私たちは翼を隠し持っている

出会い

「相川さん、おはよ!」

朝から、聞き覚えのある声がした。

「……おはようございます」

顔を上げると、昨日図書館で出会った男子――横井亜輝が、私の机の横に立っていた。

「昨日の件、考えてくれた?」

「お断りします」

「今日もダメかー!」

なぜ、この人は一度断られたくらいで諦めないのだろう。

そもそも、昨日初めて話したばかりなのに。

「何度来ても、お断りですよ」

「じゃあ、何回でも聞きに来る!」

……意味が分からない。

私は、人付き合いが苦手だ。

正確に言えば、人と話すこと自体が嫌いなわけではない。

ただ、どうしても周りと同じようにはできない。

流行りの話をされても分からない。
休み時間に大勢で騒ぐのも苦手。
必要以上に誰かと一緒にいることにも、あまり興味がない。

その結果、高校三年生になった今、私はクラスの中でこう呼ばれている。

――【公式ボッチ】。

別に困ってはいない。

むしろ、一人のほうが気楽だ。

……昨日までは、そう思っていた。

◇

桜の散る季節。

私たちは出会った。

高校三年生の春。

クラス替えが行われた教室は、朝から騒がしかった。

「誰と一緒のクラスだった?」
「やった、また同じ!」
「席どこ?」

あちこちから聞こえてくる楽しそうな声。

私はそんな教室の隅で、お気に入りの小説を開いていた。

正直、この空気は苦手だ。

新しい人。
新しいクラス。
新しい一年。

それ自体は理解できる。

でも、どうしてそんなに騒ぐ必要があるのだろう。

小学生の頃から何度も経験しているはずなのに、私は未だにこの雰囲気に慣れなかった。

「相川さんだよね?」

声をかけられて顔を上げる。

そこには、隣の席の女子が立っていた。

「私、本村。よろしくね!」

「相川です。よろしくお願いします」

それだけ答える。

「……えっと」

本村さんは少し困ったように笑った。

「好きなものとかある?」

「本です」

「へ、へぇ……! どんな本?」

「小説です」

「……そうなんだ!」

会話終了。

本村さんは友達のところへ戻っていった。

別に怒らせたわけではない。

ただ、私は会話を続けるのが得意ではない。

流行にも疎い。

テレビもあまり見ない。

休みの日に友達と遊びに行くこともない。

そういうことを繰り返しているうちに、いつの間にかクラスでは私は、

「公式ボッチ」

と呼ばれるようになっていた。

……誰が名付けたのかは知らない。

ただ、最近では妙なことに、その呼び名に「可哀想」という意味は含まれていないらしい。

「相川さんって、公式ボッチだけどさ」

ふと、隣から声が聞こえた。

本村さんが友達と話している。

「可哀想なぼっちじゃなくて、かっこいいぼっちだよね~」

「分かる! なんかクールな魅力ある!」

……かっこいいぼっち。

そんなジャンルがあるのだろうか。

ツッコむほどのことでもないので、私は聞かなかったことにして本へ視線を戻した。

そして、始業のチャイムが鳴った。

◇

「これから一年間、担任を務める野原です!」

元気な声が教室に響く。

担任は二十代後半くらいの若い男性教師だった。

「受験もあって忙しい一年になると思いますが、みんなで頑張っていきましょう!」

受験。

その言葉を聞いて、少しだけ現実に引き戻される。

高校生活最後の一年。

私は、できるだけ静かに過ごすつもりだった。

「じゃあ、次に自己紹介をしてもらいます。出席番号順で……まずは一番、相川さん」

名前を呼ばれ、私は立ち上がった。

教室中の視線が集まる。

「相川ナズナです。よろしくお願いします」

それだけ言って座る。

すると、どこからか小さな声が聞こえた。

「かっこいい……」

「芯が強そう……」

……まただ。

私はため息をつきながら窓の外を見る。

桜の花びらが風に乗って舞っていた。

しばらくして、最後の自己紹介が始まった。

私の後ろの席。

そこから、明るい声が聞こえてくる。

「横井亜輝です!」

妙に元気だ。

「アキって呼んでください!」

さらに元気だ。

「趣味は髪をいじることです! 一年間よろしくお願いします!」

……髪をいじる?

変わった趣味だな。

私はそれだけ思って、再び窓の外へ視線を戻した。

このときはまだ、彼と関わることになるなんて思っていなかった。

◇

二限目。

「委員会を決めます」

私は迷わず手を挙げた。

「図書委員、やりたい人いますか?」

「はい」

教室を見渡す。

手を挙げているのは私だけ。

「じゃあ、相川さんで決定ね」

心の中で小さくガッツポーズをする。

図書委員。

静か。

本がある。

最高だ。

これなら一年間、平和に過ごせそうだ。

――そう思っていた。

◇

その日の放課後。

私は教室を出ると、そのまま図書館へ向かった。

一年生の頃から通っているお気に入りの場所。

教室とは少し離れた場所にあるため利用者も少なく、学校の中ではちょっとした穴場になっている。

司書さんとも顔なじみだ。

私はいつもの席に座り、本を開いた。

静かだ。

落ち着く。

やっぱりここが一番好きだ。

そう思った、そのとき。

隣の椅子が引かれた。

「相川さんだよな!」

……うるさい。

顔を上げる。

そこには、今日の朝、私の後ろの席にいた男子が立っていた。

「俺、同じクラスの横井亜輝! よろしく!」

「……よろしくお願いします」

「握手しよう!」

「え?」

差し出された手を反射的に握ってしまった。

横井くんは嬉しそうに笑う。

「やった!」

何がやったなのだろう。

「何か御用ですか?」

私が尋ねると、彼は満面の笑みで言った。

「相川さんの髪、触らせてくれない?」

「……はい?」

思考が止まった。

「黒髪がすごく綺麗だし、艶もあるし、サラサラだし!」

「……」

「俺、髪いじるの好きなんだよ! だから、ちょっとアレンジさせてほしくて!」

「お断りします」

即答した。

「えぇー!」

「嫌なので」

「そっかぁ……」

しょんぼりしたかと思った次の瞬間。

「じゃあ、今日は諦める!」

……今日は?

「明日また聞く!」

「明日もお断りします」

「それは明日になってから考える!」

「……」

何なの、この人。

そう思いながら、私は再び本を開いた。

横井くんは少しだけ私を見ていたが、

「じゃあ、また明日!」

そう言って図書館を出ていった。

私は小さく息を吐いた。

静かな場所を見つけたと思ったのに。

変な人に見つかってしまった。

◇

そして翌朝。

「相川さん、おはよ!」

……来た。

「おはようございます」

「昨日の件、考えてくれた?」

「お断りします」

「今日もダメかー!」

やっぱりこの人は、一日経つと昨日の「お断り」が無効になるらしい。

「何度来ても、お断りですよ」

「じゃあ、何度でも聞く!」

「……どうしてそこまで?」

「だって、仲良くなりたいから!」

あまりにも迷いのない答えだった。

「俺、相川さんと親友になりたい!」

「……親友?」

「うん!」

彼は笑顔で頷いた。

そのやり取りを見ていた彼の友達が、面白そうに口を挟む。

「横井、お前、相川さんと仲いいの?」

「これから仲良くなる予定!」

「目指せ、親友って?」

「そう!」

「恋人じゃなくて?」

その言葉に、周りから笑い声が起きた。

横井くんは、なぜか答えなかった。

ただ、少しだけ笑った。

その表情の意味を、私は知らない。

このときの私はまだ知らなかった。

彼が私に近づいてきた理由も。

「親友」という言葉に込められた本当の意味も。

そして――

この出会いが、私の高校最後の一年を大きく変えることになるなんて。

知る由もなかった。
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