恋と喧嘩は支社の華~お局OLはイケメン上司になびかない
第1章 春の波は気が荒い
都心から約一時間。関東の交通要所駅より徒歩五分。
十階建てのオフィスビルの一角に、関東を中心に営業実績を伸ばしている株式会社event-inの支社がある。
春の日差しが差し込むオフィスには、いつもに比べてどこか穏やかな空気が流れていた。
「宇津木マネージャー、コーヒー淹れますけどいかがですか?」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
声をかけられ、宇津木優史郎は微笑み返す。
優史郎は現在四十半ば。支社のトップを担っている。会社創業時からの社員の一人で、本社からの信頼も厚い。
「なんか、今日まったりしてていいっすねー。あ、もうちょっとで昼か」
のんきな口調で言いながら、マウスをカチカチさせているのは、入社2年目の若手、三谷堂太だ。
宇津木が見やると、確かに壁にかけられた時計は十一時を過ぎている。
「そんなのんきなこと言って。三谷くん、先週の報告書書けたの?」
三谷の正面のデスクから、厳しい指摘が飛んだ。
指摘した小山内舞は、 三谷より数年先輩にあたる。小柄な容姿に似合わずひどく負けず嫌いなところがあり、三谷はいつもやや圧され気味だ。
「でも確かに、なんだか静かね」
宇津木のデスクにコーヒーを置くと、長島文江はおっとりと言った。パートとしてこの支社に勤めて3年になり、今やテキパキと雑用をこなしてくれる。
長島は優史郎よりも少し年上で、思春期の子どもがいる。同じ年頃の娘との関係に苦慮している優史郎とは、ときどき子育て談義で盛り上がることもあった。
「ああ、そうか」
さして広くないオフィスをひとしきり眺めた後、急に優史郎は合点した。
長島が淹れたコーヒーを手にしながら呟く。
「今日は、あいつらがいないから静かなのか」
「あっ、言いますねー」
三谷が嬉しそうに笑って優史郎の方を向いたが、
「三谷くん、おしゃべりよりも報告書。また岩瀬さんに怒られたいの?」
冷たい声と共に小山内に睨みつけられると、途端に肩をすくめた。
二人の様子を見て、優史郎は思わず噴き出す。
「まあまあ。小山内さん、その辺で勘弁してあげて」
そういうキャラクターは各所に一人で充分だし……とは、思ったが口にせずにおく。
真面目なのは悪いことではないし、マネージャーとして部下を茶化すようなことは言うべきでない。それがこの場にいない社員ならなおさら。
小山内は優史郎の言葉に、やや不服気な表情で口を閉ざした。
――そのとき。
「だから、前も言ったじゃないですか!」
バン、とドアが開くと同時に、甲高い声がオフィスに響く。
「クライアントにあんなこと言って、セクハラで訴えられても知りませんからね!?」
「そのクライアントが喜んでたんだからいいじゃないか」
一組の男女の喧騒が、嵐のように部屋の中へ入り込んできた。
二人とも、すらりとした肢体をあか抜けたスーツに包んでいる。一つにくくった女の艶やかな髪が、歩みに合わせてゆらゆらと揺れている。
「相手が喜ぶようなタイプの女性かどうか、見て言ってます? 言ってないですよね? 絶対、女と見れば誰にでも言ってますよね? だからやめなさいって言ってるんです!」
「うるさいなー」
男は心底面倒くさそうに色素の薄い髪をかき上げ、食い下がる女を見やった。
「君みたいなバリフェミ思想の人、そんじょそこらにいないよ」
「私がバリフェミかどうかは置いといて、いたらどうするんですか! その時点で終わりですよ! 的場さん、今一番怖いのは炎上です! 仮にもマネージャーの肩書がつく人が失言なんかしたら、一発で会社の信頼失うんですからね! そういう自覚あります!? ないでしょう! ないですよね!?」
「そうやって、人のことを最初から決めつけるのはよくないと思うなぁ」
突風のような二人のやりとりが、オフィスの空気をがらりと変えた。
元からいた四人は互いに視線を交わしながら、二人の様子をうかがっている。
いつ間に入ったものかと困惑している長島を、優史郎は「好きにさせておけ」と目で引き留めた。
「最初からは決めつけてません! 何度も、毎回のように、言ってます!」
「はーぁあ」
ヒートアップしていく女の苛立ちを察して可、男は深いため息をつき、長島を見た。にこりと人好きのする笑顔を浮かべ、「長島さん」と気さくに声をかける。
この男の笑顔には、だいたいの人間がほだされる。当人もそれをよく知っているのだろう。
優史郎は思わず苦笑した。
「悪いけど、俺にもコーヒーお願いできるかな。岩瀬のキンキン声聞いてたら疲れちゃってさぁ」
彼はプロデューサー兼サブマネージャーの的場秀一。本社からも今後を期待されている、いわばエリートだ。
色素の薄い髪と目、すらりと伸びた手足に高身長。引き締まった肩と胸は、サーフィンが趣味だからか、恵まれた容姿の延長か。
社内で浮いた噂はないが、その容姿と営業成績から、「遊び人に違いない」と女子社員の中では噂が立っている。
その噂に「あれくらいのスペックの男になら遊ばれてもいい」という意味も込められているとは、誰しも想像がつくことだ。
的場はそれくらい、華やかな容姿を持ち、あか抜けた立ち振る舞いができる男だ。
「~~~っ!」
その的場に対抗しているのは、ディレクターの岩瀬好波だ。怒りに顔を赤くして、声にならない声で批難を表した。
次いで、手近なデスクをバンとたたく。
「疲れさせてるのは、どっちですかねっ!?」
相当にご立腹らしい。そのデスクの主は三谷だったが、恐怖に顔を青ざめさせて「ひッ」と身を縮こませている。
今の岩瀬に彼を思いやる余裕はないのだろう。優史郎のデスクからは、三谷の正面に座る小山内が「いい気味」とにやりとしたのが見えた。
ーーさて、どうしたものか。
優史郎は横にいる長島と視線を交わしてため息をついた。
「……私も飲み物買ってきますっ」
岩瀬がぎろりと的場を睨みつけ、髪をひるがえして部屋を出て行く。
バターン、と閉まるドアの音に、中にいる全員が肩をすくめた。
「……的場さんてば」
「今度は何しでかしたんですか」
「さぁ、なんだろうねぇ」
後輩二人が白い目を向けるのを気にもせず、的場はへらりと答えて椅子に腰かける。
そこに、長島がコーヒーを差し出した。
的場は笑顔でそのコーヒーを受け取り、一口飲んで舌つづみを打つ。
「うーん。やっぱり岩瀬の落雷の後には、長島さんのコーヒーだよねぇ。癒されるぅ」
「また、そんなこと言って」
長島が呆れた様子で言った。
「好波ちゃんだって、好きで怒ってるわけじゃないんですからね。かわいそうに。茶化すのはほどほどにしてくださいよ」
「えー。長島さんもお叱りモード? 困るなぁ」
長島の諫言に、的場はひょいと肩をすくめる。
が、そこに反省の色がないことは、一見して明らかだ。
優史郎は思わずため息を噛み殺した。
将来有望なエリート、であると同時に問題児ーー
そんな二人に、日々、上司たる優史郎は苦慮している。
十階建てのオフィスビルの一角に、関東を中心に営業実績を伸ばしている株式会社event-inの支社がある。
春の日差しが差し込むオフィスには、いつもに比べてどこか穏やかな空気が流れていた。
「宇津木マネージャー、コーヒー淹れますけどいかがですか?」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
声をかけられ、宇津木優史郎は微笑み返す。
優史郎は現在四十半ば。支社のトップを担っている。会社創業時からの社員の一人で、本社からの信頼も厚い。
「なんか、今日まったりしてていいっすねー。あ、もうちょっとで昼か」
のんきな口調で言いながら、マウスをカチカチさせているのは、入社2年目の若手、三谷堂太だ。
宇津木が見やると、確かに壁にかけられた時計は十一時を過ぎている。
「そんなのんきなこと言って。三谷くん、先週の報告書書けたの?」
三谷の正面のデスクから、厳しい指摘が飛んだ。
指摘した小山内舞は、 三谷より数年先輩にあたる。小柄な容姿に似合わずひどく負けず嫌いなところがあり、三谷はいつもやや圧され気味だ。
「でも確かに、なんだか静かね」
宇津木のデスクにコーヒーを置くと、長島文江はおっとりと言った。パートとしてこの支社に勤めて3年になり、今やテキパキと雑用をこなしてくれる。
長島は優史郎よりも少し年上で、思春期の子どもがいる。同じ年頃の娘との関係に苦慮している優史郎とは、ときどき子育て談義で盛り上がることもあった。
「ああ、そうか」
さして広くないオフィスをひとしきり眺めた後、急に優史郎は合点した。
長島が淹れたコーヒーを手にしながら呟く。
「今日は、あいつらがいないから静かなのか」
「あっ、言いますねー」
三谷が嬉しそうに笑って優史郎の方を向いたが、
「三谷くん、おしゃべりよりも報告書。また岩瀬さんに怒られたいの?」
冷たい声と共に小山内に睨みつけられると、途端に肩をすくめた。
二人の様子を見て、優史郎は思わず噴き出す。
「まあまあ。小山内さん、その辺で勘弁してあげて」
そういうキャラクターは各所に一人で充分だし……とは、思ったが口にせずにおく。
真面目なのは悪いことではないし、マネージャーとして部下を茶化すようなことは言うべきでない。それがこの場にいない社員ならなおさら。
小山内は優史郎の言葉に、やや不服気な表情で口を閉ざした。
――そのとき。
「だから、前も言ったじゃないですか!」
バン、とドアが開くと同時に、甲高い声がオフィスに響く。
「クライアントにあんなこと言って、セクハラで訴えられても知りませんからね!?」
「そのクライアントが喜んでたんだからいいじゃないか」
一組の男女の喧騒が、嵐のように部屋の中へ入り込んできた。
二人とも、すらりとした肢体をあか抜けたスーツに包んでいる。一つにくくった女の艶やかな髪が、歩みに合わせてゆらゆらと揺れている。
「相手が喜ぶようなタイプの女性かどうか、見て言ってます? 言ってないですよね? 絶対、女と見れば誰にでも言ってますよね? だからやめなさいって言ってるんです!」
「うるさいなー」
男は心底面倒くさそうに色素の薄い髪をかき上げ、食い下がる女を見やった。
「君みたいなバリフェミ思想の人、そんじょそこらにいないよ」
「私がバリフェミかどうかは置いといて、いたらどうするんですか! その時点で終わりですよ! 的場さん、今一番怖いのは炎上です! 仮にもマネージャーの肩書がつく人が失言なんかしたら、一発で会社の信頼失うんですからね! そういう自覚あります!? ないでしょう! ないですよね!?」
「そうやって、人のことを最初から決めつけるのはよくないと思うなぁ」
突風のような二人のやりとりが、オフィスの空気をがらりと変えた。
元からいた四人は互いに視線を交わしながら、二人の様子をうかがっている。
いつ間に入ったものかと困惑している長島を、優史郎は「好きにさせておけ」と目で引き留めた。
「最初からは決めつけてません! 何度も、毎回のように、言ってます!」
「はーぁあ」
ヒートアップしていく女の苛立ちを察して可、男は深いため息をつき、長島を見た。にこりと人好きのする笑顔を浮かべ、「長島さん」と気さくに声をかける。
この男の笑顔には、だいたいの人間がほだされる。当人もそれをよく知っているのだろう。
優史郎は思わず苦笑した。
「悪いけど、俺にもコーヒーお願いできるかな。岩瀬のキンキン声聞いてたら疲れちゃってさぁ」
彼はプロデューサー兼サブマネージャーの的場秀一。本社からも今後を期待されている、いわばエリートだ。
色素の薄い髪と目、すらりと伸びた手足に高身長。引き締まった肩と胸は、サーフィンが趣味だからか、恵まれた容姿の延長か。
社内で浮いた噂はないが、その容姿と営業成績から、「遊び人に違いない」と女子社員の中では噂が立っている。
その噂に「あれくらいのスペックの男になら遊ばれてもいい」という意味も込められているとは、誰しも想像がつくことだ。
的場はそれくらい、華やかな容姿を持ち、あか抜けた立ち振る舞いができる男だ。
「~~~っ!」
その的場に対抗しているのは、ディレクターの岩瀬好波だ。怒りに顔を赤くして、声にならない声で批難を表した。
次いで、手近なデスクをバンとたたく。
「疲れさせてるのは、どっちですかねっ!?」
相当にご立腹らしい。そのデスクの主は三谷だったが、恐怖に顔を青ざめさせて「ひッ」と身を縮こませている。
今の岩瀬に彼を思いやる余裕はないのだろう。優史郎のデスクからは、三谷の正面に座る小山内が「いい気味」とにやりとしたのが見えた。
ーーさて、どうしたものか。
優史郎は横にいる長島と視線を交わしてため息をついた。
「……私も飲み物買ってきますっ」
岩瀬がぎろりと的場を睨みつけ、髪をひるがえして部屋を出て行く。
バターン、と閉まるドアの音に、中にいる全員が肩をすくめた。
「……的場さんてば」
「今度は何しでかしたんですか」
「さぁ、なんだろうねぇ」
後輩二人が白い目を向けるのを気にもせず、的場はへらりと答えて椅子に腰かける。
そこに、長島がコーヒーを差し出した。
的場は笑顔でそのコーヒーを受け取り、一口飲んで舌つづみを打つ。
「うーん。やっぱり岩瀬の落雷の後には、長島さんのコーヒーだよねぇ。癒されるぅ」
「また、そんなこと言って」
長島が呆れた様子で言った。
「好波ちゃんだって、好きで怒ってるわけじゃないんですからね。かわいそうに。茶化すのはほどほどにしてくださいよ」
「えー。長島さんもお叱りモード? 困るなぁ」
長島の諫言に、的場はひょいと肩をすくめる。
が、そこに反省の色がないことは、一見して明らかだ。
優史郎は思わずため息を噛み殺した。
将来有望なエリート、であると同時に問題児ーー
そんな二人に、日々、上司たる優史郎は苦慮している。
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