雪月公は菫の花に微笑む
ミカエルはすぐに言葉を重ねず、その真意を探るように相手の表情へ視線を留めた。
「私は皇帝ではなく帝国に忠誠を誓っています。皇帝が帝国を守るなら従い、帝国を害するなら牙を剥く。それがウォルターズです」
「では、陛下が私を寄越したことは」
「不愉快です」
「評価は」
「保留です」
「私は?」
「邪魔です」
「そうですか」
「ですが」
ミカエルは返答を急がず、まずヴィオラの表情へ視線を向けた。
「役には立ちそうです」
褒められたのかどうか判断に迷う言葉だった。ヴィオラは書類へ視線を戻す。
「それは光栄です」
「本当に思っていますか」
「いいえ」
「でしょうね」
ミカエルは返された言葉に何か思うところがあったのか、視線を少し和らげて静かな笑みを浮かべた。
「閣下!」
入ってきたのは、港の警備兵だった。息が上がっている。
「何事です」
「北西の見張り台から煙が上がりました。倉庫裏で小火です!」
ヴィオラは反射的に地図を見た。
北西。倉庫裏の位置と風向きを地図の上で確かめる。さらに積荷の位置から、人が逃げるならどの道を選ぶかまで一息に組み立て終えた頃、ミカエルの表情からすうっと笑みが消えた。
「規模は」
「まだ小さいですが、風が強く」
「消火班を回しなさい。第三倉庫の荷はすぐに移動。軍港側の門を閉じ、外へ出る者を記録。誰も逃がさないように」
「はっ!」
警備兵が走り出す。ミカエルもすぐに動いた。
ヴィオラは彼の隣に並びながら、短く言う。
「火元は倉庫裏。偶然にしては場所が良すぎます」
「ええ」
「煙は合図の可能性があります」
「同感です」
軽口の裏にある立場と判断を受け止めてから、ヴィオラは改めて相手へ向き直った。
「私は高所から港全体を見ます」
「許可します。バートラムの甥が外にいます。案内させます」
迷いのない即答に、ヴィオラは一瞬だけ隣の雪月公へ視線を向けた。
彼はもう、彼女を邪魔だとは言わなかった。必要な場所に、必要な駒を置く。皮肉を交わしている時とは違い、人命が絡んだ時の判断には一切の遅れがない。
「カルネット参謀官」
「はい」
「落ちないように」
「善処します」
「落ちた場合は邪魔です」
「知っています」
ミカエルは少しだけ口元を上げた。それから、すぐに港の方へ駆け出す。その背を見送り、ヴィオラは外へ出た。
北の風が頬を打つ。港の向こうで、灰色の煙が雪空へ細く立ち上っていた。
初日から、随分と分かりやすい歓迎だ。
ヴィオラはそう思いながら、地図を頭の中に広げた。
煙の位置、船の場所と人の流れを重ねていく。そうして閉じるべき門を絞れば、犯人が選べる逃げ道も自然と限られてくる。
この北には、やはり何かがある。そしてそれは、ミカエル・ウォルターズの目の届く場所に、確かに火を放った。
ヴィオラは外套の裾を翻し、見張り台へ向かって走り出した。
「私は皇帝ではなく帝国に忠誠を誓っています。皇帝が帝国を守るなら従い、帝国を害するなら牙を剥く。それがウォルターズです」
「では、陛下が私を寄越したことは」
「不愉快です」
「評価は」
「保留です」
「私は?」
「邪魔です」
「そうですか」
「ですが」
ミカエルは返答を急がず、まずヴィオラの表情へ視線を向けた。
「役には立ちそうです」
褒められたのかどうか判断に迷う言葉だった。ヴィオラは書類へ視線を戻す。
「それは光栄です」
「本当に思っていますか」
「いいえ」
「でしょうね」
ミカエルは返された言葉に何か思うところがあったのか、視線を少し和らげて静かな笑みを浮かべた。
「閣下!」
入ってきたのは、港の警備兵だった。息が上がっている。
「何事です」
「北西の見張り台から煙が上がりました。倉庫裏で小火です!」
ヴィオラは反射的に地図を見た。
北西。倉庫裏の位置と風向きを地図の上で確かめる。さらに積荷の位置から、人が逃げるならどの道を選ぶかまで一息に組み立て終えた頃、ミカエルの表情からすうっと笑みが消えた。
「規模は」
「まだ小さいですが、風が強く」
「消火班を回しなさい。第三倉庫の荷はすぐに移動。軍港側の門を閉じ、外へ出る者を記録。誰も逃がさないように」
「はっ!」
警備兵が走り出す。ミカエルもすぐに動いた。
ヴィオラは彼の隣に並びながら、短く言う。
「火元は倉庫裏。偶然にしては場所が良すぎます」
「ええ」
「煙は合図の可能性があります」
「同感です」
軽口の裏にある立場と判断を受け止めてから、ヴィオラは改めて相手へ向き直った。
「私は高所から港全体を見ます」
「許可します。バートラムの甥が外にいます。案内させます」
迷いのない即答に、ヴィオラは一瞬だけ隣の雪月公へ視線を向けた。
彼はもう、彼女を邪魔だとは言わなかった。必要な場所に、必要な駒を置く。皮肉を交わしている時とは違い、人命が絡んだ時の判断には一切の遅れがない。
「カルネット参謀官」
「はい」
「落ちないように」
「善処します」
「落ちた場合は邪魔です」
「知っています」
ミカエルは少しだけ口元を上げた。それから、すぐに港の方へ駆け出す。その背を見送り、ヴィオラは外へ出た。
北の風が頬を打つ。港の向こうで、灰色の煙が雪空へ細く立ち上っていた。
初日から、随分と分かりやすい歓迎だ。
ヴィオラはそう思いながら、地図を頭の中に広げた。
煙の位置、船の場所と人の流れを重ねていく。そうして閉じるべき門を絞れば、犯人が選べる逃げ道も自然と限られてくる。
この北には、やはり何かがある。そしてそれは、ミカエル・ウォルターズの目の届く場所に、確かに火を放った。
ヴィオラは外套の裾を翻し、見張り台へ向かって走り出した。


