているな」
「そう! そして、チョコレートの業界で『ハイカカオ・ビターチョコ』と呼ばれる基準は、カカオ分70%以上! 5つのグラスの音階に対応する音符の長さを、パーセンテージに換算するのよ!」
私は指を折って素早く計算した。
「全音符(100%)=『ド』!
2分音符(50%)=『レ』!
4分音符(25%)=『ミ』!
8分音符(12.5%)=『ファ』!
そして……全音符に点がついた『付加音符』や、特別な組み合わせ!」
桐谷が私の思考を追いかけ、即座に修正と補正を加える。
「待て、冴島! ドレミファソの周波数比率は、ピタゴラス音律において【1 : 9/8 : 5/4 : 4/3 : 3/2】だ! これをパーセンテージに換算して、70%を超える音を探すんだ!」
「えっ……周波数比率!? 物理の計算!?」
「俺に任せろ!」
桐谷はポケットからペンを取り出し、手の甲に爆速で数式を書き走らせた。
「『ド』は基準の100%……70%以上クリア!
『ミ』は5/4(125%)……70%以上クリア!
『ソ』は3/2(150%)……70%以上クリア!
つまり、70%を超えるカカオ分を持つ“大人な音”は――『ド』『ミ』『ソ』の3つ(Cメジャー・コード)だ!!」
「なるほどーーーっ!! 和音(コード)になってたんだ!!」
私は興奮のあまり飛び上がった。
「桐谷、すごすぎるよ!!」
「お前の『ハイカカオの基準』という着眼点があったからだ! 急ぐぞ!」
私はピッチャーを取り、『ド』『ミ』『ソ』の3つのグラスにレモン汁を数滴ずつ垂らした。
シュワァァ……。
青紫色だったハーブティーが、一瞬で色鮮やかな「華やかなピンク色」へと美しく変化した!
「よし! この3つを飲み干すぞ!」
「ああ!」
私と桐谷はグラスを手に取り、見つめ合った。
仮面越しに重ね合わせた視線。
「乾杯、私の最高のパートナー」
「ああ、乾杯だ」
ふたりで息を合わせて、甘酸っぱいレモンハーブティーを喉へと流し込んだ。
爽やかな甘みとキュンとする酸味が口いっぱいに広がる。
ガチャコンッ!!
旧音楽室の重い扉のボルトが自動で跳ね上がり、パッと眩しい光が外から差し込んできた!
「試練クリアーーーっ!!」
私たちは手を取り合って歓声を上げた。
だが、安堵したのも束の間。廊下のスピーカーから、仮面をつけた生徒会長の怪しげな声が校内中に響き渡った。
『素晴らしい! 桐谷&冴島ペア、第二の試練を突破!
だが、残された時間はあとわずか。最後の舞踏会会場――地下の秘密ホールへ続くエレベーターの扉は、残り15分で完全に封鎖される!
最後の試練は……二人の“絆の深さ”を試す、密室のダンス・チェンジだ!』
「地下ホール……ダンス・チェンジ!?」
私と桐谷は顔を見合わせた。
「行くぞ冴島! ラストの地下ホールへ!」
「うん!」
タキシードとドレスの裾をなびかせ、私たちはクライマックスの地下会場へと向かって走り出した!