恋は買収できません!~厄介な幼馴染CEOの強引すぎる溺愛~

①

――私の人生をめちゃくちゃにする男と、最悪で最高の恋をした。

***

今日は私・水野(みずの)千佳(ちか)の30回目の誕生日。

「千佳ちゃん、僕たち別れよう」

それなのに、彼氏にフラれた。
誕生日に同じ会社に勤める彼氏から、就業後にひとけのないオフィスの休憩室へ来てほしいと言われたのだ。何かサプライズでもあるのかと期待したって仕方ないだろう。

(それがまさかの別れ話!?)
「いきなりごめんね。僕じゃ千佳ちゃんを幸せにできないと思うんだ」
「っ、そんなことないよ! ふたりでちゃんと話し合――」

引き止める私の言葉を遮るように、後ろから尊大な声がした。

「おい。終わった恋愛にこれ以上コストをかけるな」
(……この声は)

振り向くと、開け放たれたドアにもたれ、憎たらしい笑みを浮かべている男がいた。暗めの茶髪にストライプのスーツ。つり目がちな瞳は愉快そうに細められ、整った口元は弧を描いている。

「やっぱり蒼真(そうま)……! どうしてあんたがここに!?」

この男は神崎(かんざき)蒼真。小学生の頃からのストーカー……じゃなくて幼馴染だ。

「と、とにかくごめんね。それじゃ」
「ちょっと待ってよ、優人(ゆうと)!」

彼氏の――いや、元彼氏の優人は、そそくさと立ち去った。呆然とその後ろ姿を見送る私の肩に、蒼真が手を置く。

「そう落ち込むな、損切りだと思えばいい」
(こいつ……人の失恋を投資みたいに)

その手をどけながら振り向き、蒼真に正面から向き合う。

「優人に何したの!」
「事実を伝えただけだ。俺の方が千佳を幸せにできるってな」

腹立たしいことに、蒼真は急成長中のIT企業・グローノエッジを率いるCEOだ。大企業からも注目され、業界誌で取り上げられることも多い。こんなのと比べられて、平然としていられる一般の会社員はそういないだろう。

(……顔がいいのもまた腹立つんだよね)

私は怒りに震えながら、蒼真にびしりと人差し指を突きつけた。

「一体、何千回断ったら諦めてくれるわけ? しつこすぎだよ!」
「それはこっちの台詞だ。一体いつまで駆け引きするつもりだ?」

蒼真は私の手首を掴み、そのまま壁に押しつけた。いわゆる壁ドンである。

「焦らして自分の価値を吊り上げなくても、お前の恋人になれるなら条件はなんでも飲むと言ってるだろ」
「そういう問題じゃない!」
「相変わらず強情な奴だな。ま、その反応も想定内だが。ここへはビジネスの話をしに来た」
「……ビジネス?」

訝しむ私の目の前に、書類の束が突きつけられる。

「お前をうちの会社に引き抜くと、話をつけた」
「はぁ!?」

慌てて書類を見ると、現在の勤務先とグローノエッジ双方の、必要な人物による署名と承認印が揃っている。空白なのは――。

「あとはお前がサインすれば完了だな」
「書くわけないでしょ!」

書類をびりびりに破いてやろうと手を伸ばすけれど、私の指が届く寸前で蒼真はサッと書類を引き上げた。

「まあ、署名は後でもいい。ここの社長には、お前の私物を今日持ち帰らせると伝えてある。さっさと荷物をまとめろ」
「こんなの横暴だよ!」
「諦めろ。交渉でまとまらないなら買収してでも手に入れる。それが俺のやり方だ」

蒼真は私の顎を掴んで持ち上げ、勝ち誇ったように顔を覗き込んでくる。

「お前は、俺が本気で欲しいものだからな」
「私はものじゃない!」

その手を振り払うと、蒼真は不敵な笑みを口元に浮かべる。そして「車を回してくる。10分後に正面玄関へ来い」と一方的に命じ、先に休憩室を出て行った。

(私がサインしなければ、転籍は成立しないはず……でも、会社ぐるみでここまで話を進められている以上、今ここで蒼真と押し問答しても埒が明かない)

しかも、相手はあのめちゃくちゃな男だ。納得したわけではないけれど、ひとまず自席へ戻り、私物を段ボール箱へ詰めた。

***

荷物を抱えてエレベーターで地上へ降り、会社のエントランスを出る。そこでは、蒼真が高級車と運転手を従えて待ち構えていた。

「乗れ」

顎で指示され、不本意ながら後部座席へ乗り込む。段ボール箱を運転手さんに渡すとトランクへ収めてくれた。

(なんでこんなことに……)

頭を抱えていうちに、蒼真が隣に乗ってきた。運転手さんに「出してくれ」と短く言い、車が動き出す。

「千佳。まずは社員寮へ案内する」

蒼真の言葉を無視し、車窓を流れる景色へ目を向ける。すると、忘れたい過去が次々と蘇ってきた。

(……こいつは、昔からめちゃくちゃな奴だった)


小学生時代は、ある日ホームルームが終わるなり、蒼真がいきなり「今日から千佳は俺の彼女だ」と私の許可もなく名乗り、クラス全員から揶揄(からか)われた。

中学生時代は、私が男子と話すたびに割り込んできて、まともに会話ができなかった。

高校生時代は、私がマネージャーを務めていた野球部に乗り込んできて、「千佳がお前らに優しくするのは、マネージャーだからだ。勘違いするなよ、いいな」と毎朝わけのわからない注意をしに来た。

大学生時代は、バイト先の居酒屋のシフトがある日は必ず現れて、店長に「今日も彼氏のお迎えか」と冷やかされた。


とっとと色褪せてほしいのに、いつまでも脳内で鮮明に残る嫌な思い出を振り払うように頭を横に振る。

(数年前に起業したって聞いて以来、大人しくなってたから油断してた。まさか、まだ諦めてなかったなんて。……そもそも、なんでここまで私に執着するのよ)

いくら考えても理解不能で、深いため息をついたところで声をかけられた。

「着いたぞ」

車は、立派なタワーマンションの前で停まっていた。

(これが社員寮なんて、さすがは急成長中のIT企業……)

蒼真に続いてオートロックの扉をくぐり、エレベーターで最上階へ。連れてこられたドアの表札には『神崎』の文字があった。

「え? これ、あんたの名字じゃ」
「ここが社員寮だ。俺とお前だけのな」
「まさか同居ってこと!? ふざけないで!」

鍵を開けてさっさと部屋へ入った蒼真に腕を掴まれ、そのまま中へ引っ張り込まれる。彼は人差し指を私の鼻先に突きつけて言った。

「俺は社長。お前は社員。よって、お前に拒否権はありま?」
「………………せん」

今の私はきっと、苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。

「わかってるならいい。社長命令で『俺の恋人になれ』と言ってもいいんだがな。それは――」
「パワハラかつセクハラだよ!」
「ああ、だから同居で勘弁してやる。感謝しろ」
(それじゃ全然譲歩してないのよ……!)

頭をかきむしりながら、はたと気付く。

「というか、同居も充分パワハラでセクハラじゃない!?」
「何言ってる。社員寮は『福利厚生』の一環だ。今〝たまたま〟他に空部屋がないだけでな」
「……福利厚生制度を恨んだのは初めてなんだけど」

蒼真は私の嫌味など気にせず、リビングへ歩いていく。仕方なく彼に続いた。

「まあ座れ」

広々とした部屋の中央に置かれた大きな大理石のダイニングテーブルに促されて椅子に座ると、向かいに座った蒼真がパチンと指を鳴らす。するとキッチンの奥から、シェフと数人のスタッフが料理を持ってぞろぞろと現れた。

「えっ! この人たち、ずっと待機させてたの!?」
「お前の誕生日にふさわしい食事を用意するためだ。何か問題があるか?」
(……仕事もこんなやり方なら、蒼真の取引先の人に同情する)

ソムリエが恭しくふたつのグラスにワインを注いだ後、スタッフは全員撤収していった。

「千佳、30回目の誕生日おめでとう。さあ、グラスを持て」
(誰が乾杯するもんですか)

無視してそっぽを向きながら『不服です』とアピールしていると、蒼真は気にせずテーブル上の私のグラスに自分のものをぶつけて勝手に乾杯した。そして、ひとくちワインを口に含む。どういう神経をしているんだか。

「いい区切りの年になったことだし、俺と結婚を前提に付き合うのはどうだ」
「絶対にお断り! もう、今日は最悪の誕生日だよ。好きだった職場から勝手に引き離されて、そのうえ優人まで……!」
「まだそんなこと言ってるのか」

蒼真は、グラスを傾けながら言う。

「お前がいた会社、近いうちに傾くぞ。上層部が無能でな」
「はぁ……!? そんな情報どこで」
「企業秘密だ。とにかく、お前が泥船に乗ってるのを黙って見てるほど俺は寛容じゃない。それに」

グラスを置いた彼は、胸ポケットから取り出したものをテーブルに広げる。それは数枚の写真で、優人が私ではない女性と一緒に写っていた。

「っ、何この写真」
「あいつには、お前以外にも女がいた」
「ええっ!?」
「名前の通り優しい男だったのかもしれんが、その優しさは優柔不断さの裏返しだ。言い寄られれば断れなかったみたいだからな」
「信じられない……」

突然のことに、頭が全然追いつかない。

(でも、何より信じられないのは……)

私は、写真から顔を上げて蒼真を見た。

「じゃあ、今日のことは……私を助けるためにしたってこと?」

尋ねると、蒼真は眉をひそめた。

「はぁ? 今更なに当たり前のこと言ってる」
(っ……)

やり方は到底納得できない。でも少なくとも、今回のことはただ私を困らせたくてしたわけではないらしい。もしかしたら、昔の無茶苦茶な行動にも、私の知らない理由があったのかもしれない。

(私、蒼真のことをずっと誤解してたのかも。ちゃんと向き合えば、もしかして一途でいい奴なのかな……?)
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