愛想のない教育係が、私にだけ甘い理由
第一話「やり遂げます」と誓った日
「愛想笑いはいらない」
入社初日にそう言い放った冷徹な教育係は、四ヶ月後。
私の耳元に唇を寄せ──「もう、絶対に離さない」と、信じられないほど甘い声で囁いた。
愛想のない彼が、どうして? その理由を知るまでの話。
◇
朝。目覚まし時計が鳴る三十分も前に、私は目を覚ましていた。
枕元のスマホで時間を確かめる。これで四度目だ。
今日から新しい職場。前職を辞めてから三ヶ月、二十六歳にして二度目のスタートライン。
国内に十数店舗を展開する老舗高級ホテルチェーン『グランディール』に採用が決まった日、ようやく息ができた気がした。
それでも夜になると考えてしまう。また目の前の人より数字ばかりを見る毎日に戻ったら、今度こそ自分を嫌いになるかもしれない、と。
予定より十五分早く家を出た。残暑の名残が肌にまとわりつく九月の朝。並木道の向こうで、ホテルの白い外壁が朝日に淡く光っている。
回転扉を押すと、空気が変わった。シャンデリアの光が大理石の床で水面のように揺れ、どこかから生演奏のピアノが聞こえる。
蛍光灯とせわしないBGMがせめぎ合っていた前職のアパレルショップとは、まるで別世界だった。
人事担当者の後についてスタッフ用の通路を進む間、パンプスの音と自分の鼓動ばかりが大きく響いた。
胸元には、受け取ったばかりの名札が揺れている。『水無瀬』の下に、『研修中』の小さなプレート。年内いっぱい、それが私の肩書きだ。
名札と一緒に渡されたカードには、創業以来の理念が印字され、裏には創業者の署名が、流れるような筆記体で小さく添えられていた。
『マニュアルはあくまで基本。お客様の心に寄り添う』
歩きながら、その一文を心の中でなぞる。
通路の先で人事担当者が足を止め、こちらへ向き直った。
「こちらが、今日からあなたの教育係を務める京介さんです。見学の日は出張で不在でしたので、初対面ですね」
入社初日にそう言い放った冷徹な教育係は、四ヶ月後。
私の耳元に唇を寄せ──「もう、絶対に離さない」と、信じられないほど甘い声で囁いた。
愛想のない彼が、どうして? その理由を知るまでの話。
◇
朝。目覚まし時計が鳴る三十分も前に、私は目を覚ましていた。
枕元のスマホで時間を確かめる。これで四度目だ。
今日から新しい職場。前職を辞めてから三ヶ月、二十六歳にして二度目のスタートライン。
国内に十数店舗を展開する老舗高級ホテルチェーン『グランディール』に採用が決まった日、ようやく息ができた気がした。
それでも夜になると考えてしまう。また目の前の人より数字ばかりを見る毎日に戻ったら、今度こそ自分を嫌いになるかもしれない、と。
予定より十五分早く家を出た。残暑の名残が肌にまとわりつく九月の朝。並木道の向こうで、ホテルの白い外壁が朝日に淡く光っている。
回転扉を押すと、空気が変わった。シャンデリアの光が大理石の床で水面のように揺れ、どこかから生演奏のピアノが聞こえる。
蛍光灯とせわしないBGMがせめぎ合っていた前職のアパレルショップとは、まるで別世界だった。
人事担当者の後についてスタッフ用の通路を進む間、パンプスの音と自分の鼓動ばかりが大きく響いた。
胸元には、受け取ったばかりの名札が揺れている。『水無瀬』の下に、『研修中』の小さなプレート。年内いっぱい、それが私の肩書きだ。
名札と一緒に渡されたカードには、創業以来の理念が印字され、裏には創業者の署名が、流れるような筆記体で小さく添えられていた。
『マニュアルはあくまで基本。お客様の心に寄り添う』
歩きながら、その一文を心の中でなぞる。
通路の先で人事担当者が足を止め、こちらへ向き直った。
「こちらが、今日からあなたの教育係を務める京介さんです。見学の日は出張で不在でしたので、初対面ですね」