恋は買収できません!~厄介な幼馴染CEOの強引すぎる溺愛~
④
カーテンから差し込む柔らかな光で、自然と目が覚めた。今日は土曜日。スマホで時間を確認するともうお昼が近い。昨夜はたくさん飲んだし、のんびり眠りすぎてしまったようだ。上体を起こした時、ちょうど寝室のドアが開いて家主が現れた。
「ああ、起きたか。……いいな、俺のベッドでお前が寝てるのは」
「その発言、コンプライアンス窓口に訴えるわよ」
「残念だったな。そこの最終報告先は俺だ」
(ぐ……)
私が奥歯を噛んでいると、蒼真はベッドの端に腰かけ、サイドテーブルに数枚の紙とボールペンを置いた。
「転籍には一応お前の同意が必要だからな、これに署名しろ」
「はいはい、書きますよ。書けばいいんでしょ」
昨日いきなり書類を突きつけられた時は落ち着いて確認なんてできなかったけれど、改めて見ると破格の労働条件だ。雇用主がこいつじゃなければ、永久就職したいと思うだろう。サインを終えると、彼はもう一枚別の書類を差し出した。
「これにも署名しておけ。記入するところには付箋を貼っておいた」
「はいはい、わかりまし――」
素直に名前を書きかけて、ふと気付いた。
「あぶなっ! これ婚姻届じゃない!」
『夫になる人』の欄がすでに記入済みの恐ろしいその紙を、私はくしゃくしゃに丸めて蒼真に投げつける。ぱしっと片手で受け止めた蒼真は、悔しそうに「チッ、気付かれたか」とこぼす。けれど、すぐに切り替えるように言った。
「まあいい。とりあえずブランチだ。この辺りで一番人気のカフェでテイクアウトしてきた。来い」
顎で指示されてリビングにやってくると、テーブルにあったのはエッグベネディクトだった。ポーチドエッグの上にかけられたオランデーズソースが、ベーコンとイングリッシュ・マフィンをとろりと伝い下りている。凶悪すぎるビジュアルだ。
「お前、大学の時に観た映画の影響で『休みの日の朝食はエッグベネディクトが憧れ』とか言ってたろ」
「えっ、そんなこと覚えてたんだ」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
(……こういうところは、いい奴なんだけどな)
おいしく食べ終わったところで、インターフォンが鳴った。
「おっ、来たみたいだな」
「誰が? ……っていうか、お客さんを中に上げる気? 私、お風呂もまだだし昨日のスーツのままなんだけど!」
私の問いに応えないまま、蒼真が手招きする。促されてテレビドアホンのモニターに近付くと――なぜか私の両親がいた。蒼真が通話ボタンを押して「はい」と出ると、母がはしゃいで両手を振る。
『蒼真く~ん、千佳~、来たわよ~』
私は素早く通話ボタンを切り、蒼真に詰め寄った。
「どういうこと!?」
「お前はここに住むんだから、荷物が必要だろ?」
「っ、説明になってない!」
蒼真は玄関に向かい、いつも私以外の人間にそうするように、人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「千佳のお父さん、お母さん、ご無沙汰しています」
「本当。久しぶりねぇ、蒼真くん」
「元気にしていたかい?」
「はい、おかげさまで。さ、どうぞ中へ」
蒼真がふたりを室内へ促そうとするけれど、父が首を横に振る。
「いやいや、休憩は千佳の部屋に着いてからでいい。ひとり暮らししている間、この子がどんな生活をしてたのか、早く見てみたくてね」
「わかりました。では、そうしましょう」
蒼真と両親が、なにやら勝手に話を進めているようだ。私は父に尋ねた。
「ねえちょっと、なんの話?」
「何って、お前の引っ越しを手伝いに来たに決まってるだろう」
「蒼真くんから聞いたわよ、一緒に暮らすんですって? もう、そういうことなら早く言ってくれればいいのに」
(こ、こいつ……いつの間にうちの両親に根回しを)
私の同意を得ずに外堀から埋めていくつもりだ。このやり口、蒼真の文法で言えばまるで〝敵対的買収〟である。猫を何匹も被っている横顔をきっと睨んだけれど、無視された。父が満足そうに言う。
「蒼真くんが千佳の相手なら、父さんも母さんも安心だ。……ほら、大学のことだってあっただろう」
「っ……そ、それはそう、だけど……」
蒼真に作ってしまった、一番大きな借り。それに触れられると、こっちも強くは出られない。
当時高校3年生だった私は、家計への負担を考え、大学進学を諦めるつもりだった。すぐに働いて、欲しいものを自由に買いたいと嘘をついて。でも、私が本当は進学したがっていると気付いていた蒼真が、利用できる奨学金や、授業料減免制度を設けている大学を徹底的に調べ上げ、進学に必要な費用と卒業後の返済計画まで資料にまとめてくれた。そして私の両親に、進学を認めるよう直接交渉したのだ。
(あの時も、私に聞かずに勝手にお父さんたちに話したのは腹が立ったけど……蒼真が言わなかったら、たぶん進学してなかった)
勉強が続けられるのは嬉しかったし、大学に行ったおかげで選べる仕事が増えた。正直感謝はしているけれど、未だに複雑な気持ちだ。当時の記憶に浸っていた私を、母の明るい声が引き戻した。
「それに、蒼真くんのご実家はうちのお隣なんだし、お盆にどっちの家に帰るとか心配しなくてもいいじゃない? それもお母さん安心なのよ」
「っ、蒼真と住んでるのは、ただの福利厚生だから!」
「またわけのわからないこと言って。照れなくてもいいじゃない」
盛り上がった母にバシン! と背中を叩かれ、思わずつんのめる。すかさず蒼真が抱き留めてくれたけれど、その目に宿っているのは優しさだけではなかった。
(……『これで簡単には逃げられないぞ』って目が言ってる)
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。お父さん、お母さん」
「あんたの親じゃないでしょ!」
「もう、千佳。細かいことはいいじゃない。もうすぐ蒼真くんも息子になるんだし」
私は何も否定させてもらえないまま、蒼真たちに促され、自分のアパートに向かった。
「ああ、起きたか。……いいな、俺のベッドでお前が寝てるのは」
「その発言、コンプライアンス窓口に訴えるわよ」
「残念だったな。そこの最終報告先は俺だ」
(ぐ……)
私が奥歯を噛んでいると、蒼真はベッドの端に腰かけ、サイドテーブルに数枚の紙とボールペンを置いた。
「転籍には一応お前の同意が必要だからな、これに署名しろ」
「はいはい、書きますよ。書けばいいんでしょ」
昨日いきなり書類を突きつけられた時は落ち着いて確認なんてできなかったけれど、改めて見ると破格の労働条件だ。雇用主がこいつじゃなければ、永久就職したいと思うだろう。サインを終えると、彼はもう一枚別の書類を差し出した。
「これにも署名しておけ。記入するところには付箋を貼っておいた」
「はいはい、わかりまし――」
素直に名前を書きかけて、ふと気付いた。
「あぶなっ! これ婚姻届じゃない!」
『夫になる人』の欄がすでに記入済みの恐ろしいその紙を、私はくしゃくしゃに丸めて蒼真に投げつける。ぱしっと片手で受け止めた蒼真は、悔しそうに「チッ、気付かれたか」とこぼす。けれど、すぐに切り替えるように言った。
「まあいい。とりあえずブランチだ。この辺りで一番人気のカフェでテイクアウトしてきた。来い」
顎で指示されてリビングにやってくると、テーブルにあったのはエッグベネディクトだった。ポーチドエッグの上にかけられたオランデーズソースが、ベーコンとイングリッシュ・マフィンをとろりと伝い下りている。凶悪すぎるビジュアルだ。
「お前、大学の時に観た映画の影響で『休みの日の朝食はエッグベネディクトが憧れ』とか言ってたろ」
「えっ、そんなこと覚えてたんだ」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
(……こういうところは、いい奴なんだけどな)
おいしく食べ終わったところで、インターフォンが鳴った。
「おっ、来たみたいだな」
「誰が? ……っていうか、お客さんを中に上げる気? 私、お風呂もまだだし昨日のスーツのままなんだけど!」
私の問いに応えないまま、蒼真が手招きする。促されてテレビドアホンのモニターに近付くと――なぜか私の両親がいた。蒼真が通話ボタンを押して「はい」と出ると、母がはしゃいで両手を振る。
『蒼真く~ん、千佳~、来たわよ~』
私は素早く通話ボタンを切り、蒼真に詰め寄った。
「どういうこと!?」
「お前はここに住むんだから、荷物が必要だろ?」
「っ、説明になってない!」
蒼真は玄関に向かい、いつも私以外の人間にそうするように、人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「千佳のお父さん、お母さん、ご無沙汰しています」
「本当。久しぶりねぇ、蒼真くん」
「元気にしていたかい?」
「はい、おかげさまで。さ、どうぞ中へ」
蒼真がふたりを室内へ促そうとするけれど、父が首を横に振る。
「いやいや、休憩は千佳の部屋に着いてからでいい。ひとり暮らししている間、この子がどんな生活をしてたのか、早く見てみたくてね」
「わかりました。では、そうしましょう」
蒼真と両親が、なにやら勝手に話を進めているようだ。私は父に尋ねた。
「ねえちょっと、なんの話?」
「何って、お前の引っ越しを手伝いに来たに決まってるだろう」
「蒼真くんから聞いたわよ、一緒に暮らすんですって? もう、そういうことなら早く言ってくれればいいのに」
(こ、こいつ……いつの間にうちの両親に根回しを)
私の同意を得ずに外堀から埋めていくつもりだ。このやり口、蒼真の文法で言えばまるで〝敵対的買収〟である。猫を何匹も被っている横顔をきっと睨んだけれど、無視された。父が満足そうに言う。
「蒼真くんが千佳の相手なら、父さんも母さんも安心だ。……ほら、大学のことだってあっただろう」
「っ……そ、それはそう、だけど……」
蒼真に作ってしまった、一番大きな借り。それに触れられると、こっちも強くは出られない。
当時高校3年生だった私は、家計への負担を考え、大学進学を諦めるつもりだった。すぐに働いて、欲しいものを自由に買いたいと嘘をついて。でも、私が本当は進学したがっていると気付いていた蒼真が、利用できる奨学金や、授業料減免制度を設けている大学を徹底的に調べ上げ、進学に必要な費用と卒業後の返済計画まで資料にまとめてくれた。そして私の両親に、進学を認めるよう直接交渉したのだ。
(あの時も、私に聞かずに勝手にお父さんたちに話したのは腹が立ったけど……蒼真が言わなかったら、たぶん進学してなかった)
勉強が続けられるのは嬉しかったし、大学に行ったおかげで選べる仕事が増えた。正直感謝はしているけれど、未だに複雑な気持ちだ。当時の記憶に浸っていた私を、母の明るい声が引き戻した。
「それに、蒼真くんのご実家はうちのお隣なんだし、お盆にどっちの家に帰るとか心配しなくてもいいじゃない? それもお母さん安心なのよ」
「っ、蒼真と住んでるのは、ただの福利厚生だから!」
「またわけのわからないこと言って。照れなくてもいいじゃない」
盛り上がった母にバシン! と背中を叩かれ、思わずつんのめる。すかさず蒼真が抱き留めてくれたけれど、その目に宿っているのは優しさだけではなかった。
(……『これで簡単には逃げられないぞ』って目が言ってる)
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。お父さん、お母さん」
「あんたの親じゃないでしょ!」
「もう、千佳。細かいことはいいじゃない。もうすぐ蒼真くんも息子になるんだし」
私は何も否定させてもらえないまま、蒼真たちに促され、自分のアパートに向かった。