吸血鬼専務は私を逃さない〜契約から始まる極甘婚約〜
1・社畜令嬢、吸血鬼に血を吸われて全否定されました
「琴吹せんぱ〜い、これお願いしますぅ〜」
総務部に配属されて半年ほど。
これで今日の仕事は終わり……とエンターキーを押したところで、
猫撫で声を出しながら、私の机にどっかりとファイルの束を置くのは後輩女子社員の三園優香。
「ちょっ……。三園さん!」
「私、今日はどうしても外せない用事があってぇ〜。先輩ならお時間あるだろうし〜、それに私がやるより早いじゃないですか〜」
ピンク色のツヤツヤしたネイルを塗った指先をいじりながら、おねだりするようにキュルンとした瞳を向ける。そこらの男性なら一発でこの瞳にやられるだろう。
それにしてもこの量、三園さん一人の仕事量じゃないよね?
また自分の能力もわきまえずに軽く引き受けちゃったの!?
そしてまた私に仕事を振ってくる。
でも、本当に外せない用事なら……仕方ないのかなあ……と思う私は、お人好しなのかもしれない。
「じゃっ、よろしくお願いします〜!」
と、三園さんは逃げるように退勤してしまった。
──琴吹さん、またやられてるわよ。
──いい加減、怒るなり断るなりすればいいのに。
──三園さんも社長令嬢に対してよくやるよなぁ。
──自分だったら怖くてできないよ。
ひそひそと周りに言われるのも、いつもの事だ。にっこりと笑って誤魔化すと、相手も愛想笑いを返してそそくさと退勤していった。
皆、私が社長令嬢だからと遠慮している雰囲気がある。三園さんはレアケースだ。
私、琴吹稀は、父が社長を務める琴吹製薬に就職するつもりはなかった。
けれど父は強引で、決めたことは曲げない性格。私は常にそれに振り回されてきた。
大学時代、提携企業の社長のご子息とのお見合いの話が持ち上がった。
しぶしぶお見合いをしたけれど、相手は私のことを社長令嬢としてしか見ていなかった。
どうしても納得できず、私は父に断りたいと告げた。
当然ながら父は激怒し、交換条件を出してきたのだ。
「そこまで自分の意思を通したいのなら、せめて自分の立場を自覚しろ」
それが、琴吹製薬で働くことだった。
しかし身内だからといって、父は贔屓も差別もしない。面接は人事社員が気を遣うかもしれないとのことでパスできたが、それ以上に父からの厳しい指導と試験があったのだ。
私自身がそう言っても信じてもらえないだろうから、公に言ってはいないけれど……。
カタカタとキーボードを叩きながら、我に返ったようにため息をつく。
……私、何やってるんだろう。
なんのメリットもない後輩の残業引き受けて、たった一人オフィスにいるなんて。ため息ばかりが出る。
頼られるのは嫌じゃないんだけれど、こうも毎回毎回やられると……さすがに心にくる。
なぜ三園さんが、嫌がらせのようにここまで私に仕事を振って来るのかがわからない。
でも、ここで私が上司や社長に申告すると、また「告げ口」だの「贔屓」だの言われるのよね。はぁ……。
ああ〜、ダメダメ。
こんな暗い考えじゃ、仕事も捗らないわ。
よし、ポジティブに考えよう!
これをやり切れば明日がラクになる!
そして残業代ももらえる!
よ〜し、やるぞ〜〜!
オフィス全体の電気が落とされる時間ギリギリまでかかってしまった……。
夕食は仕事をしながら、食堂の自販機で買ったパンひとつ。
私は現在、一人暮らし。これも就職したと同時に、父が社会勉強だと言って家を追い出すように勝手に部屋を決めてきた。
家政婦さんから家事を一通り習ってはいるけれど、こうも残業が多いと家事をする気力もない。コンビニで夜食と飲み物を買って、とぼとぼと帰路を歩く。
しかし、今日は周りの雰囲気がいつもと違うように感じた。
なんだか、人通りが少ない気がする。たしかに遅い時間ではあるけれど、こんなにも静かだなんて。
不安に思いながらマンションの前まで来ると、男の人がぐったりと座り込み、電柱にもたれかかっていた。
若そうに見えるけど……暗くてよくわからない。顔色が少し悪そう……?
同じマンションの住人さんかな……?
酔っ払っているのかな、嫌だなあ……。
救急車を呼ぶほどではなさそう。
触らぬ神に祟りなし。素通りしようとすると、彼の体が音を立てて倒れた。
「ひっ……!?」
慌ててマンションの入り口に足を向けると、ボソボソと声が聞こえた。
「……のま、せ……」
ん……?
飲ませて……? って言った?
やはり気分が悪いのだろうか?
そういえば、さっきコンビニで水を買ったから、これだけ渡したらさっさと中に入ろう。
「あ、あの〜〜。水ならありますけど……飲みますか? 必要なら開けますけど……」
なるべく近づかないように、ペットボトルだけそ〜っと男性の近くに置こうとした時──
ぐいっ、とその手を掴まれて、私は一瞬のうちに男の腕の中にいた。
「きゃ……」
前髪で隠れていた瞳と、目が合う。
周りは暗いのに、まるでそこだけが光を放っているようで。
吸い込まれそうになるほど美しい、紅い色をしていた。
「見つけた」
「──え?」
大声で悲鳴をあげようとした次の瞬間、首筋にチクリと針を刺したような痛みが走った。
──声が出ない!
不審者に近づいてしまった事を後悔した。
何を刺されたのだろう?
いや、そうではなかった。
私はこの男に首筋を噛まれていたのだ。
──いやっ、離して!
やはり声が出ない。
暴れて抵抗したが、体をがっちりとホールドされていて動けなかった。
怖い。どうしよう。
お父さんお母さん、ごめんなさい。
私はもうお嫁に行けないかもしれません……。
じんわりと涙が出てきた頃、ようやく男が首から離れてくれたかと思うと──。
「不味い!!」
信じられない言葉を吐いた。
…………はい?
「貴様、稀血《まれち》だと思っていただいてみれば……なんだこの不味い血液は!! ドロドロではないか!!」
男は、私の肩を掴んでまくし立てる。
まれ……ち? 血液……?
つまり、さっき噛まれたのは……もしかして血を吸われていたってこと!?
首元に手をやると、指先に少量の血がついた。
男の顔色は少し良くなったようだが、私の血液にケチをつけている!?
「な……な……なんなのよーー!! 人の血を勝手に吸っておいてその言い方!!」
助けようとした私が馬鹿でした!
掴まれた手を払い除けてすくっと立ち上がると……。
ぐらり。
あ、れ……?
連日の疲れか、血を吸われた反動か、
私は目の前が真っ暗になってその場に倒れた。
「おい……おい! しっかりしろ!」
意識を失ってしまい、
不審者の男の声もすでに聞こえなかった。


